クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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なんだかだりー
病気になってしまった。しかも、10年前の旅の時もかかった病気だ。インドに長くいる旅人の2人に1人はかかるという恐ろしい病気。そう、かの有名な「インド病」だ。
ほとんどの方がご存知だと思うが、一応知らない人のために説明しておこう。インド病とは、何かしようとすると、思わず「なんかだりー」と言っちゃったり、思っちゃったりする、それはそれは恐ろしい病気なのだ。
病因は様々なので、特定するのは難しいとされている。例えばそれは、インドの暑さだったり、ゲリが続き実際に体がだるかったり、お菓子からなにまでカレー味なのにうんざりしたり、インド人がむかついたり、インド人がうざかったり、インド人がしつこかったり、インド人が・・・・。これらの要因が複数重なった時に、インド病は発病すると言われている。
僕らの場合は、先の例に加え、荷物が重くなり移動がしんどくなったのがでかい。もう次の町に行くのが「なんかだりー」くて、それよりは1つの町でだらだらしてる方がいいやと思うようになってしまった。もうかれこれインドに2ヵ月半以上いるけど、バラナシ3週間、デリー、ジャイサルメール、ジョードプル1週間、リシュケシュ18日、ここダラムシャラももうすぐ2週間と、のび太くんもびっくりののんびり旅だ。
ただ、それでも、そこの町々で異文化との出会いがあったり、忘れられない現地の人との交流があったりしたらいいのかもしれない。しかし、今の僕らは1日のうちの大半をカフェやレストランで過ごし、インドなのにピッザやお好み焼きに舌鼓を打ち、日本の文庫を読んで過ごしている。異文化に出会う可能性が皆無だ。お出かけするのが「なんかだりー」くて、それよりは屋内で本を読んでいたほうがええやんって感じなのだ。ちょっと30分くらい歩いて、近くの小さな村なんかに行った日には、これだけで「今日はなんだか充実してますなあ」とかなり満足しちゃっている。旅も9ヶ月が経とうとしていて、もう観光に飽きたのかもしれない。外界の異文化がもう日常になり、そんなに新鮮じゃなく、「なんだかだりー」ものになってしまったのだ。
10年前の旅の後半もずっとそんな感じだった。旅の仲間と1日中宿でだらだらと過ごすことがざらにあった。そして、この病気の厄介なとこは、日本に帰ってからもこの症状が続くのだ。僕は帰国後数ヶ月、無気力な状態が続き、何をするにしても「なんかだりー」くて、友達に「しんご、今何してんの?」と聞かれると、「え?うーんと、インドごっこ」と答えていた。思い出すだけでも恐ろしい。

この旅最大の危機である。エジプト・ピラミッドを見るという目標があるものの、インドという底なし沼にどっぷりはまってしまい、辿り着けるかわからなくなってきた。もう永久にインドから出られない可能性も出てきた。この旅どころか、人生最大の危機じゃないか。やばい、インド人とカレーと一緒に死にたくないよー。

僕らは強攻策に出ることにした。インド病から抜けだすためには、とりあえずインドから脱出しないといけない。それで治るかはわからないが、それしか今は考えらない。インドを出るために1番手っ取り早い方法。そう、航空チケットを買うのだ。これまでずっと陸路だったので、旅に出てからは初めてのことになる。これはもちろん国内線じゃあ意味ナッシング。どこか違う国に飛んじゃうやつを買うのだ。

僕は「チケット買うのもだりー」と思いつつも、ネットカフェに入り、「エア・アラビア」のホームページを開いた。旅人から「エア・アラビアが安い」と聞いていたのだ。
ホームページは全部英語だった。とても読む気にならない。「もーだりーよ」と投げ出したい衝動に駆られたが、インド人とカレーと一緒に死んでいる自分の姿が頭にちらつき、なんとかこらえることができた。よく見ると、ANAやJALのホームページみたいに、出発地、到着地、日付などを選択するところがあるのに気づいた。これならなんとかなるかもしれない。僕らはトルコに向かうつもりだったので、出発地に「デリー」、到着地に「イスタンブール」を選択してみた。すると、フライトナンバーや料金が出てきた。1人「212ドル」と書いてある。
おっできたんじゃないすか。しかも、安いんじゃないすか。
「もう買っちゃうか!」と思っていたら、ある都市の名前が目に入ってきた。
「sanaa」
サナア?サナア、サナア・・・ああ、サナア!

サナアはアラビア半島南の国、イエメンの首都だった。旅に出る前はイエメンが国の名前なのか、キムタクやもこみちやエガちゃんらのことを言うのか、よくわからなかったんだけど、出会った旅人の多くが「イエメンいいよー」と言っていたのだ。「旅人おすすめの国ランキング」の堂々の1位に輝くのがこのイエメンだった。なんでもアラビアンナイトの世界が今なお繰り広げられているらしい。アラビアンナイトと言えばアラジンやサイババ・・・じゃなくてアリババじゃないか。僕らは日本に帰れば、住所不定のプー夫婦になるわけだし、こうなったらイエメンに行き、魔法のランプと空飛ぶじゅうたんを手に入れ、日本でそれを売って一儲けしようじゃないか。「開け!ゴマ!」と叫んで、体中の毛穴と肛門チャクラを開いてやろうじゃないか。

僕はパソコンの前でそこまで考えた後、到着地を「サナア」に変更した。料金もイスタンブールとほぼ同じだった。日付は1週間後の5月2日。
不安が1つあった。実際これでチケットが買えたのかがよくわからない。英語はだるくて読んでないのでほとんど勘で打ち込んだり、チェックを入れたりした。支払いはクレジットカードで、一応番号を書いたけど、これでほんとにいいのか、予約できたのかよくわかんないっす。
何かインドが僕の足を掴んで「まだ行かさぬぞー」と言っている気がするなあ。嫌な予感がするなあ。だりーなー。

