クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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さかな君とモーセの11戒?
無事に5日間の講習を終え、アドヴァンス・オープン・ウォーター・ダイビングのライセンスをゲットした。
いやあ、正直けっこうきつかった。まるで合宿。朝から夕方まで重いタンクを背負い3,4本海に潜ってスキルを学び、夜はテキストを読む宿題。疲労と睡眠不足が重なり、日を追うごとに体が重くなっていくのがわかった。講習を受けなかったナガタさんは「みんなの顔からだんだん表情がなくなり、能面のようになっている。」と言っていた。

ただ、海の中はやっぱすごかった。ありゃ宇宙やね、宇宙。
中性浮力(空気の調節をして浮きも沈みもしない状態。または呼吸だけで浮き沈みをコントロールできる状態。)を保って水中をさまよう様はまさしく宇宙だし、幻想的な光が差し込んだ海の中の景色もほんと美しく、かつ得体が知れなくて・・・・宇宙やね、宇宙。一緒にダイビングした人は「竜宮城みたい」と言ってたし、ゆりは「水族館みたい」と興奮していた。
お魚さんもいろんなやつがおるんね。群れで泳ぐやつ、海底でじっとしてるやつ、サンゴやイソギンチャクと戯れているやつ、小さい魚を追い回しているやつにそいつから逃げてるやつ。残念なことに僕は恐ろしく魚の名前を知らない人間なんだけど(タコとイカとハリセンボンくらい)、海に潜るようになってすごくお魚さんに興味が出てきた。今、尊敬する人ナンバー1はダントツでさかな君やもんね。日本に帰ったらお母さんにお魚図鑑を買ってもらおうっと。

最終日はディープダイビングのスキルを学ぶため、水深30メートルまで潜った。キャニオンと呼ばれる、人2人くらいがやっと入れる岩の裂け目をゆっくり潜っていったんだけど、そこには何百匹という魚の大群がグルグルと同じところを泳いでいた。薄暗い海底でひしめき合い、時々光のかげんでキラキラ光るその光景はもう鳥肌というか鮫肌ものだったよ。魚の名前はダスキースイーパー(はたんぽ)というと後からインストラクターに教えてもらったんだけど、うん、これは1年前に見たタイの地獄テーマパーク(覚えてる?)以来ともいえる衝撃だった。つまり、ライセンスがない人は地獄テーマパークに行けばいいのだ。そうなのだ。

講習の翌日は、タダでもう1本海に潜らしてもらい、ダハブでのダイビング生活も終了。
そして、その日の夜11時からシナイ山ツアーに参加した。本当はダイビングをした後は減圧症がなんたらで山に登ってはいけないんだけど、5日間もナガタさんを待たせていたので、強行出発。ゆりは疲れ果てて能面だったので、お留守番。
シナイ山はモーセが神から十戒を授かった山として有名で、世界遺産にも登録されている。バスは2時ごろ山の麓に着き、すぐに登山開始。満月のすぐ後だったので夜道は明るく、僕らは2時間半モクモクと登った。減圧症のせいなのか、ただの体力のなさのせいか、最後のほうは目がくらみフラフラしたけど、何とか頂上にたどり着いた。日の出まではまだ1時間半くらいあったので、寒い中僕らは御来光を待ち続けた。行った人から寒いと聞いてたので冬服を持ってきてたんだけど、それでも寒く、ガタガタ震えながら待った。死ぬかもと思いつつも眠かったので眠った。
そして、ついに東の空が明るくなり始めた。僕は天を仰ぎ、叫んだ。
「おお、神よ。私は十戒なんて余裕で守っちゃいました。ウソをついたことなんてないし、エッチなことを考えたこともありません。最近では物を盗むこともあまりしなくなりました。今持っている「地球の歩き方」を安宿から持ってきちゃったくらいです。インド人やエジプト人に比べると私はたぶん聖人です。なので、さらに新しく11番目の戒めを我に与えたまえ!」
すると、天から・・・・何も返事はなかった。「なんだよ、ちぇっ」と言いながら、仕方なく日の出の写真を撮ろうとカメラを取り出した。すると、なんということか、カメラが動かなくなっていた。がびーん。さっきまで普通に動いていたのに。こ、これは奇跡に違いない。神の仕業に違いない。そ、そうか。わかったぞ。これが11番目の戒めなんだ。11番目の戒めは「観光地では写真を撮ってはならない」なのだ。
そうか、そうか。これでモーセの十戒の上いく、しんごの11戒を手に入れたぞ・・・って、えー!もうすぐピラミッドなのに!写真撮れないやん。これを楽しみに半年旅してきたのに。

