クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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ノースタンプ、プリーズ
死海で浮いた翌日はアンマンでのんびり過ごし、さらに翌日、僕らはイスラエルに向かった。やはりカズさんとジンさんも一緒。バス代とあまり変わらないということで、宿でワゴンをチャーターして国境まで行った。もう完全に5人旅、あいのりである。

ラブワゴンとは国境でお別れして、ヨルダンのイミグレーションに。
「ノースタンプ、プリーズ」
僕は審査官の男性に言った。「出国のハンコを押さないで」という意味だ。なぜって?じゃあ、ここで少し説明しよう。

僕らがこれから入ろうとしているイスラエルはアラブ諸国とかなーり仲が悪いらしい。そのためイスラエル入国のスタンプがあることがわかると入国を拒否する国がいくらかあるのだ。僕らが行ったシリア、イエメンを始め、イラン、イラク、サウジアラビア、パキスタン、レバノンなどなど。僕らはエジプトの後のルートはまだ未定だけど、もし行きたい国がイスラエルのスタンプがあるせいで行けなくなったら残念である。じゃあ、イスラエルに行かなきゃいいんだけど、イスラエルも行ってみたい。うーん、どーしよー。
そんな僕らに1ついい方法があった。ヨルダンとイスラエルのキング・フセイン橋国境では、「ノースタンプ」と言うと、ハンコをパスポートに押さずに別紙に押してくれるかもしれないという。かもしれないというのは、たまに審査官の嫌がらせか、間違いかで押されてしまう人がいるらしい。まあ、運だね、運。
運よくノースタンプでヨルダンを出国、イスラエルに入国し、帰りも同じようにノースタンプでイスラエルを出国、ヨルダンに入国をすれば作戦成功。その後、何食わぬ顔でヨルダンからエジプトに陸路で抜けると、まったくパスポートにはイスラエル入国の証拠が残らないというわけだ。アンダスタンド?

ヨルダン側のイミグレは難なくノースタンプで通過できた。さあ、今度は問題のイスラエルだ。
イスラエル側には銃を持った軍人女性が数人いて、ちょっとドキドキ。イスラエルに来た実感が少しわいた。
イミグレ審査官は全員女性で、僕はできるだけ優しそうで美人の女性を選び、その列に並んだ。
「ハロー、ノースタンプ、プリーズ」
「WHY?」
「ワ、ワイ?え、えーと・・・」
僕は比較的まだ敵対していないイエメンに行くからと言うつもりだった。しかし、緊張のあまり口から出た言葉は
「アイ ウォントゥ ゴウ シリア」とチョー仲が悪いシリアと言っちゃった。「シリアとは絶対言っちゃダメ」と旅行者にアドバイスもらってたのに。
ピ、ピンチ!
かなり焦ったけど、審査官の女性も意表をつかれたようで、「シリアってか。おい、このボーイ、シリアって言っちゃったよ。」と隣の審査官と一緒に笑っていた。う~ん、どうやら大丈夫そうだ。よかった。
でも彼女の質問は終わらなかった。
「イスラエルはどこに行くつもりなの?」
「えーと、えーと、エルサレム」
「何するの?」
「えっ、何するかって・・・かんこー」
「どこに泊まるの?」
「ファームホステル」
実はファイサルホテルという宿に泊まるつもりだったんだけど、ここは敵対しているパレスチナ人が経営し、ジャーナリストも多く泊まるということで、別の宿の名前を言った方がいいと情報ノートに書かれていたのだ。
まだ、質問は続く。
「パレスチナ自治区にも行くの?」
「いいえ、まさか。エルサレムオンリー」
「あなた、シリアにも行ってるわね。どうして行ったの?」
「えっどーしてって・・・かんこー」
「ふ~ん・・・」
彼女は他にもいくつか質問したあと「じゃあ、そこらへんで待っててちょ」と言った。パスポートは預けたままだったので、スタンプがどうなったかはわからなかった。それにしても、さすがに今までにないくらい質問されたなあ。

さて、実はここからが本当は大変らしかった。普通はこのまますぐに入国できるんだけど、僕らはチョー仲が悪いシリアを通過してきている。敵対国のスタンプがパスポートに押してある者は数時間このまま放置されるのだ。3時間は当たり前で、6時間待たされたという人にもけっこう出会った。なぜそんなに待たせるかって?それは敵対国に行った罰やね。ただの嫌がらせ。いやあ、イスラエル、質問攻めの後は放置プレイかよ。そーとーSやね。
僕らは今日はちょっと遅い昼過ぎにアンマンを出発したんだけど、それも作戦だった。結局通過させてくれるのは夕方で、早く行けば行くほど待たされると聞いていたからだ。
「さあ、何時間待たされるかね」
僕らはトランプの大富豪をして時間を過ごした。数時間は待たされる覚悟が出来てたし、トランプに熱中してたしで全然苦ではなかった。
2時間くらい経ち、僕の大貧民が決定した頃、パスポートを持った男がやってきた。意外と早かったなあ。トランプをしている僕らを見て、こいつら嫌がってないじゃん、放置プレイになってないじゃん、うぜーじゃん、と思ったのかもしれない。Sだからね。
さて、問題はスタンプだ。ドキドキしてパスポートを開くと、ちゃんと別紙がはさんであって、それにスタンプが押されていた。

そんなわけど、ちょっと大変ではあったけど、この旅15カ国目となるイスラエルに無事入国したのだった。

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浮いちゃう浮いちゃう
楽しかったシリアを発ち、僕らはお隣のヨルダンに向かった。ルートが同じだったカズさんとジンさんもご一緒に。
ヨルダンの首都アンマン行きの国際バスが満席だったので、タクシーをチャーターして行くことにした。料金もバス運賃と1人300円くらいしか変わらなかった。さすがに5人は強い。
そんなわけで、僕らはタクシーにギュウギュウ詰めになりながら、この旅14カ国目のヨルダンに入国した。

アンマンは街の中にローマ劇場があったりして古い雰囲気を残ししつつも、やっぱり首都だけあって都会な感じ。まあ、でもあんまりシリアと変わんないなあというのが僕の印象。人も食い物もよく似てるしね。

ただ、ヨルダンにあってシリアにないものが1つだけあった。(いっぱいあるだろうけど)
それは、どんな生物であろうとここでは生きることができないと言われる海「デッド・シー」。そう、日本語では歯科医。そうそう、最近、虫歯が痛むんだよなー。うん、右の上。こっちでは保険効かないから高いらしいよね・・・っておい!(やっちゃった)
死海だよ、死海。ちなみに虫歯は事実。もう帰国するかも。

地球上で最も低い海抜マイナス410メートル、塩分濃度が30%の死海。
みなさんも1度は目にしたことがあるであろう、海に浮かんで新聞を読んでいる人の写真。それが死海なのだ。もう体浮いちゃってしょうがないみたいよ。どんなカナヅチでも溺れないみたいよ。これは行っとかないとでしょ。

アンマンに着いた翌日、さっそく僕ら5人は死海に出かけた。バスで行ったんだけど、途中、降りなくちゃいけないところで降りそこない、えらく遠くまで行ってしまった。結局、2台の車をヒッチして何とか死海に到着した。

