クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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ヨガはいいよ
今はヨガの町リシュケシュ。
ヨガ素人の僕らにとっては、どこの教室に行っても同じだろうと思っていたけど、何人かの先生のレッスンを受けてみると、それぞれ全然違うことがわかった。

ほとんど説明なしに次から次へとヨガのポーズを繰り広げていく先生のレッスンは、ついていくのが精一杯で、終わった時にはかなりの疲労感に襲われた。
アクロバチィックなポーズが好きな先生は、朝から何度も逆立ちのポーズをされられ、それもやたらと疲れた。体が硬い僕に見かねて背中などをプッシュ、プッシュしてくれるんだけど、なんだかありがた迷惑だった。
ポーズもほんと様々で、部活や体育の前にやるようなストレッチばかりをするところもあった。あれはヨガからきていたんだね。

いろいろやってみてわかったことは、ヨガは予想以上にハードであるということだ。
「最近ウエストのあたりが気になって」とか「私、クネクネになりたいの」とか言うOLが、かるーくカルチャーセンターなどでやってるもんだろと思っていたけど、全然全然。空気いすや腹筋など、筋トレみたいなのもけっこうあるし、同じ体勢を保つのはやたらとしんどいしで、僕はゼーゼー言いながら「早く終わってくれ」と念ずるのだった。

日頃の運動不足のせいで、2日目くらいから筋肉痛が始まり、体がやたらと重く、日中はずっと「なんだかだりー」と宿でごろごろ。早くもヨガやめたい病に侵されてしまったのだった。

しかし、そんな僕をやる気にさせてくれる教室をようやく発見した。
そこの先生はヒゲモジャのインド人で、いつも短パンをはいていて、足は毛むくじゃら。一発で一目惚れしてしまった。
ヒゲモジャ先生のレッスンはとてもわかりやすく、「インヘール」(吸って)と「エクセール」(吐いて)の声に合わせて、先生のポーズの真似をしていればよかったので、英語のわからない僕らでも、たいして問題なくついていくことができた。
体のいろんな部分が伸びていくのが実感でき、終わったあとのなんとも言えない爽快感もたまらなかった。

しかし、僕がこの教室に通おうと思った決定的な理由は他にあった。
ヒゲモジャ先生のレッスンは1回2時間100ルピー(300円くらい)で、けっして安くはなかったけど、教室に入れないくらいの生徒さんが来ていた。みんな、せっかく習うならいい先生がいいもんね。
やっぱりヨガを習う人たちの8割が女性で、僕の周りは女性だらけだった。しかも、わざわざインドまでヨガを習いに来ているだけあって、本格的にヨガをやっているような人たちが多く、雑誌に出てくるようなスタイルのいい人もザラにいた。
しかも、けっこうゆるーいカッコをしている人も多く、僕の前後左右でチラリズムが展開されるのだった。
今日は僕の左前に中谷美紀似の韓国人の子がいて、その子はかなり背中があいたシャツを着ていた。肩からはピンクのブラの紐がチラチラする。僕はポケーッと口を開けて彼女に見とれていたら、ゆりに見つかってしまった。
先生の横でやっていたスペイン人の女性は前があいた服を着ていて、前のめりのポーズの時には、おっぱいがこぼれてしまうんじゃないかとドキドキした。これはヨガしてる場合じゃないですよ。
そんなわけで、僕は背筋を反らすポーズの時は、地面に何かがあたり、ちょっとやりずらくて困ったり、困らなかったりするのだった。

いやあ、ヨガはいいよ、ヨガは。


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ラクダのポーズ 背骨が・・・・!

これクリックするとラクダになるよ。





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肛門チャクラでビートルズ
デリーで1泊した後、僕らはバスを7時間ほど乗り、リシュケシュという町にやってきた。
このリシュケシュは、最近ではバラナシよりテレビなどで取りあげられることが多いみたいで、ご存知の方もいるかもしれない。まあ、僕は全く知らなかったけど、リシュケシュはヨガの町として有名みたいで、世界中からヨガを習いに来ているみたい。ガイドブックには「ヨガのふるさと」と書いてあったから、発祥の地なのかな?ふるさとって生まれて育つとこだもんね。「ふるさとはいいなあ、ふるさとはいいなあ、帰ろうかな、うるわしきふるさと」だもんね。昔、ビートルズもここで修行したんだとか。
そんなわけで、僕もリシュケシュで「イマジン」して、「イエローサブマリン」に乗り、「ヘイ!ジュード」とオノ・ヨーコに言うために、ヨガを習うことにした。

リシュケシュには、もうそれはそれはうんざりするほどアシュラム(ヨガを習うところ。修行場の意味があるのかな?よく知らないっす)があり、それぞれいろんな流派のヨガを教えていた。素人の僕らは「もう、どれやっていいかわかんねえっす!」と若干切れたい心境なんだけど、とりあえず宿で知り合ったミスズさん、キャメロンカップルの行っているアシュラムに連れて行ってもらうことにした。

朝8時半にスタート。先生は若い欧米人の男性だった。「何だか有り難味がねえなあ」と思いつつ話を聞く。毎朝1つ、新しいポーズを習うようで、それにまつわるレクチャーがあるらしい。これがめちゃんこ長かった。いつまでたっても終わる気配がなく、結局1時間半も続いた。大学の講義だ。しかも全て英語だから、もうちんぷんかんぷんのちちんぷいぷい。
僕は、「苦痛です。先生、僕は苦痛です」と呪いの言葉のようにぶつぶつ言いながら、その時間を耐えた。話がおもしろいのか、時々欧米人たちが笑うのに、カチンときた。

10時ごろ、ようやくヨガスタート。首の運動から始まったんだけど、みんな先生の声にあわせて目をつぶってやるようだ。しかし、僕は目をつぶってしまうと何をやっていいのか全く分からない。仕方ないので、キョロキョロまわりをチラ見しながらみんなの真似をする。なんでもヨガはイメージが大切みたいだから、僕のようなのはあまりよろしくないようだ。英語の大切さをまたまた痛感する。

ここのヨガはあまり激しいポーズはしないようだった。単純なポーズ、例えば前屈などを5分から10分続けるだけ。ただ、これがめちゃんこきつかった。1つの体勢を維持することがこれほどしんどいとは。
さらに驚くべきことは自分の体の硬さ。みんなは前屈すると手が地面にペタッとついているのに、僕は30センチ物差しが入っちゃうくらい地面から手が離れていた。これはカッコ悪い!しんどいやら情けないやらで、「早くこの体勢終わらねえかなあ」とまたキョロキョロするのだった。

先生は何かと「チャクラ」という言葉を連発した。チャクラって何だ?と僕は全く理解できなかったけど、レッスン後にミスズさんに聞いた話だと、なんでも人間には頭からお尻まで7つのチャクラという穴?があって、そこからエネルギーが出入りするらしい。ブッダや聖人などは上のチャクラが開いているけど、僕ら凡人は99.9%腰から下のチャクラしか開いてないんだって。1番下のチャクラは肛門のすぐそばにあるみたいで、地面から30センチの僕は間違いなく肛門チャクラレベルなのだった。
うーん、こうなったら肛門とチャクラを開きまくって、肛門チャクラの「レットイットビー」になろうじゃないか!と思う、ヨガ初日なのだった。

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今日のポーズ ただいま肛門チャクラからすごいのが出てます、出てます。


これクリックする肛門が開くよ。



ヒル・ビュー・ゲストハウス
ホーリーが終わり、1人、また1人と一緒にはしゃいだ旅人たちが去っていった。ちょうどみんな同じ時期にジョードプルに着き、1週間ほど同じ時間を過ごしたので涙、涙の別れだった。
だんだんと見送る人数が減ってきて、最後はすでに宿のオーナー・ザフランの息子のようになったユーキくんと3人になった。

