クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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スリコの家のスリコさん
メスティアを発ち、クタイシというグルジア第2の都市にやってきた。ここを訪れた理由は、観光名所などではなく、「スリコの家」に泊まることだった。この「スリコの家」は、何だか知らないが、やけに情報ノート(日本人宿に置かれていて、旅人が様々な情報を書き残しているたいへん役に立つノート)で評判が良かったので、「それならいっちょスリコとやらに会いに行こうか」ということになったのだ。

メスティアから6時間マルシュルートカ(乗り合いワゴン)に揺られ、昼過ぎに「スリコの家」に到着した。おじいちゃんが「よーきた、よーきた」と迎えてくれた。彼がスリコさんらしい。とても人が良さそうだ。上品な感じの奥さんはメディコさん。あと、夏休みかなにかで、孫のタートとクリスティーナが遊びに来ていた。
「昼ごはんは?」とメディコさんが聞いてきたので、「もう食べました」と答えたんだけど、数分後にはパンとベーコンと目玉焼きと自家製ワインが用意されていた。
「あれー、通じなかったのかな?」と思ったんだけど、せっかく用意してくれたのでありがたくいただくことにした。食事をしながら昔の写真を見せてくれたんだけど、スリコはえらく男前だった。服飾の仕事をしていたようだ。すごい美人の写真があったので、「これは誰か?」と聞いてみると、彼らの娘、タートとクリスティーナのお母さんだった。話を聞くと、なんと娘さんは14歳の時に結婚したらしい。しかも、よくわからないんだけど、学校帰りに道を歩いていると、今の旦那さんが「おっすげえ美人の娘だな」と思い、家に連れて帰ってしまったんだって。それで結婚しなければならなかったとか。う~ん、このへんの事情が、片言のメディコの英語と僕らの理解能力ではよくわからないんだけど、なんだかメディコは誘拐されたような感じのことを言っていて、「そのころはずっとエンエン泣いていたの」と泣きまねをしてくれた。僕が理解したところでは、きっとソ連時代は、「誘拐した娘は嫁にしてもよい」という法律があったんだろう。
「じゃあ、今娘さん何歳?」と聞くと「30歳」とメディコは言った。う~ん、僕らと変わらない。それで13歳のタートと10歳のクリスティーナがいるのかあ。すげえな。

僕らは長時間マルシュルートカに揺られて少し疲れていたので、その後部屋で昼寝をしたりしてのんびりすごした。

6時ごろから夕食。テーブルにはたくさんの料理が並べられていた。僕らの他に、イスラエル人のカップルとメスティアでも一緒だった前田さんが泊まっていて、スリコ・メディコとクリスティーナで夕食を囲んだ。タートはどうやらシャイボーイらしく、一緒には食べなかった。
料理はどれもおいしく、特にオーストリと呼ばれる肉入りスープがうまかった。
「うめえ、うめえ」と食べまくっていると、スリコは棚から何かのツノを取り出してきた。それはどうやらコップとして使っているみたいで、ワインをそれにナミナミと注いで僕らに渡してきた。そして、「立ちたまえ、諸君!」と言うと、僕らの腕をクロスさせ、「さあ、飲みたまえ、諸君!」とワインをイッキさせられた。イッキをしたのがわかると、スリコはすごく満足そうで、「ヤー!」とガッツポーズをしたあと、ブチュッブチュッとホッペにキスをしてきた。これはグルジアの挨拶で、みんなやっているんだけど、あまり男にされてもうれしくない。というか勘弁してほしい。中国、インドで一緒だったイギリス人のアシュリーがしてくれたときはたいへんうれしかったんだけどなあ。

スリコの勢いは止まらなかった。。何回もクロスでイッキしたり、少し大きめのビンにワインを注いで、「さあ、みんなでこれを飲み干そう」と言ってまわしてくる。まるで大学生の飲み会である。こういうのは案外嫌いじゃない僕は調子に乗ってワインをガブガブ飲んだ。
スリコもだいぶ酔ったみたいだったが、まだまだスリコ劇場は終わらなかった。ハンカチを床に置いて、それを足を広げて腰を曲げ、口でつまみあげるという芸を見せてくれた。実はスリコがこの芸をしている写真が何枚もあり、酔っている僕は「出ました!写真と一緒!」とえらく興奮していた。どうやら、客が来るたびこれをしているらしい。おもろいなあ。
一見たいしたことのない芸なんだけど、実際やってみると難しく、前田さんは全然ハンカチに口が届かなかった。昔の僕なら絶対できなかっただろうけど、ヨガマスターになってしまった僕は、やけに足が広がり、ひょいとハンカチを口でくわえることに成功した。するとスリコは「ブラボー!」と言ってまたブチュッブチュッとキスの嵐。勘弁してえ~。
スリコはその後も、ハンカチをワイン入りのビンに替えて口で持ち上げたり、音楽に合わせて踊ったりしていた。時々、メディコに「う~ん、キッス」という感じで顔を寄せては、断られていた。
いやあ、スリコ、最高!おもろすぎ!この夜、僕はめちゃめちゃ楽しかった。

翌朝目覚めると、やっぱりというか2日酔いで頭が痛かった。
「やべえ、飲みすぎたな」と思っているとすぐに朝食が始まった。あんだけ飲んでいたスリコは朝から無意味にガッツポーズをしてめちゃ元気。当然のようにワインを注いでくる。あんたワインは水じゃないんだよ。
さらに「わしが作ったんだ」というチャチャも出してきた。このチャチャは甘い蒸留酒で、ウォッカのようにかなり強い酒だった。それをまたイッキさせられる。そしてブチュブチュ。もう勘弁してください。

イスラエルの2人と前田さんはこの日出発した。彼らを見送った後、一応クタイシ観光に出かけた僕らだったけど、なんだかずいぶん体が重くてしんどかった。おまけに雨も降ってきて、「早く休みたい」とばかり思っていた。

夕方家に帰るとすぐに夕食が始まった。スリコは僕の頭をさわり、「ああ、雨に濡れてしまったね。風邪予防には酒が一番さ」と言って、またチャチャを一緒にイッキ。そして再び宴が始まった。
昼間少し歩いたせいか、だいぶアルコールが抜けた僕はまた意外と飲めた。スリコも相変わらずで、ツノのコップに酒を入れては腕をクロスしてイッキ。そしてブチュブチュ。そしてガッツボーズ。そして踊る。このじいさんには限界というものがないのか。そしてやっぱりお決りのハンカチ芸もやっていた。

途中でスリコの友達がやってきたんだけど、彼は来た時点でもうかなり酔っ払っていて、僕にしつこく絡んできた。悪い人ではないんだけどね。やっぱりそのおっちゃんにもイッキをさせられたんだけど、彼は少し目がすわっていて怖かった。
スリコは「もういいかげんにしろ!」と友達に説教をしたあと、いつものようにガッツポーズをして、「イエーイ、そろそろ家に帰ろうか」と笑顔で友達を気遣い、ちゃんと彼を家まで送り届けていた。スリコはおもろいだけじゃないんだなあ。

帰ってきた後は夜遅くまで、メディコやクリスティーナ、そしてこの日はタートも一緒に踊りまくった。

出発の朝もやはりチャチャとワインを飲み、お腹いっぱいメディコの料理を食べた。それでもスリコはまだ足りないと思ったのか、1,5リットルのペットボトルにワインを入れてくれ、お土産として持たせてくれた。

