クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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惑星ベジータ
イエメンで過ごす日々も残りわずかということで、最後の力をふりしぼり、ちょっと遠いけど頑張れば日帰りで行けちゃうよという町を2つ訪れてみた。
サナアから3時間のハジャラは、石造りの家々が岩山の上に建ち並ぶかっちょいい町だった。町へ入る門は1つしかなくて、それを閉じちゃうと侵入不可能となる。昔は要塞として重要な役割を果たしたんだとか。ハジャラの景観のかっこよさはイエメンでも1番をあげちゃってもいいかなと思った。
「イエメンのイケメン町ハジャラ」
どう、このキャッチフレーズ?

サナアから5時間(往復10時間だからかなりきつかった)のジブラは、古い石造りの家や石畳がいい雰囲気のいかした町で、まるで中世に迷い込んでしまったようだった。(ガイドブックの受け売り。中世っていつだ?)この町はシマウマに乗ってまわりたいなと思った。
「ゼブラがいざなう中世の町ジブラ」
どう、このキャッチフレーズ?あかんか?

イエメンでは結局10ほどの町を訪れたが、どの町も敵の侵略に備えて造られていた。岩山の上やその斜面に家を建てたり、世界遺産のシバームのように高い家自体が城壁の役割をしていたり。無知の知なのでよく知らないけど、昔の町ってそうやって造るのが当たり前なのか?それとも、敵が侵略してくるだけイエメンが部外者にとって魅力的だったのか?(「海のシルクロード」の要地として栄えた頃は「幸福のアラビア」と呼ばれていたそうだよ。特産品の「乳香」は金以上に価値があったとか。)いずれにしても、今でも「こりゃ攻めにくいでごわす」と思わせるんだから、かなり歴史ある町ということだろう。「イエメンのイケメン町ハジャラ」で勝手にガイドを始めた土産物屋の兄ちゃんは「1000年も前にハジャラの町は造られたんだべ」と言っていた。サナアの旧市街を含めて、ほんとイエメンはタイムスリップした気分にさせてくれる。いやあ、この国はすごい!!


さて、「褒めた後に落とす」というのがわたくしの教育方針なので、ここからはちょっと良くないことを。
ハジャラ、ジブラへは、10人くらいを鮨詰めにした乗り合いタクシーで行ったんだけど、これがすんげえボロ車だった。ハジャラに行く時の車は、途中、しかも落ちたら死んじゃうよという山道のカーブで止まってしまった。エンジンをかけようとすると、ガタガタガタと前後に激しく揺れた。なんとか近くの町まで走ったけど、そこで修理しないといけない状態だった。車の修理屋さんの前で止めたので当然頼むのだと思っていたけど、驚いたことに運転手のおっさんが自分でボンネットを開けて直し始めた。結局おっさんは30分程車と格闘して直してしまった。すげえな。
ジブラに行く時の車はエンジンがカギをまわすだけではかからず、運転手のおっさんは出発する度にやはりボンネットを開け、ドライバーで何かをいじってエンジンをかけていた。
「この車も車検に通らんね」と、ゆりと苦笑いをしてたんだけど、この車の旅はちょっと笑い事じゃなかった。

このエンジン手動タクシーは、走り自体は問題なく、真っ直ぐな田舎道を快適に飛ばした。小さな町に来たとき、ちょっと前を犬が横切っていた。渡り終わったので安心していたんだけど、犬は何かに驚いた様子で、急にまた戻ってきてしまった。
「あっ!」運転手はブレーキを踏むも間に合わなかった。
ドン!という衝撃の後、ガタと犬の上に乗り上げた。そして車はそのまま走り続けた。
初めて犬を轢いた車に乗り合わせたけど、やっぱりショックで気分が沈んだ。ゆりと2人呆然としてたんだけど、運転手をはじめ、一緒に乗っていたイエメン人たちのテンションは変わらず、それまで通りおしゃべりをしていた。「慣れているのか?」と思ったんだけど、その予想はどうやら当たっていた。このジブラへの行き帰りの道程で、車で轢かれて道端で死んでいる犬がなんと10匹以上もいたのだ。当然見てないのもあるはずだから、もっと多くの犬が轢かれているんだろう。ちょっとその数の多さに僕らは言葉がなかった。イエメン人たちの反応にも少しショックだったかな。

犬を轢いた後、僕は妙な胸騒ぎがあった。そしてそれは30分後に的中した。
やはり真っ直ぐな田舎道を飛ばしていたら、前から僕らと同じ乗り合いタクシーが走ってきた。が、様子がおかしい。少しフラフラと揺れたと思ったら、センターラインを越えて僕らの車線に乗り出してきた。左前のタイヤがパンクしているのがわかった。
「やべっぶつかる!」と思った瞬間、相手の運転手がハンドルを切ったんだろう、グイーンとカーブして元の道に戻り、その勢いでなんとひっくり返ってしまった。ほんと僕らの目の前でだ。ひっくり返った車は、そのまま2メートルほど下がったところの畑に転がり落ちた。車を停めて彼らを救出しにいったけど、車は潰れてしまっていた。特に助手席側がひどくへこんでいた。1人1人助けだしたが、やはり助手席に乗っていた人たちは血を流し、グッタリとしていた。幸い命はあったけど、重症には違いなかった。すぐ車に乗せて病院に運んでいった。
救出が終わって僕らは再びジブラへと向かったけど、もうちょっと車に乗るのが怖くなってしまった。僕ら2人が助手席に詰めて座っていたのもあった。チラチラとさきほどの事故のことが頭をかすめる。
そんな僕らの気も知らず、運転手はグングンと飛ばす。山道のカーブもスピードを落とさず、どんどん前の車を追い越していくんだけど、時々対向車線の車とぶつかりそうになる。しかも、運転手はよそ見が多かった。携帯をいじったり、「なぜ今?」と思ったけど、お金を数えだしたり、ちょっと今までになく命の危険を感じた。
まあ、こうしてブログを書いているわけだから、無事に帰ってきたんだけど、もうイエメンでのお出かけはいいや、という気分なのである。

そうそう、あともう1つ良くないこと。
この事故と同じ日、イエメン人の喧嘩を2つ見たんだけど、どちらも手を出そうとしていて、周りの人が必死で抑えていた。1人はけっこうでかい石を持って喧嘩相手を追いかけていて、見ていて少しゾッとした。インド人の喧嘩も毎日というほどよく見たけど、ほとんどが口論で、あまり手を出す人はいなかった。こないだサユーンで乱闘騒ぎにも遭遇したし、どうやらイエメン人は生まれながらの戦闘民族なのかもしれない。ジャンビーアを差しているしね。
イエメン人、人懐っこくて親切なんだけど、その反面、こういう激しい部分も持っているということか。優しい戦闘民族、まるで孫悟空だな。

イエメンはこの旅の中でもかなりいいので、ぜひお勧めしたいんだけど、旅行者のためにもイエメン人にはもうちょっとおとなしくしてもらわなくては。どうやら彼らにはシッポが生えてないようなので、掴んで弱らすという作戦はとれない。僕がにらんだところ、カートで膨らんだホッペが弱点のような気がする。あいつを押してやればもしかすると力がなくなるかもしれない。
そんなことを一生懸命考えている今日この頃。

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ハジャラ
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ジブラ
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これクリックすると事故るよ。



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その棒は・・・
サナアにまた帰ってきた。何だかとても涼しく感じる。内緒にしてたけど、サナアは海抜2300メートルあるので、周りの低地に比べるとかなり過ごしやすい。が、それでも30℃近くあるのでけっして涼しくはないんだけど、それだけサユーンが暑かったということだろう。

結局5泊したサユーン。世界遺産のシバームや近郊のタリムという町などをまわったけど、もうめちゃくちゃ暑かった。30分も歩くと死んだ。僕の持ってる温度計では40℃を越していた。死んだ。
午前中の観光で汗をビッショリかき、宿でシャワーを浴びるともう午後は動けなかった。がっつりお昼寝。というか本気寝。もう寝なきゃやってられないって感じ。昼は町でも人をあまり見なかったから、みんなもたぶん昼寝してるんだろう。
ようやく日が沈んだ6時頃、再び行動開始。昼間の熱気が残るものの、日本の夏、金鳥の夏という感じで悪くない。屋台でねぎ焼きなどを食い、10時ごろまでおしゃべり。そして帰ってまた寝る。そんな1日。