果たして無事インドを脱出できるのか!そしてインド病は完治するのか!
期待と不安が交錯するなか、インド最後の1週間に突入する。・・・・はず。
「なんだかだりー」

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これクリックするとインド病になるよ。


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うまいがいっぱい
今、デリーやバラナシは40℃近くあるらしく、「もう暑くて気持ち悪い」と出会った旅人は言っていたけど、ここダラムシャラは標高が2000メートル近くあるので、けっこう涼しくて過ごしやすい。遠くにヒマラヤも見えてロケーションもいいし、暑さから逃げてきた多くのバックパッカーがここで沈没している。
そういう場所だからか、ダラムシャラは食いもんのレベルが高い。イタリアン、日本食、韓国、チベタン、そしてベーカリーとうまいもんだらけだ。インド人は少数派で、あのうんざりする香辛料の香りがしないのも有難い。

朝8時ごろに起きた僕たちは、そっこーひいきのカフェに行き、焼きたてのクロワッサン3個とチャイをたのむ。度重なる実験の結果、クロワッサン1人1.5個というは、ちょうど昼飯時に「あーおら腹減っただー!」という状態になるためにベストの数なのだ。午前中はこのカフェで本を読んだり、最近は学習意欲が旺盛なので英語や韓国語の勉強をしたりして過ごす。

「あーおら腹減っただー!」となる昼は、たいがい「ルンタ」という日本食レストランに行く。そこの客の7割くらいは欧米人で、日本食人気を実感する。特に巻き寿司定食がでる火・金曜日はやたらと欧米人が多くなる。おそらく「キョウハ スシ タベマショー。ワタシ スシガ ダイスキデス。」とか言ってるんだろう。まったく人の気も知らないで、のんきなものである。(何が?)

昼を食べた後は、「ちょっとお茶でもしますか?」と、おいしいケーキのあるカフェに入る。レモンチーズケーキ、アップルマフィン、レーズンチョコケーキ、チーズケーキ、バナナスポンジケーキ、どれもおいしい。
ここでも最近僕らのブームの「Su DOKU」(1から9の数字を縦横のマスに埋めていくゲーム)などをやって長居しちゃうんだけど、1つ気がついたことがある。それは、ケーキを選んでいる時の女子たちは万国問わず、みんなすげえ笑顔で楽しそうで幸せそう、ということだ。しかめっ面している子なんて1人もいない。
「アハハハ。あなたティラミスにするの?アハハハ。えーわたしー?どーしよー。迷っちゃう。アハハハ。アップルパイもおいそうだし、このチョコマフィンもキュートねえ。アハハハ」と何がおかしいかわからないけど、とにかく楽しそうだ。ケーキの力ってすごいなあ。彼女たちの幸せそうな顔を見てると「俺、大きくなったらケーキ屋さんになろうかな」と真剣に思ってしまう。みんなを幸せにするケーキ屋さん。うん、悪くない。

夕方からはヨガレッスン。ヨガティーチャーになるために、リシュケシュに引き続き、ここでもヨガを習っている。そして、迷った結果、最近ついにヨガマットを購入した。やたらと重いパソコンやジャンベがあるので、もうこれ以上荷物を増やしたくはなかったんだけど、ヨガティーチャーで食っていくためにはしょうがない。これでこの先の旅でも自主練習が思う存分できる。でも、ケーキ屋さんも捨てがたいなあ。

ヨガが終わると晩飯だ。運動して消費したカロリーを取り戻すのだ。
チベット料理では、餃子によく似た「モモ」がおいしい。ベジタブルモモ、マトンモモ、ほうれん草チーズモモ、ポテトチーズモモなんかもある。
後、イタリアンもよく行く。日本では高くてピザなんてめったに食べないけど、もうここ1週間で3枚ほどたいらげた。1つ気づいたことがある。ピザは1人で食べるよりみんなで食べる方がうまい。パーティーに最適だ。

腹がいっぱいになった後は、宿に帰る。その帰り道でふと思う。「明日は何食べようかあ」と。
こうしてまた安逸な1日が終わるのだった。

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これクリックすると太るよ。


デモです。
今日町を歩いていると、やけにチベット国旗(中国では決して見ることはなかった)を持って歩いている人に出会った。チベット人がやっているお店もほとんど閉まっている。新聞に、今日デリーに聖火が来ることが書かれてあったので、もしかしたら何かやるのかもしれない。

やっと開いているのを見つけて入ったチベタンレストランでは、皆テレビのニュースを見ていた。そこには、デリーの路上でたくさんのチベ僧が座り込みをしている姿が映っていて、人に捕まれながら、何やら必死で叫んでいる人もいた。
レストランのおやじが「これからここでもデモをやるんだ」と教えてくれた。奥さんは参加するみたいで国旗を手に慌てて外に飛び出していった。
僕らも急いでメシを食って外に出ると、どこからか人々が叫ぶ声が聞こえてきた。通りに出てみると、すでにデモが始まっていて、僧たちが列をなして行進していた。その後に学校の制服を来た少年少女たち、おっちゃんおばちゃんたちが続いている。かなりの人数で行列はそーとー長かった。
びっくりしたのは人の多さだけじゃなかった。シュプレヒコールがかなりのど迫力だったのだ。1人がある言葉を発すると、それに続く言葉を全員で一斉に叫ぶ。例えばこんな感じだ。