1週間いろんなことがあった。やっぱりホーリーはでかいけど、他にもいろいろあった。そりゃあもういろいろ。

僕らがいる間にザフランの兄弟?のジガルと奥さんの間に赤ちゃんが産まれた。お腹の大きい奥さんはレストランの食事を作ったりしていてよく働いていた。
「いつ産まれるんだろうね」「1ヵ月後くらいかね」なんて僕らは話していたんだけど、ある日いきなり「産まれたらしいよ!」と誰かが聞きつけてきた。
「え?まじ?昨日まで働いていたよ」とみんな目を丸くした。
しかも病院で産んだらしいけど、すでに退院?して赤ちゃんと一緒に帰ってきているという。またまたびっくり!
「見たいねえ」とか言っていると、家族の人が「カモン!」と言って、あっさり見せてくれた。

とても疲れた顔をした奥さんの横に、ちっちゃな赤ちゃんが寝ていた。ほんと、さきほど誕生したばかりの赤ちゃん。ちょっとびっくりしたのが、家族の子どもたちがたくさん同じベッドの上で座ったりしていて、何かと赤ちゃんをいじったりしている。日本じゃ考えられないね。
僕らは「コングラーチュレーション!」と言ったけど、奥さんはなんか泣いた後みたいであまりうれしそうじゃなかった。そうとう疲れたんだろうな、と思っていたんだけど、ザフランの姉のナギナさんに聞いたとこによると、奥さんにはすでに2人の女の子がいて、今回もまた女の子だったんだって。奥さんはどーしても男の子がほしかったみたいで泣きじゃくっていたんだと。
ゆりが本で得た知識だと、なんでもインドでは女の子が嫁にいくとき、お金がだいぶいるらしい。お金の金額でいいお家に嫁げたり、嫁げなかったりするそうだ。ナギナさんも同じことを言っていた。
「それに女の子は出て行くでしょ。とっても残されたほうは寂しいじゃない。この近所にも8人女の子、11人女の子のとこもあるのよ。男の子がほしくて次、また次っていう感じでね。口には出さないけど、本当は家族中残念がっているの。けどノープロブレム。2,3年後にはきっと産んでよかったと思ってるわ。」

すげえめでたい日のはずなのに、何だか悲しい気持ちになった。日本だってちょっと前までは、男の子を産むと「でかした!」と言って喜んでいたんだもんね。でも、それってやっぱりおかしいよな。

その日の夜、ナギナさんと話していると、彼女は急に涙を浮かべた。それが赤ちゃんのことだったのか、別のことだったのかはわからなかったけど・・・。

ナギナさんは優しいお母さんといった感じで、マザコンの僕はとても大好きだった。(書いといてなんですが、ウソだからね。書いといてなんですが)
それに彼女は優しいだけじゃなかった。
ナギナさんは一日おきに、宿の上にある城から、旅行者が飲んだ大量の椰子の実を宿まで運んでいた。乾燥させて燃料に使ったりするみたい。僕も1度だけ袋に入れたそれを運んだんだけど、軽く20キロはあると思われた。頭の上に載せて運んだんだけど、20メートルも歩くと首と背中が痛くなりギブアップ。結局もう少し軽いやつを、もう1人の旅行者と一緒に運んだ。それでもしんどかったけど。
ナギナさんはいつもそれを1人で4往復くらいしているんだとか。それにはインド人もびっくりみたいで、彼女は自分で「アイムクレイジー」と言って笑っていた。
ある日、ナギナさんは椰子の実を運んでいる時、足の裏をバックリと切ってかなり血が出た。急いで水で洗い、ユーキくんが持ってきていた消毒液をかけたんだけど、その後彼女は裸足で歩き回っていた。ほんと強いわ。

ナギナさんには3人子どもがいて、長男で10歳のラジャという少年がまた、なかなかのなかなかだった。子どものくせにめちゃクールで全然子どもらしくなかった。ラジャはトランプ手品が出来るんだけど、ぼくらがちょこっとやるような簡単なやつじゃなくて、ちょっと本格的なやつだった。それも一回失敗したかにみせて「あれー?」とか言いつつ、最後はバシッと決めて、なかなかの役者だった。トランプゲームをしていても、楽器を弾かせてもいちいちカッコよく、女の子たちはラジャにキャーキャー言っていた。うらやましい。モテる奴は10歳でもモテるんだなと、モテない28歳はしみじみ思ったものさ。僕らと同じ年のミサキちゃんはラジャに「結婚しよ」とプロポーズしたけど、ラジャは少し困った顔をして「アイムトゥーヤング」とお断りしていた。ほんと、ラジャといる旅行者を見ていると、遊んであげているのか、遊んでもらっているのかわからなかった。
ラジャはよく宿のお手伝いもしたし、全然悪いとこがなかった。たぶん小さい頃から毎日毎日、僕らみたいな旅行者と接してきて、そういったもんを身につけたんだろうね。ほんと将来楽しみだわ。

出発の時、ナギナさんはゆりに指輪、僕に手首輪をプレゼントしてくれた。宿の前でみんな並んで見送ってくれた。一緒に手を振っているユーキくんはまるでその家族のようだった。
「バイバーイ」
また大切な場所が1つでき、僕らは次の町へと旅立った。その夜の夜行列車、暗い窓の外を静かに眺めるゆりを見て「完璧、旅人ですなあ」と思った。

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中央がザフラン、その後ろがナギナさん。
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モテボーイのラジャ
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インド人は「リンダリンダ」と「トレイントレイン」が大好きだった。
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ユーキくんは阿波踊りをやっていて、かなりかっこよかった。
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私たちきれい?
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ホーリー翌日の新聞の一面をかざりました。僕もちいさく写っているので探してみてね。

これクリックするラジャと結婚できるよ。


インド人の底力
3月21、22日はインドで一番熱い日といわれるホーリーだった。
ホーリーとは、豊穣祈願と新年祭の意味をもつヒンドゥーの春祭りで、その日だけはカーストに関係なくみんなが色のついた水をかけあうという。やはり子どもはこのホーリーをめっちゃ楽しみにしていて、街角では待ちきれない子たちがフライングして色水をかけあったりしてた。僕らは彼らの横をビビりながら通っていたんだけど、何回か水風船を投げつけられていて、僕はひそかにホーリーの日のリベンジに燃えていた。

ジョードプルの宿は「ヒルビューゲストハウス」という日本人宿に泊まっていて、オーナーのザフランは町の議員さんとかで、なかなか権力のあるおばちゃんだった。
21日はこのザフランの力で、お偉いさんたちが来るホーリーフェスティバルに日本人バックパーカー10数名と参加した。大勢のカメラマンに囲まれ、僕らはインド人たちと色粉をかけあった。この様子は翌日のローカルニュースで流れ、ゆりはかなりたくさん映っていた。常日頃から美しいと思ってはいたが、日本より先にインドでデビューするとは思ってなかった。
ちなみに僕は、ザフランに言われて持ってきていたジャンベとウクレレを守っているうちに乗り遅れてしまい、日本人の中で唯一きれいな姿のまま終わるというサブい結果になってしまった。少しテンションが下がった僕は、翌日の水掛け本番に並々ならぬ闘志を燃やすのだった。