今までいろんな宿に泊まったけど、こんなに持て成してくれたところはなかったなあ。最高で最強の宿「スリコの家」。でも、飲めない人にはきつい宿だろうなあ。

メディコさん、おいしい料理をありがとう。
スリコ、めちゃくちゃおもろかったです。私もあなたのようなファンキーなじじいになりたい。

こうして、朝からフラフラしながら、食いに食い、飲みに飲みまくったクタイシを後にしたのだった。

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ハンカチ芸をするスリコ
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イッキするスリコ
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ガッツポーズするスリコ
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キスをするスリコ
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キスをせまるスリコ
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ギターを弾くスリコ
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ウクレレも弾くスリコ

これクリックするとスリコになるよ。


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めっさええ景色
ここしばらくネットカフェのない田舎ばかりにいて更新できなかったので、今日はまとめて書いちゃおっと。

☆カズベキへ
まず、首都トビリシから3時間ほどいったカズベキという町へ行った。このトビリシからカズベキへ行く道は「グルジア軍道」と呼ばれており、えらくええ景色で、軍道そのものが見所らしい。(本当は大カフカス山脈を越えて、ロシア連邦の一部である北オセアチア・アラニア共和国の首都ウラジカフカスまでつながっているけど、現在第3国の外国人は国境を越えられない。)
そんなわけで、「ええ景色楽しみやねえ」とウキウキワクワクしてマルシュルートカ(乗り合いワゴン)に乗ったけど、ちょうど真ん中の席しか空いてなくて、外がほとんど見れなかった。がびーん。
まあ、帰りに見れたからいいんだけどね。景色は緑の野を越え山を越えで、なかなかよかったよ。よかったよかった。
おもしろかったのは、いや、おもしろくはないけど、途中教会や十字架が建っているとこを通るたびに、グルジア人たちはそっちを向いて、頭から胸あたりで十字を切っていた。その後、町で見かけたチャラチャラした若者なんかもちゃんと教会の前では十字を切っていて、信仰深い国なんだなと思った。(グルジアはグルジア正教ってのを信仰しているようです)

カズベキはカズベキ山やその他の山々に囲まれた小さなステキ町だった。何よりステキだったのは、宿泊した「ヌヌの家」の娘さんがかわいかったことだった。ゆりに言わせると「大草原の小さな家」の主人公みたいらしい。僕は「大草原」を観たことないのでよくわからないけど、まあそんな感じなのだ。元気で明るく、雰囲気がとてもよかった。前髪が揃っているけど、それがまたかわいい。僕はさっそくウクレレを持ってきて、彼女の前で歌った。それはもう恋の始まりだった。

カズベキではロシアとの国境まで歩いたり、丘の上の教会に登ったりして過ごした。
教会では遠足で来ていた高校生の一行と少し交流があった。知っているおぼつかない英語で一所懸命話しかけてくれて、なんかうれしかった。
「グルジアはどうですか?」「グルジアは好きか?」とみんな、自国をどう思っているか聞いてくる。
「もちろん、最高だよ。」と答えると、「そうだろ、グルジアは最高だよ。」ととってもうれしそう。なんだか自分の国が好きで誇りを持っているというのが伝わってきた。
「グルジアはどこに行った?」
「まだ、トビリシとここだけ」
「なら、メスティアがいいよ」
その他の子も「うん、メスティアはいいよ」「メスティアに行きなよ」と同意している。これも何かの縁なので、次はメスティアというところに行ってみようかな。
「バイバーイ」と言って一行が去った後、1人の女の子がわざわざ戻ってきて、「I’m glad to see you」と言いに来てくれた。これには涙がちょちょぎれたよ。もちろん「Me,too」と答えた。

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グルジア軍道
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ヌヌさんの娘と孫
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カズベキ山 その左に見えるのが登った教会 ええ景色やったよ
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教会から観たカズベキの町
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私たち16歳なの


☆メスティアへ
いったんトビリシに戻り、夜行列車に乗り、それからまたマルシュルートカ(乗り合いワゴン)に乗ってメスティアに向かった。
このマルシュルートカに乗っていた人たちが大変だった。出発は早朝6時半だったのにもかかわらず、すでにどっからかビールを買ってきて飲んでいる。おそらく僕らと同じく夜行列車に一晩揺られて、目覚めたばかりなので、ちょっとびびった。しかもこれから長時間マルシュに乗るというのに。
1時間ほど走ると朝食休憩になった。そこでもまたおっちゃんたちはウォッカで乾杯している。1人のおじいちゃんがメシをご馳走してくれたんだけど、やっぱりそれにはウォッカもセットで、朝から40°のやつをクイックイッと飲まされて酔っ払ってしまった。ただの朝食休憩なのに、おっちゃんたちはもう宴会モードで、なかなか出発できなかった。
やっと出発して1時間ほど走ると、またマルシュルートカが停まった。「何だ?」と思っていると、「グッドネイチャー」とおっちゃんが言って、外に出て行った。そして森の中でまた宴会が始まった。ある人は、荷台からガソリンタンクにいっぱい入ったワインを持ってきて、みんなに振舞っていた。みんながぶがぶと飲んでいる。
女性たちはその中には加わらず、少し離れたところから退屈そうに彼らを見ていた。「まだかなあ。」と言った感じで。でも、誰一人文句を言わず、急かしもしないとこを見ると、こうやって飲むのが当たり前なのかもしれない。それにしても朝から飲みすぎ。
ようやく出発したマルシュルートカはまた10分もすると停まった。「えー、今度はなんだよ」と思っていると。「ミネラルウォーター」とおっちゃんが言って、ペットボトルを持って水を汲みに行った。もう完全に遠足状態である。
そんなわけでメスティアに着いたのは、予定より2時間も遅れてのことだった。

メスティアも山に囲まれた渓谷地帯にあるステキな町だった。このあたりはスワネティ地方というらしく、地元の人からは「スワネティは好きか?」とたびたび聞かれた。スワネティとは「スワンの地」という意味らしく、スワン語を話すスワン人が住んでるんだって。彼らはグルジア正教を信仰して、読み書きもグルジア語を用いているから、グルジア文化圏ではあるんだけど、やっぱり周りから隔たれた山岳地帯に住んでいることもあり、独自の文化を保っているんだとか。
メスティアには石を積み上げて造った塔のような家がたくさんあり、雪山とそれらが重なるとかなりかっこよく見えた。
なんでわざわざそげん高くした家を造るんだろうと思っていたけど、どうやら彼らの山岳民としての「独立不羈(どくりつふき)と尚武の気風の強さ」が関係しているらしい。

スワン人に限らず、カフカスの山岳民族の間では「血の報復」という習慣が存在した。いや、「存在する」と言ったほうがよいだろう。これは、身内の内の誰かが侮辱されたり危害を加えられた場合、被害者側は一族を挙げてその加害者に報復する義務を負うというもの。多くは土地や家畜を代償に引き渡すことで解決されたが、時には村同士の全面戦争に発展することもあった。塔状の家は、そうした外敵が攻めてきた際、家畜などといっしょに長期間立てこもれるような作りになっている。高さは10~12mほどだ。(旅行人ノート『シルクロード』より)