「Stop killing!」「In Tibet」
「Stop murder(殺人)!」「In Tibet」
「Stop genocide(集団殺戮)!」「In Tibet」
「What do you want?」「We want freedom!」
「You???????!」「We want justice(正義)!」
「People in the world!」「Support us!」
「Plese release!」「パンチェンラマ!」
「China! China! China!」「Out! Out! Out!」


※パンチェンラマはダライラマに次ぐ権力者で、今の11世は選ばれるとすぐに家族ともども行方不明になってしまった。その後すぐに中国政府は新たに11世を選出した。このパンチェンラマは、次のダライラマ15世を選ぶ権利があり、チベットをコントロールしたい中国政府にとっては大事な存在なのだ。

皆が真剣に、自分の出せる精一杯の声で叫んでいて、鬼気迫るものがあった。
僕らは圧倒され、彼らの行進を見続けた。やがて列の終わりがやってきた。
「お前は見てるだけなの?」「「傍観者でいいの?」
日頃、心の隅っこで三角座りをしている正義くんがボソボソとささやいてくる。
迷ったけど、僕らは列の最後について一緒に歩くことにした。まあ、正義というよりは野次馬根性なんだけどね。

初めてデモなるものに参加したけど、それは予想以上に気持ちよかった。恥ずかしかったので僕らは叫びはしなかったけど、スローガンを叫ぶ声の中にいると、なんだか一体感が得られ、めちゃ気持ちよかった。みんなで1つの目的に向かって進んでいるというか、なんつーか。きっとこういうデモは外部に自分たちの意思表示をするだけじゃなく、内部の意識を高める効果もあるんだね。
僕がそんなことを考えている間も、チベタンたちは叫び続けていた。

結局1時間半行進を続け、ちょっとした広場で最後のシュプレヒコールを行った。そして、最後にチベットの歌を2曲歌って、デモは終了した。どういう曲かはわからないけど、チベタンたちが手を合わせ、自分たちの国の歌を歌うその姿には心打たれた。

暑い中歩いたので、僕らはその後ずっと宿でグッタリしてたんだけど、晩飯を食いに外に出てみると、またまた多くのチベタンがキャンドルを持ち、昼間とは打って変わって静かにお経のようなものを唱え、静かに町を歩いていた。ラサで殺された同胞たちに哀悼の意を表しているそうだ。
そんなわけで、今日は何かと彼らの思いをひしひしと感じた1日だった。

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これクリックすると隣のおっさんが叫ぶよ。


タダって書いてあるやん!
今いるのは、デリーの北400キロくらいのとこにあるダラムシャラ。亡命チベット政府の拠点で、ダライ・ラマ14世の法主公邸がある。
先月のラサでの暴動の時は、ほとんどの店のシャッターが下ろされ、中国政府による人権侵害に対するかなり激しいデモが行われたみたいだけど、今はすっかり落ち着いているように見えた。久しぶりにチベタンたちを見たけど、僕らに似ているせいか、それともインド人に辟易していたせいか、なんだかホッとした。

僕がダラムシャラに来るのは2回目。10年前の旅の時も訪れている。
当時のことで覚えていることが1つある。
バザールを歩いている時、露店でちょっとかっこいいステッカーを発見した。それは白黒写真で1人のチベタンが写っていて、「フリーチベット」と書かれてあった。
僕はそこのおじさんに尋ねた。
「これ本当にタダなの?」
「いや5ルピー(15円くらい)だよ。」
「なんだタダじゃないじゃん。何がフリーだよ。」

高校を卒業したばかりの僕はチベットが置かれている事情などつゆ知らず、フリーは「タダ」だと思い込んでいたのだ。
「フリーって書いてあるのに」とぶつぶつ言いながら、僕はそのステッカーを買い、持ってきていたギターに貼った。なかなかそれがかっこよくて気に入っていたんだけど、ただそれだけだった。ただだけに・・・・(あっれー?)

あれから10年。くしくも世界的にチベットが注目されている時にダラムシャラに来ることができた。
中国オリンピックの今年に世界にアピールしようという彼らの行動は成功しているように思えるけど、その代償にたくさんの命が失われている。出会った多くのチベタン、仏像詐欺師のピッピやランクルドライバーのタシは大丈夫だろうかと心配になる。
「自由」を勝ち取るには、どうしてもこういう犠牲が必要なのかもしれないけど、やっぱり悲しい。その死がせめて報われてくれたらいいけど、あの中国化されたラサの町を考えると難しいように思える。莫大なお金をかけて作ったチベット鉄道も、チベットの支配するため、漢人を移住させるためだというしね。

ただ、この旅で1番印象深い町、理塘(リタン、四川省にあるチベタンの町、鳥葬をみたとこ)で強く思ったことは「ここは中国じゃない。チベットだ。」ということと、「この文化は消滅してほしくない」ということ。なんとかならないかなあ。

今回また「フリーチベット」のステッカーを見つけたのでジャンベに貼った。やっぱりタダじゃなかった。

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これクリックすると君も自由になれるよ。



水平に出た
前屈が地面から30センチ近く離れていた僕だったけど、ヨガを始めて半月、ついに地面に手が届くようになった。大きくなったらヨガティーチャーになるという夢もできたし、そろそろリシュケシュを発つことにした。

出発の朝、最後の瞑想に参加。準備運動をしている時に、やつは突然やってきた。

ギュルルルルー

たびたび使っているこの擬音語。そう、ゲリである。
あわててレッスンを抜け出しトイレへ。ゆるーいうんこがでた。
おいおい出発の日になるなんて勘弁してくれよ。いやいや、ちょっと冷えただけだよな。大丈夫、大丈夫。自分にそう言い聞かす。
その後はまたレッスンにもどり最後まで受けた。どうやらゲリはおさまったようだ。

