クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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さよなら さよなら
バラナシ最後の2日間もあっという間に過ぎた。
ちょうど、もう1人の真吾くんと出発日が重なったので、バラナシ最後の夜に屋上で飲むことにした。3週間ずっと一緒だったゆうやくんと4人で酒を買いに行った。
インドの酒屋は入り口に柵みたいなのがしてあって、店内に入ることができないようになっていた。インド人たちは柵の間から酒を買い、新聞紙でビンを包んだり、さっと自分のカバンにしまいこんだりしていた。ムスリムみたいに酒は禁止ではないけれど、あまり飲むことはよろしくないみたいだった。
酒はインドの物価からするとだいぶ高く、ビールで80ルピー(220円くらい)した。ターリー4食分だ。まあ、外国人というので少しボラれているみたいだったけどね。僕らは比較的安く、なおかつ酔えると思われるウイスキーを買った。普段ウイスキーなんて飲まないけど、インドと言えばウイスキーみたいなとこがあるからね。42℃のウイスキーをチビチビやるのもよかったが、何かで割りたい気分だった。あるでしょ?割りたい気分。昔タイ人と飲んだときウイスキーをコーラで割っていたのを思い出し、20ルピー(60円)でペプシコーラを買った。このコーラ割りは、インドだからかもしれないけど意外とイケた。ほとんどコーラの味なのでグビグビ飲んでると、いつの間にかけっこう酔っ払っていた。
途中から、シタール(北インドの楽器でめちゃくちゃ細くて透明な音が出る。ビートルズも取り入れているよ)と篠笛(竹の横笛で黒漆で塗り固めてある。その人は獅子舞の囃子(はやし)で吹くそうな。)の奏者が次々と現れ、ちょっとした演奏会になった。シタール、篠笛、ジャンベの音が全て心地よくバラナシの夜に響き、月が僕らを照らした。
「これはもう飲むしかないですね。そうですね、飲むしかないですね。いやあ、飲まないとダメでしょう」と僕は独り言を言いつつグビグビ飲み、「酒と月と美しい音楽と気の合う仲間がいれば、もうあと他にはお金があればいいなあ。」とクラクラする頭で思ったりした。
でもホント今回のバラナシもいい出会いに恵まれたなあ。やっぱどういう人と出会かで、その町の印象が大きく変わるからねえ。

バラナシ最終日、真吾くんが先に出発した。3週間毎日顔を合わせていたので、やっぱりちょっと寂しかった。
僕らも夕方頃バラナシ駅に向かった。ベンガリートラの通りまでゆうやくんと宿の従業員のラビが見送ってくれた。細い路地を歩いていると、顔見知りになったインド人たちが「もう出発か?」「どこいくんだ?」「よい旅を」「また来いよ」などと、英語や日本語で声を掛けてくれた。ジャンベの先生アジェットとも握手をしてお別れした。

こういう感じはたまらなかった。寂しいというのもあるけど、それだけこの町と人を好きになったということだからね。
新しい町にどんどん訪れるのもいいけど、時にはこうやって1つの土地にゆっくり滞在するのも悪くない。本当はそれがこういう旅では一番おもしろいんだよね。
通りすぎるだけじゃ見えないものが、「沈没」することで見えたりする。僕も今回、ガンガーでおばあさんの乳房をたくさん見た。うん、おっぱいというよりは乳房だった。

こうして思い出のバラナシでまた思い出を重ね、僕らはタージマハルの町アーグラに向かったのだった。
さよならバラナシ!さよならガンガー!そしてさよならヨギニ!またいつの日にか!

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みよちゃんと見た夢
バラナシでの生活も3週間が過ぎようとしていた。「ダライ・ラマに会いに行く」という計画を中止しちゃった今、完全にバラナシという底なし沼に両足が沈み込み、もう身動きできない状態だった。
バラナシは相変わらず居心地が良く、このまま1ヶ月、2ヶ月くらいは余裕でいれそうだった。いや、2ヶ月ならまだいいかもしれない。これが1年になり、10年になり、そしていつの間にかおじいちゃんになり、僕はほんとうにガンガーに流されるんじゃないか、という虞も出てきた。
これは困ったことになった。僕はまだ日本でやり残してきたことがあるのだ。滞納している国民年金を払わなくちゃいけないし、まだメイド喫茶にもいってないのだ。
もうこうなったら、あそこに行くしかない。この旅の目的地、タージマハルへ。