僕らが到着した時は、波がほとんどなく水面は静かで、太陽に照らされる死海はとてもきれいだった。それほど遠くない対岸にはイスラエルが見えた。こんなに近いのかと少し驚く。そして、やっぱりというか、ウッソーンというか、ぷかぷかと浮かんでいる人間が何体も見えた。
「おおおお!浮いてるやん!」
一気にテンション上昇。そっこー海に入った。

「おおおお!浮いてる、浮いてる!」
まるで自分が浮き輪になったようだった。ほんとおもしろいくらい浮く。いやあ、浮くなあ。なんだ、これは。
みんなもぷかぷか浮いていた。泳げないナガタさんも浮く浮く。最近沈みがちなマイケルも浮く浮く。場の空気が読めることで定評のあるワトソン君もここでは浮いちゃう。
足の届かないところまで行って、普通に体を垂直にして立ったままにしても浮いちゃった。手や足をバタバタと動かす必要なし。水中を歩いちゃうことだってできちゃう。いやあ、それにしても浮くねー。

僕らは大いにはしゃいで浮いたけど、問題がないわけではなかった。体にある傷の跡がえらくしみるのだ。もうヒリヒリしてしょうがない。きゅうりみたいに塩もみされている感じ。水の中にいられるのは15分くらいが限界で、みんなちょっと入っては塩を落とすためシャワーを浴びにいかないといけなかった。あせもがヒザの裏にできていたジンさんは、もうかわいそうなくらい痛そうだった。
僕は最近お肌には気をつけていたので、みんなより長く入っていられたけど、水が目に入ったときはもうたまらなかった。激痛。目が開けられず、涙が流してくれるのを耐えて待つしかなかった。
いやあ、さすが死の海だ。

ひととおり浮いた後は、死海の泥で全身パックした。何でも死海の泥はいいらしいよ。何がいいのかは知らないけど、いいらしいよ。
みんな全身泥まみれに。記念にそこらへんにいた欧米人のおっちゃんに写真を撮ってもらった。

「楽しかったねー。」
シャワーを浴びて帰ろうとしていた時、問題が起こった。さっき撮ってもらった写真が撮れてなかったのだ。
残念だけど、まあしょうがないよねと思っていたら、女性陣が「もっかい泥パックやるんだ」と言う。
まじで!もう夕陽が死海の向こうに沈みかけていた。
結局、僕らは人が少なくなってきたビーチでまたせっせ、せっせと泥を塗りあうことに。2回目だけあって、めちゃ早く塗ったよ。誰かが見てたら、何とも滑稽な光景だっただろうね。

今度はちゃんと写真も撮ってもらい、シャワーを浴びて帰る頃にはもうすっかり日が暮れていた。暗くなってからのヒッチはけっこう難しく、パトカーを止めちゃったりとちょっと大変だった。結局宿に帰ったのは11時をまわっていた。う~ん、やはり死海恐るべし。

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一人で浮くもよし
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2人で浮くもよし
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3人で浮くもよし
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実は2回目なんです



これクリックすると浮いちゃうよ。




戦争のあと
シリアの首都ダマスカスにやってきた。都会だけど人も町もどこかごちゃごちゃしていて、僕はタイを思い出した。仏教とイスラム教の国とでは全然違うはずなんだけど、なんとなく同じにおいがした。
僕らはスーク(市場)で買い物をしたり(ナガタさんはウェディングドレスに合うアクセサリーをいくつか買い、結局花嫁セットを全部シリアで揃えた)、大モスクでボーっとしたり、アイスクリームを食べたり、1000年の歴史あるハンマーム(大衆浴場)に行ったりして過ごした。

ダマスカスでは、以前アレッポやパルミラで同じ宿だったカズさんとジンさんに再再会した。2人はダマスカスから1時間半くらいにあるクネイトラに行くようで、僕らも一緒に行かないかと誘われた。
僕らは全くその場所について知らなかった。何でもクネイトラのあるゴラン高原は、シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエルの4カ国に囲まれていて、その肥沃な土壌と水の豊かさから、常にイスラエルとアラブ諸国の戦争の舞台になってきたそうだ。そして、ここを占領していたイスラエルが1974年に撤退する時に爆撃したのがゴラン高原の東にあるクネイトラで、シリアはイスラエルの残虐行為の記録だとして、今も爆撃跡を修復しないで残しているんだって。

う~ん、なんだかすごそう。
僕らはカズさんたちと一緒にクネイトラに行くことにした。同じ宿にいた韓国人の子たちも行くことになり、結局8人という団体で出発した。
まず最初に向かったのが、ダマスカスにある内務省のオフィス。ここで1日だけのパーミットを取得。それから一向は乗り合いワゴンに乗り、クネイトラに向かった。
ドライバーとの値段交渉は、25歳のリー君が全部やってくれたんだけど、彼は目いっぱい体を使い、大声を出し、感情を爆発させて交渉し、時に土産物を渡して運賃を値切ってくれた。韓国人のパワーを感じたわ。

クネイトラの手前でパスポートのチェックがあり、1人の太ったおっさんがワゴンに乗り込んできた。彼は内務省の係員で、クネイトラをガイドしてくれるようだ。
太っちょガイドのおじさんはワゴンが走り出すとすぐに「もう、ここがクネイトラだ」と言った。ワゴンから外を見ると、広い土地にコンクリートがたくさん転がっていた。どうやら建物が崩れたものらしかった。
ある場所でワゴンは止まり、僕らは外を少し歩くことができた。やはり崩れかけの家などがあったけど、爆撃の跡があるわけじゃないし、想像力の乏しい僕にはあまりピンとこない風景だった。
そんな僕の心の声が聞こえたのが、次にガイドが連れて行ってくれた病院は、一目見ただけで思わずため息が出るものだった。それは建物中におびただしい数の銃弾の跡が残っていた。数が多すぎてなんだか気持ち悪かった。
僕らは病院の中にも入ったけど、やはり同じようにいたるところに銃弾が撃ち込まれた跡がついていた。ほんとどれだけ撃ったんだよっ感じ。いったいここで何があったんだ。ガイドさんは全くガイドする気がないようで、何もしゃべってくれなかった。彼はガイドというより、僕らの監視をするためにいるみたいだった。誰かが「この町ではどのくらいの人が亡くなったんですか?」と質問すると、彼は「1万2000人だ」と答えた。
結局見学はこれでお終い。教会やモスクがすごいと聞いていたのにそれには行けずだった。ガイドさんがめんどくさかったんだろう。その代わり彼はクネイトラにあるレストランに連れて行ってくれたけど、さすがにここでメシを食べる人はいなかったよ。

病院にはちょっとびびったけど、あまりよくわからなかったというのが正直な感想。元の町の写真とかあれば、感じるものがあったかもしれないね。不謹慎かもだけど、もっとボコボコになった町を想像してたからね。でもジンさんはこの後ネットカフェでグーグルアースを使い、クネイトラの上空からの写真を見たそうだけど、ボコボコと爆撃の跡があって、すごかったと言っていた。
イスラエルの事情などほとんど何も知らない僕なので、今回こういう場所があるってことを知れただけでもよかったかな。

暑い中、サウナ状態のワゴンに乗りダマスカスまで戻った僕らはもうフラフラだったけど、韓国人の子たちはさらに1時間くらいのとこにある遺跡を観にいっていた。韓国人のパワーを感じたわ。