朝食はリシュケシュでさんざん行ったサモサ屋でバナナチョコサモサをオーダー。したら、またやつがきた。

ギュルルルルー。

食ってからにしようと思ったんだけど、どうやらそんな余裕はないらしい。近くにトイレがなかったので、5分くらい歩く宿までもどることにした。何度かやばい瞬間がおとずれたが、肛門がグッと引き締め、やつを奥に押しやった。何とか自分の部屋まで辿り着いたけど、今までの経験上、ここで気を緩めたら一気にやられる。最後が1番肝心なのだ。
「あせるな。肛門を引き締めろ」
自分にそう言い聞かせながら歩くも、後便器まで数歩というところになると、どうしても人間少し安心してしまうらしい。もうそれは自分の力ではどうすることもできなかった。
1歩、また1歩と歩くたびに、プリッ、プリッと中身が出た。
やっちまったよ。中国ではおならと一緒に出てしまったことがあったけど、自分の意志に反して漏らしてしまったのはこの旅初めてだ。

しかし、今は悲観している場合じゃない。まだ大半のゲリが腹の中に残っている。
僕は便座の上に立ち、(インドの最近のトイレは洋式なんだけど、ふちに足場がついている。つまり腰かけててもできるしし、しゃがんでもできるという和洋合体トイレなのだ。)しゃがみながらズボンをサッと下ろした。が、0.4秒間に合わなかった。なんと、タンクから便座カバーにかけてゲリをぶちまけてしまった。
いやあ、これがすごかった。ホースの先を指で押さえて水を出したときのように、ブジャーと水平に発射されたのだ。そういや俺、うんこを水平に出したの初めてだ、とちょっとウケた。
残り半分は何とか便器におさまってくれたんだけど、それにしても今までになく凄まじい水溶便だった。
朝からシャワーを浴びなければならず、うんこで汚れたパンツは移動ということもあり、心が痛んだが捨てることにした。ああ、パンツ・・・。

出した後はやはり体がだるく、僕はベッドに横になった。ちょっと今日の移動は厳しかった。予定では、1時間半くらいバスに乗ってデラドゥンという町に行き、夕方5時からの夜行バスでダラムシャラに向かうつもりだった。夜行バスはつらいわ。
ゆりも「明日でもいいよ」と言ってくれてるし、今日は辞めちゃおうかなっとあきらめかけた時、丹下団平の声が聞こえた。
「立つんだ、そして発つんだ、ジョー!」

そうなのだ。僕は発たなければならないのだ。これまでに日本社会に屈し、そして嫁に屈し、今また新たにゲリに屈しようとしている。そうなってしまったらもう人間失格じゃないか!
「ゲリよ、俺はお前だけには屈しない。」

夜行バスはきついけど、旅人からデラックスバスだと聞いている。デラックスならトイレもあるかもしれない。その可能性に賭けよう。

僕は立ち上がり、リシュケシュを発った。

デラドゥンまでの1時間半は何とか耐えることができた。
「オッケー、オッケー。後はトイレ付きのデラックスバスだ。」とバスターミナルのトイレでまた水溶便を出しながら自分を励ました。

ダラムシャラまでのチケットを買う時、一応おっさんに聞いてみた。
「そのバスはデラックスなんだよね。トイレついてる?」
「ああ、もちろんついてるよ。なんたってデラックスだよ。なめんなよ。」
おっさんは首を横に傾けながら言った。イエスのサインだ。
しかし、僕はその時少し嫌な予感がした。おっさんのその仕草は、インド人がウソついたり知らなかったりした時にする適当さがまじっているように思えた。

そして予感は的中した。5時前にやってきたバスは普通のバスで、デラックスのデの字も感じさせない代物だった。もちろんトイレなんてない。
ガビーン。

おいおい、夜中ずっと耐えるのは無理だよ。また漏らしちゃうよ。俺もう29ちゃいだよ。お漏らししたくないよ。
ゆりが「ナプキンつける?」と言ってくれるが、それも男として大切なものを失ってしまう気がして嫌だった。でも漏らすのもヤダ。

しかし、やつがきたら自分の意志ではどうすることもできない。もう食べるもの全て水になって出てくるという感じだ・・・・・。
その時、僕はひらめいた。そうか!食べなきゃいいんだ。

朝にバナナチョコサモサを2口ほどかじっただけど、その他には何も食べてなかった。朝の2回のゲリで昨日食ったやつはすでに出ただろう。後はバナナチョコを出しきりゃ、もう何も出るものはないはずだ。でも、ゲリって食わなくても出てきそうだけど・・・。
僕はバスに乗り込む前にもう一度トイレに行き、腹の中の全てのものを出し切ろうと努めた。

不安と不安の中バスは動き出した。できるだけ刺激を与えないように僕は静かに時が過ぎるのを待った。何度かある休憩ではすべてトイレに駆け込み、汚い便器でしゃがみ、できるだけ出そうと心がけた。だけど、もうほとんどゲリが出ることはなかった。断食作戦成功!
長い夜が明け、朝5時ごろバスと僕は無事にダラムシャラに着いた。