旅を出ると決めてから、ゆりに「どこに行きたい?」と聞いたことがあった。ゆりは即答で「タージマハル」と答えた。
なんでも高校時代に見た「世界のめっちゃええ景色集めました」みたいな写真集のタージマハルにえらく感動したらしい。高校の卒業文集の「あなたの好きなもの」という欄に「タージマハルとうどん」と書いていたし、パソコンのメルアドもタージマハルにしているくらいゆりはタージを愛していた。
でも、いきなり飛行機でインドに行っちゃってもおもしろくないし、どーせなら陸路でタージマハル目指そうや!というので始まったのが、そもそもこの旅だったのだ。そうそう、ちょっと忘れていたけど、そういう旅だったのだ。そして、コツコツとバスに乗りーの、列車ーに乗りーの、車に乗りーので半年かかってよくやくインドに辿り着いたのだった。いやあ、泣ける。

こんなにインドに来るのが遅くなるとは思ってなかったけど、どーせなら4月のゆりの誕生日に合わせてタージマハルに行こうと最近まで考えていたんだよね。でも、もうそんなこと行っている場合じゃない。もしかしたら、このままバラナシで死ぬかという瀬戸際なのだ。

この気持ちが変わらないうちにと、僕らはそっこーサイクルリクシャでバラナシ駅に行き、タージマハルがあるアーグラーまでの列車チケットを購入した。2日後の夕方発の夜行列車だ。まだ油断はできないけど、とりあえずこれでバラナシで老いぼれて死ぬという心配はなくなりそうだった。よかった、よかった。


ひと安心したところで、ちょうど腹がすいてきた。せっかく駅まで来たことだしと、僕はかねてから食べたいと思っていたものを探すことにした。
それは前回インドを旅していた時に見つけたのだが、高くてとてもじゃないけど手が出ず、指をくわえて見ていたのだった。僕は、今回旅立つ前から、インドに行ったら絶対食べよう!と心に決めていたのだ。はっきり言って、ゆりの目的がタージなら、僕の目的はそいつを食べることだと言っても大袈裟ではなかった。

駅のそばで何人かのインド人に尋ねた。
「この辺にマクドナルドはないか?」
そう、僕の目的のものはマックにあるのだ。
2キロほどいったとこのショッピングモールにあるという情報を得、僕らは暑い陽射しの中歩いた。脇に汗がにじむころ、無事にマックに到着した。

マックの中では、小奇麗な格好をしたインド人たちがたくさんいて、ハンバーガーをほおばっていた。ガンガー沿いで見かけるインド人たちとは明らかに様子が違った。
僕はメニューを見た。お目当てのものはセットメニューの一番最後に見つけることができた。そしてすかさず注文した。
「マハラジャバーガーセット」
そう、前回食いたくてしょうがなかったのが、このマハラジャバーガーセットだったのだ。何重にもかさなった具がやたらおいしそうで、そして何と言ってもマハラジャバーガーという言葉の響き。もう何度こいつを食らう夢を見ただろうか。

値段は宿代の何倍もした記憶があったが、思ったより安く119ルピー(350円くらい)だった。といってもインドに来て一番高い値段なのにはかわりなく、いつも食ってるカレー定食のターリー6食分に相当した。

マハラジャバーガーが出てくるまでの間、僕はあれこれと考えた。おそらくでかすぎてガブリと噛り付けないだろう。でも分けて食べたらただのハンバーガーになってしまう。やっぱりここは男を見せて、もう本気の本気で口を開け、一口に上のパンと下のパンをくわえ、そして一気に具や真ん中のパンまで引きちぎってやろうじゃないか。

10分ほど待ち、ついに夢のマハラジャバーガーがそのお姿を現した。
が、思っていたよりも小さい。僕は少々うろたえた。確かにパンが3つにハンバーグ2枚が挟まっているが、何だか少し豪華さに欠ける。
いやいや、でも大切なのは味なのだ、と気を取り直し、僕は予想していたよりも口を開くことなく一口パクリと食べた。
「むむむむむ」僕は唸った。よく考えたらそうなのだ。これは気づいていないといけなかった。しかし僕は9年間気づかなかった。マハラジャバーガーはカレー味なのだった。