22日の朝、宿の前に太鼓を叩きながら、赤い色に染まったインド人集団がやってきた。
「この時を待っていたぜ」
ペットボトルに緑色の色水を入れ、僕は彼らの中に飛び込んだ。たちまち数人のインド人に押さえつけられ、持ってきたペットボトルを取り上げられて頭から掛けられてしまった。服もちぎられんばかりに引っ張られ、やられ放題。
しかし、ここ数日、いやインドに来てからの鬱憤が溜まっていた僕はここぞとばかりに反撃を開始した。
「インド人全員殺す!」
インド人から色粉を奪い顔面めがけて投げつけたり、インド人の服を脱がしたり、ペットボトルを奪い返して振り回した。
「こ、こいつ狂ってる」とインド人が逃げ出す。
ウハハハ、インド人、ウハハハ、殺す。

僕は何度も色水をペットボトルに入れ、彼らに襲撃したり、襲撃されたりした。全身がカラフルな色に染まっていく。そして太鼓のリズムに合わせて、みんなで踊りまくった。
「ハッピーホーリー!」
僕はいつの間にかインド人たちと抱き合い、ホーリーを祝っていた。

その後、ザフランの知り合いのおじさんに連れられ僕ら男子は町にくりだした。女子は危険ということでお留守番。
「どんだけみんな暴れているんだろう」と思っていたけど、町は案外静かで、きれいな格好をしている人も多かった。いつも人でごった返しているバザールにはほとんど人がおらず、なんだか拍子抜けした。なんか派手に染まっている僕らの方が浮いている感じだった。「あーあ、やっちゃった」みたいな。
時々出くわすホーリーインド人たちも無秩序に暴れているわけじゃなく、家々をまわって太鼓を叩いて踊り、純粋にホーリーをお祝いしている感じだった。

僕らもおじさんの親戚の家を3件ほどまわった。
家の中に入れてもらい、スナック菓子やチャイをご馳走になった。女性はサリーで顔を隠していた。
食事が終わると、みんなで家の主と思われるおじさんに粉をかけ、それから家の中にもかかわらず色粉の掛け合いが始まった。太鼓もバンバン叩いている。今まで顔を隠して静かに座っていたおばちゃんも水バケツを持ってきて豪快にガバーッとひっくり返した。これには日本人ホーリー軍団も目を丸くした。
「まじで!家の中だよ。ぐちゃんぐちゃんだよ。」
しかし、おばちゃんたちの勢いは全く衰えず、どんどん水の入ったバケツや壺を持ってきて、じゃんじゃんぶっ掛けてくる。
「わたしゃ、この日のために生きてるんだよ。どうだい、異国の若いの。これがインド人の生き様じゃい!」バシャーン!

めちゃくちゃだよ。やっぱすげえよ。インド人すげえよ。僕はそのインド人たちのぶっ飛びようにかなり感動した。

それにしても、こんなにはしゃいだのは何年ぶりだろうか。
まだまだ自分はやれる!水遊びやれる!という自信をもち、来年は日本の我が家でホーリーやろうと心に決めるのだった。

ハッピーホーリー!

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これクリックすると粉つけられるよ。


ないわあ
ジャイサルメールからバスで6時間、ジョードプルという町にやってきた。
その夜のこと。

9時ごろ、ネットをしようと宿から出ようとした時、小学生くらいの子どもたち十数人が、インド人の親子を囲んでいるのが目に入ってきた。若い母親とまだ3歳くらいの小さい子どもで、身なりから貧しいのがわかった。
「何やってるんだろ」と僕らは2階から彼らの様子を見ていたんだけど、何やら子どもたちが親子をいじめているように見えた。子どもたちの中でも年長の子が木の棒を持っていて、母親に向かって叩くような仕草をしている。
母親は道に落ちてある何か(たぶん石じゃないかな?)を袋に入れていて、子どもたちはそれに対してまた文句を言っているようだ。彼女の子どもがヨタヨタと歩いていると、木の棒をもった少年は思いっきりじゃないにしろ叩いていた。

僕はこの旅で一番嫌な気持ちになった。
とりあえず、子どもたちを追い払いにいこうと思ったとき、母親が僕らに気づいた。そして両手を合わせた。バクシーシ(施し)を要求しているようだ。
「この状況で物乞いするのかよ、ますます惨めじゃないか。」と何だかやりきれなくなった。
僕は階段を下り、子どもたちを追い払いつつ彼女に近づいた。1ルピーを渡そうとすると、その前に彼女は僕の足元にひざまずき、足に手をそえて頭を下げた。
「そんなことしなくていいよ。」と思いつつ彼女にお金を渡した。

子どもたちがまた周りを囲みだしたので、にらみつけて「やめろよ!」と日本語で怒鳴った。そして手で彼らを追い払おうとした。その時に気づいたんだけど、少し離れたところに大人が数人座っていた。「何でこいつらを注意しないんだ!」と思ったけど、何かしらの事情があるのかもしれない。僕は嫌な気持ちのままその場を去った。

おそらく、あの母子はすげえカーストが低いのだろう。もしかしたらカーストの位置すら与えられない「不可触民」かもしれない。
どんな理由があるにせよ、大人が小学生にいじめられている光景はかなりショックだった。そして、それを見て育つあの子どもにはこれからどんな人生が待っているんだろう、と心が痛んだ。

あー、嫌な感じだ。

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バスの窓の外に現れたアイスクリームボーイ

これクリックすることないよ。


エガちゃんはきついよ
町の外れにある湖にお出かけした。うるさい客引きもおらず、のんびりしたいい感じのとこだった。僕らは建物の陰に腰かけ、ぼんやりと湖を眺めながら、人には言えない夫婦の話をした。(うそ)

僕らの目の前を、2人のインド人男性の乗ったボートが通り過ぎてゆく。仲良しだね。気持ちよさそうだ。「おーい」なんて手を振ってみる。
しばらくすると、今度はスワンボートに乗った2人のインド人男性が通り過ぎていく。そういえば、これに乗って旅をした芸人がいたっけと思いつつ、「おーい」とまた手を振ってみる。
もうしばらくすると、今度は5人のインド人男性を乗せたボートが通り過ぎていく・・・・・

って、男ばっかじゃねえか!

少し遠くまで見渡しても、女の子は1人もボートに乗っておらず、全てヤロー同士だった。

なんでも、インドでは結婚が神聖化されていて、未婚の男女が恋愛して付き合うのは難しいらしい。都会じゃゆるくなってきているのかもしれないけど、結婚していない女の子が男と一緒に歩いているとこを見られたら、何を言われるかわかったもんじゃないらしい。結婚相手は、ほとんど親が決めてくるみたいだね。

伝統的な制度なのかもしれないけど、それって楽しくない。好きな子ができてもどーすることもできず、親が決めてきた相手が江頭みたいな女でも我慢しないといけない。インドでは離婚することはとんでもないことらしく、かなり難しいみたい。ずっとエガちゃんと一緒だ。

そういった事情もあるんだろう、インド人は厳しいシキタリと関係ない外国人にはかなり積極的だ。ていうかセクハラぎみだ。宿のスタッフのハリー・ポッターもいい奴だけど、ゆりはやけに肩や背中をさわられると言っていた。
しかし、彼らの身になってみると、当然のようにも思える。20歳そこらの青年が女の子とろくにしゃべれないんだから。そして、こんな美しい異国の女性がいるんだから、そりゃさわっちゃうよな。

ゆりとインド人の恋愛事情について話している間にも、また男2人を乗せたボートがやってきた。写真を撮ってほしいのか、近くをウロウロして笑いかけてくる。
う・・・・なんだかとっても切ない。
僕は、この時ほどインド人に優しくなれそうだと思った時はなかった。