空腹と疲労とでフラフラだったけど、ゲリに負けなかったということが僕を誇らしい気分にさせていた。

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こいつを出せばすべてが終わる。

これクリックすると水平だよ。



寝れねえ
僕らが泊まっている宿のすぐ前で、鉄柱を組み、天幕を張り、何やらでっかいテントを作っていた。インドの結婚式はこういう簡易テントで行われるので、「きっと明日結婚式なんだろう。タダメシでも食いにいくか」とゆりと話していた。
インドの結婚式は、僕らみたいに上司の挨拶や友人の出し物、親への花束贈呈など、司会者がプログラムを進行していくんじゃなくて、1日中だらだらとテントの中でメシを食うらしい。それには自分の好きな時に行けばいいし、基本誰が行ってもいいんだとか。
僕らが読んだ本では、1日中別のところで新郎家族と新婦家族はこのようなだらだら食事パーティーを開き、夜になって初めて新郎がマハラジャの格好をして白い馬(金がないとロバになるんだとか)に乗って新婦のとこに会いにいっていた。最初から一緒にやればいいのにね。おもしろかったのは、結婚式後の初夜、新郎と新婦にはホテルの一室が用意され、ドアの外1メートルのところで数人のおばさんが数曲の歌を歌うらしい。その間に2人はHをしちゃくちゃいけないんだと。ほんとかよ!2人は結婚式当日に初めて会ったばかりなのに。

話が少しそれたけど、その日の夜10時ごろ、僕らが寝る仕度をしている時、外からいきなり音楽が流れだした。そして、誰かがでかい音のマイクで「テス、テス」とやりだした。
「ああ、明日の結婚式の準備をしてるんだな。それにしてもちょっと遅くないか」と僕は少しいぶかしんでいた。
しばらくすると、音楽の音がまた一段と大きくなった。それは、もうちょっと笑っちゃうくらいでかかった。そして、その音楽に合わせて誰かが歌い始めた。時々みんなで声を合わせて「ヤーヤーナマステカレーヨガヤーヤー」と言っている。まるでどこかのコンサート会場にいるみたいだ。
もう時刻は11時をまわっている。まさか結婚式始まったんじゃないだろうなと思い、僕は様子を見に行くことにした。

でかいテントの中にはたくさんの人が座っていて、小さい子どももウロウロしていた。彼らの前ではマイクを持ったおっさんが音楽に合わせて歌を歌っている。おっさんの後ろにはやたらとキラキラした神様人形が何体もあり、天井からは安っぽいシャングリラがつるしてあった。

「いったい何なんだ。こんな夜遅くに」と思いテントを出ると、最近よく行っているCD屋の兄ちゃんが友達としゃべっていた。

「おー、そういや家このへんって言ってたね。ところでこれ何なの?結婚式?」
「違うよ。プジャ(礼拝)だよ。毎年行われているものさ。俺ん家はあれ(テント)の裏だから、もううるさくて寝れねえよ。」
「何時までやるの?」
「明日の昼の11時」
「・・・・・え?オールナイト?」
「イエス。俺明日も8時半から仕事なのに。ボスがいない間、たぶん居眠りしてるよ。」

僕は呆然として部屋に戻り、ゆりにそのことを話した。そして2人で呆然とした。
12時をとっくに過ぎても、音量を下げることはなかった。近くに住んでいる住人のことなんてお構いなし。すぐ近くにいるゆりと話すのにも声をはらないと聞こえないくらいだった。日本じゃ考えられないよ。
神様だったらまだ人に迷惑かけない昼間にやってくれよ。まじで迷惑だよ。まったく。
僕は一応ベッドに横になり「まったくもう、これだからインド人は、まったくもう。インド人のアホ。寝れねえだろ、くそ」とぶつぶつ言っていたら、いつの間にか寝ていた。人間の適応能力はすごい。

朝5時半、目覚ましが鳴って目が覚めた。やはり熟睡できてなかったのか、やたらと体が重い。外では相変わらず大音量で音楽が流れ、マイクで誰かがしゃべっている。
「しんどいっすねえ。今日は瞑想なしだな」とゆりと話し、また寝に入ろうとしたけど、もうあの音の中で眠ることはできなかった。

兄ちゃんが言ってたより早い朝9時ごろ音楽がやみ、どうやらプジャが終わった。
「世界ってこんなにも静かだったっけ?」と、僕らの心はようやく落ち着くことが出来た。
「間違いなく、旅で最悪の夜だったね」とゆりと話し、「とりあえずチャイでも飲みにいくか」と重い体を動かし外に出た。
テントはすでにほとんど片付けられていて、それを見たら「だから、なんで夜にするんだよ!」と再び怒りがこみ上げてきた。


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「過去 現在 未来」と書かれた看板と神様の写真とヘッドホン 気になったので聞いてみたらおっさんがヒンディー語をしゃべっててわけわかめ。10ルピーかえせ!
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フンパツしたファミリーターリー65ルピー(180円)。うまかった!
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「え?呼んだ?」


これクリックすると寝れねえよ。


リシュケシュでの暮らし方
リシュケシュに来て早くも2週間が過ぎようとしていた。いや、過ぎたのかな?もうよくわかんないっす。今日が何曜日なのか、ここがどこなのか、自分が誰なのか、もうよくわかんないっす。
毎日あっという間に過ぎていき、充実しているような気にさせてくれるのはありがたいが、実際はたいしたことがなかったりと、まあ、そんな感じなのである。

朝は6時に起床したり、しなかったり。起きれた日にはアシュラムの瞑想に参加している。もう5回くらい行っているけど、前回も書いたとおり、何がどうなればいいか、さっぱりわからんとです。終わった後はぐったり疲れて、「こんなことなら寝てりゃよかったよ」と少し後悔したり。でも、「瞑想気持ちいいよ」と人々が言うので、「今日こそは気持ちよくなるのだ」と思い、せっせとめーそーするのである。

瞑想が終わる8時からヨガが始まる夕方までは自由時間。つまり、普通の人が働いている最中は自由時間。何してもいいし、しなくてもいい。けど、すげえ時間があるように思えるけど、毎日なにかしら行事があり、「ゆっくり本も読めねえよ」とかぬかしたりしている。といっても、韓国人の皆様とお料理・お食事会をしたり、ちょっと町までくりだしラッシーを食べに行ったりと、かなーりゆるーいんだけど。