「マックに来てまでカレーなんて食いたかないよ」
もうすでにカレーに飽きていた僕には、かなりのダメージだった。僕が9年間見続けた夢は、そこまですばらしいものじゃなかったことが発覚したのだ。まさに、高校時代憧れていたみよちゃんと卒業式以来に会ったら、なんだか髪がボサボサで、タバコをスパーと空に向かって吐き、酒に焼けたのだろうかカスれた声で「あたいもさあ、いろいろ会ってさあ。え?ダンス?そんなこと言ってた時代もあったねえ。」なんて言われたようなもんだった。

理想と現実は違うものだよね。でもさ、でもさ、夢ってのは追いかけることに意味があるんじゃないか、と僕はみよちゃんとの思い出をコーラと一緒に飲み込み、カレー味のマハラジャバーガーにまた食らいつくのだった。


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アップルパイwithアイスクリームがめちゃうまだった。今まで食ったスウィーツの中で一番。50ルピー(140円くらい)也。ターリー2.5食分。
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お湯はこんなので沸かしています。1,2分で沸いちゃいます。そして紅茶を作ります。クッキーとよく合います。
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インド人に大人気のクリケット。ワンバウンドしたボールを打ちます。


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映画大国のツボ
デリーのだいぶ北にダラムシャーラという町がある。そこはダライ・ラマ14世の亡命先として知られているんだけど、ネパールにいる時に、2月20日から10日間ほどその14世が戻ってきて説法をするという情報を得た。「チベットのまとめとしてダライ・ラマに会っとくか」と僕らはずっと言ってきたんだけど、最近は「ダラムシャラ雪降ってるらしいよ」「寒いの嫌だね」とか、「やっぱめちゃ混むみたいで宿ないらしいよ」「混むのは嫌だね」などとぬかし、最後には「なんでダライ・ラマに会わなくちゃいけないの?」というわけわかめの質問まで出てくる始末。要するに行くのがめんどくさいなったのである。そういうわけで、なんとか行かない理由を探しつつ、バラナシにとりつかれた僕らはダラムシャラにいるはずの20日を過ぎた今も、ガンガーを眺めているのである。グッバイ、ダライ・ラマ!

ダライ・ラマが説法始めたであろう昨日、インド映画を観に行った。インドの映画館といえば、ボロくて人があふれかえり、やたらワーワーギャーギャー騒いでいるというイメージだったけど、昨日行ったとこは日本並み、いやそれ以上だろ!と思うほどきれいで、客はまばらだった。チケット代は座席によって違うんだけど、一番安い席でも50ルピー(150円くらい)して、普通の倍くらいしたんじゃないかな。
映画自体もかなりまともだった。インド映画といえば、笑いあり涙あり歌あり踊りあり、ラブコメディーかと思えばアクション映画だったりと「もう入れれるものは全部入れちゃえよ」という感じで、「なんでそうなるんだよ!」とツッコミどころ満載の展開を見せてくれると思っていたんだけど、今回見たのは、残念ながらすばらしくよく出来た作品だった。

内容は、ムガル帝国がどうやって繁栄していったのかを、アクバル王と意にそわない結婚をさせられた妃の恋を中心にして展開していく歴史もの。というのは、後でゆりに聞いた話で(ゆりはガイドブックの歴史のとこを読んでいて、僕よりかなり内容を理解していた)、まあやっぱり言葉がわからないと「なんのこっちゃ」ばっかりで退屈ですわな。楽しみにしていたダンスシーンもちょこっとだけしかなかったしね。なんというか、ほんとまとも。
おまけにめちゃんこ長かった。2時間ほどたった頃にプツリと映像が切れて、「あれ?もう終わったかな?」と思ったら休憩時間で、10分ほど休んだ後、さらに1時間半くらい後半があった。なんかほんと疲れたよ。

それでも最後まで出て行かずに観れたのは、妃役の女優が、もうやたらと美人だったからだ。いや、まじ超美人。ど美人。目が大きくて、胸も大きくて、もう完璧。初めてアクバル王に心を許し、「おっ今からベッドシーンですか?」という場面では、なぜかいきなり歌いだしちゃって、普通の人がそんなことしたらバシッバシッと顔面パンチをくらわしたいところだけど、そのど美人女優がヘソ出しサリー姿で歌ったときは、もう館内の男たちはそのオヘソに見とれ、ゴクリと生唾を飲み込み、これからおとずれるであろうベッドシーンに胸をふくらますのだった。
しかし、そこはインド映画。ベッドシーンもなけりゃキスさえもなかった。おでこにチュッとしたりほっぺにチュッとしたり。最後は抱き合ってゆっくりベッドにたおれていき、「それから先も・・・」という心の声もむなしく、きれいにカーテンがかかり、そのシーンは終わるのだった。うーん。