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モスク
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女性はコートを着ないと入れない
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地元で人気のアイスクリーム25シリポン(60円くらい)
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ハンマーム 風呂上りの男たち


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もう期待なんてしないなんて言わないよ絶対
ハマという町にやってきた。ハマと言えば、ハマの大魔神かチャーリー浜を誰もが思い浮かべるけど、ここは古い水車が名物らしい。
「う~ん、水車ねえ」と僕はあんまり期待してなかったんだけど、実際目にすると、木で作られたそれはかなりでかく、なかなかのものだった。ギー、ギーと水車のきしむ音がなんとも心地よい。
思うにこれまでの経験上、期待してなかったとこの方が、案外よかったと感じることが多い気がする。期待しちゃうと、そのもののありのままを見ず、少し過小評価しちゃうんじゃないかな。
「旅は人生の縮図」なので、これは人生についても言えるかもしれないね。僕は僕の人生に期待しないことにしようと思う。そしたら小さな幸せを集めることができるかもしれない。「おっ俺の人生、期待してなかったけど、まっそれなりによかったやん」と思って死ねるかもしれない。だからみんなも僕に期待しないでほしい。そしたらたまには「おっなかなかやるやん」と思うことがあるかもしれない。でも「期待の新人」と言われるのも悪くないなあ。どーしよう。

町にはいくつもの水車があり、大きいのだと直径20メートル以上もあるという。昼の暑い時間に訪れた水車では、若者が水車から川へダイブをしていた。1番下から水車に乗り、ちょうど観覧車のようにゆっくりと上へ上がっていき、いい高さのとこでダイブ。みんなそーとー高いとこから飛んでいて、チョー気持ちよさそう。僕もやってみたくなって水車に乗ろうとしたけど、ある若者に止められた。「釘が出ているから止めろ」と言う。よく見てみると確かに水車には無数の釘が飛び出していた。メガネなしではちょっと見えない。非常に残念だけど、若者の忠告に従うことにした。若者たちも釘にはだいぶ注意して水車に乗り、でも何度も何度もダイブしていた。

水車観光の翌日は、クラック・デ・シュバリエという12世紀の城に日帰りで行ってきた。ここは旅人の間では「天空の城ラピュタ」のモデルと言われているようだ。いったい世界にはいくつラピュタのモデルがあるんだよ。出会った人も「ラピュタそのものだった」と言っていたけど、僕にはよくわからなかった。ただ城自体はでかくて、なかなかのものだったよ。3人で「ラピュタと聞いてなかったら、もっと良く感じたかもね」と話した。今回は「ラピュタの城が見れる」という期待が裏目に出たようだ。やっぱり期待しない方がいいんだ。僕は人生に期待しない。期待の新人もあきらめよう。

さて、クラック・デ・シュバリエでは1つ楽しみがあった。それはゲイに襲われること。なんでも出会った旅人が、ここでゲイのガイドに捕まったそうだ。「ボーイフレンドはいるのか」という質問から始まり、色々体を触られ、終いには「あそこを見せていろ」と言われたそうだ。旅人はけっこうヘコんでその話をしてくれたけど、僕は正直彼が羨ましかった。「おいしーな」とずっと思っていた。

最近このミーバイブログがマンネリズムに陥っているのは、誰の目にも明らかな事実。。もうすぐ1年になるけど、さすがにそれだけの期間読む人を飽きさせない腕は僕にはない。じゃあ、技術がなければどーるすかって、もうネタに頼るしかないやん。そうだ、ここはいっちょゲイに襲われて、刺激のある日記を書いてやろうじゃないか。

僕らがクラック・デ・シュバリエに着いた時、ちょうど帰るところの日本人に出会ったんだけど、彼も「ガイドに抱きつかれました。気をつけて」と去り際に言っていた。
噂では聞いていたけど、やはりイスラム圏はゲイが多いようだ。やっぱり女性との関わりを極端に制限されているのが大きいんだろうな。満たされない欲望を男に求めちゃうんだろう。わかるなあ。いや、うそだよ。わからないよ。
なんにしろ、これはもう期待しちゃうよ。僕は髪とヒゲとメガネを整え、腕の筋肉を強調して城に入った。

城に入ってすぐに、男のガイドに声を掛けられた。
「キ、キター!」早くも目当ての男に出会えて僕の心臓は高まった。
「どこから来たの?」「名前は何ていうの?」というありきたりな質問をした後、彼は「ところで前の2人の女の子は君のガールフレンドか?」と聞いてきた。
僕は当然、「全然違うよ。さっき出会ったばかりさ。ジャストフレンドさ」と答えた。
するとガイドは声をひそめ「それじゃや、シリアにガールフレンドがいるのかな?えへへ」と聞いてきた。
ん?ガールフレンド?そこはボーイフレンドと聞くところだろ?
僕がいぶかしんでいると、ガイドはあっけなく欧米人相手にガイドの仕事を始めてしまった。

その後、ゆりとナガタさんは僕から離れ、ゲイを釣るため僕を泳がしてくれたけど、誰一人として声を掛けてくれるゲイはいなかった。見事に期待は裏切られた。
「俺は男にもモテないのか」と落胆し、「もう期待なんてしない」と心に誓うのだった。

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ラクダは楽だ
デリゾールから2時間バスに乗り、タドモールという町にやってきた。ここの見所はなんといってもパルミラ遺跡。シリア最大の観光名所だ。とか言いつつ、シリアに来るまで知らなかったけどね。
パルミラは、紀元前1世紀から紀元後3世紀にかけて栄華を極めた、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商都市。現在残されている建物は2世紀頃のものが多く、世界遺産にも登録されている。

僕らは到着した日の夕方4時頃から観光を始めた。暑いのが嫌だったのでその時間だったんだけど、それでもまだまだ暑かった。肌がジリジリと焼けた。
遺跡の知識もないし、くそ暑いしで、最初は「観光だりー」とダメダメ旅行者だった。やっぱり1年も観光名所をまわり続けていると、遺跡とかにも飽きている感は否めないよね。我ながらもったいないと思うよ。
ただ、やはりいざ目の前にするとテンションが上がった。予想以上にパルミラのスケールがでかかった。ごっつい石を積み上げた神殿や列に並んだ石柱、円形劇場。それどーやって削ったの?それどーやって持ち上げたの?と驚かされる。2世紀って日本じゃ弥生時代でしょ。この辺の人たちって僕らが想像する以上にすごい技術を持ってたんだろうね。でもさすがにそれだけ古いものなので、けっこう崩れていて、柱の一部なんかがゴロゴロ転がってるんだけど、それもなかなか雰囲気があってよかった。まじで完成形はそうとうでかくてすごかったんだと思うよ。
こういう遺跡って、ちゃんと知識と教養と容姿がある人にはたまんないんだろうな。目を閉じると、当時の人々の活気溢れる情景などが思い浮かんだりするんだよ、きっと。小鳥のさえずりや小川のせせらぎなんかも。
僕も、そーいや知識と教養と容姿があるかもと思い、目を閉じてみた。すると「ラクダは楽だ」という日本語が聞こえてきた。目を開けると観光用のラクダとそれを連れてるシリア人。そいつはその後何度も「ラクダは楽だ」と言ってきて、少々うざかった。