結局、1番シナイ山が美しいという御来光の間、僕は何とか写真を撮るためにカメラを叩いたり、叩いたりして過ごした。でも、神の仕業なのでカメラは動かず、いつの間にか日も昇ってしまい、何のために真夜中に苦労して山に登ったのかよくわからない状態なのだった。近くで巡礼者たちが賛美歌を歌っていた。それを美しいと感じる余裕なんて僕にはなかったよ。

さあ、カメラが全滅したところで、ついに次回はピラミッドだ。

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マイカメラ最後の1枚
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後はナガタカメラが頼りです。
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ピラミッドもよろしくお願いします。泣



これクリックするとカメラが壊れるよ。






海・恋・ウノ・太もも
今いるとこはエジプトはダハブ。「世界一美しい海」と定評のある紅海沿いのリゾートだ。何かタイのリゾート地みたいで(行ってないけど)、若いバックパッカーがあちこちでまったり。
今回の旅ではほとんどリゾート地に来てないので僕らもテンションが上がる上がる。さっそく海パンとシュノーケルを購入したよ。あとダハブTシャツも。完全に浮かれてるよ。いやあ、やっぱ海だよなあ。海はええなあ。

そんなわけでフィンを借りてさっそくシュノーケリングをしたんだけど、さすがにきれい。海が青い!お魚さんも大きいのから小さいのまでカラフルなやつがスイスイとスイミング。珊瑚のまわりにはめちゃたくさんいたあるよ。
ひと泳ぎした後はやっぱりビール。水着ギャルを見ながら昼間からビールさ。う~ん、最高。レストランで流れているジャック・ジョンソンも気持ちいい。あー、脳みそがとろける。
宿の目の前が海だから、毎日海入って、ビール飲んで、昼寝して、ビール飲んで、ビール飲んで、ウノしてビール、太鼓たたいてビール、ウクレレ弾いてビール。正しいリゾートライフをおくってるよ。

まったりリゾートしてる間に、いくつかの恋も生まれた。
ここ1ヶ月くらい一緒に旅してるカズさんは、エジプトに来るとき一緒になった中国系シンガポール人のアイリーンといい感じに。2人ともダイビングのライセンスを持っているので、毎日のようにキャッキャ言いながら水中デート。何か日に日に二人の空気が恋人のそれのようになっていってる。ええなあ。やっぱ英語とダイビングライセンスは必要だと強く実感。
まあ、そういうわけなので、カズさんはだんだん僕らと遊んでくれなくなり、残された僕らは「さびしいですなあ」と夕焼け空を見つめているのだった。結局カズさんはアイリーンに合わせてカイロに向かうことになり、僕らとはここダハブでお別れ。1ヶ月一緒にいたのに、数日のアイリーンに負けたわけだ。まあ、気持ちはわかるが。
僕はこのカズさんの裏切りともとれる行動にある1つの決心をした。語学留学をして英語をマスターして、外国人の彼女をゲットするんだ。ついでに、ダイビングのライセンスも取るのだ。