サユーンの男はジャンビーアを差してなかった。みんなズボンをはかず、パンツもはかず、ふるチン、というのはうそで、腰巻姿。インド人でも昔と比べてそんなにルンギー(腰巻)をしてなかったから、ちょっとびっくりした。
サユーンの女はやはりアバヤ姿。黒い手袋までしている女性もいた。40℃だよ。どれだけ忍耐強いんだよ。
あと、彼らはすごく信仰熱心だった。イスラム教では1日5回礼拝があるんだけど、僕らがよく気づいたのは昼過ぎと日没後の2回。その時はほとんどの店が閉まり、町から人が消える。日没後、僕らが商店より少し広いといった感じのスーパーで買い物をしていた時、店の人に「出て行ってくれ」と言われた。「いや、もうこれ買うだけだから、お会計してよ」と言っても、「10分、外で待っていなさい」と言われてしまった。アッラーはやはり偉大な神で、ここではお客様は神様ではなかった。


サユーンで一緒に過ごしたガンさんは、12年旅をしているゴイスーな女性で、旅の話はめちゃおもしろかった。もちろんそんなに長くはお金が続くわけないので、世界のあちこちで働き、旅費を稼いで旅を続けているみたい。ある時はカルフォルニアでぶどう摘み、ある時はバルセロナでマッサージ、ある時は女スパイ。(うそ) 去年はアラスカで旅館のお手伝いをしてたみたいで、毎日オーロラを見てたんだって。うらやまし。
旅の話を聞いて思うのは、地球はまるごと宝箱、もしくはテーマパークということだ。もうびっくりやワクワクに溢れている。12年旅してもまだまだ行ってないとこ、行きたいとこがたくさんあるんだって。ガンさんがすごいとこは、それだけ長く旅をしているのに全然旅に疲れてないことだった。簡単にいうとインド病にかかってない。アラビア語を現地の人に聞いて丁寧にメモってたり、朝早く起きて観光に出かけたり、これからイエメンの島(スコトラ島)で野宿すると言ってたし、僕らよりかなり精力的に旅を続けている。短期旅行なら普通のことかもしれないけど、長く旅してるとそれがけっこう難しいんだな。ほんとかっこいい旅人だった。見習わないと。


ある夜、やはりガンさんと一緒に晩飯を食べていると、近くで人々が集まりだした。何やらもめているようだった。
「ああ、また喧嘩か」
これまで喧嘩やそれに群がる野次馬をさんざん見てきていたので、たいして気にしてなかったんだけど、ふと気がつくと木の棒で殴り合いをしていた。僕らは食堂の奥に避難させてもらったので大丈夫だったけど、1人ナイフで刺されたようだった。
「ジャンビーアか?」と僕が聞くと、「いやナイフだ。ジャンビーアは北の奴らのものだ」と食堂の兄ちゃんが教えてくれた。話を聞くと、喧嘩の原因はけっこう深刻な問題だった。
イエメンは1990年、ベルリンの壁が崩壊するまで、民主制の北イエメン、社会主義の南イエメンに分かれていたそうだ。統一前も後も内戦がしばしばあり、やはり南北の溝はそう簡単には埋まらないみたい。今回の喧嘩も北か南か知らないけど、どっちかから喧嘩を売ったみたいで、驚いたことに野次馬だと思われた人たちもみんな木の棒をどっかから持ってきて参戦していた。普段とっても親切なイエメニーだけど、僕らにはなかなか気づけない心の奥深いところでは、憎しみの感情が渦巻いているということなのかな。

その翌日、皮肉にも南北統一のお祝いがあり、部族ごとだろうか、お揃いのシャツを着た人々が楽しそうに踊っていた。ある集団は木の棒を振りかざし踊っていたんだけど、「おいおい、昨日それで人殴ってなかったかい?」と僕は疑いの目でそれを見ていたのだった。

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誰もいない・・・
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日干しレンガ これで家を造るんだからすごい
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卵型のモスク
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その棒 血がついてないかい?
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これクリックすると殴られるよ。



う、うそだろ・・・
前回のクイズの答えから。
次に行く「ア」から始まる国は、アラブ首長国連邦。だけど、ここは前と同じくトランジットの1泊だけ。あの有名なホテルでも見てこようかな。
そして、その後に行く国はアルメニア。「うーん、知らない」と思ったあなた、僕もつい最近まで知らなかった。次どこに飛ぼうかと悩んでいる時に出合った旅人が「ユーたちアルメニアに行けばいいじゃん」とかるーく言ってくれたので、「じゃ、いこか」とその日にインターネットでチケットを購入したのだ。
一応今まではルートをなんとなく決めてたけど、いきなり予定外の国に行くのは初めて。まあ、イエメンも出発する時は全然行くつもりなかったけどね。こうやって、偶然知り得た情報をもとに進路を決めるのはなんだか楽しい。全然関心がなかった国と繋がりができ、また少し世界が広がる。それに、あまりバックパッカーも行かないらしいから、なおさらいい。やっと自分のオリジナルの旅のルートが出来たみたいで。


さて、今日は世界遺産のシバームを訪れた。昨日バスで一緒だったガンさんも一緒に出かけた。
暑くなる前にと思って、朝8時に行動を開始したけど、もうすでに暑い。40℃近くあるんじゃないか。やたらとのどが渇く。
乗り合いタクシーで20分。昨日と同じく砂漠の中に突如として高層住宅群が現れる。さっそく町の中を歩いてみた。土で出来た30メートルくらいある細長い家がビッシリ。8階くらいの家もある。崩れている家もある。サナアの旧市街と同じく、やはり鉄骨は使ってないようだ。土と少しの木だけでこんだけ高い家を建てるんだから黒柳徹子もびっくりだ。
僕はこのシバームの町を知っていた。というか思い出した。数年前、「世界ふしぎ発見」で黒柳徹子がひとし君人形を独り占めした後に見た「世界遺産」の番組で、このシバームの町を取り上げていたのだ。それがイエメンだったとはこっちに来るまでわからなかったけど。
その時は、この家の建て方を少し説明していたんだけど、あまり覚えてない。ただ土を乾かした日干しレンガを積み重ねて造っていたのがインパクト大で、「そげんなものでこげんのっぽな家を造るとか。」とぶったまげたのを覚えている。まさか実際にやってくるとは思ってなかったなあ。
路地では子どもたちが遊んでいる。ヤギもたくさんいる。4階くらいの窓から「ハロー」と子どもたちが声をかけてくる。やっぱこの土の家に住んでるんだね。すごいや。
「ハロー、ガラム、ソーラー」
ある子どもは歌うように何度のその言葉を叫んでいる。これはイエメンの子どもがよく言う言葉「こんにちは、ペンくれ、写真撮って」だ。「マネー、マネー」と言われるよりはいいけどね。

このシバームの住居は8世紀ごろから建てられ始めたそうだ。「世界最古の摩天楼の町」「砂漠のマンハッタン」と言われているんだって。不思議に思うのは、こんだけ土地があるところになぜそんなに高い家を造ったんだろうということ。平屋の方がずっと簡単だろうに。
ガイドブックには次のようなことが書かれてあった。
「高い建物の外壁が敵を防ぐ城壁の役目をしていた。」

シバームの近くの岩山を登って、町全体を眺めた時、それが実感できた。密集して建ち並ぶ高層住宅は、まるで1つの城のようであり、1番手前に建っている家は、確かに城壁のようだった。なるほど、これじゃあ敵も攻めにくいわ。

僕らは岩陰に腰掛け、シバームを眺めながらひと時おしゃべりを楽しんだ。下の砂地を20頭くらいのラクダの群れが歩いているのが見えた。昔は今のようなアスファルトの道路がなく、ラクダで砂漠を旅していると、いきなりこの高層住宅が現れたんだろうな。これ初めて見たときはさぞかしびつくりしただろうな。「う、うそだろ・・・」と言っちゃっただろうな。
そんな想像をしてると、楽しかったよ。


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家の修復工事をしていた青年 
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これクリックすると黒柳徹子になるよ。



誘拐される!?
サナアでの滞在もいつの間にか半月が過ぎ、相変わらずのんびり旅な僕ら。
しかし、最近重大な仕事を1つした。次の国の航空チケットを購入したのだ。しかもまたあのエアアラビアをインターネットで。もう今度は延期されないだろうな。
フライトの日付は6月1日。気になる国の名は「ア」で始まる国です。アメリカかな?アルゼンチンかな?それとも明石かな?正解者にはもれなく明石名物・明石焼きをプレゼント。