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これクリックするともう間違いないよ。


ゲリラッキー
インドに来て1ヵ月半、ついにあれがやってきた。ずっと「まだかなあ、まだかなあ」と待っていたのだ。もちろんサンタクロースでも生理でもない。インドを旅するもの全てにやってくるという、そう、ゲリである。
中国では油にやられ、しょっちゅうゲリしていたのに、インドに入ってからはピタリと止まっていた。
「おかしいなあ。こんなはずじゃなかったのになあ。」と首をかしげていたんだけど、ようやくやってきたのだ。
原因はわからない。前日の夜は、ちかちゃんとフォン・ファンとの最後の夜だったので、ちょっと贅沢をしてタンドリーチキンなどを食べていた。そういえば、ネパールで久しぶりに日本食を食べた後もゲリしたので、ひょっとすると、僕の胃はちょっとうまいものを食べるとゲリするようになったのかもしれない。
1日に何度も何度も、暗いトイレの中でおしっこのようなうんこをしながら、「やっぱり僕はインドに来ているんだなあ」と幸せな気持ちになるのだった。

今いるのは砂漠の町ジャイサルメール。町の建物全て砂色をしていて、なかなか雰囲気のあるステキ町だ。男は頭にターバンを巻き、女は今までの人たちより色鮮やかなサリーを身にまとっている。鼻にでかいピアスをしていて、なかなかおもしろい。
金持ちや貴族の家は、壁全体に精緻なレリーフが施されていてかなりすごい。こういった装飾彫刻はイスラム教徒の伝統技術だったんだけど、印パ戦争の時に職人がパキに脱出してしまったから、今後はこれほどの建物は造られることはないらしい。
毎夕、美しい夕陽が砂漠に落ちていくのが見える。少し気温が下がり、涼しい風に吹かれてぼんやり夕陽を眺めていると、ずっとこの町にいたいような気持ちになってくる。

僕らが今泊まっている「デザート ビュー」という宿のオーナーは韓国人のソニャさん。「インド人と結婚したんだ」と思っていたけど、どうやら独身らしい。話を聞くと、4年前に初めてインドに来てからはまってしまい、特にマインドがカンフォタブルなこのジャイサルメールに宿を借りたそうだ。
「ビザはどうしているの?」と聞くと、僕らと同じ6ヶ月のツーリストビザだという。それで宿を経営できるのか、と少し驚く。ビザが切れる半年間は世界を旅するそうだ。4月になるとジャイサルメールの気温は50度を超えオフシーズンとなるので、宿を閉め、トルコからエジプトにかけて旅するそうだ。僕らと同じだ。彼女はジャイサルメールをベースにして世界を旅してるってわけだ。
「そんなのもありなのか」と僕は彼女のフリーなライフになかなか憧れてしまうのだった。

宿には数人のスタッフがいて、「ハリーポッター」と名乗る20歳の青年は、片言の日本語や韓国語をしゃべり、おもしろい。町を案内してくれたり、チャパティーの作り方を教えてくれたりと、なかなかよくしてくれる。

もう1人、マヌークという少年がいて、年齢はまだ12歳だという。自分の言葉しか話せないので、ほとんど会話はできないんだけど、僕がジャンベを叩いていると近寄ってきて、貸してあげるとでたらめなリズムを叩き喜んでいる。実際はどうかわからないけど、いつも悲しそうな目をしていて、僕は彼を見ると少しせつなくなった。
砂漠の村から来ているというマヌークは、まだ12歳なのに家族と離れて働き、学校にも行っていない。毎晩野宿とかわらない宿の屋上で寝泊りしている。
日本も丁稚奉公があったけど、あれはいつの頃の話なのだろう。今までも小さい子どもが働いているのは目にしてきたけど、こうして宿で働いているのには初めて出くわしたので、少々びっくりした。まあ、マヌークからしたら、もうすぐ29歳になるのに働きもせず毎日フラフラしている僕らにびっくりなのかもしれないけど。
アジアを、そしてインドを旅していると、この世界全体がカースト制度みたいなもんじゃないかって思えてくる。生まれた国によってどーしても越えられない壁がある。僕はたまたま上のカーストに生まれたから、今こうやって旅ができてるんだって。ただ「俺ラッキー」と言って、今の立場に甘んじていていいんだろうか、という気持ちになってくるけど、何をどうしたらいいのかわからない。ただ、「俺ラッキー」なんだ、ということは忘れずにいたいな、と思う今日この頃なのである。あとゲリなのである。

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これクリックするとゲリラッキーだよ。


美女とラクダとインド人と行く砂漠ツアー
ジャイサルメールの町からジープで30分ほど行くと、どこまでも続く荒地のようなところに、ポツンと4匹のラクダと2人のインド人が待っていた。美女とラクダとインド人と行く砂漠ツアーの始まりだ。
メンバーは僕ら2人と昨日出会ったちかちゃんと韓国人のフォン・ファン。僕のこのツアーの使命はこの美女たちをインド人から守ることだった。さて、気になるのは僕の敵となるはずのインド人なんだけど、1人はこの道30年という55歳のムッサー。白いターバンが似合っていて、とても優しそうなおじいさんって感じだ。もう1人はタリーブ20歳。「注意すべきはこいつか!」と思ったけど、彼も穏やかそうな青年で、悪さをするようには見えない。タリーブは「こないだ韓国人のツーリストにもらったんだ」と腕時計を自慢げに見せてきて、「でもなんでか日付が1日進んでるんだよな」と残念がっていた。たぶん、うるう年のせいで進んじゃったんだなと、僕がピッピッと直してあげると、「ユーアーグッドマン」と言ってかなりうれしそうだった。うーん、どうやらもう手なずけてしまったようだ。使命、終了。

僕が2日間乗るラクダはクラープという名前だった。僕はクラープを「ひろし」と名づけた。背中にまたがるか否か、ひろしはムクッと立ち上がった。意外と高く感じる。ひろしは、ムッサーとちかちゃんの乗ったラクダに続いて歩き始めた。思っていたより揺れる。しばらくするとムッサーの合図とともに走り出したんだけど、今度はかなり揺れた。縦揺れで、バンバンと尻がひろしの背中に叩きつけられる。
「ラクダはラクだ」と小学生の頃から100万回くらい言ってきたけど、ちっともラクダはラクじゃなかった。この事実に僕は狼狽し、少しガッカリしたものだった。
しかし、僕はひろしと一体になることに集中した。ひろしの動きに逆らうことなく身をまかせるのだ。だてにジャスコのロデオマシーンにタダ乗りしていたわけじゃなく、僕はしだいにひろしを乗りこなし始めた。
乗馬経験があるちかちゃんは、腰が揺れるものの頭は揺れず、背筋がピンと伸びて美しくラクダにまたがっていた。しかし、ゆりとフォン・ファンはかなりきつかったみたいで、後から聞いた話では、2人ともお尻の皮がめくれてかなり痛かったらしい。フォン・ファンは昨日の夜行列車で体調をくずしていて、かなりつらそうだった。ちなみに僕の体調は美女とラクダに囲まれてすこぶる良かった。

1時間ほど走ったり歩いたりを繰り返した後、昼食休憩になった。そこらへんから枯れ木を集めてきて火を焚いた。メニューはもちろんカレー。ムッサーがジャガイモや人参を切って鍋に入れ、タリーブは粉をねってチャパティーを作ってくれた。
フォン・ファンは「何でここでわざわざ作るのかね?持ってきたら早いのに。」と言っていた。ちかちゃん曰く、普段はかなりの毒舌みたい。
「いやいや、フォン・ファン。砂漠で作って食うからいいんだよ。普通はここは喜ぶところなんだよ。雰囲気だよ。シチュエーションだよ。」と言うと、フォン・ファンは「ふーん」といった感じだった。
カレーは少し辛く、時々ジャリっと砂を噛んだ。まあ、やっぱり雰囲気だからね。砂も噛むでしょ。