パルミラ遺跡で活躍したのが国際学生証だった。実はアルメニアにいた時に「本物の学生証が作れる」と聞いて作っておいたのだ。バンコクでは偽物の学生証が作れるというのが有名なんだけど、アルメニアのは本物。まあ、僕が学生じゃないから偽物っちゃあ偽物なんだけどね。しかも26歳以下じゃないと使えないとこもあるので年齢も詐称。ちなみに大学の名前は「Bakada University」。そう、かの有名なバカボンのパパの出身校「バカダ大学」である。そういやうちの親父も昔はよく「お父さんはな、バカダ大学を出たんだ。」と言ってたっけ。同じだ。
そんな国際学生証だけど、数回入場料150シリアポンド(350円くらい)が10シリポン(23円)になったりして大助かり。150シリポンってパルミラの宿と同じ値段だからね。大きいよ。実際、一緒にまわった日本人バックパッカーの2人の男性は、入場料が要るところは入ってなった。僕らも学生証がなかったらたぶんケチッて入ってなかったんじゃないかな。やっぱり学生証様様、バカダ大学バンザイなのだった。

最後にアラブ城に登り、夕陽を見た。ここでも75シリポンが5シリポンに。
ちょうど日本人のツアーの団体が2組来ていて、城の中は日本語が飛び交っていた。久しぶりに見た一般の日本の方はとても小奇麗で、なんだか自分とは違う人種の人たちに感じ、少々とまどった。
おじさんが、おばさんたちに「ほら、3人娘、そこに立って」と言い、おばさんたちはキャッキャッと娘の声をあげて写真を撮られていた。僕はその様子にまた少々とまどいながら、地平線に沈む夕陽を見た。きれいだったよ。

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ユーフラテス川マンマンと
アレッポの最後の夜、70歳くらいと思われる日本人のおじいちゃんが、僕の泊まっていたドミにやってきた。おじいちゃんはジャイカで働くお医者さんで、お隣のヨルダンの首都アンマンで、今も現役バリバリでやっているんだそうだ。今回は少しもらえた休暇でシリアを旅しているそうな。

「今日はどこから来たんですか?」と僕が聞くと、おじいちゃんは次のようなことをおっしゃった。
「わしゃデリゾールから列車に乗って来た。だいたい4時間くらいの行程だったが、そのうちの3時間は線路沿いのユーフラテス川が見えた。それはマンマンと流れていてとてもよかったよ。これが見たくて来たようなもんだからね。ほんとマンマンと流れていたなあ。」

このおじいちゃんの「マンマンと」という表現が気に入った僕らは、ルートから外れるものの、ちょっとユーフラテス川を見たくなってしまった。
ユーフラテス川と言えば、チグリス・ユーフラテス、世界最古のメソポタミア文明、くさび形文字、60進法、太陰暦などを生み出された場所。肥沃な三日月地帯と呼ばれ、農業発祥の地と言われている。なーんてことを中学生に教えていたけど、それもえらく昔のように感じる。いったいもうどれだけ働いてないんだ?1年半近くか。僕はほんとに社会復帰できるのだろうか・・・。

と思考はだんだん重い方にいったりいかなかったりなのだが、結局僕らはマンマンと流れるユーフラテス川を見るため、予定を変更してデリゾールに向かった。

列車は夕方4時にアレッポを出発した。とてもきれいな車内では、ジャッキー・チェンの映画を流していた。ジャッキー・チェンはほんとどこでも人気があるよ。
おじいちゃんの話では1時間くらいたったあたりからユーフラテス川が見えてくるはずだった。しかし、それらしきものはいっこうに現れない。乾燥した土地に日干しレンガの四角い家が建つ町があったり、広大な畑があったり、羊飼いが羊を連れていたり、そんな風景がずっと続いていた。「ここで5000年ほど前に文明が起こったんだ。」と感慨にひたるほどの知識は僕にはなく、「マンマンなユーフラテスはまだか」と思いつつ、ジャッキー・チェンに見入ってたりするのだった。

そんなこんなで、いつの間にか3時間が過ぎたが、ユーフラテス川は見えなかった。あと1時間でデリゾールに着いてしまう。これはおかしくないか。おじいちゃんの話では3時間はマンマンと流れるユーフラテスが見えるはずなのだ。

ぼくらは焦った。もっと早く焦るべきだった。考えられることと言えば、間違った電車に乗ってしまったということくらい。夕陽の位置から、目的地と同じ東には向かっている。僕らはシリアの地図で列車の路線を確かめた。すると東へ向かう路線はデリゾールの他に、トルコに行くのがあった。まさか、トルコに向かってるんじゃないだろうな。チケットを持っていたけど、全てアラビア語で書かれていたので何もわからなかった。そういえば、駅でチケットを買うとき、「インターナショナル チケット」と書いてあるところで購入したのだった。その時にパスポートを調べられたし、列車に乗ってからも1度パスポートチェックがあった。これはもう間違いない。僕らはトルコに向かっているのだ。

「どーしよー。トルコに行きたくないよー。」
シリアの安い物価でウキウキだった僕らは、またあの高いトルコに帰ることを異常に恐れた。引き返すときにまたシリアのビザを取得しないといけないし。どーしよー。

だが、近くのシリア人たちに聞いてみると、進行方向に向かって手を振り「デリゾール」という。どうやらやっぱり列車はデリゾールに向かっているようだった。じゃあ、なんでユーフラテスが見えないんだ。どーいうことだ。

僕らがあーだこーだ思案しているうちに、外の風景に突然川が現れた。
「これ、ユーフラテスじゃないか?」
マンマンといえばマンマンのような気がする。
僕らが「マンマンだよ」「いやマンマンじゃないよ」と言ってる間に、すでに夕陽が沈んだ後の景色はどんどん暗くなり、そしてほとんど何も見えなくなった。それから30分くらいして、列車は無事にデリゾールに到着した。

「なんだかわざわざ予定変更して列車に乗る意味なかったね」と僕らは少し苦笑いをした。
おじいちゃんと僕らは逆ルートだった。思うに、最初の1時間ほどはマンマンと流れるユーフラテスを眺めることができ、それにとても満足されたおじいちゃんは、きっと眠ってしまったのだろう。ジャッキー・チェンにもそれほど興味がなかったんじゃないかな。地図上では確かに4分の3くらいは列車はユーフラテス沿いを走るように思えるので、おじいちゃんはそのへんのことは推測してしゃべっていたのだろう。

デリゾールの宿にチェックインしたときはもう夜9時だった。翌朝、町から20分ほどのところを流れているユーフラテス川を見にいった。それは確かにマンマンと流れていた。そしてその後すぐに僕らはデリゾールを発った。

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デリゾールの朝 トラックでパンを干す少年たち


これクリックするとマンマンになるよ。





石鹸に洗脳される人々
カッパドキアを夜出発したバスは、途中カイセリで乗り換え、朝8時に国境のアンタクヤに到着した。それからインターナショナルバスに乗り換え、シリアのアレッポに向かった。
僕らはイスタンブールでシリアビザを取得していたので、特に問題なくシリアに入国・・・したかに思われたが、入国してすぐのポリスの検問でまさかの事態が!
ポリスがバスに乗り込んできて、1人1人乗客のパスポートを調べていたんだけど、僕のパスポートを見てる時にそのポリスが顔を歪めた。そして何度も僕の顔とパスポートを見比べた後、「外に出ろ」と言ってきた。乗客の中で外に出されたのは僕だけだった。
仲間のポリスのとこに連れていかれ、彼らにパスポートを渡すと、そいつらも僕の顔とパスポートとを何度も見比べ始めた。どうやら別人じゃないかと疑っているらしい。僕はヒゲを手で隠し、「なっ本人だろ?」と示したが、ポリスたちは「髪も隠せ」と言ってくる。仕方なくヒゲと髪を手で隠したらようやく納得したようで、「行ってよし」と許可が出た。
バスに戻り、自分のパスポートの写真を見たら、確かに別人のようだった。ヒゲはなく、髪は坊主、おまけにメガネもかけてなかった。これじゃやポリスたちも不審に思うのも仕方がないかもね。いやはや・・・
何はともあれ無事シリアに入国。この旅・・・・13カ国目かな?