というわけで、楽しい楽しいイエメンも残り10日ちょい。このままサナアだけでも別にいいんだけど、ここから600キロほど東に行ったところに「砂漠の摩天楼」と呼ばれるシバームがある。ここも世界遺産だ。
「そんじゃまあ、シバーム行っとこか」ということで、イエメン初の移動。朝6時半発のサユーン(シバームの近くの町)行きのバスに乗り込んだ。
1人日本人女性がいて、他のイエメン男性と同席できないため、ゆりと一緒に座ることに。そして僕の隣には40才くらいと思われるイエメン男性が。
彼の名前は・・・忘れた。とりあえず「フセイン」にしておこう。イエメン人にはめずらしく英語が堪能で、いろいろ話しかけてくる。が、堪能すぎて良くわからない。ほとんど「うん、うん、そうなんだ」と聞き流してたんだけど、それでもわかったことは、彼が15人兄弟なことと、お母さんが7人いること。それがイエメンでは普通なのかめずらしいことなのかよくわからないけど。まあ、それだけ養えるんだから、彼の家が裕福なのは間違いないね。
「子どもは?」
僕らが結婚してると知ると、ほぼ100%言われる質問をフセインもしてきた。
「いないよ。フセインは?」
「いなかった。でも今お腹の中にいるんだ。」
そうか、第一子をついに授かったわけだ。40歳のおっさんとしたら待望の子どもだろう。その時フセインはちょっと奇妙なことを言った。
「ツーベイビーだ。」
うーんツーベイビー?それも聞き流していたからよくわからんのだけど、考えられるのは、双子か、それとも第二夫人がいて同時に妊娠したか。イスラムではそれも考えられるよね。
「何歳だ?」とフセインが聞いてきた。
「29歳どす」と答えると、彼は顔をゆがませた。何だ?と思っていると、彼は驚くべきことを口にした。
「おお、わたしと同じ年だ。」
は?え、えー!フセイン29かよ、おないかよ。確かに僕は童顔だが、あんたはフケすぎだ。
ここで07年度ベストオブ童顔に輝いたゆりを指差し「マイワイフも同じ年だ」と言うと、彼はさらに驚きの表情を見せ、「なんということだ。ああ、アッラーの神よ。」とメッカに向かって祈りだした。まあ、それはうそだけど。

そんなフケ顔フセインだけど、彼はとても親切だった。休憩時間にお手洗いに連れて行ってくれたり、パーミットをチェックしにくるポリスに何度も「彼らは日本人でサユーンに行くのだ」と説明してくれた。イエメンはサナア以外に行くにはパーミットの取得が必要で、検問ごとにそのコピーを渡さなくちゃいけないのだ。今回サナアからサユーンに行くのに7回くらい検問があった。

3時間近くバスが走ったところで、フセインが前を指差し「諸君、マーリブが見えたぞ。デンジャラスタウンだ。」と教えてくれた。
フセインは知っていたのだ。最近マーリブで日本人が誘拐されたことを。
しかもバスは親切にもマーリブで停まり、朝食タイムに。さすがにちょっと緊張してバスを降りる。外国人旅行者が少ないせいか、皆ジロジロ僕らを見てくる。「今日はこいつらを誘拐しちゃおっかなあ」と相談してるようにも思える。ピンチだ。ついに僕らも新聞に載る時がやってきた!僕は必死に「私を誘拐したらアッラーの神がお怒りになるぞよ」オーラを出し続け、何とかその場を切り抜けた。
動き出したバスからマーリブの町を見てると、ちらほら肩から銃をぶらさげた奴が歩いている。
また、バスは少し走り、ガソリンスタンドで停まった。ガソリンの入れるとこには人々が群がっている。しばらくすると彼らは喧嘩を始めた。ガソリン給油機の奪い合いをしている。危ないなあ。しかも、その中には銃を持った奴もいたし、ほとんどの人間がジャンビーアを腰に差している。何ともデンジャラスな光景である。
ハラハラしたけど、なんとかここも無事切り抜け、出発した。

バスは砂漠の中の道を走り続けた。出発から9時間近く経ったころ、いきなり砂漠の中に高層ビル群が現れた。いや、ビルじゃない。家だ。ここがシバームか。
「すげえな」と思って窓から眺めていたけど、バスはそんなのお構いなしにシバームを通り過ぎた。そしてまた少しいったとこの終点サユーンで停まった。
ちらっと見ちゃったけど、世界遺産観光は明日いく予定。期待しないで待っててね。

ちょっと補足。
「あの子たち、危険なとこに行って!」と親に叱られそうなので、少し言い訳を。ちょっといたずら半分で危険なように書いたけど、本当はあまり危険じゃないの。ほんとに。確かにマーリブでは外国人を狙った誘拐事件がしばしば起きているけど、それは全部ツアー客を乗せた4WDばかりなの。今回の日本人もそうみたいだし。だからバスの乗客である僕らが狙われることはまずなし。それはパーミットを発行するツーリストポリスの人がそう言ってたから、まあ間違いないわけですよ。
ツーリストポリスのオヤジは「オレこないだ日本人誘拐事件で日本の記者からインタビューされちゃったよ。マサという奴だったよ。1時間も話したよ。おれ日本で有名人だな」とめちゃうれしそうだった。それから「解放された日本人は、誘拐犯がホスピタリティーだったと言ってたぞ。わはははは」となんだか楽しそうだった。なんだか深刻だか、そうでないんだかよくわからないイエメンでの誘拐事件。

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数分後、こいつらが喧嘩を始める
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僕たち同級生


これクリックすると誘拐されるよ。





マネーマネー
ここだけの話なんだけど、最近は1日置きくらいにサナアの郊外の町にお出かけしていた。
バスや乗り合いタクシーなどを使って30分も走ると、ゴツゴツした岩がころがる、だだっ広い荒野が現れる。砂埃が立つ堅そうな大地を見てると、とても人間が住むところじゃないなと思ってしまうが、所々に土と同じ色をした四角い家が建っている。小高い丘があると、その斜面に家が建ち並んでいて、なかなかかっこいい。城みたいだ。やがて石で周りを囲った畑が見えてきて、ちょっとした町が現れる。
僕らはここ数日で4つほどの町を訪れたが、それぞれに特徴がありなかなか興味深かった。
スーラという町の家は、石を積み上げて造られていた。石畳の道は、少しヨーロッパを思わした。(行ったことないけど)この町も小高いとこりにあり、町の裏には大きな岩壁がそびえていた。他の部族から自分たちを守るため、昔の人がこのようなところに町を作ったとか。
ワディ・ダハールでは、日干しれんがでできている家が多く、どろどろに溶けている壁は長い年月を感じさせた。まるで子どもが泥か何かで作る家のようだった。
コーカバンという町は、エアーズロックのような岩山の上にあり、そこからの眺めはオーストラリアのようだった。(行ったことないけど)
コーカバンの麓のシバームの町は、着いた時はスーク(市場)に人々が溢れ賑やかだったが、少し時間が経つとスーっと誰も町にはいなくなるというミステリー現象が起こった。まだお昼なのに店も閉まってしまった。
「いったいなんだべさ」と思ってしばらく町をぶらぶらしていたら、また人々が集まりだした。祈りの時間だったのかな?

さてさて、話は、そのコーカバンからシバームへ下っている時のこと。
ロバを連れた兄弟に出会った。兄11歳、弟4歳といったところか。ロバに乗っている弟がかわいかったので1枚写真を撮らせてもらった。すると兄が「マネーマネー」と言ってきた。写真代をよこせと言うのだ。
こういう子どもはインドには山ほどいたので、いつものように「ノー」と言って、子どもたちの横をすり抜け道を下った。すると兄は弟を置いて僕らについてきた。「マネーマネー」と言いながら。僕らはそのうちあきらめるだろうと思い、「ノー」と言ったり、無視したりしてどんどん道を下った。が、兄はずっとついてくる。そのしつこさは、この旅で出会った物乞いの中で1番と言っていいほどだった。
僕は物乞いに時々お金をあげたりするけど、子どもには渡さないようにしていた。こういう方法でお金を得ることは、子どものためにならないと思うからだ。
あまりに兄がしつこく「マネーマネー」と言い続けるので、僕は「お金お金言うたらあかん」と日本語で叱った。ちょっと怒る素振りを見せれば、兄もあきらめると思ったからだ。
すると兄はその場で立ち止まった。「おっ作戦成功」と思ったその時、兄はなんと泣き出してしまった。
「ななっ!」
これには僕も狼狽した。
もしかしたら兄の家はめちゃくちゃ貧しく、今日の飯を食うのも困っているのかもしれない。小さな弟もいる。だからあそこまでしつこく追いかけてきたのか。家計を助けるために、したくもない物乞いをしているのだ。それなのに、俺はそんな家族思いの兄を怒鳴りつけてしまった。俺はなんてひどい人間なんだ。鬼だ、悪魔だ、いや、うんこだ。