う~ん、「血の報復」かあ。なんだかかっこいいなあ。とりあえずこの辺の人とはケンカしないようしよっと。

町の広場にはたくさんの老人が、のんびりおしゃべりなどしていた。みんな白いヒゲを生やし、いいシワをしてなんとも味がある顔をしている。なんでもグルジアは長寿の国らしい。長生きはそりゃいろんな要素があってのことなんだろうけど、それに一役買っているのがヨーグルトと言われているそうな。グルジア語では「マツオニ」と言うんだけど、けっこうみんな食べてるんだって。数年前日本で「カスピ海ヨーグルト」が流行ったことがあったけど、あれはグルジアから来たと言われてたんだって。流行に敏感な僕も一時期カスピ海ヨーグルトを作っていたので、密かにグルジアでマツオニを食べるのを楽しみにしていたのだ。
メスティアの宿は「ゾイヤの家」に朝夕食付きで泊まっていたんだけど、ついに晩飯の時に自家製のマツオニが出た。しかし、どうもカスピ海ヨーグルト独特のプラスチック感がない。食べてみるとたいへんおいしかったんだけど、どちらかというと日本でよく売られている「ブルガリアヨーグルト」のプレーンと似ていた。
一緒に泊まっていた旅人が言うには「カスピ海ヨーグルトはグルジアから来たというのは間違いみたいですね。あるグルジア人が日本でカスピ海ヨーグルトを食べたところ、「これは私の国にマツオニとは全然違う」と言って、間違いが発覚したそうですよ。本当はロシアのどこかから来たみたいです。」
う~ん、ウソだったのか。よく考えるとグルジアには黒海はあってもカスピ海はないのだ。どこでどうなって「グルジアからきた」となったんだろうか。関係ないけど、日本で活躍しているグルジア出身力士の「黒海」は、みんなけっこう知っていたよ。

メスティアではいくつかの村を訪れたりして過ごした。最終日には近くの山へ6時間のトレッキングに出かけた。頂上近くになると雨が降ってきて困ったけど、たまたま山小屋みたいなのがあり、雨宿りできた。よく映画とかで雨に降られて山小屋に駆け込み、暖炉に火を焚いて温まるシーンがあるけど、僕は「そんなうまいこといかないだろ」とよく思って観てたのだ。しかし、やっぱり山で雨に降られると山小屋が現れることは事実だったのだ。今まで疑ってごめん。
頂上では(ほんとはもっと高く登れたみたい)牛さんが草をむしゃむしゃ食べており、周りは180°雪山が見渡せて、めっさええ景色やった。
「いやあ、グルジア美しい国じゃないか」と、これにはちょっとばかり感動してしまった。

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これクリックすると「血の報復」になるよ。


グルジア到着で2連敗!?
緑の美しい国境だった。難なくイミグレを通過し、僕らはこの旅11カ国目となるグルジアに入国した。
国境からヒッチと乗り合いワゴンを乗り継ぎ2時間、グルジアの首都トビリシに到着した。

トビリシはアルメニアをもっと都会にした感じで、駅前のバザールには人々がごった返し、活気にあふれていた。女の子はあいかわらずかわいく、胸が大きかった。そして、アルメニアと違い、男子もイケメンが増えた気がした。お洒落だったし、前髪が揃ってたりといったおかしな髪型をしてる奴も少なかった。

さて、グルジアは英語では「ジョージア」というらしい。ジョージアといえば「明日があるコーヒー」だけど、グルジアはワインの発祥の地といわれているみたい。ワインの量り売りをしている店もちょくちょく見かけた。
さっそく僕らはある1軒の店に入ってみた。でかいビンに赤ワインやロゼがナミナミと入っている。試飲させてくれるんだけど、それがコップにいっぱいくれるものだから、3杯も飲むとかなりいい気分になってしまった。味はそれぞれけっこう違っていたけど、どれがいいとかはよくわからん。とりあえず甘くて飲みやすい赤ワインを買うことにした。500mlのペットボトルにいっぱい入れてくれて1ラリ。(75円)うーん、安いなあ。僕は子どもの時から「ヨーロッパという国はね、水よりワインの方が安いのよ」とあちこちで言われて育ってきたので、ようやくそういう国へ来て、なんとなくうれしかった。ちなみに、水は1,5リットルで1ラリなので、まだ水の方が安いんだけどね。
買ったワインを店内でさっそく飲み始めた。細くて長身の兄ちゃんが、チーズやら果物やらをつぎつぎと運んできてくれる。兄ちゃんは「やっぱロックだよな」と言い出しそうな雰囲気で、「金なんていらねえ。楽しんでくれよ。」とたぶん言って軽くウインクしてくれる。足どりがフラフラでかなり酔っているようだ。よく見ると店内は昼間なのに酔っ払いだらけだった。客はもちろん、店番をしているおっちゃんも酔いつぶれて寝てしまっている。仕事しようよ。
結局僕らもペットボトルのワインを飲み干し、かなり酔っ払った。払ったお金はワイン代の1ラリだけ。これでつまみも食い放題だから、かなり安い飲み屋である。よくしてくれた長身の兄ちゃんに1ラリチップを払った。兄ちゃんは「また来いよ」とウインクしてくれた。

トビリシの宿は「ネリ・ダリの家」。ネリばあさんとダリおばさんがやっているバックパッカーに人気の民宿。すごく感じがいいんだけど、ドミしかなく1ベッド13ラリ(980円)とけっこうお高い。トイレ兼シャワールームが1つしかないので、誰かがシャワーを浴びている時はおしっこができないで困る。ネリダリさんの家族もみんな使うので、運が悪けりゃ膀胱が破裂してしまう。そんなわけで、シャワーを浴びるのも少し気を使うのだけど、なんでもトビリシにはハマムと呼ばれる公衆浴場がたくさんあるらしい。中国で温泉に行って以来、かれこれ半年間湯船に使っていなかったので、僕らは「いい湯だな アハハン」と歌いつつ、ハマムへ出かけた。

ハマムにはシャワーが10こほどあり、湯船が1つあった。だけど誰も入っていない。僕はさっそく体を洗って入ってみたけど、湯船は予想以上に深かった。直立してちょうど首のところまで湯につかった。湯は確かに気持ちよかったけど、ずっと立ってないといけないのはあまりよろしくなかった。やっぱりどっぷりと腰を下ろして、足を伸ばし、「プハー、ええ湯やね」と言いたいのだけど、どうもそのへんのとこがグルジア人はわかってないらしい。結局ほとんど湯船に入る人はなかった。
立ち湯しながら僕はハマムにいる人々を観察した。若者、おっさん、じいちゃんが10数名。やっぱり見るのはあそこになっちゃう(これはもうしょうがない)のだけど、やっぱりというか、でかかった。女性のおっぱいがでかくてびっくりしたけど、男のイチモツもでかかった。僕はジャパニーズランキングでもライト級なので、このグルジア人たちと比べてしまうと、フランクフルトとポークビッツほどの違いがあった。完膚なきまでの敗北。フランクフルトたちはホットドックになるのを夢みて、そこらへんをフラフラしていた。

ハマムにはサウナがついていた。彼らのハマムに来る目的もサウナのようだ。僕も入ってみたけど、恐ろしく熱かった。僕は3段あるうちの一番上に座ったんだけど、もう熱くて熱くて、すぐにポークビッツが煮あがった。こんなに熱いサウナは初めてだ。
そんな中でグルジア人のおっさんたちは悠然と座って汗をかいている。ある1人のおっさんはまだ物足りないらしく、タオルで熱いのを焚いているとこを扇ぎだした。また一段と温度が上がった。これはたまらない。僕は慌てて外に出た。

僕はサウナの外でうな垂れた。イチモツで負けて、サウナでも負けた。これは肉体と精神の敗北だった。
僕はなんのためにこの長いペナントレースを戦ってきたのだ。このままでは一生負け犬のまま、お天道様に隠れて生きてゆかないといけない。そんなのは嫌だ。
「グルジア人、もっかい勝負じゃ!」