午後からは2時間くらい乗っただろうか。しかし、なかなか僕らがイメージする砂漠は現れなかった。乾いた大地に木や草が点在していて、荒野といった感じだった。動物にもちょくちょく出くわした。羊、鹿、それに孔雀も見た。あと牛もいたけど、こいつらにはもう見飽きていた。
途中、砂漠の村に寄った。女性が土みたいなのをこねていた。聞くと牛の糞だという。やはりチベットと同じで、ここでもうんこは貴重な燃料みたいだ。
「じゃあ、またうんこの家があるのか?」と僕は目を輝かせたけど、そんな家はどこにもなかった。
色鮮やかなサリーを着て、頭に水がめをのせて歩く女性を何人も見た。どこからか水を汲んできたんだろう。こんな乾いた大地ではろくな食物は育たないだろうし、いったいどうやって生活しているんだろうか。僕にはまったく砂漠の暮らしが想像できなかった。

夕方頃、ようやく砂丘が現れた。甲子園球場1つくらいのものだったけど、「やっぱ砂漠といったらこれだよな」と、僕らは喜んだ。どうやら今日はここで野宿するようだった。
砂丘はかなりきれいだった。砂がもうめっちゃサラサラしていて気持ちよかった。と、突然、突風がやってきて5分くらい僕らを吹き続けた。
目も開けられず、僕らはずっと耐えた。がんばって薄目をしていると、体がどんどん砂で埋まっていくのが見えた。
「うーん、埋もれる埋もれる」と僕は少しテンションが上がった。
ようやく風がやみ、写真を撮ろうとカメラをポケットから取り出すと壊れていた。テンションが下がった。

晩飯はやっぱりカレー。昼間と同じやつ。でも今度はご飯も炊いてくれ、僕はジャリジャリいわせながら手で食った。ビールも用意してくれていた。めっちゃぬるかったけど、砂漠で飲むビールはめっさうまかった。

辺りが真っ暗になった晩飯後はもう何もすることがなく、僕らは砂の上に布を敷き、横になった。曇っていた空もだんだんと晴れてきて、星がたくさん見え出した。地平線近くに下弦の月が出ていた。それが、黒いシルエットとなったラクダの姿とめっちゃいい感じで、かなりロマンチックだった。
「こんな時には、ロマンチックなセリフを言って、美女を酔わせるのだ。そう、酔わせるのだ」と僕は頭をひねってみたけど、普段うんことかうんちのことしか考えてない頭からはロマンチックのロも出てこなかった。

僕らは星空の下語り合い、砂にまみれながらいつの間にか寝ていた。

心配していた夜の冷え込みもそこまでじゃなかったけど、体調をくずしてるうえに野宿をしたフォン・ファンはかなりつらそうだった。朝食を食った後、またひろしにまたがり帰路に着いた。昼前には最初の場所に到着し、何とか無事ツアーが終了した。

ジープを待っている間少しムッサーと話した。
彼らは客がいればこのまますぐに、またツアーに出かけるのだという。それを比較的暑くないツアーが行われる半年間ずっつと続けるみたい。そして、半年たてば、いろいろな食料を買い込み、家族が待つ砂漠の村にようやく帰るそうだ。それを30年間。まったくすごい話だ。僕らは1泊2日でこんなに疲れているのに。毎日ラクダに乗って、毎日あのカレーを作って食べて、毎日砂の上に寝て。ほんとすごいわ。
僕にはとてもこんな生活できないけど、もうしばらく星と月とラクダを見て砂の上で寝ていたらロマンチックなこと言えちゃったりするかな、なんて思ったり思わなかったした。

だらだらと書いてきたけど、そんな感じの美女とラクダとインド人と行く砂漠ツアーだった。読んでくれてありがたまきん。宿に帰って髪の毛を指でかきあげてみたら、バッサーと砂が落ちてきたあるよ。

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これクリックするとラクダになれるよ。



砂漠の王子 現る
デリーを出た僕らは夜行列車でジャイサルメールという町に向かった。デリーから西へ700キロ、パキスタンの国境まで100キロ、タール砂漠の真ん中に位置する小さな町だ。列車だと20時間かかるらしい。

実は2日ほど前から僕は少し体調をくずしていた。熱はたぶんないと思うけど、せきが少し出て体がだるかった。列車は夕方発だったので、最後にデリー観光をする予定だったけど、結局僕は動けず、この旅で初めてゆり1人で観光に行かせてしまった。ちょっと心配したけど、ゆりは立派にローカルバスに乗り、ガンディー博物館に行って帰ってきた。博物館はけっこうよかったらしく、ゆりはいろいろガンディーについて話してくれ、実はイギリスで女の人を買ったことがあるんだよ、というウンチクも披露してくれた。
「きっと女の人に対しても非暴力・不服従を貫き通したんだろうな」と僕はボーとする頭で考えたり考えなかったりした。

インドの寝台も中国と似ていて3段ベッドが向かい合う形で、僕らのベッドは上と真ん中だった。しかし、上は荷物置き場、真ん中は普段は折りたたまれ、背もたれとして使われていて、夜の9時とか10時にならないとベッドとして設置されないみたいだった。列車の移動は体調をくずした身にはやはりしんどく、僕は早く横になりたかった。
途中インド人がたくさん乗ってきた。寝台車両は全て指定席だったけど、「そんなの関係ねえ」とばかりに彼らは座ってきた。僕らの隣にも同じような体型をした2人の太ったおばちゃんが座った。サリーの隙間からわき腹の肉がこぼれ落ちていて見苦しい。どーもインド人はウエストはどーでもいいみたいだ。
おばちゃんたちが入ってきたせいで、座席はにわかに窮屈になった。しかし本来なら「どーもすみませんねえ。入れてくれてありがとうね。このご恩は忘れませんよ」という分際のおばちゃん2人の態度がやたらでかかった。お礼の一言もないどころか、1人はデーンと足を広げて座り、もう1人は座席の上であぐらを組みだした。僕はボーとする頭で「ぬー!てめえらそのわき腹の肉を引きちぎってやろうか!」と考えたり考えなかったりした。
結局おばちゃんたちはしばらくした後、「ほんとありがとうね。助かったわ。このご恩は一生忘れません」と言うことはなく降りていった。

9時すぎにようやくベッドが設置されたけど、やはりあんまり眠れず朝を向かえ、「まだか、まだ着かぬか。」とぶつぶつ呪文のように唱え続け、よくやく昼の2時ごろにジャイサルメールに到着した時には、僕はフラフラのフラーだった。

駅前には宿の客引きがわんさか待ち構えており、僕らを見つけるや否や一気に取り囲んだ。それは今までで一番しつこく、体がだるかったのもあり、僕はこの旅初めて「シャラップ!」と言ってみた。よくない言葉だと思いつつも。するとインド人たちは少しひるんだように見えた。が、すぐに「あーシャラップねえ。アハハ、シャラップ、アハハ。君おもしろいね」とばかりにさらにしつこく話しかけてきた。もう死んでくれ!