「お金あげてきて」と僕はゆりに言った。ゆりの方が兄も怖がらなくていいと思ったからだ。
ゆりが兄に近づき、お金を渡そうとした瞬間、兄はパッと泣くのを止めた。そして、お金を手にすると、ニッカーっと生意気そうな笑みを作った。「やーい、騙されてやんの」といった感じだ。それから兄は、今来た道をサッサッと登っていった。もちろん「ありがと」の一言もなかった。
僕らはさすがにあきれたけど、それほど怒りはこみ上げてこなかった。まあ、うまくやられたなって感じか。


それから数時間後、僕らは帰りのバスの中にいた。
バスの入口は開けっ放しになっていて、そこからさっきの兄と同じ年くらいの少年が外に体を出して、目的地の名を叫んでいた。「ハナテン、ハナテン、ハナテン」といった感じだ。
乗客が乗ってくると、少年は「あそこに座れ」と指示を出している。アバヤを着た女性が乗ってきた時には、すでに座っている大人に「後ろにいってくれ」と言い、動かしていた。イエメンでは、見知らぬ男女は一緒に座らせないようになっている。
僕は、大人に臆することなく指示を出しているその少年を、少しびっくりして見ていた。なんて堂々とした働きぶりなんだ。僕なんて、中学生にバカにされて仕事してたというのに。
ある程度客を乗せると、少年は運賃を集め始めた。「おつりが面倒だな」と思って僕は少年を観察してたけど、彼の手際はとてもよく、ムダな動きがまったくないように思えた。
集金が終わると少年は空いていた席に腰かけ、真っ直ぐ進行方向を見ていた。その様子はもう大人のようだった。僕は特に彼の目に惹かれた。うまく言えないけど、しっかり自分を持っている、そして自分は一人前にやれるという自信、そういうのが表れているように思えた。
なんでこんな小さいのにここまで大人っぽくなれるのか。小さい頃から大人の中で働いているとこうなるのか。よくわからんけど、机にずっと座っているだけではこうはならないなと思った。それが良いか悪いかは別としてね。

出合った2人の少年はやけに僕の心に残った。立場は全然違ったけど、あまり日本では見られないたくましい子たちだった。これから彼らはどんな大人に成長していくんだろう。そして僕はいつになったら大人になれるのだろうか。

そんなことを思う、ある旅の一日。
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ワディ・ダハールの名物ロックパレス 何もこんなとこに作らんでも
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ワディ・ダハールのカオナシ
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スーラ
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スーラ
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シバーム 岩山の上がコーカバン
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コーカバンからの眺め 下がシバーム
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コーカバンの娘

これクリックするする。





結婚式だよジャンビーア
今日はひょんなことから参加することになった結婚式のお話。
どんなひょんかというと、たいしたひょんじゃないんだけど、サナア近郊の町にお出かけした帰りに乗っけてもらった車が、友人の結婚式に向かうご一行様で、「ユーたちも来たらいいじゃん」とかるーく言ってくれたので、「それじゃあまあ」と、ついていくことにしたのだ。

小さな町に着くと、着飾った2人の新郎を中心に人々が集まっていた。どうやら合同結婚式のようだ。完全によそ者の僕らが来たのがわかると、みんな「おお、よく来なすった。とりあえず写真を撮りなさい。」と新郎の横に並ばしてくれ、いきなり記念撮影。とえあえず疎まれてはいないみたいで安心した。

「さて、新婦さんはどこかな?」と周りを見渡したけど、それらしき人はいない。というか女性が1人もいない。男ばっかだ。まさか結婚式まで男女別々なのか?
数日前に僕らはサナアの町でウエディングドレス屋が並んだ通りを歩くことがあった。黒いアバヤを着た女性が白いドレスを熱心に見ていて、「彼女たちも純白のドレスを着るんだね。でも、日頃あんだけ隠しているのに結婚式ではあんな露出のあるドレス着ちゃうんだ。やっぱ結婚式は特別なのかね。」とゆりと話していたのだ。しかし、どーみてもこの場にウエディングドレスを着た新婦が現れるとは思えない。やっぱ僕らが見ることはできないんだろうか。

それにしても、新婦がいないにもかかわらず、新郎の2人はやたらと幸せそうだった。次々に来るお客さんに対し、これでもかという笑顔で迎えている。彼らにとって結婚って、僕ら以上に大きいのかもしれないね。一人前として認められることでもあるだろうし、何よりそれまで女性と付き合うことはおろか、顔を見ることさえできなかったんだから、たぶん、つぶつぶオレンジのつぶつぶをうまく最後まで飲みほせたくらいうれしいんだろうなあ。
これは後から聞いたけど、イエメンの結婚は親が決めてくるようで、新郎と新婦が初めて会うのは、結婚式の夜なんだって。ということは、この時の彼らはまだ、これから一生暮らすであろうお嫁さんを見てないことになる。うっわー、そりゃもうドキドキワクワクだね。胸がパチパチするほどさわぐ元気玉だね。よく「結婚は人生の大博打」みたいなことを言うけど、彼らにこそ相応しい言葉だよ。

しばらく新郎たちを眺めていると、「こっちへおいでやす」と人々が言うのでついていった。ある家の庭に通されたんだけど、そこではみんなで食事をとっていた。しかもたくさん料理が並べられてある。
「うっひょー。タダメシー。ラッキー。」
この時ゆりは家の中に連れて行かれた。やっぱ女は別なのかもしれない。
一応よそ者(いや完全によそ者)なので、最初こそはがっつかなかったんだけど、みんなが「これ食えよ」「あっこれも食えよ」「さあ、これも食っちゃえよ」とどんどんいろんな料理を持ってきてくれるので、遠慮なくいただいた。しかもどれもうまかった。サルタと呼ばれるシチューのような煮込み料理。ピラフのようなごはん。ハチミツがかかったホットケーキ。特にマトンを煮たやつがめちゃやわらかくてうまかった。口の中でとろけるとろける。
人々は僕が食うのニコニコして見ている。親指を立てて「めちゃうま!」と表現すると、みんな満足そうだった。いやあ、まじあったかいなあ。
この時僕の隣にいたムハンマドは、それからずっと僕の面倒をみてくれた。

腹もいっぱいになると、今度は音楽に合わせて新郎たちの周りで踊りだした。しかも、腰につけているジャンビーア(刀)を抜いてヒラヒラさしてる。おお、これが世に知られるジャンビーアダンスか。
輪になって歩きながら刀を上下に振り、時々クルクルと回る。あるいは一列になり、刀を振り回す。
「ちょっとこれ危ないんとちゃいます?一歩間違うと切られちゃいまんがな。」と少しヒヤヒヤするけど、なかなか誰も切られない。
そのうち、誰かが僕にジャンビーアを渡してくれ、「兄ちゃんも踊ろうや。」と誘ってくれた。「僕たぶん切られちゃいますよ」とお断りしつつも、そんなの関係ねえとばかりに踊りの輪に入れられてしまう。最初はみんなの動きを見よう見まねでやった。刀を持った手を突き上げ、右に回ったり、左に回ったり、そしてみんなで中心を向いて「エイヤ、エイヤ」とばかりに地面に向かって刀を突き刺す。ムハンマドが隣で教えてくれた。
少したって慣れたらなんだか様子が違ってきた。みんなが僕の動きを真似するようになったのだ。僕が回るとみんなも回り、僕が刀を振り回すとみんなも振り回す。なんだか「震源地をさがせ」のゲームに似ている。知ってる?とりあえずアホな動きをするとウケた。
結婚式のビデオやカメラをたくさん向けられてちょっといい気分。周りで見ている人たちも笑ってくれている。
結局30分くらいフルで踊り続けた。かなりヘトヘトだったけど楽しかったよ。とりあえず、サナアに帰ったらジャンビーアを買い、ジャンビーアダンサーとして生きていこうと思った。

その後はでっかいテントの中で、まったりタイム。ここでもムハンマドが僕の手をひいて、演奏者のすぐ隣のいい席に座らせてくれた。
生演奏を聞いたり歌ったりしながら、みんなカートをムシャムシャムシャムシャ。みるみるうちにほっぺが膨らんでいく。
「兄さんもカートやるのか?」と聞くから「もちろんさ。俺は3度のメシよりカートが好きだぜ」と言うと、みんな大喜び。たくさんカートの木を持ってきてくれた。やっぱイエメニーにとってカートってのはとっても重要みたいだ。いつの間にかテントの中がカートの木だらけになっていた。
時間が経つにつれ、カートが効き始めたのか、なんだかテント中ゆるーい感じになってきた。みんな思い思いにだべったり、音楽聴いたりしながら楽しんでいる。
新郎の2人はまだまだやってくる来客たちと挨拶をしつつも、それが終わるとやっぱりリラックスした感じで椅子に座ってみんなの様子を見ている。なんともゆるーい結婚式だ。でもかたっくるしくなくていいかも。