アレッポはシリア第2の都市。都会はあまり好きじゃない僕だけど、アレッポはめちゃんこ楽しかった。
シリアはトルコに比べてイスラム色が強く、女性の8割くらいが黒い服を着て、頭にもベールをしていた。だけど、顔までは隠していない。アレッポ城を観光している時には、若い女の子に「一緒に写真撮って」と言われ、かなりうれしかった。イエメンじゃ写真を撮ることはおろか、しゃべることもできなかったからね。お酒も売っていて、50シリアポンド(120円くらい)くらいで500ml缶のビールが飲めた。ほんと同じイスラム教の国でもいろいろだ。
スーク(市場)もごちゃごちゃしておもしろかった。雑貨屋が並んでたかと思うと、いきなり肉がぶらさがってたりした。アクセサリー、絨毯、香辛料、野菜にお菓子、それにウエディングドレスまで売っていた。狭い道をロバが荷台を引いて歩いていた。電気が点いてなくて、5メートルほどの間隔で施されてる天井の明かり取りからの光がいい感じだった。
シリアの人々も親切で人懐っこかった。「アッサラーム・アレイコム」(こんにちは)と言うと、みんな笑顔で「アレイコム・アッサラーム」と返してくれる。サンドイッチ屋のおじいちゃんはいつも、ファラフェルと呼ばれるコロッケと野菜のサンドイッチをタダで食わしてくれた。

でも何といっても物価が安いのがでかかった。トルコの半分、いやそれ以下だ。
食堂で肉料理を2品頼んでも300シリアポンド(700円くらい)、ファラフェルサンドイッチ20シリポン(50円くらい)、ソフトクリーム10シリポン(23円)、フレッシュフルーツジュース25シリポン(58円)など。トルコでは倹約続きだったので、我慢してたものが爆発した僕らは食いに食った。もうお腹いっぱいなのに、買い食いできる喜びの方が上回り、また食った。
料理の味もトルコよりおいしかった。実際、世界3大料理の1つのトルコ料理よりおいしいはずはないと思うんだけど、シリアではある程度いい店にも入れるので、トルコの安食堂よりはおいしいというわけだ。
いやあ、シリア天国だわ。結局その国の印象って、その前にいた国との相対的なもんなんだね。ネパールが天国と言われるのも、インドが悪すぎなんだよね。

僕は全然知らなかったけど、アレッポは石鹸がけっこう有名みたいだった。オリーブオイルで作っていて自然派にはたまらんもんらしい。旅のいろいろなことが書かれる情報ノートも、ここアレッポでは3分の1が石鹸についてだった。それを読んだためか、絶対あんた自然派じゃないでしょ!というきったないヒゲづらのバックパッカーの男たちも、アレッポ石鹸を1キロ、2キロと買い込んでいるのだった。
「みんな洗脳されてますよ」とか言っていた人も、次会うとでっかい袋に石鹸を入れて「3キロ買っちゃいました。えへっ。」なんて言ってたりする。うーん、洗脳されてるなあ。

じゃあ、うちの女たちはどーかというと、やっぱりアレッポ石鹸洗脳にばっちりかかっていて、ゆり5キロ、ナガタさんは2キロ石鹸を買い込んでいた。ここ数日たくさんの店を見てまわった2人は自分たちの石鹸の目利きに自信を得ていて、「石鹸を切ったとき周りの茶色が多い方が年数が経ってていいの。あとにおいはきつくない方がいいわね」とか言っていて、いっぱしの石鹸専門家に変身していた。
僕は「そんなに石鹸買ってどーすんの?」と言ってたんだけど、実際アレッポ石鹸を使ってみると、なんだかお肌がしっとりとしていい感じだった。これから乾燥した地域を旅するのでいいかもしれない。今はアレッポ石鹸1つで髪も含めて全身洗っていて、ばっちり洗脳されてしまっているのだった。
ただ、5キロのうちの4キロはジャパンに送ったんだけど、送料に4000円くらいかかったので、お得だったのかどーかは不明。みんな石鹸いる?

ちなみにナガタさんは2キロの石鹸の他に、ウエディングドレスも購入した。来月に籍を入れる予定の彼女は、スークで安いのは20ドルほどで売っているウエディングドレスに目をつけ、ここ3日ほど試着を繰り返し、結局80ドルの純白のドレスを買ったのだった。それでも十分安いよね。でもまさかウエディングドレスをシリアで買うとは。
というわけで、今彼女は数多くいる旅人の中でもかなりめずらしいウエディングドレスと石鹸を持って旅するバックパッカーなのだった。

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アレッポ石鹸5キロ
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オカキが売っていた!もうボリボリ食べたよ。
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ソフトクリームは大人気だった。特に大人の男に。
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念願のイスラム女性との写真
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いきなり豪華になった食事
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朝昼晩と通ったフルーツジュース屋さん
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チャイ屋の少年



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カッパドキアで愛を叫ぶ
カッパドキアはおもしろ岩だけじゃなかった。なんと19階まである巨大な地下都市があるという。
おいおい、地下都市って何だよ。19階ってすごくないか?地球の裏側の方が近いんでないか?これは行っとかないと。

生憎この地下都市は少し離れたところにあったので、僕らは1日ツアーに参加することにした。50リラ(4500円)と高かったけど、地下都市の他にも行きたかったウフララ渓谷などもツアーに含まれていたので、トータルするとお得じゃないか、と考えたわけだ。

ツアーには子供からお年寄りまでの25名ほどが参加していて、おばさんとお姉さんの真ん中くらいの女性がガイドだった。もちろん英語で説明してくれるんだけど、全体の1割くらいしか理解できなかった。

ツアーバスはちょっとええ景色やねってところを寄りながら1時間ほどして地下都市に到着した。地下にもぐる前に、ガイドのお姉さんおばさんは井戸みたいなとこに僕らを連れて行った。それはかなーり深く掘られていて、なにやら3つの用途があるようなことをガイドさんは言ってたんだけど、残念ながら英語がわからない。食料を運搬したようなことは言ってたと思うんだけど、あと2つはなんだべな?て感じ。うーん、英語が憎い。