もうひとつの恋は、嫁入り前のナガタさん。仲良くなった韓国人のハンさん22歳学生にラブレターをもらっていた。内容はこんな感じ。
「私と一緒にシワ(オアシスの町)に行きましょう。
 私は先にカイロに行って、あなたが来るのを待ってます。
 あっ今日のお昼を一緒に食べましょう。
 1時に橋の上で待ってます」
これを、日本語が少しできるコリアの女の子に手伝ってもらって日本語で書いてたからね。本気か?一応2人でごはん食べたようだけど、やっぱりシワ行きはかるーく断ったそうな。僕らは「行ったらいいじゃん」って勧めたんだけどね。
そんなわけで、ハンさんはダハブを去っていったんだけど、それから3日後にまたラブレターが届いた。ハンさんの友達のチェイソンがカイロからわざわざラブレターを持ってきてくれたのだ。内容はこんな感じ。
「22日に僕は韓国へ帰ります。
 それまでにカイロに来てください。
 あなたにもう1度会いたいから。
 待ってます。」

「これはもう本気かな」と僕らは言ってたんだけど、ナガタさん本人は「えっギャグでしょ、ギャグ」とあっさり。そういうわけで22日までのカイロ行きは微妙なのだった。僕がもっかいハンさんに会いたいけどね。いいやつなんだ。でも結婚前なんだとは言えないね。

みんなが恋している間、僕自身も一緒にウノをして遊んだボインのフランス人のガブリエル18歳に恋をしたんだけど、すぐそばで強そうな彼氏が目を光らせていて、まったくおっぱいをチラ見する隙も与えてくれなかった。やれやれ。仕方ないので、ウノで彼氏に反撃しておいたよ。ドロフォー、早だしドボン!

そんなわけで、なかなか外国人の彼女ができないので、とりあえずカズさんを見習い、僕もダイビングのライセンスを取ることにした。これで南の海の中を美女と泳ぎ、2人は恋に落ちるのだ。
ダハブは世界で2番目に安くダイビングのライセンスが取れるみたいで(ちなみに最安は南アフリカで、2番目はいくつかあるらしい)、オープンウォーターとさらに上級のアドバンスの両方のライセンスで、400ドル。講習期間は5日間。
しかもインストラクターは美人の日本人女性25歳。体力的にきついインストラクターを仕事に選ぶだけあって、なかなか気が強い感じで、ちょっと怠けてると「はい、そこ、ぐずぐずしない!」とゲキが飛んでくる。僕は本来Sなので、あんまり叱られるのは好きじゃないけど、美人ならそれもオッケー。むしろ心地良い。
日本だと最初はプール講習から始まるみたいだけど、ここダハブでは初日からいきなり海へ。比較的浅いとこに潜り、マスクにわざと水を入れたり、マスクを外したり、レギュレーター(息吸うやつ)を外したり、BCD(タンクがついてるやつ)を外したり、重りを外したりなど(外すのばっかりだな)、いろんなスキルを学ぶのだった。たいてい1つのスキルを学ぶごとに1人ずつテストしていくんだけど、他の人がやってる間、かわいいお魚さんが泳いでたり、砂の中の生き物を食べてたりするのを観察したりして、なかなか楽しい。そして、時々頭の上を水着ギャルのあらわになった太ももが妖艶な動きをしているのをまじまじと見ることもできた。なるほど、ダイビングをするとこんないいこともあるのか。知らなかったよ。人気がでるわけである。
そんな感じで無事太ももライセンス・・・じゃなくて、オープンウォーターのライセンスを取得し、現在アドヴァンスを受講中。
海はええなあ。

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早だし!
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ハンさん
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ジャンプ!右のおもしろ少女はコリア代表のヨンウン
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これダハブ巻き。女子たちはかなりはまって毎日くるくる巻いてます。


これクリックすると南京虫に噛まれるよ。





長い一日 エジプト到着
ぺトラ観光を終えた日の深夜、体がかゆくて目を覚ました。時計の針は2時を指している。蚊取り線香を焚いてまた寝ようとしたが、なかなか寝付けない。しかも、どうも体がむずがゆいような気がする。モソモソしながら寝るように努力していたら、枕の上で何かが動くのが見えた。パッと跳ね起き、電気を点けて枕を見てみた。
ひえーーーーー!!!!
20匹ほどの小さい虫がウヨウヨしていた。枕の裏にもかなりいる。慌てて枕を部屋の外に出したが、ベッドの上にも数匹の小さな虫が這いつくばっている。ゆりを起こしてベッドをチェックしてみたら、僕ほどではないにしろ、やはり同じ虫たちがウヨウヨしていた。押しつぶして殺してみたら、プチッという音と共に真っ赤な血が白いシーツが付いた。
ひえーーーーー!!!! こ、これ、な、南京虫やん。