音楽を聴きつつ、カートも効きつつ、僕もみんなと同じようにまったり過ごした。隣のムハンマドとはほとんど会話できないにも関わらず、なんだかコミュニケーションがとれていた。周りのイエメニーも時々話しかけてくれる。
新婦や女性が1人もいないのは残念だったけど、このイエメン男性たちの雰囲気はとっても居心地がよかった。カートが効いているためなのか、僕は自分がよそ者であることを忘れ、すっかりリラックスしてその場を楽しんだ。

時間はあっという間に過ぎた。子どもが「ゆりが外にいるよ」と言いに来てくれたので、ムハンマドやみんなにお礼を言ってテントを出た。
久しぶりに見たカオナシは子どもたちに囲まれすっかりアイドルになっていた。さすがカオナシ。
ちょうど帰るというおじさんの車に乗っけてもらい、町を出ようとすると、子どもたちが手を振って追いかけてきてくれた。
「この光景どっかの番組で見たことあるな」と思いつつ、僕のふくらんだほっぺには涙が流れていた。(うそ)


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ドキドキワクワクの新郎たち
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これムハンマドくん
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これクリックすると結婚するよ。



黒いアバヤの下は・・・
今日はイエメンの女性について。
イエメンの女性はほとんどの人がアバヤと呼ばれる黒いマントを着ていて、顔を見ることができない。夫や家族以外の男性に顔を見せることをイスラム教では禁止してるんだって。これってかなりすごいことだよね。女性に話しかけるのもよろしくないみたいだし、もちろん写真を撮っちゃいけない。まだ、顔出している小学生くらいの女の子でも、「写真撮っていい?」と聞くと「ダメっす」と言うもんね。
町に出歩いている女性の数も、男性と比べるとかなり少ない。9対1、いやそれ以上だな。食堂やレストランで女性を見かけることはまずないし、アイスクリームやフルーツジュースを出す店でも全員男という、だいぶ奇妙な光景がみられる。こういうのを見ると、やっぱイエメンの女性は損だなって思うよね。
そんな訳だから、アバヤの女性がいると、なんだか触れてはいけないもの(実際そうなんだけど)みたいな感じで、なんだか緊張してしまう。もう、完全にタブーみたいな。
これじゃあ、アラビア美女とお友達になるなんて絶対ムリだ。できれば第2婦人はイエメン女性と考えていたんだけど、それも難しい。困った。
まあ、僕のことは自分でなんとかするとしても、イエメンの男たちはかわいそうだ。年頃になっても女性としゃべることはおろか、顔を見ることもできないなんて。想像してみて。自分の高校や大学時代を。そして、まわりにいる女性が全員黒いアバヤをつけていて、しゃべることができないことを。
ガボーンである。

で、ここからが大事なんだけど、僕が見たところ、イエメンの女性は美人が多い。唯一女性の身体の部分で見ることができるのが、アバヤの隙間から見える目なんだけど、それがとても美しいのだ。くっきりとした二重で、まつ毛が長く、目に力がある。黒い瞳は宝石のように輝き、見ていると吸い込まれそうになる。たかが目、されど目である。「目は口ほどに物を言う」「目は心の鏡」と言うように、僕にはあの目が「わたし美人っす」と言っているのがはっきりと聞こえるのだ。間違いない!

そう考えると、なおさら顔が見たくてしょうがなくなるんだけど、こればっかりはどーすることもできない。おそらくイエメン男性もやっているんだろうけど、目から顔を想像するしかない。
「あの目だから、まゆ毛はこうだろ。そしたら鼻はこうなってだな、口はこうなるに違いない。それらを収める輪郭はこうじゃないとダメだから、じゃあ、髪型はこれだな」という風に。たぶん、今なら私、イエメン女性の髪を見ただけで興奮しそうだ。変態だ。

そして、ここからが一番大事なんだけど、スーク(市場)を歩いている時にある店の前で思わず立ち止まってしまった。服屋だったんだけど、そこには女性のインナーがぶら下がってあった。なんと、それがすげえいやらしいのだ。赤だったり、紫だったり、透けてたり、きわどかったり。イスラム教ってかたいイメージだし、まさかこんな破廉恥な下着が出てくるなんて夢にも思ってなかったから、もう、おらぶったまげただ。
いや、でも戒律が厳しいぶん、逆に見えないとこでこうやって楽しんでいるのかもしれない。お洒落だってしたいだろうし、女の子だもん(だれ?)。となると、あのアバヤの下にはこーなんやつ着てたり、いやいやこーんなやつ着てたりするのかあ。すげえなあ。

そして、実はここからがほんとは一番大事なんだけど、やっぱスークを歩いていたら、路上でブラジャーが売られてたの。
「おっきいー!」と、これは僕じゃなくてゆりが思わず言ったセリフなんだけど(ほんとだよ)、いや確かに大きかったのだ。Dカップ、Eカップ、いやいやFカップか。今までのアジアの国々はどちらかというと貧乳の国だったので(ベトナムは悲しいくらい貧乳だった)、これにはやっぱりおらど肝を抜いただ。やっと巡り合えたという感じか。いやあ、旅に出て10ヶ月目。思えば長い道のりだった。涙・・・

巨乳の国イエメン。あの黒いアバヤの下にはメロンが2つ付いているのか。そうだったのか。すげえなあ。
そんな感じで妄想と夢が膨らむアラビアンナイト。

そうそう、イエメンはメロンがめちゃおいしいんだよ。毎日食べてるよ。1個100リアル。50円。安い!


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カオナシさんのお気に入り?
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これクリックするとメロンになるよ。



ほっぺをプッ
イエメンに入国した途端に発生した日本人誘拐事件。さすがにちょっとびっくりくり。日本じゃけっこうなニュースみたいだったけど、こっちではホテルのおっちゃんたちも何も言ってこないとこをみると、大したニュースじゃないみたい。今回誘拐された場所のマリーブではたびたび外国人が誘拐される事件が起こっているので、地元の人たちにとっては「またか」くらいの感じなのかも。部族の権益を政府に要求する交換材料として外国人を誘拐しているみたい。今回は学校建設の要求のためって聞いたけど、そんなのでいちいち誘拐されたらたまったもんじゃないね。とりあえず僕らは危険地帯に行くことはおろか、サナアから出るのも億劫というやっぱりちょっとインド病状態なので、ご安心ください。インド病も捨てたもんじゃないのだ。心配してくれた方、わざわざメールをくれた方ありがとうございました。

さて、話はグググと変わってイエメンの男の話。
刀を携帯していることは前回書いたけど、彼らはその他にもちょっと奇妙なことがあった。なぜか片っぽのほっぺだけがプッと膨らんでいるのだ。なんかボールでも入れているんじゃないかってくらい膨らんでいる。
「おいおい、いい大人がほっぺ膨らましちゃって、さとう珠緒もそんなに膨らませませんよ。僕はけっこう珠緒ちゃんは好きだよ。」と思っていたんだけど、どうやらかわいこブリっ子でやってるんじゃないことが判明した。何でも「カート」という葉っぱがほっぺに詰まっているらしかった。
このカート、お隣のサウジアラビアでは麻薬の1種として禁止している代物なんだけど、別にヘロヘロになったり、中毒になったりするいかがわしいモノじゃないみたい。イエメニーは覚醒作用のためというより、社交の道具として使っているらしい。ちょっとみんなで集まっておしゃべりするときはカートはなくなはならないものなんだって。ちょっとおしゃべりにでもなるのかな?