最近は、一緒のヨガ教室に通っている金丸氏に鍼をさしてもらったりしている。金丸氏は駆け出しの鍼灸師で、今はお金を払ってもたくさんの人の体にさわりたいとか。で、僕はお言葉に甘えて、日本円で100円もしないターリー(カレー定食)とかみかんなどを差し上げ、鍼をやってもらっているのだ。

僕は鍼、初体験だったので、内心かなりビビビッていたんだけど、実際にさされてみると、「あっそうか、そうか。そういうことか。」といった感じの痛さだった。時々グイーンと「入る」というか「ひびく」瞬間があり、「おおっそれそれ。おおっ効いてるんじゃないんですか?」という気になる。まあ、たいしてどこも悪くない僕は、どこがどう変わったとかよくわかんないんだけど。
30前なのにいつまでもフラフラしている僕にお灸も据えてくれて、少しだけ「すみません、勘弁してください、もうしません、帰ったら真面目に働きます。」という気持ちになったり、ならなかったりするのだった。

金丸氏は、僕からしたらかなり立派な鍼灸師に思えて、とてもみかんやターリーでは申し訳なかった。今度はバナナもつけよう。氏は東洋医学をかなり勉強されていて、鍼をさしつつ話してくれるレクチャーは、けっこう目からうんこだったりするのだった。まあ、ほとんど忘れちゃったけど。

じゃあ、ここで久しぶりの「ミーバイクイズ」。
鍼は針なのに、なぜ体にさしても血がでないでしょうか?

簡単?僕は知らんかったよ。
わかったら下記のところまで応募してちょ。もれなくインド人が当たるよ。

「123-456 インドのしんご ミーバイクイズ係」


そんな感じで夕方になり、ヨガがスタート。
もう10回くらいやっているので、太陽礼拝と呼ばれる連続技も覚えた。最初より体が伸びるようになり、ヨガ効果を実感。なかなかいい感じだ。体も以前より疲れなくなって、気持ちいいしね。

先生のシュリンダはインド人らしからぬ懇切丁寧な指導をいつもしていて「おお、あんたプロですなあ」と感心させられる。
最後の5分はなにやらためになるお話をしてくれる。「ハッピーどうのこうの、ラブどうのこうの、メンタルどうのこうの、ヨガどうのこうの」とどうのこうのが多いのが気になるが、とってもいい話をしているようだ。
「もしかしたら、こやつ人生の達人かもしれない」と、僕はいつも彼のひげもじゃのひげから何か出てないか注目しているのである。

しかし、そんなシュリンダもやはり人の子と思う瞬間があった。
僕はポーズをとりつつ、キャミソールなど、ちょっと露出のはげしい服を着ている女性をチラ見して喜んでいるんだけど、どうもシュリンダがやけに僕の視界に入ってくることに、ある日気がついた。そして、彼はヨガのポーズを正すフリをして女性の体にタッチしているのだ。
「そりゃ先生だからしょうがないだろ」と、僕も最初は思ったんだけど、どうも僕がチラ見している女性にタッチする頻度がどう見ても多い。体が伸びているため、ズボンとシャツの間のあらわになった肌に指を置いて「ほら、ここを伸ばしなさい」とわざとらしく言っているのだ。女性は「ああ、こんなに多くの生徒さんがおられるのに、なんて親切なの。」の感激の表情を浮かべているけど、僕の目は騙せないぞ、シュリンダ!仕事とはいえ、こんなとこさわったり、あんなとこさわったり、うらやましいじゃないか。
と、僕は帰国したらヨガティーチャーになることを決心するのだった。

そんなことを考えているうちに、今日もまたリシュケシュの1日が終わるのである。

クイズの答え
「鍼で使う針は、先が尖っていないから」でした。
血管をやぶらないので血がでないそうだよ。

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青いやつはもうひとつの針とつないでイオンを通しているんだとか。
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これクリックするとまゆ毛つながるよ。


ただ今めーそー中
リシュケシュに来るまでよく知らなかったけど、なんでもヨガは瞑想のためにあるみたいだ。
僕らのヨガのイメージは、体をクネクネしていろんなとこを伸ばしちゃって健康な体を作ろう、というものだと思うんだけど、元々は輪廻から解脱するための修行の1部だったようだ。僕らのヨガティーチャー、ひげもじゃのシュリンダも、毎回レッスンの最後に次のようなことを必ず言う。
「フィジカルだけに注目してたんじゃダメだよ。もっと上のメンタルレベル、スピリチュアルレベルを目指さないとダメだよ。ぜひメディテーション(瞑想)をやってちょんまげ。」

ヨガと瞑想の関係が、いまいちよくわからなかったんだけど、今日、韓国でヨガティーチャーをやっているヨンジンの話を聞いて少し理解できた。
なんでも瞑想のポイントは何も考えないとこにあるようだ。でも人間って1分間に何回も違うことを考えるようで、それはなかなか難しいみたい。ヨガをしてると、そのポーズに集中して他のことを考えないですむ。やけに難しいポーズがあるのもそのためだ。そして、そのポーズのままゆっくり呼吸をすることで瞑想できるそうだ。
ふーん、ヨガって深いんだな。

瞑想をやっている人は、皆口をそろえて「いいよ」と言うし、「んじゃいっちょ瞑想というものをやってみようか」と、僕らはアシュラム内の無料でやっている瞑想に参加することにした。