まっ英語がわからないのは今に始まったことじゃないので、気を取り直していよいよ地下都市に潜入。階段を下りると広い空間に出て、そこからいくつもの通路が下の方に伸びえている。僕らはガイドさんに連れられてどんどん下に下りていった。当然、観光名所なので整備されているんだけど、体がようやく通れるような細い道もいくつかあった。
ポイントポイントでガイドさんが説明してくれるんだけど、もう英語を聞くことをあきらめた僕らは、言うことを聞かない小学生みたいに、好き勝手に見てまわった。
地下19階と聞いて、僕はマンションみたいにきっちり各階が分かれているのを想像してたけど、実際はアリの巣のように、いやアリの巣そのものじゃないかな?、細い道が枝分かれしながらくねくねと下の続き、そのわきにいくつもの部屋が掘られていた。はっきり言って自分が今何階にいるのかなんて見当がつかず、油断すると迷子になりそうなほど地下都市はでかかった。
ゆりは「グーニーズみたい」とはしゃいでおった。ほんと冒険ものの映画のようだ。
さらに僕らを興奮させたのは、道をふさぐためのでかい丸い石だ。原始人のアニメ(ギャートルズとか)で使われるでかい石のお金のようなのが、壁の掘られたところに収まっていて、それをゴロゴロと転がすと道がふさがるという仕組み。文章にするとなんかつまんないけど、僕らは「映画や映画」「マンガやマンガ」と言って、グンとテンションが上がった。いやあ、地下都市はロマンだよ、ロマン。

でも、はしゃぎながら、たまにツアーの流れに合流すると、おばおねガイドさんが「あんたたち、どこ行ってたの?」と少しイライラしたようにおっしゃるのだった。こわーい。
結局、観光できるのは地下8階までだったけど、それでも充分楽しめた。

それにしても、いったい何でこんなものを作ったのか?ガイドさんは僕らには全く無意味だったので、さっぱりわからんかったけど、そこは天下の「地球の歩き方」にちゃんと書いておった。

地下都市自体は紀元前400年頃の記録にも町の状態が記されているほど古い。その発祥や歴史には謎が多く、一時はアラブ人から逃れたキリスト教徒が住んだこともあるといわれる。内部の空気孔は各階に通じ、礼拝堂、教壇のある学校の教室、寝室、厨房、食料庫に井戸などがあり、大規模な共同生活が営まれていたことがわかる。ところどころに敵の侵入に備えた丸い石が、道をふさぐように置いてある。デリンク(僕らが観た地下都市)は4万人、カイマクルは2万人が暮らしていたという。

学校とかあったなんて、全然知らなかったなあ。説明しとったのかな。それにしても4万人はすごすぎ。

ツアーはその後、ウフララ渓谷、スターウォーズのロケ地(ほんとかな?)、名前は忘れたけど、でかい岩壁をくりぬいたモニュメントなどに行った。どこもけっこう楽しくて、僕らははしゃいでいたんだけど、ある欧米人の家族連れの2人の子供は、最後の方は全然バスから降りず、ニンテンドーDSやプレイステーションポータブルをずっとやっていた。
「お前ら、この岩をくりぬいたやつもそーとーすげえぞ」と言ってやりたかったし、親たちも言ってたんだろうけど、子供たちはゲームに夢中。案外、楽しんでるのは大人たちだけだったりするんだよね。この子供たちは、けっこう豪華な昼食もごそっと食べ残していて、「トルコで一番豪華なメシじゃねえ?」とか言ってがっついていた僕らは、信じられないといった感じで子供を見てたのだった。もし子供ができても、小さいうちはどこも連れていかねえ、と僕は心に決めた。でも、一緒に行ってくれるのは小さい子供のうちだよ、という切ない声も・・・・。


カッパドキアを出発する直前、見晴らしのいいところに登り夕陽を見た。ゆりたちはインターネットをしていたので1人で見てたんだけど、50代と思われる欧米人の夫婦が僕のそばにやってきた。おっさんはおばさんの肩に手をやり、ずっと顔近づけてボソボソと、たぶん愛の言葉をささやいていて、なんだか僕はそれが妙にエロティックに感じてしまい、なんだか居たたまれなくなってその場を離れた。

日本人はこういうのはできないよな。そりゃラブラブなのはいいことだと思うけど。まあ、あのキノコ岩を見てたら誰もが愛を叫びたくなっちゃうのかもな。「カッパドキアの中心で愛を叫ぶ」か・・・。

なーんてことを、夕陽に照らされながら、一人ぼっちで考えていたのだった。

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テンションマックス!

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ここがスターウォーズのロケ地らしい。ガイドさんに「エピソード何?」と聞くと、たいぶ考えたあと「3」と答えていた。あやしい。

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映画のラストみたい

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カッパドキアの愛
河童はいないけどカッパドキア。「これぞ世界遺産!」と大竹しのぶも唸るくらい、ここはすごかった。
「どーしてこーなっちゃったの?」と思うような形の岩があっちにもこっちにもゴロゴロしてて、それはそれは不思議な景色を作り出していた。これがまたけっこう広い範囲に見所が散らばってるもんだから観光も大変。お金がある人はみんなツアーに参加してさくっとまわっちゃうんだけど、そこは貧乏神がガッツリ張り付いている僕らだから、暑い中、せっせ、せっせと歩き回るのだった。

そんなわけで、全部の見所はとてもじゃないけど回れなかったんだけど、その分一点集中型というか、「ちょっとあの岩行ってみよーぜ」とか言って、良さそげな岩を攻めることができた。
カッパドキアの岩の驚くべきところは、その形の奇妙さだけじゃなく、ある程度の大きさのものには穴が掘ってあって、中に入れるようになっていた。これがまたウキウキワクワクしちゃうんだよね。
何とか岩をよじ登って中に侵入すると、いくつもの部屋に分かれていて、しかもそれが左斜め上に部屋の入り口があったり、右斜め下にあったりする。入り口といっても普通に人の大きさより大きいものから、なんとか体が入るような穴までいろいろ。楽しそうでしょ?しかもしかも、煙突みたいに上に穴が開いているところは、壁に両手、両足、背中を押し付けながら登る。まあ、ちゃんと足場となるように少し掘ってたりするからそこまで難しくはないんだけどね。
光がほとんど入らない部屋には、ベッドに使われてたと思われる、膝くらいの高さで平らに削られたものがあったり、横の壁にはローソクなんかが置かれていたであろう、ちょっとした棚が彫られてあったりして、なんだか生活感があった。
「いったちいつごろ、誰が住んどったんじゃ!」と当然思うんだけど、そこは天下の「地球の歩き方」にちゃんと書いておった。

カッパドキア地方はヒッタイト時代から交易ルートの要の地として栄え、4世紀前後からはキリスト教の修道士が凝灰岩に洞窟を掘って住み始めた。彼らは外敵から身を守りつつ、信仰を守り続け、洞窟内の天井や壁に見事なフレスコ画を残したのである。

僕らも岩の中にある教会行ったとき、ボロボロになったフレスコ画をいくつか見たけど、なんか修道士たちの執念みたいなものを感じたよ。
よくこんなとこに住んだよね。すごいわ。
オルタヒサルというでかい巨岩にも行ったんだけど、マンションの5階くらいはある岩の中のほとんどがくりぬかれていて、やっぱり部屋みたいになっていた。
「いやあ、こんなでかい岩よく掘ったなあ」と感心しっぱなし。