僕は水風呂につかり、体を冷やしてから、もう一度サウナに入った。今度は1番下の段に座った。するとどうしたことか、さきほどよりも熱くなかった。どうやら熱いのは上にいくらしい。これは大発見だ。ということは、おっさんたちズルしていたのか。ずっこいなあ。
今回も数人の男たちが座っていた。「もう、ズルはなしだぜ。」僕は熱さに耐えて座り続けた。体から汗が噴き出す。おっさんたちは1人、また1人と耐え切れなくて出て行った。
若い兄ちゃんが1人入ってきた。
「よし、お前は後から来たけど、それはハンデだ。今から勝負してやろう。」
僕はこの兄ちゃんとの勝負に、これからの人生を賭けた。もう、だいぶ体が熱くなっていた。髪の毛なんかはめちゃくちゃ熱かった。たぶん体の50%くらいの水分が失われたであろう。しかし、僕は逃げ出すわけにはいかなかった。
兄ちゃんもしぶとかく、なかなか音を上げない。
「やろー、なかなかやるな」と思っていると、兄ちゃんが話しかけてきた。「上にいきなよ。」と一番上の段を指差す。お、お前、熱いのが上にいくことを知ってやがるな。で、できる。
「望むところだ。」僕は一番上に上がった。やはり1段目とは比べられないほど熱かった。兄ちゃんは追い討ちをかけるように、熱いのを焚いているとこをタオルで扇ぐ。スノコにつけているお尻と足の裏がめちゃくちゃ熱い。「アッチッチ」という感じだ。「うーん、もうダメかも」と弱音を吐きそうになるが、、兄ちゃんのフランクフルトを見ると、逃げ出すわけにはいかなかった。
体の水分が70%失ったあたりで、兄ちゃんがついに外に出た。
「か、勝った!」
僕もふらつきながらすぐ外に出て、水風呂につかった。そしてふと思った。
「サウナって、健康にいいのかな?」

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ただいまグルジア入国中
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これハマム
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これヒンカリ
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センチメンタルジャーニー
イェレバンを離れ、アラヴェルディという谷あいの小さな町へやってきた。
宿はガイドブックに載っていた「アベティアンの家」へ。チェックインしてバックパックのカバーを外すと、上にあるポケットのチャックが開けられていた。その中には整髪剤と思われる泡がぶちまけられていて、記念にとっていたいろんな場所のチケットがグショグショになっていた。
犯人はすぐ予想がついた。アラヴェルディに来る時に乗ってきたワゴンで、僕らは前方の座席に座り、バックパックは後ろの座席の間に置かせてもらった。一番後ろの席には5人組の若い男たちが座っていたんだけど、途中、彼らは変な笑い声をあげた。「イヒヒヒヒ」みたいな、なんかいやらしい笑い方で、僕はなんとなく不快だった。休憩の時、その中の1人が「ユー・バック・グッド」とわざわざ言ってきた。その時は「なんだ?」と思っていたんだけど、このいたずらだったのだ。むかつく。
短いアルメニアの滞在の間に、もう2度目のいやがらせ。今までボッてくるやつとか嘘つきはいっぱいいたけど、こんなことは1度もなかった。アルメニア人は親切な人が多かったけど、若い男だけは、嫌な感じの奴らがちょくちょくいた。僕らの方を見てニヤニヤして、仲間に何か言って笑ったりしていた。何かバカにされているようで、何度かすげえ腹が立った。
いったい何なんだ。日本人が嫌いなのか。時々「チナ」(中国)と言われるから、中国人と思われているのかもしれない。いや、勘だけど、彼らは東洋人自体を見下している気がする。だけど、何でだ?
「くっそー、むかつくなあ。俺にいたずらすると警察沙汰になって、痛い目にあうぞ」と、僕はしばらく怒り狂っていた。だけど、それから30分後、僕の心模様は一変した。それは、突然訪れた恋だった。

「アベティアンの家」は阿部ちゃんというおばあちゃんが持っているアパートの一室を貸してくれていたんだけど、その同じアパートにすげえかわいい女子が住んでいた。僕がアパートの前で子どもとケンケンをして遊んでいると、2階の窓から彼女が声をかけてきた。
「ハロー。名前は何ていうの?わたしはヘレンよ。」
ズキューン。心臓に恋の矢が刺さった音がした。か・・かわいい。まさにアルメニアの最高傑作といった女性だった。
彼女は英語が話せなかったので、会話が難しかった。けど、何とか気を惹きたい。とりあえず、家から出てきて近くに来てほしい。
僕は部屋からウクレレを持ってきて、アパートの前のベンチに座り、そしてウルフルズの「ワンダフルワールド」を歌った。
思えばギターを始めたのも女子にモテたいがためだった気がする。しかし、今までそれでモテた記憶はない。しかし、僕はずっと信じてきた。「ギターが弾けるとモテる」と。今の僕はそれを信じることで今日を生きているといっても過言ではなかった。
今回はウクレレで代用だったけど、なんと作戦は見事に成功し、彼女はわざわざ着替えて家から出てきた。僕は調子に乗って、そのまま数曲歌った。ヘレンはそんな僕の姿を携帯のムービーでしっかり撮っていた。こ、これは、向こうも気があるのでは。
「カリンカ弾ける?」彼女は聞いてきた。
カ、カリンカだって?
「カリンカ」とはロシア民謡の名曲なんだけど、僕は高校の時、クラス合唱でこれを歌ったことがあった。
「カーリン、カカリン、カカリン、カマヤ、サドゥヤーガダマリン、カマリン、カマヤ」
ヘレンと一緒にカリンカを歌った。初めてカリンカが僕の役にたった瞬間だった。驚いたことに、周りにいた子どもたちも全員歌えて、カリンカの大合唱となった。ヘレンは歌がめちゃうまくて、僕の目を見て歌ってくれた。
ヘレンは20歳くらいかなと思っていたけど、聞いてみるとなんと16歳だった。
うーん、16かあ。これはやっぱ犯罪かなあ。いや、ギリセーフか。いやアウトか。うーん、こまった。
この旅には1つだけ目的があった。それは、真実の愛をみつけて、キスして帰国すること。
真実の愛に年齢なんて関係ねえ。そうだ、そんなの関係ねえ。僕はヘレンとキスして帰国するんじゃ!
僕はさらにヘレンの気を惹くために歌った。だが、町の子どもたちが集まりすぎて、ヘレンどころではなくなってしまった。近所の悪ガキがやってきて、「なあ、ウクレレ、俺にも弾かせてや、なあ」と言ってくる。そのうちヘレンも帰ってしまった。

翌日は曇り、世界遺産の修道院を観光して帰る頃には雨が降ってきた。
宿にもどるとヘレンは家の窓辺に座っていて、僕を見つけると手を振ってきた。どうやら僕を待っていたようだ。それから、アパートの前を通るたび、彼女は窓辺にいて、僕に手を振ってきた。僕も手を振り返す。だがやはり言葉の壁は大きく、それ以上のコミュニケーションが難しい。お互いの思いが通じ合っているだけにもどかしい。