朝7時にスタート。まず瞑想をやる前に呼吸法だったり、マントラ(呪文?)を唱えたりした。
呼吸法は鼻から「フン、フン」と息を出しまくるんだけど、隣の欧米人が張り切りすぎて、やたらめったら「フンフン」するものだから、「おいおい、お前ちょっとやりすぎ。おもろすぎ。」と全然集中できない。マントラは「オームナシーバヘー」とまったく訳わかめの言葉を100回くらい言わされ、もう勘弁してくださいって感じだった。

その後は、静かに瞑想。あぐらを組んだ姿勢で目をつぶって1時間くらいジッとしてるんだけど、これがもうやたらとつらい。足はしびれてくるし、お尻や背中は痛いしで、まじきつい。修行だよ、ほんと。
1時間という時間が恐ろしく長く、いつまでたっても終わらない。何も考えるなというが、そんなの具志堅くんが比嘉さんになるくらい無理。
そして、いつの間にか頭に浮かんでくるのは朝食のメニューのことばかり。
「朝からカレーは絶対嫌だからな。やっぱ定番のバナナパンケーキかなあ。ヒルビューゲストハウスで食ったのはうまかったなあ。1週間食い続けたからなあ。また食べたいなあ。しかし、ここはちょっと意表を突いてアップルサモサでもいいなあ。(普通はカレー味のベジタブルを小麦粉の皮で三角形に包み油で揚げるサモサだけど、リシュケシュで初めてアップルサモサを発見!これがめちゃうま!)あれ、マックのアップルパイみたいやもんな。ああ、牛肉のカレー味じゃないハンバーガー食べたいなあ。まあ、でもまだ朝だし、ラッシー(ヨーグルトに砂糖と水を加えて混ぜた飲み物)でもいいなあ。あれを一気にグビグビやるとお通じにもよさそうだしなあ。でもあれも・・・」
と、こんな感じで思考は続く。
しかし、朝食をやっぱりバナナパンケーキと決めた後は、またひたすら暇で「ああ、早く終わらねえかなあ。お尻痛いなあ。みんなは何食うことにしたんかなあ。」と、まったく瞑想のよさを見出せないまま、ムダに1時間が過ぎるのを待つのだった。
「こんなんじゃ、輪廻から解脱する前に、日本社会から解脱しちゃうよ」と完全に迷走する瞑想なのである。
そして、今日はこれが言いたかっただけなのである。


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リシュケシュで1番のバナナラッシー。いままで食べた中でも1番だった。バナナとヨーグルトが濃厚でめちゃうま!
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リシュケシュの老舗レストラン「チョティワラ」のイメージキャラクター。一日中ずっと椅子に座っている。瞑想よりしんどそうだ。それに、ちょっと気持ち悪い。
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おサルさんも瞑想中?

これクリックする迷走しちゃうよ。




29歳かあ・・・
リシュケシュに着いた日、たまたまフォン・ファンと再会し、それからというもの僕らは何かと彼女と会っていた。
フォン・ファンと聞いて「ああ、あの子ね」とすぐにわかるあなたは、ぜひとも「ミーバイ検定1級」に認定したいわけなんだけど、3週間ほど前に行った「美女とラクダとインド人と行く砂漠ツアー」の美女の1人がフォン・ファンだ。

彼女はアシュラム内の宿泊施設でこっちで出会ったヨンジンという同じ韓国人女性と部屋をシェアしていた。2人はガスバーナーをレンタルし、食器などをバザールで購入して、毎食自炊していた。確かにインドカリーは安いけど、長くインドにいると「もうあなたにはうんざりしました。顔も見たくないです」と離婚間近の夫婦みたいになる。だから、彼女たちみたいに自分で作るのが一番うまいわけなんだけど、なかなかめんどくさいよね。2人はインドで手に入る調味料でキムチも作っていて、韓国人バックパッカーの勢いを感じた。(10年前はほとんど見かけなかった韓国人バックパッカーも、今では日本人より多い。なんでもテレビなどでバックパッカーのドキュメンタリーが人気で、その影響で旅立つ若者が多いとか。ソウルの物価は東京と変わらないみたいで、アジアなら僕らみたいに少し働いたらしばらく長旅できるようになったのもでかいようだ。)

3日ほど前には「スジェビ」という韓国料理をごちそうしてくれた。日本の水団(すいとん)に似たスープで、味付けはシンプルなんだけどめちゃんこうまかった。なんか久しぶりにうまいもんを腹いっぱい食べれて幸せだった。遊びに来ていたトンジンというバックパッカ歴10年の男性はチャイも作ってくれたんだけど、それもまたうまかった。自炊も楽しいなあ。

僕らは英語、日本語、韓国語入り混じりでいろいろ話した。
彼らはゆりの韓国語の発音の良さにびっくりしていた。フォン・ファンも「前に日本人の友達に韓国語を教えたけど、全然ダメだったよ。ゆりさんすごーい。」と大絶賛。悔しいので僕も負けずと「アンニョンハシュムニカ」と言ってみたけど、「ほら、ダメでしょ」とみんなに笑われてしまった。
「ゆりは韓国ドラマ大好きで、見まくっていたからね」と僕が言うと、彼らは大喜び。ドラマの話やどの俳優・女優がいいかなど、話が盛り上がった。といっても僕1人まったくついていけなかったけど・・・。

2日の僕の誕生日も彼らが祝ってくれた。なぜか僕が料理を担当することになり、作ったこともないトマトとナスとチーズのパスタを作った。我ながらよくできたと思っていたけど、キムチの国の人々にはかなり薄かったみたいで、自分の皿に盛られたパスタにバンバン塩を加えて食っていた。トホホ。
パスタはそんな感じだったけど、カップケーキも買ってきてくれていて、彼らのおかげでなかなかいい誕生日を過ごすことができた。