まあ、聞くよりは体験するのが1番ということで、路上で売っているカートを買ってみた。1袋200リヤル(100円)。もっと安く買えそう。
見た目はただの葉っぱである。恐る恐る口に入れて噛んでみる。なんということだ。味もただの葉っぱである。幼少の頃よく食べた懐かしのあの味。ただただ苦くて、ほろ苦い思い出たちが蘇る。
葉っぱのエキスを飲んだ後、カスを右のほっぺにためていく。ただ、思ったよりたまらない。早く僕も珠緒ちゃんみたくプッとやるのだと気持ちがはやるも、いっこうに膨らまない。あいつらいったいどんだけ葉っぱ食べてんだ!
それからはもうただ苦行である。ひたすら苦い葉っぱをムシャムシャ噛み続ける。ムシャムシャ、ムシャムシャ。ラクダさんになった気分だ。1時間半くらいかけて、ようやく一袋食べた。人生でこんなに葉っぱ食べたの初めてだよ。しかし、その努力も空しくほっぺはたいして膨らまなかった。それに、何の変化も起こらない。気持ちよくもないし、おしゃべりにもならない。おいおい、葉っぱ食い損じゃねえか。
僕はもう膨れっ面して「なんなんだよ、プッ」とかわいく拗ねてたんだけど、だいぶ経ってからようやくカートが効き始めた。まあ、確かにちょっとボーっとして気持ちいいかも。お酒を少し飲んだ感じかな。でも、こんだけ苦労して食べてちょっと酒飲んだ感じって。酒飲んだ方が100倍いいよ。でも、まあそれはイスラム教徒。それが許されないから、あんだけムシャムシャして葉っぱ食べるのかもしれないね。

今も僕のほっぺにはカートが詰まっているだけど、ああ、確かにこれけっこういいかもしれないわ。うんうん、気持ちいい。いったんほっぺに入れてしまうと苦さも気にならないし、ちょっとずつカスからエキスが出るんだけど、それも悪くない。葉っぱためるまでが大変だけど、それさえ乗り越えればちょっと楽しいかも。ほろ酔いな感じがなかなかいいね。
ただこれだけは言っておきたいんだけど、僕はブリッ子はけっこう好きだ。

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カートの葉っぱ これ全部口に入れると・・・
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これクリックすると珠緒ちゃんになるよ。



イエメン到着カオナシ現る
僕らを乗せたエアアラビアの飛行機は、定刻の正午にイエメンの首都サナアに到着した。空港内でビザを取得し(1ヶ月ビザ30ドル)、すんなりイミグレーションも通過、無事イエメンに入国した。
UAEも入れるとこの旅9カ国目だ。どんな国なんじゃろな。

UAEでけっこうお金使っちゃったし、町まではタクシーを使わずに乗り合いワゴンで行くことにした。乗り場を尋ねたスーツの兄ちゃんは、たまたま僕らと同じ方向に行くみたいで、一緒のワゴンに乗り込んだ。そしていつの間にか僕らの分の運賃も払ってくれた。しかも「あっ払っておいたから。いいからいいから。」と爽やかだ。
町に入るまでの家々は、四角くて、土でできているようだった。荒涼とした大地と山と重なって、なかなかかっこいい。UAEは都会だったので、インドとのギャップで新鮮ではあったけど、ワクワクするようなことはなかった。けど、イエメンのこの風景は久しぶりにまた新しい場所に来たんだという気持ちにさせてくれ、胸が高鳴った。

ワゴンは直接中心部までは行かないようで、途中で乗り換えないといけなかった。
「タハリール広場」(町の中心)とそのへんの人たちに言うと、「ああ、こっちだ、こっちだ。」と2,3人のおっちゃんたちが新たなワゴンまで連れて行ってくれ、「さあ、これに乗りなさい。これはタハリールまで行くから」とめちゃんこ親切。
「Where are you from?」
「Japan」
「Welcome to Yemen」
なんだかとても歓迎されている気分にさせてくれる。その後も何人かに「Welcome to Yemen」と言われた。うーん、イエメン第一印象かなりいいんですけど。どこかの国とは大違いなんですけど。

こうして親切なイエメニーたちのおかげで無事タハリール広場に着き、事前に調べていた宿にチェックインすることができた。


一息ついたとこで、さっそく町へ繰り出した。
まず目に付くのが男性の正面の腰に差している刀。グイーンと先が曲がっていてアルファベットの「J」みたいになっている。ジャンビーアという言うみたいだ。
「うーん、これはすごいな」思わず唸る。
今のこの時代に刀を差して町を歩いている人々がどれだけいるだろうか。まさか「切り捨て御免」とか言って、ザックリ切られちゃったりしないだろうな。しかし、そこは落ちぶれてもサムライの国から来ている僕なので、黙って切られるわけにはいかない。正々堂々と戦い、もし勝てないと判断したならば、土下座をして見逃してもらおう。
そこまで決心し、いつでも戦う準備をしていたんだけど、結局この日は戦いを挑んでくる者はいなかった。さすがのイエメンの戦士たちもヒゲザムライにびびったのかもしれない。

男はそんな感じだけど、女性はほとんど黒い服とベールで身を隠していて、まさにイスラムのイメージだった。なんでもイエメンは戒律の厳しい国みたいで、観光客は、顔までは隠さなくてもいいけど、腕や足を出したり、体のラインの出る服を着たりするのはやめた方がいいみたい。イスラム教は髪の毛を出すのも禁止しているみたいで、男たちは髪の毛にも興奮するんだとか。なかなかの変態である。でもまあ、隠されていたら見たくなる気持ちは痛いほどわかりますよ。うんうん。見たいよなあ。
というわけど、うちの奥さんも黒い服(アバヤというみたい)を購入することにした。いろいろ試したけど、結局買ったのは誰も着けていないようなアバヤ。「本当にこれでいいの?」と思ったけど、本人が気に入っているんだからしょうがない。アバヤを身に着けたゆりは、どーみても「千と千尋」のカオナシだった。ただ、アバヤの効果は絶大で、それを着てからは話しかけてくる人の数がグッと減った。まあ、カオナシが怖かったという噂もあるけど・・・。

新しい旅の仲間を連れて、僕らは世界遺産にも登録されている旧市街に行った。レンガを積み上げた茶色い建物がたくさん建ち並んでいる。鉄骨は使ってないんだって。耐震強度まったく満たしてないんじゃないの?って思うけど、そもそもイエメンには地震がないみたい。姉歯さんもびっくりだ。400、500年前に建てられた建物も残っているだとか。すげえや。
僕らはあるホテルの屋上に上がった。白い漆喰の模様と茶色のレンガの色がいい味を醸し出していて、それが町全体に広がっている。
「おお、なるほどなるほど。これはすごいぜよ。世界遺産に認定してあげよう。」
西陽が町を照らし出すと、なおいっそうかっこよく見えた。
「こりゃイエメン楽しそうだ」
僕は黄色く輝くチョコレート色の建物に、インド病から立ち直る光を見ていた。


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だれ?
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でた!
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これクリックするとカオナシになるよ。



どばいなっとんねん
予定外だったけど丸1日滞在することになったアラブ首長国連邦はシャルジャ。
イスラム色が強いんだろうと思っていたけど、なんだか人間はインド人と変わらなかったので拍子抜けした。ちょっと話した売店のおっちゃんはインドのケララ州から来ていると言っていたし、移住している人が多いようだ。安いカレーを出す食堂もたくさんあったし、街角にはインドミュージックが流れてたりした。これは後で知ったけど、人口の半分はインドやパキスタンなどの南アジア人なんだって。
ただ、うんこの国のインド人と決定的に違うのは、マナーがとても良いことだった。ちゃんと信号待ちしているし、驚くべきことはバス停などでは列を作ってちゃんと並んでたりするのだ。この光景を見たときには僕らは度肝を抜いた。これまでさんざん順番抜かしで嫌な思いをしてきたからねえ。妙にジーンとくるものがあったよ。
「いやあ、インド人もやればできるんだ。そうか、そうか。じゃあ、やれよ!」とうんこの国のインド人を懐かしんだ。

街はとてもきれいだった。やはりうんこ1つ落ちてなくて、安心して前を向いて歩くことができる。これはすごくありがたいことだと気づいた。デパートには宝石やゴールドを売る店が何件も入っていて、いかにも金持ちそうなアラブ人が買い物していた。インド人たちもあまり貧しそうな人は見かけない。

カレー屋の他に、日本でも時々見かけるぐるぐる回転肉のケバブ屋さんがいっぱいあった。チキンやマトンなどのでっかい肉の固まりを串に巻いてぐるぐる回して焼き、それを削ぎ落として野菜などと一緒にラップサンドにしてたべるやつ。こっちでは「シャバルマ」というみたい。値段は3ダラムス、4ダラムス。100円前後だ。これがめちゃうまだった。チキンとじゃがいもとトマトとドレッシングとそれを包む小麦粉の生地が、まるで協奏曲のようなハーモニーを作り出している。協奏曲ってどんなか知らんけど。結局この短いUAE滞在中、2人で6本のシャバルマを食べた。っていうかシャバルマしか食べてない。

ようやく涼しくなった5時ごろ、僕らはバスに乗ってドバイに向かった。そのへんのおっさんに聞いたところ、なんでも5ダラムス(150円くらい)でドバイまで行けるらしい。「シャルジャとドバイはそげん近かとか」と少し驚き、せっかくだから行ってみることにしたのだ。