僕らがインド人と格闘している時、1人の日本人と思われる女性が話しかけてきた。キラーン!なかなかの美人さんである。
「あのー、キャメルサファリはどこのに行くつもりですか?私たち女の子2人で少し心配で。一緒に行ってくれる男性を探してるんです。」
キラキラーン!魚の腐ったような目をしていた僕の瞳が輝き始めた。
そう、ここジャイサルメールではラクダに乗って砂漠を練り歩くツアーが目玉なのだった。しかし、悪質なサファリ業者も多いみたいで、デリーで出会った人は寝てる間にお金を取られたと言っていた。
僕らは少し高いというのもあり、全くサファリツアーに行くつもりはなかったんだけど、
「じゃあ、詳しい話は宿で」と言って、彼女たちと一緒にオートリクシャに乗り、一緒の宿にチェックインした。

僕らに話しかけてきた女性はちかさん、もう一人は韓国人でフォンさん。(これは中国名。「本名は知らないんだ」とちかさんは言っていた。)2人は台湾で語学留学している時に知り合い、留学最後に記念としてインドを旅しているそうだ。2週間とあまり時間がない彼女たちは、明日さっそくキャメルサファリに出発するという。

明日かあ。僕は迷った。何と言っても体調が良くなかった。ツアーは1泊2日。その間ずっとラクダに乗り続けるのはしんどそうだ。そしてこの時期、昼は暑く、夜はけっこう寒いらしい。カゼが悪くなることはあっても良くはならないだろう。

しかし、僕はこの話をしている間中、ある妄想に駆られていた。頭の上にモクモクとマンガのようにその絵が浮かんでいた。
それは、どこまでも続く砂漠の中で、ラクダに乗った美女が
「おいで、おいで、アハハハ、アハハハ、アハ」
と言って、僕を幻想の世界へと誘っているのだ。砂漠なのに、なぜか辺り一面のお花畑。うーん、「おいで、おいで」言われたい。

「わかりました。行きましょう」
僕が意を決して言うと、彼女たちは「わー!ホント?ありがとう」と言って大喜び。僕は美女を守るという使命感に燃えた砂漠の王子様の気分だった。

僕はその日は明日に備えて宿でおとなしく寝た。美人とラクダと(あとインド人と)行く砂漠ツアーかあ、としんどいながらも、ウキウキランラン気分だった。
また頭のどこかから「おいで、おいで、アハハハ、アハハハ、アハ」と聞こえてきた。

しかし、僕はまだこの時、砂漠とラクダの本当の恐ろしさを全く理解していなかった。(なーんて、実際明日から行くからわからないんだけどね。)

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これクリックすると砂漠の王子になれるよ。


日本からの手紙とセクハラチルドレン
道を歩いていたら、たまたま日本大使館があったので、「おっこれはこれは日本大使館じゃないですか」と入ってみると、そこにたまたまいたインド人が声を掛けてきた。
「あっヒサカさん。お手紙届いてますよ。」
んなわけねーだろ、と思いつつ受け取ると、それは日本からたまたま届いた歩氏からの手紙だった。
こんなたまたまなこともあるんだなと、封を開けて見てみると、中にはタージマハル到着記念として、紙でできた浮き上がるタージマハルの手紙が入っていた。粋な歩氏の計らいに僕らはたまたまうれしくなった。異国でたまたま読むお手紙ってのは、なかなか・・・じゃなくて、たまたまいいもんだった。
僕らがそんな日本からの便りに浮かれていると、たまたまやってきた大使館の日本人の職員が
「うちは手紙の預かり業務は特にやってないので、今後は勝手に送ってこないようにお願いします。」と、たまたま注意してきた。
「おっなんだ、なんだ。感じ悪いじゃないですか?これはたまたま送られてきただけなんだよ。」と反論しようかとも思ったけど、まあ僕らもたまたま気分も悪くなかったので
「はーい、気をつけます」と言って、たまたま日本大使館を後にしたのだった。
歩氏、ほんとたまたまありがとう。


話は変わって、ヒンドゥー教の主要な3神の1つにシヴァ神というのがおった。そいつは宇宙の破壊や再生をつかさどると言われていて、額にある第3の目が開いた時世界が滅びると、人々は恐れていたそうじゃ。こいつは神のくせにいつもマリファナをやっていて、売られている写真なんかは、目がトローンとしているのも多かった。

去る3月6日はシヴァラートゥリという、何億人もの信者が礼拝するシヴァの祭りだった。デリーでもシヴァを祀った街角などには人々が集まり、花を供えてたりしていた。
その他に、この日は路上でバングラッシーが無料で配られていた。バングというのはよくわからんけどたぶんマリファナみたいなもので、それをインドの飲むヨーグルトであるラッシーに入れたのがバングラッシー。一応非合法らしいけど、この日は特別いいみたい。
「マリファナ大好きシヴァ様の祭りなのだ。我々も気持ちよーくなろうじゃないか!」というノリなのか?大人から子どもまでみんな、ペットボトルに入れてもらったり、直接手に注いでもらったりして飲んだりしていた。確かにこの日は、目がトローンとしてる奴や、やけにテンション高い奴が多い気がしたが、インド人いつもこんな感じだから、よくわからんといえばよくわからんかった。

僕はカメラを持ってなかったので、ゆりをラッシー屋の前で待たせ、宿に取りに帰った。しばらくして戻ってくると、ゆりがいない。辺りを見回すと、少し離れたところで待っていた。どうも機嫌が悪そうだった。
話を聞くと、僕がいない間にフラフラになった子どもたちがやってきて、ズボンを下ろしてチ〇チ〇を見せてきたり、胸や尻を触ってきたりしたそうだ。
これには僕もキレた。子どもたちに近づき、少し生意気そうなガキの頭をはたいて「何してんねん!」と日本語で怒鳴った。こっちの真剣さが伝わったみたいで、一応子どもたちは大人しくなった。
しかし、小学生くらいの子どもがこんなにフラフラになっちゃって、祭りといってもやりすぎじゃないか。インド中がこんなフラフラの奴で溢れかえるわけだから、「どんな国だよ」とツッコミたくなるよ。まあ、どっかのお偉いさんたちも、酔っ払うと同じようなことしてるけどね。

その翌日、僕らが通りを歩いている時、ゆりの背中に何かがぶつけられ、そして足元でパンと弾け、水が飛び散った。水風船だった。パッと振り返ると、子どもが人ごみに消えていくのが見えた。顔まではわからなかったけど、昨日のガキかもしれないなと思った。背中で破裂しなかったのがまだ幸いだったけど、ゆりはかなりテンション下がってしまった。
アーグラーからキレやすくなっている僕は「セクハラチルドレンめ!次会ったら殺す!」と目を血走らせ、「もうデリーなんていたくねえよ」と出発を決めた。
いよいよ、本格的にむかついてきたインド人。早くツーリストが少ないとこに行かないと、インドが嫌いになりそうだ。
とりあえず、セクハラチルドレンに「そんなことしているとインド人になっちゃうよ」と言ってやりたい。

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あしたのジョー
今日、久しぶりに体重を量ったら56kgだった。いつの間にか5kgも落ちていたようだ。病気もしてないし、ちゃんと毎日食べているのに。やっぱダイエットにはアジア放浪が一番だね。

デリーに着いて5日が過ぎた。しかし、僕らはほとんど観光に出かけなかった。ニューデリー駅前のメインバザールにある150ルピー(430円くらい)の宿に泊まっているんだけど、一日中宿でごろごろし、本を読んだり、時々ジャンベを叩いたりしていた。昼間は35度と真夏の気候で、出かけるのが億劫だったのもあるけど、何かやる気、元気、ウキウキが沸いてこない感じだった。タージマハルを見ちゃって「燃えたよ・・・燃え尽きた・・・。真っ白に・・・」と、矢吹ジョーの気分だった。