その他にはクリームみたいな岩があったりと、いろいろ感激したんだけど、僕が1番興奮したのは、やっぱり名物のキノコ岩の群生。ニョキニョキってそびえたつそれは、キノコというより・・・・・・
シモネタはゆりに禁止されたので、これ以上書けないのが残念である。ほんとはこれだけで論文を書きたいとこなんだけどね。
「うわあ、卑猥やねえ。」と僕は夢中になって、チ・・・キノコ岩の周りをウロウロして写真を撮りまくったんだけど、ふと目に止まった看板を見ると「Love Valley」と書かれてあった。
「愛の谷」かあ。ナイスネーミングじゃないか!
僕は名付け親に拍手を送るとともに、やっぱりみんな思うことは同じなんだとちょっぴりうれしくなったのだった。

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愛の谷


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旅のマンネリとジャニーズ系
イスタンブールから夜行バスに乗り、サフランボルという町にやってきた。
サフランボルは、トルコの昔ながらの民家がすり鉢状の地形に建つステキ町で、世界遺産にも登録されている。特に見所があるわけじゃないけど、のんびりしたいいところで、僕らは散歩したり、宿でごろごろしたり、ヨガしたりと、のんびりすごした。やっぱのんびりがいいなあ、のんびりが。

3人旅になって1週間ほどが経ったけど、なかなか楽しかった。注文する料理も1品増えたし、でかいメロンや1リットルのトルコアイスクリームのパックを買って食べたりできた。(ナガタさんはアイス狂ではなかったので、結局ゆりと2人でほとんど食べたんだけど)
それに2人がショッピングしている時に、1人でフラフラできるのもよかった。これまでの11ヶ月、24時間ずっと2人でいたわけで、そりゃ楽しいこともいっぱいあったけど、やっぱりケンカしたり、でも逃げ場がなかったりで、大変な時もしばしばあった。いや、でも楽しいことの方が多いんだよ、ほんとほんと。(何かを恐れて必死でフォローをしている僕がいる)
まあ、なんしか3人旅は新鮮で楽しいというわけだよね。
でも、女子たちは僕に不満があるようで、「男子の新メンバー来ないかなあ」としょっちゅう言っている。まだ、ラブワゴンの席は空いているし、多い方が楽しそうなので、誰か次のシリアあたりで合流しない?僕は全然女子でもいいですよ。

サフランボルで2日ほど過ごした後、「ジャニーズ系がいいなあ」とぶつぶつ言う女子たちを引き連れて、トルコ一番の観光名所であるカッパドキアに向かった。「何とかなるだろう」と高を括ってバスの予約をしなかったのが良くなく、カッパドキア行きのバスはいっぱいだった。見知らぬ親切なおじさんのアドバイスで少し手前のアクサライという町まで行き、そこからヒッチハイクすることに。30分くらいしてようやくトラックに乗せてもらえた。
トラックの高い座席から見るトルコの大地は広大で、田園風景が美しかった。何とか陽が落ちる前にカッパドキアに着けたんだけど、ちょうど名物の奇岩が現れた頃が夕暮れで、オレンジ色に輝く摩訶不思議な景色に正直鳥肌が立った。
「すっげー」
旅のマンネリズムに陥っていた僕のハートに、久しぶりに火が点いた、ような、気がした、ような、そんな感じになった、そうな。

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サフランボルの町
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なぜか女装したおっさんと少年が踊っていた
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スカーフ姿の女性たち
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カッパドキア


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新メンバー合流!
旅もいつの間にか11ヶ月が過ぎちゃったけど、ついに待望の新メンバーが合流した。僕らの高校の同級生のナガタさんが「おもしろそうだべ」と言って、一緒に旅することになったのだ。5月に仕事を辞めた彼女は、すでにフランス、ドイツを3週間旅行してきて、これから一緒にエジプトに向かう予定。初の3人旅。いったいどんな旅になるのだろうか。そして、真実の愛は見つかるのだろうか。三角関係の結末は!関係ないけど、韓国人に「ビミョーな三角関係」と日本語で言っても、同じ意味で通じちゃうよ。お試しあれ。

今いるのは「ヨーロッパとアジアのかけ橋」イスタンブール。僕らが泊まっている旧市街にはいたるところにモスクがあり、ふと気がつくとアザーン(礼拝?)の声が聞こえてくる。それがマイクを使っていてやたらとでかいんだ。宿の近くにもモスクがあり、早朝4時とか5時にめちゃ大きいアザーンの声が聞こえてくるらしいけど(ゆり話)、僕とナガタはまだ1度もそれで目覚めてない。

ここ数日は、次に行くシリアビザの取得に精を出しつつ(1日目、日本領事館でレターをもらいに行き、2日目、シリア領事館の受付時間に8分間に合わず追い返され、3日目、午前申請、午後に受け取って無事取得した)、イスタンブールの町をぶらぶらした。
海へ行ったり、バザールに行ったり、モスクに行ったり、ショッピング街を歩いたり。天気が良くて気持ちよかったんだけど、なんかこれっていう印象が残らなかった。少し楽しみにしていたグランドバザールにしても、整然と店が並び、きれいなみやげ物が売っていて、ちょっとおもしろみがなかった。イスタンブールに期待しすぎていたのか、ここが先進国(少なくとも僕の中では)のためなのか、それとも僕自身に問題があるのか。確かに旅が長くなるにつれて、いろんなものに対する興味が薄れてきているんだよね。
それにイスタンブールの物価が高いのもでかかった。うまそうなものを見つけても、貧乏旅行をしてきた僕らには「ちょっと買い食いしちゃお」と気楽に買うことがむずかしかったり、ちょっとした見所は入場料が1000円以上だったり。食事も普通に1人500円くらいする。幸い、僕らは安いセットメニューがある食堂を見つけ、そこで2品くらい頼み、後はパンで腹を満たすという作戦が取れたので、まあまあの出費で抑えることができた。たいがいの食堂はパンが食べ放題だから、そのへんはとてもありがたかった。しかも、その店は焼き立てだとパンだけでもかなりうまく、僕らは店の親父が「まだ食うのかよ」とあきれるくらいおかわりをした。宿代も3人でシェアできるぶん安く上がってありがたかった。(それでも1泊40ドルくらいしたけど)

そんなイスタンブールライフだったけど、ちょっと感動したのがスルタンアフメット・ジャミィ。通称ブルーモスク。トルコを代表するイスラム寺院なんだけど、「深夜特急」でもここのことが書いてあったので、少し楽しみにしていたのだ。
絵葉書でもよく売ってる外観はそりゃかっこよかったんだけど、ブルーモスクはそれよりも中がすごかった。高い天井にでかいドーム、その周りに半ドームがあり、めちゃめちゃ広い空間を作っていた。あれは宇宙っすね。宇宙。壁、天井、柱にはびっしりとイスラム模様?が描かれていて、その緻密さと量が半端なく、もう圧倒されっぱなしだった。
こういう建築物って、たいていちょっと遠目から見る方がかっこよかったりするんだけど、このブルーモスクに限っては断然インサイドがすごかった。
僕らは2回ここを訪れたが、2日目にはちょうどアザーンの時間と重なった。しかもその日は特別な日だったようで、1000人を越える人々が礼拝をしにやってきていた。誰かがマイクでコーラン(たぶん。でも違うかも)を読み、合図に合わせて1000以上の人々が一斉にひざまずき、頭を地面につけて祈る光景は、そりゃあもう圧巻だったよ。それから、各自がおのおの祈る時間になったんだけど、みんな何度も何度も頭を地面につけて祈っていて、なんだか不思議に気持ちになった。僕はチベットの五体投地する人々や、ガンガーで沐浴し太陽に祈るインド人、グルジアで教会に向かい十字を切る人々を思い出した。今まで通ってきた国すべてが宗教と深く関わっていた。うまく言えないけど、今回のブルーモスクでの光景は、改めて宗教の存在の大きさについて考えさせられた。ほんと、なんだろな、宗教って。
夕陽がステンドグラスを照らし、とても美しかったよ。