バスの前の方は女性やその家族の優先座席になっていた。
動き出すとすぐに高層ビル群が見えてきた。どれも100階くらいありそうだ。ホントめちゃくちゃたくさんビルが集まっているんだけど、今まさに建築中のビルもめっさ多くて、高いところからクレーンがたくさん飛び出している。「なんじゃこりゃ。UAEすげえ景気いいんじゃねえか」と何も知らない僕は驚きまくり。後でタクシーの運ちゃんに聞いたところによると、これらのビルは海外からビジネスや何やらで移住してくる人たちの住居なのだそうだ。中東、南インド、ヨーロッパなどメニーメニーだそうだ。「UAEってアメリカみたいな移民の国なのか?」とその時思ったんだけど、実際どうやらアラブ首長国人は人口の20%もいないらしい。

40分くらい走っただろうか、バスはドバイに到着した。当然のごとくえらい都会だ。シャルジャで見なかった観光客もたくさんいたけど、どーみても金持ちそうである。買い物袋を提げ、お洒落な服に身をつつみ、アラブの風に吹かれながら優雅に歩いている。インドで300円で買った僕のアリババパンツがえらく浮いている。
すぐ近くに河が流れていていい雰囲気だった。ここでもシャバルマを食べた。
対岸に小船で渡ると、ちょっと古い雰囲気の町並みになった。シルクなどの土産物屋がいっぱいあったけど、昔はここは港町として発達してたんじゃないかな。どこか横浜にでもいるような気分になり(1回しか行ったことないけど)、久しぶりにデートしている感じがした。

9時半ごろ、そろそろシャルジャに戻ろうとバス停に行くと、けっこうな数の人たちがやっぱり1列に並んでバスを待っていた。シャルジャはきっとベッドタウンなんだろうな。
こりゃ1時間くらいは待たないといけないかもなと覚悟して並んでいたんだけど、ある1人のおっさんが声を掛けてきた。
「どうせタクシーの運ちゃんだろ。いいよ、バスで行くから」と思っていたら、どーやら違うらしい。
「こっちへ来なさい。一番前に並びなさい」と言う。バス会社の人らしかった。
僕らは少し困惑して「フワイ?なんで1番前なの?」と聞くと、「ウーマンがいるからだ」と答える。
まじでか!レディーファーストってこと?そういやこんだけ並んでいるのに1人も女性を見かけないのはそのためか。
僕らは言われたとおり一番前に並んだ。もうけっこう長い間並んでいるであろう1番前の兄ちゃんがじっと見てきて、なんだかめちゃくちゃ申し訳ない気持ちになった。ただの観光客だからね。しばらくすると、僕らの前に7人くらいの家族連れが当然のように並んだ。やっぱりこっちではこれが当たり前のようだった。これじゃあ男たちはいつまでたってもバスに乗れないじゃないか。でも文句を言う人は1人もいなかった。
僕は今まで単純にイスラムの女性って自由じゃないし、かわいそうだなと思っていたけど、とても大切にされているってことでもあるんだね。彼女たち自身がどう思っているかは知らないけど、とりあえずゆりと一緒にいる僕はとてもラッキーでハッピーでただのヒッピーだ。
いい気分でシャルジャに着いた。そして、バス停の目の前で売っていたシャバルマをまた食べた。

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バス停まで連れてきてくれた親切なおっちゃんと記念撮影。ただゆりをこちょばせて喜んでいるエロおやじだった。セクハラムスリム第一号。
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銀行も女性専用の別の入り口があった。
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左がマトンシャバルマ 右がチキンシャバルマ
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うーん、シャバルマ!


これクリックするとシャバルマになるよ。



くるつもりなかったんだけど
インドラガンディ国際空港、「エアアラビア」のチケットカウンターでは、搭乗チケットが手書きで驚いた。フライトナンバー、座席ナンバー、そして僕の名前を、コピーされた搭乗リストを見ながら書いていく。
「あのう、サナア(イエメン)行きのフライトが1日延びたというメールを昨日もらったんですけど・・・」
カウンターの人に聞いてみても、コンピューター化されていないので確認のしようがなかった。(今日はUAEのシャルジャに行き、明日イエメンのサナアに飛ぶはずだったのんだけど、サナア行きのフライトが1日延びたというメールが前日に入ってきた。それにも変更の理由が一切書かれてなくて、ただ変更されたフライトの日付と時間が書かれてあっただけ。そりゃないだろ!)もう、シャルジャに行ってから、エアアラビアの人間に言うしかなさそうだ。なんだか不安を残しつつ、僕らはうんこの国をあとにした。

コンピューターも使ってないので、いったいどんな飛行機なんじゃろとちょっと心配していたけど、わりかしキレイで安心した。スチュワーデスさんはなぜかチベタンの女性がしているエプロンを見に付け、民族っぽい感じでなかなかステキだった。僕が少し見とれていると、彼女たちは突然バルサンみたいな煙が出るやつを持ち、機内を歩き始めた。それは少しいい香りがしたけど、いったい何なのかがよくわからない。芳香なのか、消毒なのか。隣のおばあちゃんなんかはゴホゴホ咳き込んじゃってかわいそうだった。

残念ながら機内食は有料だった。「まあ、安いから仕方ないか」とあきらめていたんだけど、しばらくするとスチュワーデスさんが「ティー、コーヒー」と言ってきた。飲み物は出るんだと思い、「カーフィー」と僕が言うと、彼女は紙コップにコーヒーをついで「5ダラムス」と言う。どうやらお金が必要だったみたいだ。しかし僕らはそのダラムスというお金もドルもルピーも持っていなかった。
「あのう、お金ないんですけど」と言うと、彼女は少しあきれた顔をしながらも「しょうがないわね。でもあなた私の好みだから許してあげる」とアラビア語で言って去っていった。ラッキー。

そんな感じで3時間ほどのフライトもあっという間に過ぎ、飛行機はシャルジャに到着した。

「僕らはこれからどーしたらいいでしょうか」
空港職員に尋ねたところ、ひとまず出国すればいいらしい。
「ビザは?」と聞くと「日本人は要らないよ」と言う。
僕らは長蛇の列を作って並んでいるビザ発給所を素通りして、イミグレーションに進み、あっさりと2ヶ月間滞在許可のスタンプを押してもらった。出入国カードも何も書いていない。「日本のパスポートは世界一だよ」とたびたび旅人から聞いていたけど、ちょっとそれを実感した。
ありゃ、ということは計らずもUAEに入国しちゃった。ありゃ、そうですか、そうですか。

僕らは荷物を受け取った後、いったん空港の外に出た。出口には人待ちの男たちがいっぱいいて、一瞬ギョッとしたけど、なんだか様子がおかしい。いや、おかしくない。とても普通なのだ。誰一人として僕らに話しかけてこないのだ。この3ヶ月、インドでさんざんしつこく客引きにつきまとわれてきたので、それにすげえ違和感を覚えたのだ。

それから、僕らはフライト変更の詳細を聞くためにもう一度空港に入り、「エアアラビア」のオフィスを訪ねた。
「あのう、昨日フライト変更のメールが送られてきたんですけど」と言うと、職員は「ああ、今コピーするよ」と言って、変更されたフライトの日付、時間が書かれたやつを渡してきた。やはり明後日になっている。そして、彼はそれ以上何も言おうとせず、「さあ、もういいだろう」というオーラを出している。
「何で変更されたんですか。しかも前日に」と聞くと、何やら英語で答えているけど、よくわからない。たぶん明日はいっぱいだから、明後日来てくれと言っているんだと思う。しかし、その言い方が僕は気に入らなかった。勝手に変更しといて、なんだそのえらそうな態度は。詫びの一言もなしか!
「だから、何でなんだよ。こっちの予定ってもんがあるだろ。(ないけど)おたくらのミスだろうが。俺は明日のチケットを買ったわけで、明後日のチケットじゃないんだ。アンダスタンド?」
なんらかの補償があってもいいと思ったし、せめて「申し訳ありませんでした」と言ってちゃんと謝ってほしかった。
すると男は紙に電話番号を書いて、
「これエアアラビアのコールセンター。こっちに電話してくれ」と言う。
プッチーン。もう切れた。
「ここエアアラビアのオフィスだろうが。なんで電話しないといけないんだ。今、話せばいいだろ。誰が他のやつ連れてこいよ。電話とかムリなんじゃ。イングリッシュは難しいんじゃ!」
「いやあ、あなた英語しゃべってるじゃないですか。さっ、行った行った。」
男はいかにもバカにしたような感じでそう言い、次の客の相手をし始めた。
ムッカー。
もう大声で怒鳴ってやろうかと思ったけど、ゆりが冷静に「補償とかはムリだろうし、彼らは明日いっぱいだから、明後日に変更ね、くらいで別に悪いとは思ってないんだよ。これ以上話しても嫌な思いするだけだよ」と言う。僕は釈然としなかったけど、確かにゆりの言うとおり、文句を言ったところで何も変わらなさそうだったので、引き下がることにした。あー、でもなんかくやしーな!