その次の日も雨だった。7世紀に建てられたというオズン教会を観たあと宿にもどると、またヘレンが窓辺にいた。どうやら僕を待っていたようだ。雨が僕らの間に降り続けていた。いつものように手を振ったあと、僕は部屋に入るしかなかった。
出発は明日の朝。もう想いを告げるには今しかなかった。でも、どーする?どーすんの俺?
その時、雨があがったのに気がついた。アラヴェルディの町に久しぶりに太陽の光がさした。僕はウクレレを持って、またアパートの前のベンチに座り、サザンの「TSUNAMI」を歌った。ヘレンは僕をジッと見つめ、時々親指を立ててグッドと言ってくれた。2人の心が通っているのがわかった。でも、なぜかその後に彼女は窓を閉めてしまった。
これは意外だった。間違いなく彼女は僕を待っていたのだ。な、なんでだ!
考えられることといったら、まだ彼女には僕と日本へ行く決心がつかなかったということくらいか。しかし、それもそのはず、彼女はまだ16歳。松本伊代が「伊代はまだ16だから」と歌ってた16歳。その決断を迫る方が酷というものだった。
おそらく窓辺の隠れたところで泣いているだろうヘレンに僕は歌い続けた。

見つめ合うと素直におしゃべりできない 
津波のようなわびしさに I know おびえてる
めぐり会えた時から魔法がとけない 
鏡のような夢の中で 思い出はいつの日も雨


アラヴェルディを発つ日、ここ数日の雨がウソのような快晴だった。後ろ髪を引かれながらも、この日僕はグルジアに向かった。
こうして僕の津波のような恋とアルメニアの旅が終わったのだった。

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ヘレン
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ヘレン
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ヘレン
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アラヴェルディ
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10世紀に建てられたハグパット修道院
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7世紀に建てられたオズン教会
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石造りの教会の中は遺跡ちっくでかっこよかった。石の間からも草が生えてたりして、またかっこよかった。
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これクリックすると松本伊代になるよ。


Mr.アダンとキリキア
アルメニアの首都・イェレバンでの日々も1週間が過ぎた。カメラ事件で気分が沈みがちだったけど、アルメニアの人々の優しさがそれを癒してくれた。
世界遺産のゲガルド修道院へ行く時にヒッチしたバスには、親子遠足の一行が乗っていて、えらく僕たちは歓迎された。乗って早々コップにウォッカを注がれ、「飲め飲め」と催促された。イッキにそれを飲み干すと、「ウォー!」と車内中から歓声があがった。子どもたちもどんどん持ってきたおかしをくれ、着いてからもみんなから写真を一緒に撮ろうとせがまれ、別れの時はずっと手を振ってくれた。まるで有名人のようだ。
帰りは1時間ほどバス停まで歩いたんだけど、途中で出合った人たちがさくらんぼをくれた。それを食べながら歩いていると、またさくらんぼを持ったおじさんが現れ、僕らにくれた。チェリーは甘酸っぱくて青春の味がした。

でもやっぱり最高だったのは、前々回のブログにも登場した「アルメニアのひろし」ことMr.アダンだ。
ある日ある店で、ヒンカリというショウロンポウに似た料理を食べていると、いきなりアダンが現れ、僕らの勘定を支払うと、「この前のカフェで」と言って、すぐ店を出て行った。前にさんざんおごってもらったカフェに行くと、アダンの歓待が再び始まった。アプリコット、チェリー、イチゴ、ビール、そして「寿司」の話題が出ると、どこからか魚の燻製も買ってきてくれた。
アダンはさっきのヒンカリ屋さんより、このカフェをひいきにしているようで、「もうあのヒンカリ屋には行くな。ここで食え。ホットドックでもビールでもコーヒーでもアイスでも何でも食え。俺が全部払ってやる。」と言う。まるで僕らのパトロンである。しまいには「リダの家(今泊まっている宿)を出て、うちに泊まりなさい。」とか、「よし、今度ダンボールいっぱいキリキア(アダンの好きなビールの銘柄)を詰めて、日本に送ってやる。ヒューンとな」とか言ってくれる。どこまで本気なのかよくわからない。でもうれしかったのは、前回渡した僕らの住所を書いた紙を、胸ポケットに入れておいてくれたことだった。
アダンは友達もたくさんいて、1人また1人と宴会に加わった。僕らが「明日ゲガルド修道院へ行く」と言うと、「よし、それじゃあ明日はみんなでゲガルドへ行こう。車でドライブだ!」とアダン言い出し、翌日の11時にカフェで待ち合わせて、みんなでゲガルド修道院へ行くことになった。
アダンは明日のお出かけの前に僕の髪とヒゲを何とかしたいみたいだった。「髪、チョキチョキ、ヒゲ、シャーシャー、グッド」とジェスチャーで伝えてくる。そして、驚いたことに「これから美容院に行こう。服も買おう。」と言い出した。もちろん俺が払うから、と。なんだ、シンデレラボーイか?残念ながら(幸い?)すでに美容院は閉まっていて、明日少し早めの10時に待ちあせて髪を切りに行こうということになった。翌朝、約束どおり10時にカフェに行くと、アダンは来ておらず、結局それから2時間待ったけど、昨日のメンバーの誰一人として現れなかった。飲み会での約束なんてそんなものなのかもね。結局、その日はどこへも行けず、さらに翌日、僕らは自力でゲガルド修道院へ行ったのだった。
結局アダンと会うことはそれ以降なかった。ほんとめちゃくちゃおごってもらったので、もっとちゃんとお礼が言いたかったなあ。イェレバンを出る日、みんなで撮った写真を現像してカフェのおばちゃんに渡した。
グッバイ、Mr.アダン!キリキア楽しみにしてるよ。



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Mr.アダンと仲間たち
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ヨーグルトに炭酸水を割った飲み物。めちゃまずかった。
アルメニアではミネラルウォーターと書かれてあるペットボトルを買うと炭酸水だったということがたびたびあった。というか、ちゃんとミネラルウォータだったことは1回しかない。ただいま4階連続炭酸水を当てている。こっちの人は水代わりに炭酸水を飲んでるみたい。
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中央広場の噴水では、夜10時ごろから水と光と音楽と映像のショーが行われていた。普通にお金がとれるようなショーで、なかなか楽しかった。いい年のおっちゃんとおばちゃんが抱き合ってずっとショーを見てて、なかなかすばしいな、と思った。
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ゲガルド修道院
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聖母降臨!
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これクリックすると Mr.アダンになるよ。