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ネーミングに惹かれ「KAMIKAZE」に乗ったけど、そうとう気持ち悪くなった。
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ケバブのセット5リラ(450円くら)
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ブルーモスク
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Photo by Nagata



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アジアの終点
「スリコの家」を出発した僕らは、バトゥミという国境近くの町に1泊した後、トルコに向かった。
13日間と少し短いグルジアの旅だったが、ワインあり、自然あり、スリコありとなかなか楽しかった。またいつか来たいな。そしてスリコと飲みたい。

黒海沿いの国境を越え、この旅12カ国目となるトルコに入国。ヒッチ2台とバスを乗り継ぎ3時間半、トラブゾンという町に到着した。

トラブゾンは黒海に臨む美しい町だった。中心にある公園では多くの人々がチャイなどを飲んだりしてのんびり過ごしていた。きれいでオシャレな店が多く並び、人もどうもアカ抜けしているように感じる。
トルコはイスラムの国みたいで、女性は頭をスカーフで被っていた。が、全員ではなく、普通に髪を出して歩いている人も少なくない。スカーフにしてもけっこう派手で、イエメンで黒いアバヤ姿の女性ばかり見てきた僕は少し違和感を感じた。同じイスラム教の国でも、いろいろ違いがありそうだ。
トラブゾンの人々は気さくでとても感じがよかった。「メルハバ」(こんにちは)と挨拶すると、みんな笑顔で返してくれる。何人かのおっちゃんにはチャイをごちそうになった。海でゆっくりしていると若者がひまわりの種をたくさんくれたりもした。
僕らがトルコに着いた日はちょうどサッカーの「ユーロ2008」の準決勝トルコ対ドイツの試合があり、町にはトルコの国旗を持った人が何人もいた。試合はなかなかの好ゲームで、1点ビハインドの後半残り5分でトルコのシュートが決まった時は、夜の11時半だというのに町中が大騒ぎだった。あちこちから「わー!」という歓声があがった。しかし、残り1分でドイツが決勝点を決めた時は、シーンと静まり返った。その後パトカーのサイレンが聞こえてたので、きっと誰かがヤケを起こし、道頓堀・・・じゃなくて黒海に飛び込んだんだろう。それにしてもすげえサッカー熱だ。

そんな感じで、なかなか楽しい感じのトラブゾンだったんだけど、僕の気分はあまり晴れやかではなかった。理由は物価の高さだった。宿、メシ、乗り物と、今までの国の2倍くらい高い。例えば、安い宿をさらに値切って20リラ(1800円)、ピザパン3リラ(270円)、サバの煮込み料理5リラ(450円)、10分乗ったドルムシュ(乗り合いワゴン)1,5リラ(130円)など。日本と比べるとまだまだ安いんだけど、11ヶ月アジアを旅してきた僕にはひどく高く感じ、お金を払うたびにテンションが下がっていった。しかも東トルコはまだ安いと聞いていてこの料金だったのでなおさらだった。
トラブゾンで2泊した後、バスでイスタンブールへ向かった。このバス代も高く、1人60リラ(5400円くらい)。びっくりして鼻血が出たよ。うそだけど。確かに18時間、直線で800キロくらいの距離を走るわけだからしょうがないのかもしれないけど、高いわ。ついついインドだったら・・・とか考えてしまう。
でも、高いだけあって、バスはすげえ快適だった。メルセデス・ベンツのバスはしっかり舗装された道路を滑るように走り、スピードも一定で運ちゃんが客のことを考えているのがわかる。車内の温度も一定で、座席と座席の間隔もゆったりあった。バーテンダーみたいな格好の兄ちゃんががいろいろ客のお世話をしてくれる。驚いたのは、彼がコーヒーやティーを客に配りだしたことだった。飛行機で出されるような紙コップに入れてくれる。バスでコーヒーが飲めるなんて、今まで乗ってきたバスでは絶対不可能だった。おそらく3分も置いておくと全部床にこぼれてしまったであろう。
「いやあ、快適だなあ」と僕はゆったりとくつろぐ半分、どこか物足りなさを感じていた。何だか快適すぎる。もちろん悪くないんだけど、おもしろくもない。移動にはこれまでずっと、何かしらのドラマがあった。もちろんろくなドラマじゃない。タイではクーラーの空気口からうんこのにおいが出てきたり、クーラーがやたらめったら効いていたり、逆に効かなくてサウナ状態だったり、中国では何十センチもジャンプして天井に頭を打ったり、インドでは勝手に椅子がリクライニングしたり、隣にインド人がいたり(それはいいか)、ネパールではバスの上に乗ったり、どこの国も運転手がスピード狂で、どんどん前の車を無理やり追い抜き、対向車とぶつかりそうになったり、やたらでかい音で音楽をかけて耳が痛くなったり。そんなろくでもないドラマが今まであって、やっぱりそれはそれでおもしろかった。
僕はこの夜快適なんだけど、なぜかあまり眠れず、今までのアジアの旅を思い出していた。

早朝、バスはイスタンブールのアジア側と呼ばれるところに到着した。そこから20分ほどフェリーに乗って、ヨーロッパ側に向かう。
「ヨーロッパとアジアの架け橋」
地球上でイスタンブールだけに許されたキャッチフレーズだそうだ。
ヨーロッパ岸がだんだんと近づいてきた。
「ああ、あれがヨーロッパか。ああ、ついにアジアが終わったのか。」
と僕は感傷にひたるフリをして、ちょっとドラマチックを演出しようと試みた。けどあんまりだった。

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トラブゾンの町
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スカーフ屋さん
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日本でも流行ったトルコ風アイスクリーム おもちみたいでめちゃうま!
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おじさんとクロスワードとスウドクの勝負をした
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仲良くなったエディツプ少年
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ヨーロッパが見えたぞ!


ヨーロッパの風を感じている間に旅も11ヶ月が過ぎた。でも最近思うことは、もっかいタイにもどってタイ料理を食べたいな、ということばかり。コメ食べたいなあ。
この1ヶ月で使ったお金  17万6665円(最高値更新)
訪れた町  シャルジャ、ドバイ(UAE)、イェレヴァン、アラヴェルディ(アルメニア)、トビリシ、カズベキ、メスティア、クタイシ、バトゥミ(グルジア)、トラブゾン、イスランブール(トルコ)
訪れた世界遺産  エチミアジン大聖堂など、アルメニアの修道院・教会
隠し撮りした女性      87人
恋した数           7回
スリコに飲まされたワイン   3リットル



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