噂では聞いていたけど、実際目にするのは初めてだった。南京虫に噛まれて体中がアザみたいになっている人には何人か出会ってたんだけどね。幸い僕らはどこも噛まれてはないようだった。だけど、もうここでは眠れない。僕らは荷物をまとめて、宿のロビーへ。そして夜が明けるまでそこで過ごした。長い一日の始まりだった。

この日はエジプトに入国する予定だった。ぺトラを1日で満足したナガタさんは、前日先にカズさんとジンさんと一緒にエジプトに向かってたので久しぶりの2人旅。
早朝のバスに乗り、8時半にはエジプトのヌエバアに向かうフェリー乗り場に着いた。が、ここがまた大変だった。
結果を先に言えば、もう満席だったようで11時のチケットは買えず、5時間ほど交渉し続けて夕方6時発のフェリーチケットが買えた。ただ、みんなが11時のチケットを買えなかったのなら納得できるんだけど、そうじゃなかったから腹立たしかった。
僕らが他の旅人と一緒に2時間ほど交渉した後やってきたカナダ人のショーン(ぺトラで同じ宿だった)は、買えないことがわかると直接オフィスに乗り込み、マネージャーと交渉してすぐにチケットを購入した。
「彼はいい奴だから君も頼んだらいいよ」とショーンが言うので、僕もオフィスに入り「チケットプリーズ」とマネージャーに言うと「30分待て」と彼は言う。僕は素直に30分待っていたら、他の旅行者たちがチケットをゲットしていた。
「どこで買ったの?」と聞くと「イタリア人のガイドが買ってくれたんだ。君たちも彼に頼めばいいよ」と言う。しかし、どいつがイタリア人なのかがわからない。
30分後オフィスに行くと、マネージャーは今度は「1時半まで待て」と言い出した。冗談じゃない!そんなに待てるか!お前さっき30分後って言っただろ!キレたいところだけど、そんなことをしたらチケットをもらえないかもしれないのでグッと我慢した。
僕らがうな垂れていると、フェリー乗り場に行ったはずのショーンがわざわざ戻ってきてくれて、「5ディナール(750円)賄賂を渡して買った奴がいるぜ。やってみな」と教えてくれた。いいやつだなお前。さっそくオフィスに入って「チケットプリーズ」と言い、さりげなく5ディナールを渡そうとした。だけど、マネージャーもチケット係も受け取ってはくれなかった。これはなかなか惨めだった。

結局、早朝から来ていた旅人で11時のフェリーに乗れなかったのは僕らだけだった。
奇妙だったのは2人の若い欧米人の女子だった。まだみんながチケットを待っているとき、彼女たちは重いバックパックを背負い、細い通路を通ってどこかへ行ってしまった。
「どこに行ったんかな?」と思って僕は彼女たちを見てたんだけど、しばらくして通路から出てきた時には、彼女たちの手にチケットが握られていた。
僕と一緒に待っていたアメリカ人の青年が「どこで買ったの?」と話しかけた。すると彼女たちは完全に無視して歩き去っていった。おかしい。僕は女子ならと思い、ゆりに彼女たちのところへ行ってもらった。しばらくして戻ってきたゆりの話だと、2人ともムスっとした表情で「I can’t help you」としか言ってくれなかったそうだ。しつこく「どこでチケットを買ったの」と聞くと、「それは言えない」とだけ言ったそうだ。ゆりは2人のうちの1人とは挨拶を交わしていて、とても感じが良かったそうなんだけど、その子もずっとムスッとして何も話してくれなかったそうだ。いったい通路の裏で何が行われたのだ。めっちゃたくさんお金を払ったか、またはやらしいことが行われたとか。もう真相はわからなかったけど、僕は「きっとパフパフしたんだ」と確信していた。
それにしてもなんてチケット売り場だ。ここでは、「地球の歩き方」ではなく、何か「人生の歩き方」を少し学んだ気がしたよ。賄賂だったり、パフパフだったり。
僕はその後も何度も何度もオフィスに行き、フェリー乗り場に着いてから5時間後にようやくチケットをゲットした時には涙が出そうになったよ。ほんと普通には買えないのか、ここは。