Canonのカメラの死?
前回のブログの更新が済み、ゆりが終わるのをネットカフェの外で待っている間、ちょっとした段差に腰掛け、買ったばかりのCanonのカメラでイェレバンの町、人を撮っていた。インドのキャメルサファリでニコンのデジカメが壊れて以来、ずっと自分のカメラが欲しいと思っていたので、今は我が子のようにCanonのカメラが愛しかった。
使いたくてしょうがないので、ムダにシャッターを切っていたんだけど、悲劇は突然起こった。
バシャーン!
いきなり頭の上に水が降ってきた。いや、水じゃない。何か白い液体がベットリと体中に付いている。パッと上を向くと4階建てのアパートの窓があった。どうやらそこから液体を落としたらしいが、人影はなかった。
僕はすぐにまたパッと手元を見た。そう、カメラである。今は命の次、いや命より大切なCanonのカメラにも白い液体が降りかかっていたのだ。
「Canonが死んだ!」
僕は動転し、とりあえず電源を切らないとと思い、ボタンを押した。が、レンズの伸び縮みする筒にもたくさんかかっていたので、それが縮みカメラの中におさまると、液体も一緒に中に入ってしまった。
「オーマイゴット」
僕はまた電源を入れ、汚れていないTシャツの裏側でカメラに付いてる液体を拭いた。ベトベトしているうえに、ボタンの周りの隙間に入ってしまったのはどうしようもなかった。シャッターを切ってみると一応ちゃんと撮れていた。致命傷にはなっておらず少しホッとするが、いかんせんまだ買って5日目のおニューのカメラである。怒りは当然この得たいの知れない液体をかけた奴に向かった。
「おい、出てこいや!」
僕はアパートに向かって日本語で叫んだ。2、3、4階のどこかの窓からかけたのに違いなかった。しかし、いくら叫んでも誰も出てこない。それでも僕は何度も何度も叫び続けた。犯人にはもちろんだが、僕は近くにいるアルメニア人にもこの非常事態を伝え、誰かしらの協力を得たかった。一緒にかけた奴を探してくれるかもしれないし、ポリスに連絡してくれるかもしれない。しかし、その期待もむなしく、誰も僕に声をかけてはくれなかった。白い液体まみれの僕の異様な姿に驚きジーと見ていくものの、素通りしていく。ベビーカーを押した若い夫婦には、子どもが起きるでしょと「シー!」と言われてしまった。今までの国々なら野次馬たちが群がってくるのが目に見えてるけど、ここはやはり人の種類が違うようだった。
白い液体は頭、服、腕にベットリと付いていた。ワックスのようだけど、それほどニオイがない。だんだんと乾いてゆき、カピカピになっていった。
僕はしつこく「おい、出て来い」と叫んだけど、やはり誰も現れなかった。見事な命中と白い液体、そして謝りに来ないことを考えると、やはりわざと僕を狙ってかけたんだろう。しかし、なぜ?
僕は一瞬、これはアルメニアのゴッドの仕業かもしれないと思った。ここ数日、僕の美女への隠し撮りにお怒りになって、美女とエロスを司るゴッドが僕に天罰を与えたのかもしれない。「うちの美女になにをする」と。
30分くらい経ちゆりがネットカフェから出てきた。だいぶ乾いてしまったけど僕の異様な姿に驚く。証拠にとゆりの持っていたデジカメで数枚僕の写真を撮った。
白い液体というとこが悪質だったし、かなり頭に来ていたので、このままうやむやにするつもりはなかった。とりあえずポリスを呼ぼう。
若い女の子がようやく声を掛けてくれたので、事情をジェスチャーで説明し「ポリスを呼んでほしいんだ」と頼むと、「ここのポリスはやってきてくれない」と言って、近くにある警察署の場所を教えてくれた。
教えられたとおりに15分くらい歩くと警察署があり、そこの男たちに事件のあらましを説明した。が、誰も英語を話せない。ある男性の娘が英語を使えたので、電話で彼女に通訳してもらい、ようやく事情を伝えることができた。ポリスを動かすため、「カメラは壊れた」と言っておいた。
その後4人の若い刑事と車に乗って現場に戻った。僕らに「車で待っているように」と言って、彼らはアパートの中に入っていった。15分くらいして刑事たちは帰ってきたが、やはり誰がやったかはわからなかったらしい。僕も、自白はしないだろうと思っていたので、別に落胆はなかった。もう夜の10時を過ぎていたので、「明日の11時にまた警察署に来なさい」と言われ、この日は帰された。
「旧ソ連の警察はくさっている」と聞いていたので、この日警察が一応動いてくれ、犯人をびびらせてくれたことに僕は少し満足した。カメラは望遠を操作するボタンに液体が入り込み、少しバカになっていたけど、幸い使えないことはなかったので、まあもうこの事件のことはいいかな、と思い始めた。ただ、シャワー屋さんの営業が終わっていて、髪の毛がガビガビに固まったまま寝ないといけないのには少しまいった。

翌朝、シャワー屋で体を洗い、11時にまた警察署を訪れた。僕は海外旅行保険の携行品を掛けていたので、今日はもしもカメラが壊れた場合に保険を申請するため、ポリスレポートを書いてもらうつもりだった。カメラが動いているとやっぱりちょっとまずいので、充電池が切れた状態にしていった。
しかし、警察署には昨日僕らに関わった人間が1人もおらず、引き継ぎもされておらず、また1から事件を説明しないといけなかった。しかもまた英語が話せる奴がいないし、僕の服もきれいになっているものだからどーしようもない。ゆりが撮ってくれた僕の写真を見せるも、おもしろがるだけで話にならない。
しばらくたってからようやく英語が話せる奴が現れた。しかもそいつは次のようなことを言う。
「お前、昨日メトロで見たぜ。いっぱい白いの付けて、ひでー格好していたな」
なんと昨日帰りに乗ったメトロに乗り合わせていたのだ。こいつのおかげでようやく事件のことを伝えることができた。「ちょっと待っていてくれ」と言って、彼らは去っていった。
僕らはそれから1時間以上待たされたが、誰も何も言ってこなかった。またさっきの英語を話すやつがいたので「いつまで待つんだ」と聞いてみると、やっと初めて僕らのことを誰かに言ってくれたみたいだった。おいおい。
ようやく通された部屋では、まったく英語が話せない人がいて、また1から説明しないといけなかった。どんどん新しい奴が入ってくるんだけど、昨日の奴らが1人もいない。何回も何回も同じ説明をさせられた。やっぱこいつらダメだ、と失望。
ようやく英語が話せるちょっと警察っぽい怖そうなおっさんが来たので、また説明。そして「ポリスレポートを書いてくれ」と頼んだ。しかし、彼は「それくらいではカメラは壊れない」「乾いたら直る」だとか、「それがどーしてその白い液体で壊れたといえる。雨で壊れたかもしれない」などと言い、僕らの相手になってくれない。僕の写真を見せるとようやく納得したようだったけど、「ここは犯罪をあつかうところだ。これくらいのことではポリスレポートは書けない」と言われてしまった。
そして僕らはまた別の部屋で、太った刑事と一緒に待たされた。もうこれ以上いても時間のムダに思えた。「もう帰ろうか」とゆりと話していたら、また事件の現場に行くという。「昨日行ったんだよ」と思いつつ、太ったのとムキムキの刑事と一緒に現場に向かった。
現場に着くと、刑事たちは「一緒に来い」と言い、僕らをアパートに連れて行った。2階の家を素通りして3階の家のドアをノックした。僕は、あの命中のしかたからいって2階のやつじゃないかなとにらんでいたから、どうして2階をとばすのかと思った。しかし、3階の家のドアが開き、中に入ると、びっくりすることが待っていた。
そこの家は改装工事中で、若い兄ちゃんと中年のおっさんが働いていた。なんと、若い兄ちゃんのズボンには、昨日の僕と同じような白い液体の跡が付いていた。液体を落としたと思われる窓を見てみると、やはり2センチほどの白い液体の跡が、窓の外側に付いていた。セメントか何かだったのかもしれない。2人の男は「いや知らない」と首を横に振っていたけど、それには力がないように思われた。間違いない。こいつらだ。あっけなく犯人が見つかって、僕は少々戸惑った。もう別に彼らに対する怒りはなかった。
結局その2人は警察署に車で連行され、僕らは歩いて帰らされた。