さてさて、何はともあれ、これで2日シャルジャで泊まることになったわけだが、一切の情報がなかったのでこれからいったいどーすればいいかわからない。そのへんの人に聞いたら「タクシーに乗ってホテルにいけばいい」としか言わない。おそらく物価が上がってるだろうし、町までの距離もわからないし、安易にタクシーに乗りたくなかった。重いバックパックを背負って歩き回るのも嫌だったし、なんとか安宿の情報がほしかった。
幸い、ゆりがつかまえた花屋のおじさんがいい人で、インターネットで安い宿を調べてくれた。それによると安くても「150ダラムス」(UAEの通貨は「ディルハム」というらしいけど、僕らには「ダラムス」としか聞こえない。)はするみたい。ドルにすると41ドルとおじさんは教えてくれた。
ん?41ドルだって!
インドではずっと400円くらいの宿に泊まってきたので、実に10泊分になる。2日だと20泊分なる。ありえない、ありえない。
市内までのタクシーも「50ダラムス」くらいするらしい。1500円くらいか。インドではリクシャで50ルピー(150円)も出せば、たいがいどこでもいけたので、これまたありえない。インドとのギャップがありすぎて僕は軽く気絶した。愛すべきインド君のことは早く忘れたほうがよさそうだ。安いから買ったエアアラビアだったけど、これじゃあかえって高くなりそうだ。

花屋のおじさんが「一応バスも出てるよ。5ダラムス(150円くらい)だ。でも便数すくないからお薦めしないけど。」と教えてくれた。確かにけっこう待ったけど、僕らはバスに乗り込むことができた。

バスはこれまでで一番快適だった。道路もきれいでガタガタ揺れなかった。走っている車もどれも高そう。よく見るとほとんどが日本車だった。日産、三菱、ホンダ。半分以上はトヨタだった。
ムスクだろうか、ライトアップされたイスラム建築が見える。街にはとても立派なビルや店などが並び、明らかに今まで旅してきた国とは様子が違っていた。驚いたことは、野牛が一匹も見当たらないのだ。うんこの1つも落ちてなさそうだった。

街の中心部と思われるところでバスは停まった。これから宿探し。さっき調べてもらった宿はここから近いのがどうかもわからなかったので、とりあえずそのへんの人に「安い宿はないか」と聞いた。ここでもまた違和感を感じた。それは、どうやら僕が妙に彼らを信頼していることが理由のようだった。ボラれる心配はなさそうだし、自分の契約している店に連れて行こうとする奴もいなさそうだ。安心して彼らの言うことを聞いていたのだ。人を信じられるってすばらしい。

僕らは2軒、教えてもらった安宿に行ってみたけど満室で、3軒目にようやく部屋を見つけることができた。でもやっぱり1泊150ダラムス(41ドル)で、この旅の最高値を記録しちゃったけど。部屋にはテレビ、冷蔵庫、クーラーが備え付けてあり、何より真っ白いシーツがうれしかった。
僕の時計の針は11時半をさしていた。(インドとの時差があるので本当は10時なんだけど)
もうくたくたで、僕はベッドに倒れみ、ヘドロのように眠った。

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これクリックするとダラムスになるよ。


ばいばいインド
デリーはやっぱり暑かった。
18日間、インド病と闘いつつ過ごしたダラムシャラを発ち、夜行バスに揺られ、早朝またデリーに戻ってきた。朝はまだそうでもなかったけど、昼前から太陽ががぜん元気になり、それと反比例するがごとく、僕らの元気は失われていった。いったい何℃あるんだ?

今日はインドで過ごす最後の1日。まず、メインバザールの古本屋に行き、インドのガイドブックや読み終えた文庫本と司馬遼太郎の「燃えよ剣」とを交換した。まったりインド病を治すにはシンセンさが大事と思われるので・・・・・。新撰と新鮮をね・・・ちょっとね・・・かけたみたいな・・・。
その後、ゆりが最後にもう一度インド映画を観たいというので、ちょっと小奇麗な店が集まるコンノートプレイスの映画館へ。「TASHAN」という題名の、簡単に言えばマフィアと対決するアクションものを観たんだけど、これがもうなんつーか、あれだった。あれ。大勢のマフィアに囲まれ、ピストル撃たれまくれ、火炎砲で燃やされまくれ、手榴弾で建物もろとも吹っ飛ばされたりしても、主人公の3人は死なないの。そりゃ死んだらハッピーじゃないからそれはそれでいいんだけど、ちょっともうやりすぎで、呆れるやら、でもやっぱりおかしいやら。インド映画は今回結局3本観たんだけど、薦められるのは最初の「ジョター・アクバル」だけだったな。3割3分3厘。まあ、悪い成績じゃないか。
映画の内容はともかく、インド人たちが何度となく雄叫びをあげたり、途中停電のためにプツリと映画が途切れたり、敵の親分が死んだら、まだ終わってないのに大方の客が席を立ち帰っていったりと、まあ、インドらしいと言えばインドらしかった。当然いきなり踊りだすシーンもあり、なんだか、インド映画はこのままずっと我が道を突き進んでほしいもんですなあ、というしみじみした気持ちになった。
うん、やっぱインドは独特だわ。おもろいよ、あんたたち。

気がつけばインド滞在も3ヶ月。ほんとは世界遺産アジャンタ・エローラ遺跡や思い出の地のカルカッタにも行きたかったんだけど、もう暑さとインド病のせいで断念。インドまだまだいたいけど、だるいっす。
19歳の多感な時期を過ごしたこの土地は、ずっと僕の中で特別なものとして位置していたんだけど、10年ぶりのインドは、そんな淡い青春の思い出を一蹴し、むかついたり、切れたり、暑かったり、カレーだったり、砂漠だったり、ボラれたり、インド人だったり、うそつきだったり、ガンガーだったり、うんこだったり、ゲリだったり、漏らしたり・・・とまあ、もうごっちゃごっちゃだった。一言でなんかとうてい語れないけど、一言でいうと、やっぱりウンコの国かなあ。インドはこれからもどんどん変わっていくだろうけど、そこだけは、どうかそこだけは変わらないでおくれ。それならば、僕はずっとキミを愛し続けることができるから・・・。

とまあ、暑さと少し酔っ払っている(これからしばらくお酒飲めないみたいだからね)せいで、何を書いているかよくわからないけど、そうこうしているうちに旅も9ヶ月が過ぎた。タイから始まった陸路の旅も今日で終わりだ。ちょっと寂しいなあ。でも機内食とスチュワーデスさん楽しみだなあ。

ただ、ついさっきメールボックスに良からぬ知らせが・・・。エアアラビアからだ。「おいおい、前日になんだよ」と思って開いてみると、フライト時刻や番号、その他注意事項などが書かれてある。しかし、それは申し込んだ時にも送られてきている。「きっと明日フライトですよと教えてくれてるんだな。親切だな。」と能天気な僕は思ったんだけど、よく見るとフライトの日付が違っているではないか!詳しく説明すると、僕らが明日乗る飛行機はいったんアラブ首長国連邦のシャルジェに行き、そこで一泊し、翌日にイエメンに飛ぶ予定だった。その2便目、つまりイエメン行きのフライトの日付が1日延びているのだ。
「およ、およよよよ」
あせる僕は、最近停止している脳みそを働かして考えた。つまり、シャルジャに2泊するわけか。そうかそうか。って、えー!
1泊なら空港でもどこでも寝ればいいかと考えていたんだけど、2日はきつい。ていうかずっと空港もきつい。外でれるのかなあ。お金両替しないといけないのかなあ。あれ?ビザは?っていうか、いきなり前日に変更とかありなのか?いや、なしだろ。

そんなわけで、よくわからんまま旅の第2幕が始まろうとしているのだった。


この1ヶ月で使ったお金   6万5833円 + 飛行機代 4万5831円
訪れた町           リシュケシュ、ダラムシャラ、デリー
食べたクロワッサン      32個
ヨガった数           634ヨガ
漏らした数          1回 

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「となりのトトロ」を弾いてると、欧米人の親子が寄ってきた。みんなトトロが大好きみたいだ。子供たちにせがまれて、結局ゆりは5回くらい歌わされていた。「トットロー、トットーロー」

これクリックするとインドになるよ。



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