しかし、まだ長い一日は終わらない。6時に出港したフェリーは夜9時ごろエジプトのヌエバアに到着した。僕らは2組の欧米人カップルと計6人でワゴンをシェアして、目的地のダハブに向かうことにした。
100エジプトポンド(2000円)で交渉がまとまり、一向はワゴンに乗り込んだ。「やれやれ、長い一日だったけどようやく着くわ」とホッとしてたんだけど、途中あるエジプシャンが乗り込んできてから話がおかしくなった。
彼は「120ポンド払わないとダハブには行かない。フェリー乗り場に戻る」と言い出した。しかし、そこはみんな旅慣れた旅人。そんなやつに屈するはずがなく「100ポンドと約束しただろ。それ以上は払わない」とゆずらない。しばらく交渉が続いた後、ワゴンは本当に今来た道を引き返し、フェリー乗り場に戻ってきた。
「ようこそ、ダハブへ」とそのエジプシャンのオヤジが言ったときにはキレそうになったよ。

こんな仕打ちは初めてだった。インド人もよく交渉と違う値段をふっかけてきたけど、彼らは目的地に着いてから言ってきた。今回のケースだとこんな感じになるだろう。
「さあ、着いたぞ。120ルピー払いなさい」
「えっ!100ルピーって約束やん」
「いや、120ルピーです。」
「あっそう。じゃあ、1ルピーも払いません。バイバイ」
「あっごめん、間違えた。100ルピーです。」
今思うと、インド人はうざいけど、かわいいなあ。

ただ、このエジプシャンは全然かわいくなかった。もうすでに夜に10時半。他のタクシーがいないことをいいことに値段を120から下げない。
「ウソつきには屈しない」という旅のポリシーを貫いてきたけど、もうこいつに乗るしか手段はなかった。くやしいわあ。
バックパッカーの間では、エジプト人は、インド人とモロッコ人と並んで「世界3大うざい人」と言われてるんだけど、いきなりそれを実感した。
結局ダハブに着いて宿にチェックインしたのは12時をまわっていた。
そんなながーい1日を過ごし、僕らは旅の目的地エジプトに到着したのだった。


*写真を撮る余裕なんてなかったよ。


これクリックすると南京虫に噛まれるよ。



ジョーンズ博士とぺトラ
イスラエルからヨルダンに戻ってきた。無事ノースタンプでイスラエル出国、ヨルダン入国できたので、イスラエルに入国した証拠がパスポートに残らないことになる。しめしめ。
2日間首都アンマンでゆっくりした後、僕らはヨルダン観光最大の見所ぺトラ遺跡へと向かった。

ぺトラは2000年以上も前から、アラビア半島からやってきた遊牧民のナバタイ人やベドウィン(砂漠の民)によって栄えた中継都市。
映画「インディ・ジョーンズ/最後の聖戦」の舞台にもなってるんよ。ジョーンズ教授の父ちゃんが撃たれ、聖水を取りに行く最後の神殿がぺトラにあるんだって。こりゃ行っときゃないと。

ぺトラの宿では毎晩毎晩「インディ・ジョーンズ」のビデオショーが行われていて、僕らも擦り切れてかなり画像が悪くなった映画を観て、気分を盛り上げた。気がつくと「チャーラチャッチャー、チャーララー」とテーマソングを口ずさみ、気分はすっかりジョーンズ教授だ。