警察署に着くと、また太った刑事と一緒に待たされた。「カメラいくらだった?」と聞いてくるから「400ドル」と答えた。
しばらくすると、その部屋で会議が始まった。4人の男たちがいたけど、雰囲気からしてここのお偉いさんたちらしかった。何かが決まったらしく、僕に携帯が渡された。電話の向こうには英語が話せる人間がいるらしく、通訳してくれるみたいだ。
電話の相手によれば「これから一緒にCanonの店にいって直してもらおう。キミたちはお金は払わなくてもいい。」と言う。これには焦った。カメラが動くのがばれてしまう。うーん、ピンチ!
しかし、どうやらアルメニアにはCanonの店がなかったようで、その話はなくなった。
次にこういう提案がなされた。
「この事件で400ドルは負担が大きい。300ドル払うのでその金で新しいのを買ってくれ。その代わり壊れたカメラを渡してもらう。」
「誰がお金を払うんだ」と聞くと、「例の男だ」と言う。ここでようやく2人のどっちかが、または2人が自白したことを知った。そして彼らが弁償することも。
この時、僕は犯人たちに同情していた。300ドルはかわいそうだ。それに何と言ってもカメラは動くのだ。
僕は次のように答えた。
「300ドルじゃ買えないんだ。しかし、400ドルではでかすぎる。だからもうお金は要らない。俺は保険に入っているから、ポリスレポートを書いてくれれば、日本の会社が払ってくれるんだ。」
「300ドルでいいじゃないか」
「いや、だからもうお金はいいんだ。ポリスレポート書いてくれ。もし書けないなら、もう何もしてくれなくてもいい。」
これには向こうが驚いた。
「何もいらないのか。ポリスレポートがないと保険はおりないぞ。なんでだ。300ドルもらったらいいじゃないか。」
僕は何とかこの場を逃げたかった。
「いや、300ドルじゃ足りないんだ。だからもういいんだ。このカメラはまだ買って1年たってないから、Canonが補償してくれるかもしれない。」
この説明は苦しいことはわかっていたけど、犯人たちに払わすわけにはいかないので、僕も必死だった。
すると、ポリスたちは「わかった。400ドル渡すから、それでいいだろう。新しいのを買ってくれ」と言い出した。僕は混乱した。
「いや400ドルは要らない。Canonが補償してくれるから」と言い続けた。
「俺たちに何をして欲しいんだ」と向こうも少しキレている。
「ポリスレポートだ。その他は何も要らない」
しかし、ポリスたちはどうしてもレポートは書きたくないみたいで、
「400ドルの何が不満なんだ」と言ってくる。
「だから補償があるからもういいんだ」
ここでゆりが「あまり補償、補償というと、どうして警察に来たのかということになるよ。ここは400ドルもらって帰るべきだよ」と言う。確かにその通りだった。このまま何ももらわないで帰ることは、今まで動いてきた彼らが許さなそうだった。
仕方なく「わかった。400ドルもらおう」と言うと、すぐに1人のポリスが財布から400ドル出して、僕に渡した。そして一件落着とばかりにポリスたちはみんなで握手を交わした。カメラは犯人に渡すというので、ポリスにあずけた。

結局カメラが壊れたとウソをついて手にした400ドル。これはかなり精神的にまいった。こっちの人からしたら400ドルは僕ら以上に高い金額のはず。
それに事件のことは何もわからないまま。わざとだったのか、ミスだったのか。わざとだったらなぜそんなことをしたのか。
今回の事件はさすがに「俺、なんで旅してるんだ。」とヘコみ、初めて日本に帰りたくなった。
とにかく、そんなことがあって、お気に入りのCanonのカメラはたった5日で僕の手から離れていったのだった。



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酒とアデンと男と女
今いるとこはアルメニアの首都イェレバン。
町はきれいで花屋やパン屋が多く、少しヨーロッパを感じさせる。若いカップルが手をつないで歩き、カフェではおっちゃんたちが昼間からビールを飲んでいる。ここ数ヶ月、インドやイエメンなど、宗教の戒律の厳しい国を旅してきたから、このイェレバンの人々の様子にやけに「自由」に感じた。
アルメニアは世界で最初にキリスト教(アルメニア正教)を国教とした国で、世界遺産にもなっている古い教会などがいくつかある。敬虔なクリスチャンが多いかは知らないけど、酒と女性があちこちで見られるというのはいいもんだと思った。まあ、日本じゃ当たり前なんだけど。

前回にも書いたけど、アルメニアはほんと美人が多い。最初はイエメンとのギャップのせいかなとも思ったんだけど、どうやら「世界一美人の国はどこか?」という男性にとっては大変重要な論議には必ず挙がってくるほど、アルメニアは美人で有名みたいだった。(「リダの家」の情報ノートの多数書かれてあった)
ハーフに美人が多いのは有名だけど、ここもロシア、ヨーロッパ、アラブに囲まれているので、そういった要素があるんだろうか。世界遺産のエチミアジン大聖堂を見に行ったときにバスで一緒になった女性は、滝川クリステルもびっくりの美人で、ニュースキャスターにしたら人気が出るだろうなと思い、思わずまた隠し撮りしてしまった。もう完璧犯罪者である。
今は気候もよく、露出のはげしい服を着ている女性が多いので、ほんと少し街を歩くだけでもむだに楽しくなってしまう。ミニスカートやワンピースがかわいい。胸が大きいものだから、胸元が広く開いている服を着ている女性なんかは、おっぱいがユラユラ揺れていて、こちらは大変困ってしまう。「ボインキラー」というブルーハーツの名曲を思わず口ずさむ。

さて、女性はこんなにも美人となると、男性もさぞかしと思うのだが、女性と比べてあまりイケてない。まるでどこかの夫婦みたいに。まゆ毛がつながっている奴がやけに多いし、前髪も揃ってたりする。服も全然おしゃれじゃない。当然町ではぶ男と美女のカップルをよく見かける。いやあ、この国の男どもは幸せだなあ。

夜(といっても10時まで明るい)、同じ宿の旅人とコニャックを飲みながら話していると、当然のように美人論議となった。僕以外の2人の旅人(男)は、もう世界中を旅してきたベテランパッカーで、アルメニアに美人が多いのは認めるものの、「でも僕は隣のグルジアの方が美人だと思いますね」とか、「いやいや、東欧の方が美人ですよ。ホニャラニャ(忘れた)なんかはみんなスタイルも抜群でね、もうリカちゃん人形ですよ。もうびっくりしますよ。」と自分の意見を主張。結局のところ、美人と思うかどうかなんて自分の主観、好みによるので、この議論は永遠と続くのだった。


アルメニアは美人の他に、ちらっとさっき書いたけど、ブランデーのコニャックの産地としても有名だった。僕はコニャックなんて一度も飲んだことなかった。ゆりは「コンニャクみたい」と言って、旅人から失笑を買っていたけど、とりあえず物は試しと買って飲んでみた。アルコール度数が40度あったけど、案外飲みやすくグイグイ飲めてしまう。味はウィスキーと似ていた。(詳しい人が聞いたら全然違うよと言われそうだ)強いだろうからと小さめのボトルを買ったけど、すぐに無くなってしまった。さすがにいい気分ではあったけどね。