えー、そういうわけで、わたくし29歳になりやした。19歳でインドをウロウロしていた時は、まさか10年後も同じことをしているとは思ってなかったなあ。出世街道をまっしぐらのはずだったんだけど、なぜかインドでヨガやっちゃってるよ。こないだ出会った同い年の聖子ちゃんには「私ぜったい無職でタイコやってるような人とは結婚できない!」と言われてしまった。(これは、夢を追いかけてるバンドマンの友達の彼のことで、「アハハハ」と僕も笑ってたんだけど、そういや僕も無職でタイコポコポコ叩いているということに気がついたのだった。)
とりあえず29歳の目標は「明日の日本経済を支える、質実剛健、八方美人、皆勤手当がもらえるサラリーマンになる」です。

久しぶりに実家に電話したら、一番下の妹が僕らのこの旅中に生まれた子どもを連れて里帰りしていた。初めて甥の鳴き声を聞いたけど「おれ、ほんとうにおじさんなんだな」と妙に実感できたよ。


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死体のポーズ これが一番好き



これクリックする明日誕生日がくるよ。



ホットシャワーでねえよ
リシュケシュに来て5日ほどたつが、すでに4回引越しをした。これはめんどくさがりの僕らにとっては異例のことだ。

最初はアシュラム内の宿泊施設に泊まっていたんだけど、最初の部屋はめちゃんこ暗くて牢屋みたいだったので、次の日、日当たりのいい部屋に替えてもらった。しかし、明るくはなったものの、そのアシュラムの部屋代は最近値上がりして250ルピー(700円くらい)と、ずっっと150ルピー(420円くらい)で泊まっていた僕らにはちょっと高かった。しばらくリシュケシュでヨガを習うことにしたので、僕らは安い宿を探した。

すぐに150ルピーでホットシャワーの出るゲストハウスが見つかったのでお引越し。少しの距離だったけど、最近荷物が増えぎみで、けっこう大変だった。
夜、風呂に入ろうとしたら、お湯がでなかった。宿の兄ちゃんに言うと「いや、150ルピーの部屋はお湯はでないよ。200ルピー(560円くらい)の部屋はでるよ。」としれーっと言う。
「いやいや、お前ホットシャワーでるって言っただろ?」
「いや150ルピーの部屋はでない。」
くっそー、むかつく。
リシュケシュはそこまで標高は高くないものの山の中にあり、夜の水はかなり冷たかった。ヨガで汗をかいた後の夜にシャワーを浴びたかったので、できればホットがいい。また、引越しは嫌だけど、仕方ない。こんな宿出て行ってやる!

そんなわけでまた宿探しが始まった。が、もうめんどくさいし遠くまで行きたくない僕らは、すぐ隣の宿に引越しした。そこは200ルピーで嘘つき宿と同じだったんだけど、嘘つきがむかついたので移動した。今度はしつこく「ホットシャワー?」と聞いてからチェックインした。

嘘つき宿のせいで前日は風呂に入ってなかったので、さっそくシャワーを浴びようとした。が、また水しか出ない。
「おい、ホットシャワーって言ったよな?」
「すまんすまん、今ちょっと調子悪いんだ。夜まで待ってくれ」
なんだか嫌な予感がする。

夜、蛇口をひねってみると、やはり水しかでなかった。
「おい、ホットシャワーでねえよ」
「明日の朝まで待ってくれ!」
プチッ!僕は切れた。
「お前、明日の朝になると「昼まで待ってくれ」て言うんだろ!こっちはホットシャワーがでなくて、わざわざ引っ越してきたんだよ。お前でるって言っただろ!すぐホットシャワーだしやがれ!」
ここまで言ってようやく部屋の外についている湯沸かし器をいじり始めた。
「インドの製品はいつもプロブレムでしょうがないよ。」とちょっと僕の機嫌をとろうとしている。まったく。

30分くらいゴチャゴチャした後、ようやくお湯が出た。
「ようやく入れるよ」と僕はシャワーを浴びだすと、またすぐに水になった。
「おい、また水になったぞ!」と上半身裸のまま文句を言いに行くと
「今メシだから、5分待ってくれ!」と言う。
すぐやれよと思ったけど、まあ5分くらいいいかと待ってみる。しかし、10分、15分たっても全然直しに来ない。その間ずっと裸のまま。
「早くやってくれよ」とまた文句を言いにいく。
まじで言わないとやらないんだから。インド人てきとーすぎ。
今度はちゃんと直ったみたいで、僕はようやく風呂に入ることができた。なんだかんだ1時間半くらいかかったよ。うんざりだ。

結局、今日、130ルピー(360円くらい)で日当たり風通しが良く、ホットシャワーがバリバリでる宿を見つけたのでまた引っ越した。
夜、ホットシャワーがすんなり出て体を洗えただけで、やけに幸せだったよ。


僕らがムダにお引越しを繰り返している間に、旅も8ヶ月が過ぎた。旅のスタイルも滞在型になってきて、なかなか次の町へと進めない。いつインド出れるかなあ。もう出たいんだけどなあ。でも出たくないのかな。

この1ヶ月で使ったお金    5万6705円
訪れた町            デリー、ジャイサルメール、ジョードプル、リシュケシュ
ラクダの背中にお尻をぶつけた数    10723回
色粉をぶつけてやったインド人の数   54人
色粉をぶつけられたインド人の数    87人
ヨガファイヤーが出た回数        0回
日本に届いた仏像の数         0仏


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リシュケシュにもガンガーが流れている。流れがはやく、透き通っていて、バラナシとえらい違いだ。
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犬のポーズ。もっと背中が伸びて、きれいな三角形になってるはずなのにな・・・。


これクリックする風呂に入れないよ。







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