朝6時に宿を出発。これまでの経験上、人が少ない早朝の方がだんぜん雰囲気があってよかったからね。
ぺトラ遺跡までは、シークと呼ばれる狭い岩の裂け目を2キロほど歩いていく。これがおもしろいくらいにパックリとでかい岩盤が裂けてるんよ。高さもマンションの6階くらいはありそうで、朝だから太陽の光も入ってこない。
僕らは「ぺトラはまだか」とぶつぶつ言いながらシークを歩き続けた。30分くらいたった頃、ようやく前方の岩の裂け目から光が!そして、昨夜観たばかりの神殿が岩の隙間から見えるじゃないか!
「う~ん、これはにくい演出ですね」と解説の中野さんもうなった。狭い裂け目を歩き続けた先にはでかい見事な神殿が待ってるんだからね。なかなかやるなあ、ナバタイ人。
エル・ハズネと呼ばれる映画で使われた神殿風の霊廟は、幅訳30メートル、高さ43メートルあるらしい。でかくて圧倒されたけど、これがすごいとこは崖を削って削って作ってあるとこなんよ。崖の中に神殿がすっぽりと収まってて、「いやあ、よく彫ったねえ」と2000年前の人間に感心せずにはいられない。これはすごい。さぞかしジョーンズ教授もびっくりされたであろう。ただ、中に入ってみたけど、どこにも聖水が見つからなかった。せっかく永遠の命を手に入れる予定だったのにな。

ぺトラ遺跡は歩ける範囲ではあるけれど広く点在していて、僕らは2日券を買って暑い中遺跡巡りをした。旅人の多くが「1日で充分ですよ。」とか「エル・ハズネ以外たいしたことないですよ。」などと言っていたんだけど、僕らは2日間をけっこう満喫した。どうやら僕は遺跡が好きらしい。ということに旅に出て気づいたよ。
昔の人間の技術の高さに驚いたり、「なぜこんなものを建てたり、彫ったりしたのか」などと考えてたり、想像したりするのがけっこう楽しかった。
ぺトラ遺跡ではエル・ハズネほどは大きくないけど、岩をくり抜いた建物がけっこうあって、それの上部には必ずといっていいほど階段状の模様が彫られていた。これは、ナバタイ人が、死者の魂が階段を上って天国へ行くと信じていたからだそうだ。おもしろいねえ。
その他にも生贄祭壇なんかもあり、当時ナバタイ人がどんな生活をしていたのか興味が湧いてくるよ。

ぺトラは岩そのものもおもしろかった。岩肌がとても美しいんよ。マーブル模様だったり、地層がさかなの鱗みたいだったり、ベーコンに見えたり。
「この地層はどうしてこうなったのか?」と我々はおおいに語り合い議論したが、誰一人として詳しいことはわからず、適当なことを言い合いながら、ゆっくり遺跡をまわった。

疲れたら遺跡の影で昼寝した。
僕は夢を見た。
ゆりとナガタさんと僕が生贄祭壇の上に縛られて寝転がされていて、ナバタイ人が何やら奇妙な呪文を唱え、神に祈りを捧げている。
「助けてー」と僕が叫ぶと、例の音楽が鳴り出した。
チャーラチャッチャー、チャーララー、チャーラチャッチャー、チャーララーラーラ
そして、馬に乗ったジョーンズ教授が颯爽と現れ、ナバタイ人を蹴散らした。
「助かった。」と僕らは思った。ジョーンズ教授は得意のムチを使って、ゆりとナガタさんをヒョイと自分の馬に乗せ、クルッと回転して駆け出し、岩盤のシークへと消えていった。
「インディー!」僕は精一杯叫んだが彼はもう帰ってこなかった。そして僕は見事にナバタイ人に殺され、天国の階段を上っていくのだった。めでたしめでたし。
遺跡は楽しいなあ。

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シークを抜けると・・・
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岩の隙間から
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出た!
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うまそう。
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天国への階段
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これクリックすると助かるよ。