町にもコニャックをはじめ、たくさんの種類の酒が売られていた。どうやらかなり酒好きの国みたい。ちょっとした軽食屋さんにもビールサーバーがあり、300ダラム(100円くらい)で生中が飲めてしまう。ある店で中東の薄焼きピザと言われるラマジュとビールでやっていたら、近くの席で飲んでいたおっちゃんたちが僕らにウォッカをご馳走してくれた。これも40度あるんだけど、一気にグイッとやるのがこっちの飲み方みたいで、意を決して一気。うん、コニャック同様飲みやすい。もっと喉が熱くなるかとおもったけどそうでもない。おっちゃんたちも無意味に喜んでいる。しかしさすが40度。ビールも飲んでいたこともあり、すぐに気持ちよくなってしまった。
普段ケチケチ節約して旅している僕らだけど、酔ってしまえばどうでもよくなり、「次いくぞー!」と飲み屋をはしご。そこでも飲んでいたおっちゃんたちがビールを何杯もおごってくれた。酔っていることもあり、この時点で僕のアルメニアの印象は一気に星7つになる。
おっちゃんたちとは酔っ払いどおし、言葉が分からなくても交流できた。それに「サムライ」「ハラキリ」など外国人が日本と聞いたらいいそうな定番の言葉を知っていた。定番だけど、「ハラキリ」なんかはこの旅で言われたのは初めてだ。アルメニアと日本とはえらく離れているけど、ここは旧ソ連だったので、あるおじいちゃんなんかは「俺のじいさんは日露戦争で戦ったぞ」とか「北海道の北方領土の問題は今どうなってるんだ。」などという会話が飛び出した。あと「アキラクロサワのムービーは最高だ」とも言っていて、「世界の黒沢」を実感した。

久しぶりのお酒ということもあって、この夜はほんと楽しかった。いきなりでかい声を出す人間もいないし、何か悪いこと企んでるんじゃないかと心配することもなかった。それでいて、先進国や都会人にない(偏見かな?)人なつっこさやあたたかさがあり、とっても居心地がよかった。
この場にいたアデンというおっちゃんは、僕らの料理を全部払ってくれたうえ、さらにもう1つカフェに連れて行ってくれ、ビール、アイスクリーム、ケーキ2つずつ、さくらんぼをご馳走してくれた。こんなに大丈夫かなとこっちが心配したけど、なんだか宮古島に住んでいる歩の叔父のひろしさんを思い出したよ。人がいいとことか、後で奥さんに怒られるんじゃないかなってところが。
Mr.アデンはまったく英語を話せなかったので、ひたすらアルメニア語とジェスチャーでなにかを話してくれた。たぶん「いつでも電話してくれ。また何でもおごってやるから」と言って、僕らのノートに電話番号を書いてくれた。いったいどうやって電話で会話するのかな?と思ったけど、彼の優しさが染みて、うれしかった。アデンは帰りにお土産と言い、またビール2本持たせてくれた。彼、絶対奥さんに怒られるわ。

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アララト山は「ノアの箱舟」が着いたといわれる伝説の山
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エチミアジン大聖堂
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Mr.アデン

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アルメニア到着 
6月1日
楽しかったイエメンを発ち、再びアラブ首長国連邦へ。今回もトランジットの1泊だけ。(前回はエアアラビアのせいで2泊だったけどね。)1ヶ月前と同じホテルに行くも20ディルハム(600円くらい)値上がりしていて170ディルハム(5000円くらい)になっていた。ショック!この旅の宿の最高値更新。インドやイエメンで10円単位をもめて交渉していたのがバカみたいに思える。
気持ちが少し大きくなったので、シャルジャのセントラルマーケットでCanonのカメラを購入。1270ディルハム(3万8千円くらい)。2ギガのSDカードとカメラケースが付いて喜んでいたんだけど、後でケースがカメラのサイズと合っていないことに気付く。かなりむかつく。

6月2日
夕方5時のフライトだったので、ドバイにあるバージュ・アル・アラブという高級ホテルを見に行く。1番安いのでも20万、高いのだと100万以上するという7つ星ホテルだ。目の前にあるジュメイラビーチホテル(ここも安くても10万円。あほか!)のプライベートビーチからの眺めがいいとの情報を得たので行くも、従業員に呼び止められ部屋番号を聞かれる。泊まってないことがわかると「100ディルハム(3000円くらい)払え」と言う。無料だと聞いていたのに。仕方なく引き返すも、未練がましく従業員の方を見てると、彼は他の客には何も言ってない様子。つまり、僕らの外見で宿泊客じゃないと判断したわけか。悔しいが大正解!チクショー!
少しホテルの中も通ったけど、ピエロが風船で犬やら花やらを作っていて、その近くでは白人の子どもが風船帽子をかぶり、手にも動物の形の風船を持ってえらくはしゃいでいた。ラオス、チベット、インドなど、これまで出会ってきた国の子どもたちと明らかに住んでる世界が違っていて、何だかすごくびっくりした。そういう僕も、このホテルでは明らかに場違いな人間だったのだが・・・。

飛行機は夜9時過ぎに無事アルメニアの首都・イェレヴァンの空港に到着した。驚いたことにまだ外は明るかった。アルメニアは緯度が高く(緯度が高いと夏は日が長く、冬は日が短いんだよ。)、今は1年で1番日が長い6月。しかも、今はサマータイムというものを実施しているみたいで、普段より2時間も時間を進めているようだった。結局暗くなるのは夜10時過ぎというわけわかめの状態だった。

さて、イミグレーションで入国審査を受けたのだが、審査員のお姉さんがえらく美人だったのに驚いた。髪にボリュームがありゴージャスな感じで目が色っぽい。パスポートの僕の坊主の写真を見て、「どーして髪切らないの?」と艶やかに言ってくる。私が切ってあげようかしら?もちろん2人っきりで、と暗に伝えているようだった。
さらにアルメニアの通貨ダラムを得るため両替屋に行ったのだが、そこのお姉さんもかなりの美人だった。メガネが知的な印象を与え、やはり色っぽい。さらに驚いたことに胸がスーパーカップ1,5だった。僕の見たところFカップというところか。おいおい、アルメニアは美人の国なのか?と、僕は異常に興奮していた。それもそのはずで、この1ヶ月間、まともに女性の顔を見ることができず、「見てえ、見てえ」と思い続けていたのだ。顔や髪の毛を見るだけでもうれしいのに、それが美人でボインときた!まさに盆と正月とみどりの日が一度に来たという感じなのだ。これはたまらん。

タクシーで町の中心部へ。調べていたお目当ての安宿は夜の11時ということもあり見つからず、仕方なく欧米人に人気だというエンボイホステルへ。しかし驚いたことにドミで1人8500ダラム(2850円くらい)。2人だと5700円だ。2日続けて最高値更新。ショック!

6月3日
朝、ボディーソープを買うために近くのスーパーに行くと、ミニスカートの制服の女の子が2人働いていた。2人とも美人!足きれい!おいおいおいおいおい!テンションが上がる。
この日は「リダの家」という宿に引越し。ドミで1人1000ダラム(330円くらい)。ここは宿というより家の1室を外国人に泊まらせているという普通のお家だった。リダばあちゃんをはじめ4世代が暮らして、何だかホームステイしている気分。庭にはさくらんぼがたくさんなっていていい感じ。勝手に食べたけど酸っぱくてあまりおいしくなかった。シャワーがなかったけど、近くにシャワー屋さんがあり、1時間1000ダラム(330円)で使えた。シャワー代入れても宿泊代千円くらいで、やっと落ち着ける場所を見つけた感じだ。
この日は地下鉄で中心部へ行き、路上カフェに入り、通り行く女性を隠し撮りして過ごした。そんなわけで、新しいCanonのカメラにはアルメニア女性でいっぱいなのだった。

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リダばあちゃんとひ孫
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この直後 この犬に襲われた
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隠し撮りしている間に旅も10ヶ月が過ぎた。気がついたことはみんなお尻も大きい。
この1ヶ月で使ったお金   84357円 + 飛行機代71919円 + カメラ代38000円
訪れた町   デリー、シャルジャ、ドバイ、サナア、サユーン、シバーム、コーカバン、スーラ、タリム、ハジャラ、ジブラ
訪れた世界遺産   サナアの旧市街、シバームの摩天楼
食べたメロンの数    20個


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