今は大学生が卒業旅行や春休みを利用してインドにたくさん来ていて、僕らが泊まっている宿にも毎日毎日二十歳そこらの元気な若者がやってきた。皆、ちゃっちゃっとデリー観光をすまし、1泊くらいで次の町へ旅立っていった。僕は彼らを見送るたびに、自分は旅で何かを失ったんじゃないか、と少し暗鬱な気持ちになった。(沢木耕太郎風。そういや『深夜特急』の始めもデリーで退廃的に暮らしている場面からだったっけ。別に真似したいわけじゃないんだけどね。)

僕にとって大きな出来事が1つだけあった。それは、昔、タイのチェンマイで出会ったイトさんに10年ぶりに再会したことだ。彼は今、デリーの大学に留学していて、1年半くらいインドに住んでいた。
チェンマイでは数日一緒にいただけだったので、正直顔を見てもピンとこなかったんだけど、イトさんは僕が海外で知り合ったほとんど最初の人だったので、当時話をした内容とかよく覚えていた。僕らはお互い過ごしてきた10年間についていろいろ話した。前に会った時は大学4年だったイトさんは、その後新聞社で5年半働き、ある程度お金が貯まったので辞め、海外に出たそうだ。初めから海外で5年ほど暮らせる金を貯めたら辞めると決めていたそうだ。それから、中国で中国語やチベット語を学び、今はインド留学。今年の5月からはまた中国に戻り、北京の大学に留学するそうだ。
昔も大学を7年間行き(休学も含めて)、世界中を旅した話に驚き、「いやあ、世の中にはぶっ飛んだ人がいるもんだ」と海外に出たばかりの僕は思ったものだったけど、久しぶりに会ったイトさんはやっぱり自分の生き方を貫いていて、ちょっと胸に響くものがあった。
「よく仕事辞めれましたね。」と僕が言うと、
「やっぱりまだ満足してなかったからねえ。でも次日本帰ったら、真人間になるつもりだよ。」とイトさんは笑って言った。

最近旅人と交換した本の中に「ハチミツとクローバー」の5巻があった。僕は初めてそれを読んだので、ストーリーはよくわからなかったけど、少しいい場面があった。
それは、大学生の男の子が「自分探しの旅」として、チャリで東京から北海道まで行くんだけど、途中で土方のアルバイトをした。彼にはそこが居心地よくて、だらだらと居ついちゃったんだけど、ある日そこの棟梁がもう出発した方がいいと言った。そして棟梁はこう続けた。

「答えなんざどーでもいい。ハナからそんなものはねーんだ。『自分で本当に気のすむまでやってみたか』どーかしかないんだよ。」

なんか今の自分にちょうどはまる言葉だった。
僕は本当に気のすむまでやったのか?このまま帰ったら中途半端じゃないか?まだまだ世界のほんの1部を回ったにすぎない。まだ僕の知らない世界が待っているんだ。そうだ、やっぱり世界はミーバイミーバイなのだ。

今、ゆりはベストセラーになった『神々の指紋』を下巻から読んでいるんだけど、やっぱりピラミッドはめちゃくちゃすごいらしい。ゆりは興奮して本から知ったことを教えてくれるんだけど、興奮しすぎてよくわからない。うむ、こうなりゃ実際にピラミッドを見たいじゃないか!世界一美しい墓の後は世界一でかい墓を見に行くというのもなかなか悪くない。
僕らは少し話し合って今後のルートを決めた。このままもうしばらくインドを旅した後トルコに飛び、それから陸路でエジプト・ピラミッドを目指そうじゃないか!と。うん、うん、なかなかいいねえ。少し気分が盛り上がってきた。
どこからか丹下段平の声が聞こえる。
「立つんだ!立つんだジョー!」

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ニューデリー駅前 ガイドブックに「うそつき多い」と書かれてある。僕らうそつきにとっては聖地なのだ。
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メインバザール。ここもうそつき多い。
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宿のおかみさん。みんなから「マーム」とか「お母さん」と呼ばれている。ラピュタのドーラに似ている。

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今日から沖縄高校入試なんだね。一応僕が教えてた50人くらいの元生徒が受けるので、やっぱり気になるね。見てないだろうけど、やっぱり言いたい。がんばれ!インドから応援してるあるよ。そして塾長、お疲れ様っす!





むかつくんじゃ!
タージマハルを見た後のアーグラーでは、シャー・ジャハーンが幽閉されたというアーグラー城や、こないだ見た映画の主人公アクバル王が作り、一時は都として栄えたファテープル・スィークリーを見に行った。これらのムガル帝国の遺跡は世界遺産にも登録されていて、確かにでかく立派で、壁面の装飾もきれいだった。
ただ、まだタージマハルの余韻が残る中で訪れたためなのか、どうも僕には物足りなく感じた。あの白くてでかい大理石の塊と比べてしまうとどうしても見劣りした。

どうもよくない感じだった。
とりあえずタージマハルを目指そうと言って始まったこの旅だったけど、旅をしている間に、僕らの中でタージマハルの重要度が増していたようだった。中国で腹をこわしている時も、チベットで寒さに震えている時も、「タージマハルまでは行くんだ」とそこまで意識はしなくても思い、前に進む原動力になっていたのだ。そして、いざ到着し、それがまたあまりにも美しかったものだから、何だかやり遂げた感が出てきてしまった。「うん、よくやった。目的は果たした。」みたいな。もう、まるで大学受験に無事合格した受験生のように。後は、目的もなくただ無為な日々を送るだけ。沖縄だと、海、ビール、ビール、海、ビール、泡盛、しまらっきょ、泡盛、キャッチボール、みたいな。
まあ、それも悪くないんだけどね。いや、むしろ魅力的だなあ。ていうか理想的だなあ。

でも、今の僕には新たな目的が欲しかった。旅が人生に似ているとよく言われるけど、やっぱり人が人生に目的を求めたりするように、旅にも目的があった方がよかった。でも、タージマハルに並ぶ新たな目的地なんて見つかるのだろうか。見つからないのならいっそこのまま旅を終え、日本に帰った方がいいんじゃないか。でも、やっぱまだ旅したいな。
僕は遺跡の中で、そんなことを考えていた。・・・・かな?


話はいきなり変わるけど、アーグラーのインド人たちがめちゃんこうざかった。リクシャや宿やレストランの客引きがひっきりなしに声を掛けてきて、それがもうかなりしつこかった。それだけだったら、まだ「生活のためなんだな」とか一応納得できるんだけど、ニヤニヤして何か言ってきたり、値段交渉している時にわざと横からウソついて邪魔しようとしたり、そういうのがやたらと頭にきた。

ネットカフェに入った時のこと。
日本語が使えなかったので、店の人に「何とかならないか?」と尋ねてみると、「インストールすればいいよ」と言う。
「インストールの仕方がよくわからない」と僕が言うと、客と思われるインド人がニヤニヤしながら「お前はインストールの仕方もわからないのか」と言ってきた。少しカチンときたが、「そう、わからないから教えてくれないか」と大人の対応をしたら、そいつは「わからないのか。お前は何もわからないのか」とバカにしてきた。
僕はそいつを無視して店の人にインストールしてくれるよう頼んだんだけど、そのパソコンではどうやら日本語は使えないみたいだった。
僕が仕方なく店から出ようとすると、またさっきのインド人が「5ルピー払えよ。一応使ったんだから」と言ってきた。店の人が「別にいいよ」と言うのも聞かず、「5ルピー」と言ってくる。それもニヤニヤしながら。
このいかにも人をバカにしている態度にかなり頭にきて、そいつを殴りたい衝動に駆られた。でも結局「アホ!死ね!」と子供が言うようなことを馬鹿でかい声で叫び、その店を出た。かなり胸糞が悪かった。