涙が止まらないのはあなたのせい
僕らが泊まっているエルサレムの宿に、もう10年も住み続けてパレスチナ人のために活動している女性がいた。
「今度ある村の子供たちに折り紙を教えることになったんだけど、何かいいの知っている?」と聞かれたので、高校時代、折り紙部の部長と会長だったナガタさんとゆりが風船やら蛙やらを教えてあげた。
僕が「ヤッコさんなんかどうですかね?」と言うと、彼女は「石をぶつける標的になりそうだからちょっとね。」と言う。話を聞くと、その村の子供たちは、昔からブルドーザーや戦車で家を壊されたり、友達や家族を殺されたりして、イスラエルをそうとう憎んでいるそうだ。自爆テロをする人もこの村の出身者が多いんだって。そんな環境だから、何でもすぐ武器と結びつけてイスラエル軍に何とか攻撃しようと考えるんだって。今回せっかく折り紙を教えるなら、恨みや憎しみを忘れて遊べるようなものを教えてあげたいそうだ。
彼女は完成した風船をポンポンしながら「折り紙ってすごいよね。紙さえあれば平和に遊べるんだから」としみじみ言っていた。

活動家の女性は分離壁の話もしてくれた。
イスラエルはパレスチナ人の自爆テロ防止のためにパレスチナ自治区との境界に壁を作ったんだけど、それが決められていた境界からかなりパレスチナ側に割りこんで作ったらしい。そのため家を壊されたり畑を失ったりしたパレスチナ人が多く出たそうだ。これに対して国連の裁判で国際法に違反してるとの判決が出たんだけど、イスラエルは未だに壁を撤去してないそうだ。安息日の毎週金曜日には、パレスチナ自治区のあちこちの村でデモが行われているんだけど、それに参加しているパレスチナ人にイスラエル軍は容赦なく攻撃をしてくるそうだ。だから、活動家や外国人が彼らのそばに立ち、人間の壁になっているんだって。

僕はイスラエルに入る前に、2人のデモに参加した旅人と出会っていた。デモに参加している人に対してもイスラエル兵は催涙弾やゴム弾を撃ってきたらしいけど、2人とも、後ろにいたら安全だしぜひ見に行った方がいいよ、と勧めていた。

う~ん、そりゃデモは見たいけど、100%安全ではないだろうし、女子が2人いるし、何かあったら洒落にならないし・・・・でも見たいし。

だいぶ迷ったけど、カズさんとジンさんが行く気満々で、僕も行きたい気持ちが勝り、結局5人でデモに参加することにした。

デモがあるビリン村へはバスを2台乗り継ぎ2時間。途中、高くそびえ立つ分離壁沿いを通り、チェックポイントを通過してパレスチナ自治区へと入った。ビリン村は小さくて静かな村だった。デモ参加者の集合場所である村のホテルには30人ほど
の外国人が集まっていた。毎回デモに参加しているらしき人たちが何やら親しそうにおしゃべりしている。僕らと同じ宿に泊まっている旅行者も何人か来ていた。女性もかなりいたので、何だか少しホッとした。
村のどこかで誰かがマイクを使って演説している声が聞こえていた。それが終わると、みんなぞろぞろと集合しだし、村のオリーブ畑の方へと歩き出した。ビリン村は収入源であるオリーブ畑の中に分離壁が作られ、村人はかなりの土地を失ったらしい。僕らも人々の1番後ろについてオリーブ畑に向かった。
しばらく歩くとイスラエルが作ったフェンスが見えてきた。人々はパレスチナの旗を掲げ、何やら叫びながら行進している。おそらく、土地を返せ!分離壁を撤去しろ!と言ってるんだろう。
僕はダラムシャラで参加したチベタンのデモを思い出しながら、少しぼんやりしながら歩いていたら、いつの間にか集団の前の方に来ていた。フェンスの向こう側に銃を持ったイスラエル兵が見えた。
突然だった。
ヒューという音とともに催涙弾が飛んできた。僕の後方に落ちた催涙弾はモクモクと煙を出していた。後ろにいた人たちが一目散に逃げだした。
「外国人がいても関係ないやん!」と思っているうちにも、イスラエル兵はどんどん催涙弾を撃ってきた。前方から、または上空から煙をあげて飛んでくる。ヒュー、ヒューという音が恐怖だった。
僕は煙を避けて後退してたんだけど、急に目が痛くなり涙が止まらなくなった。喉も痛くなり息もしずらい。苦しい。煙がないとこでこれだけ苦しいなら、まともに煙にやられたらいったいどうなるんだ。

僕は恐怖に駆られ、必死で来た道を戻った。途中、デモの指導者らしき人が「インターナショナル、ゴー!ゴー!」と僕らに向かって叫んできた。この煙の中に突っ込めというのか。僕は強い違和感を覚えた。
あるオリーブの木の下の隠れた。ちょうどゆりとナガタさんもそこに来ていた。2人とも無事で安心した。
僕らの隠れたオリーブの木はイスラエル兵の死角だったのか、催涙弾は一発も飛んでこなかった。僕らは座りながらデモの様子を見守った。イスラエル兵はまだどんどん催涙弾を撃っていて、人々は逃げ惑っていた。だいぶ後方で叫んでいた人たちのところへも、けっこう正確に撃ち込んでいた。まるでイスラエル兵に遊ばれているようだった。これがデモなのか!
まだ10人くらいはフェンスの近くに残って、何やら叫んでいるようだったけど、しばらくすると引き上げてきた。

いつもは3時間くらいデモが続き、その間にゴム弾が飛んできたり、パレスチナの若者が投石したりすると聞いていたけど、今日は参加者がすぐ逃げ出したためか、30分くらいで終了した。
僕らは村に引き上げ、すぐに乗り合いバスに乗ってエルサレムに戻った。「来るんじゃなかった」とみんな思っていたと思う。

パレスチナの現状を見ておきたいという思いはあったけど、正直野次馬根性だったことも否定できない。それに、あんなのがデモと言えるのか。ただ催涙弾を浴びにいっただけじゃないか。
「インターナショナル、ゴー!ゴー!」と叫んでいた男を思い出した。活動家は世界にパレスチナのことを伝えるために、外国人をわざと危険に目にあわせてるんじゃないか。そんなひねくれた考えも浮かんだ。盾になって守るべきパレスチナ人も少なかったからね。

宿に帰ると、他の村のデモに参加した欧米人の若者が、すごく興奮してデモの様子を話してくれた。彼らはビリン村の近くのニリン村に行ったみたいだった。そこでは2日前に9歳の少年がイスラエル兵が撃った銃弾で死亡するということがあり、いつもより激しいデモが行われたようだった。もしかしたら、ビリン村の若者もニリン村のデモに参加していたのかもしれない。彼らはデジカメのムービーでデモ様子を撮っていたので見せてもらったけど、デモ参加人数が多く、かなり激しくイスラエル兵とやりあっていた。パレスチナ人の若者たちが、石を引っ掛けたヒモをグルングルンまわし、遠心力を使って石を飛ばしてイスラエル兵に攻撃していたのが印象的だった。鬱憤ややり切れない思いをぶつけているようにも見えた。
欧米人の若者は「まるで戦争だった」と興奮して話していたけど、僕はそれにも違和感を覚えた。なんだか彼が楽しそうに見えたから。まあ、気持ちはわかるけど。

僕はデモ参加したこと、特にゆりやナガタさんを連れて行ったことで、少し自己嫌悪に陥っていたので、ちょっとブログに書こうかどうか迷っていたんだけど、まあ何となく書いちゃった。でも、僕らがデモに参加した日、パレスチナ自治区で日本人がイスラエル警察に捕まったニュースを知って、やっぱり興味本位でデモに参加するべきじゃなかったと思ったよ。
ちなみに捕まった日本人は活動家の女性の相方さんだった。日本でどういう報道がされたか知らないけど、危険な目に遭いながらパレスチナ人のために活動している彼はやっぱすごいと思う。僕より年下なのに。僕もパレスチナ人やチベタンのために何かしたいとは思うけど、そんな行動力ないよ。口だけだよ。
とりあえず口だけでも、パレスチナの人々が幸せに暮らせるように願っている今日この頃なのだった。

 
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