ビリヤニというインドの炊き込みご飯が食える屋台が宿の近くにあった。地元のインド人が群がるその屋台のビリヤニは、よく煮込んだマトンが付いてきて、めちゃんこうまかった。「今日もあのビリヤニ食おうぜ」と僕らは2日続けてその屋台に行った。
そこでは料金に合わせてごはんの重さを天秤で量り、皿によそおってくれるんだけど、周りのインド人たちに比べて僕らのだけやけに少なかった。払う金が違うのかなとも一瞬思ったけど、前日と比べても少なかったので、わざとやられているんだとわかった。
これにはゆりが切れた。「なんでこんな意地悪するの!」と言って、結局ビリヤニを食べなかった。ささやかな反抗らしい。僕は少なく盛られた2皿分のビリヤニを美味しく食べた。

アーグラーでは最初200ルピー(600円くらい)の宿に泊まっていたんだけど、2日目から150ルピー(450円くらい)の宿に移った。
最初の宿をチェックアウトする時、宿のおっさんが「昨日チェックインしてから24時間たったから、君たちはもう1泊分の200ルピーを払わなくてはいけない」と言ってきた。
確かにインドには24時間制の宿があると聞いていたけど、その宿にはフロントにはっきりと「CHECK OUT TIME 12 NOON」と書かれてあった。まだ時間は午前11時だったので、僕らが払わなくちゃいけない理由は全くなかった。
驚いたのは、この宿のおっさんとは、ついさっきまで一緒に写真を撮って「後で住所教えるから写真送ってくれよ」「いいよ、いいよ」なんてフレンドリーにしていたのだ。
24時間制だとウソをつくことに僕は頭にきて
「ふざけんなよ。フロントにも12時チェックアウトと書いてあるだろ。お前も一言も24時間制なんて言ってないだろ!」
と怒鳴った。こいつからは200ルピー取れないなと思ったのか、おっさんはあっさり「わかった。200ルピー払わなくていいよ。問題ない。」と言ってきた。そして信じられないことに、すぐ「さっきの写真送ってくれよ」と住所と自分の名前を書いた紙を僕に渡してきた。ほんとどういう神経をしているんだか。僕が切れたのはわかっているのに。僕はウソをつかれたことにむかついて「お前なんかに送るかよ」と冷ややかにおっさんを見ていると、「アーユーハッピー?」と聞いてくる始末。
「お前ボロうとしてたくせによく言うよ」と、もうちょっと怒りを通り越して、おかしくなってきた。
「写真送るよ」と僕は言ってその宿を出た。「気が向いたらね」と心の中で思いながら。

こうして書いてみると、1つ1つはまあよくある話と言えばよくある話だったけど、アーグラーではこんなのが連続して起こり、それがボディブローのように効いてきて、しだいに些細なことにも切れるようになっちゃったわけ。話を聞くと、人が悪いと言われる北インドの中でも、このアーグラーのインド人は特に観光客ずれしているみたいだった。確かに、インド人全員がこんなのだったら「どんな国だよ」ってなるよね。

僕らはインド人がむかつくということもあり、予定より早くアーグラーを発つことにした。
最後にタージマハル近くの宿の屋上のレストランに行き、タージを見た。日も暮れて、サイクルリクシャでタージマハルを後にした時、ちょっと寂しい気持ちになったあるよ。

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シャー・ジャハーンが幽閉されていたアーグラー城から。どうもタージマハルは見せてもらってないんじゃないか、というゆり博士の予想。息子に閉じ込められちゃうなんて、人生山あり谷ありですなあ。


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タージマハル現る
まだ月が輝く暗闇の中にタージマハルがズオーンと浮かび上がるように、その姿を現した。
時刻は朝の6時。入場開始直後でツーリストはまだ数人しかおらず、ひんやりとした空気の中、タージマハルまでの道をゆっくり歩いた。

朝イチに来たのには少し訳があった。それはゆりがタージに惚れこむきっかけとなった写真が、朝もやのかかったタージだったからだ。残念ながらもやはなかったけど、だんだんと空が白んでいく中、黒いシルエットでデンと構えるタージはかなりかっこよかった。

僕は入口でもらった白いカバーを靴につけ、タージマハルの階段を上がった。他のツーリストは少し離れたところから、朝日に照らされたタージの写真が撮りたいみたいで、誰も上がってく人はいなかった。思いがけず、僕らはしばらくの間タージを独占することができた。
「あのタージマハルに、今僕らだけがいるんだ。むふふふふ」
僕は誰もいない白い大理石の上を小躍りしながら歩き回り、朝日が昇るのを待った。

真っ赤な太陽が顔を出し、だんだんと光り輝いてくると、白いタージマハルも黄色く輝きだした。
「こりゃ、やばいな」そのきれいさに思わず口にする。

白い壁に施されたレリーフや赤い花の模様、アラビア文字もとても美しかった。
タージの中には2つのきれいな墓が横たわっていた。タージマハルを作ったムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンとその妃ムムターズ・マハルの墓だ。シャー・ジャハーンは自分の息子に幽閉されて、死後計らずも自分が愛妃のために作った墓に入れられたんだけど、これだけ美しいタージの中に愛した人と一緒に入れて、それはそれでよかったんじゃないかと思った。でもまあ、作ろうとしていたと言われる自らの墓「黒いタージ」も見たかったけどね。

ツーリストがだんだん多くなってきたので、僕らはタージマハルを下り、少し遠くから眺めることにした。
しばらく歩いてパッと振り返ったとき、朝日に照らされたタージマハル全体がドオオオオンと目に飛び込んできた。
「うっわあ」
鳥肌が立った。やっぱりタージは少し遠目から見るのが一番かっこよかった。建築物の中じゃ、やっぱ群を抜いてすげえと思った。これと張り合えるのは、僕が見てきた中じゃ、アンコール・ワットか太陽の塔くらいか。
ゆりが「タージかわいい。女性みたい。」と口にした。確かに、アンコール・ワットは茶色で荒々しく力強い男性のイメージなら、タージマハルは凛としていて美しい女性のようだった。なんか胸が締めつけられるような、ドキドキするような感じになった。恋だな、恋。でも、実際タージマハルにいる間中、妙な気持ちだったよ。なんかうまく言えないけど、完璧だったんじゃないかな。

ほんと、どえらいもんを作ったもんだ。人間てすごい。
僕は感動していた。きっとそれはタージの美しさにでもあったけど、これを見るのを目標にして7ヶ月旅してきたというのも大きかったんだろう。「やっとたどり着いた先には、こんなに美しいものが待っていた」そういうシチュエーションにグッときていたんだと思う。
いやあ、タージマハル予想以上っす。めちゃくちゃよかったわあ。

結局3時間くらい見て、僕らはタージマハルを後にした。
「今日だけはインド人に対してもむかつかないだろうな」なんて思っていたけど、その日2回ほどむかついて切れた。
ほんと「空気読めよ」と言ってやりたかったよ。

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「ずっとあなたに会いたかったの」


目的地タージマハルに到着したところで、旅も7ヶ月が過ぎた。正直ちょっと満足してしまった自分がいて、初めて帰国を意識したり、しなかったり。それが今後の旅にどう影響していくのやら。次は何を目的に旅をしようか。さてさて。

この1ヶ月で使ったお金  6万7766円
訪れた町          ポカラ、バラナシ、アーグラー
訪れた世界遺産     タージマハル
声を掛けてきたインド人  のべ1054人
むかついたインド人    123人
食べたカレーの数     24カレー
うんこを踏んだ数     12回
出くわしたおばあさんの乳房  のべ57房


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