一緒に観ていたインド人たちは時々笑った。だけど、なぜ今笑ったかが全然わからない。それは言葉がわからないとかじゃなくて、例えば、アクバル王が裏切り者を2階から突き落とすシーンがあったんだけど、まだ裏切り者が死ななくて、おそらく「もう一度連れてきて突き落とせ」と家来に命じるシーンで笑いが起こった。ここはアクバルの厳しい一面に、少し妃がひいちゃうという場面だったのに、客は笑っていた。相変わらずインド人の笑いのツボはわからないな。
9年前、僕はカルカッタで初めて「タイタニック」を観た。客はヒロイン役の子が沈みかける船の中奮闘し、邪魔する奴にパンチとかしちゃうシーンに大興奮。指笛ヒューヒューの大騒ぎ。そして船が沈みかけ、甲板で音楽家たちが最後まで演奏する感動的なシーン。もう死を覚悟し、手をつないでベッドで横たわっている老夫婦がパッと映ったとき、なんと信じられないことにインド人たちは声を上げて笑ったのだ。「じいさんとばあさんば手をつないでるよ」みたいな感じで。さらに、船がまさに沈もうとしているとき、しがみついていた人たちが次々に海に落ちていく場面。一人の男性はカーンと船のスクリューのとこに当たってから海に消えていったんだけど、そこでもカーンがおもしろかったみたいで、インド人たちは爆笑していた。
船が沈んだ後、話が現在に戻っておばあちゃんが宝石を海へ投げ入れるシーンには、インド人たちはもう興味がないみたいで次々と席をたち出て行った。世紀の大ヒットムービー「タイタニック」もインド人にかかればただのおもしろ映画だったのだ。
「何が映画大国だ。インド人、映画を観る資格なし!」と僕は憤慨し、インド人の笑いのツボに首をかしげたのだった。

そんなことを思い出しているうちに映画も終わり、少し疲れた僕は「めっさ長かったね」とゆりに言うと、「すごくおもしろかったー」と意外な答えが返ってきた。僕より内容を理解していたのに加え、サリーなどの美しさがたまらなかったみたい。なんかえらく興奮して映画を語っていた。
実際ゆりはかなり映画がよかったみたいで、実は僕がこのブログを書いている今も1人で2日続けて同じ映画を観に行っているのだ。
「俺ももう少しベッドシーンがあれば行くのになあ」などと思いつつ、この文章を締めようとしている昼下がりなのだった。

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振り返るとカルロス
僕たちが泊まっているヨギニレストハウスは、なぜか1泊で出ていく人が多かった。
「こんにちは。しばらくバラナシいるんでよろしくお願いします。」などと挨拶を交わしても、次の日には空き部屋になっていることが度々あった。まあ、9年前からほとんど手入れしていないヨギニは少しボロく、そのへんのところがお気に召さなかったのかな?
水はよく止まって、左手でうんこを洗うことができなかったり(水が止まったことに気づかずうんこをしてしまうと、うんこがそのままついた状態で部屋までティッシュを取りに行かないといけなかった)、停電の影響をモロに受けた。毎日かなり長い間停電するバラナシでは、自家発電を備えている宿も多いから、確かにそっちに移ったほうが賢いっちゃあ賢かった。

そんなヨギニだけど、しばらくすると妙に落ち着けるというか、居心地が良く感じてきちゃうから不思議だった。部屋には窓がたくさんあり、明るくてガンガーも見えるし(開けっぱにしてると猿が入ってくるけど)、屋上は他より高くて気持ちいいし。最初嫌がっていたゆりもしだいにヨギニマジックにはまっていった。

ヨギニには僕らより長く泊まっている旅行者が2人いた。
1人は僕がジャンベを習うきっかけになった同じ名前の真吾くん。彼はもう1ヶ月ヨギニに滞在していて毎日バコバコとジャンベをたたいていた。ここで初めてジャンベをたたいたとは思えないほど上手で、僕はいつも尊敬の眼差しで彼を見つめているのだった。
また、真吾くんはパチカの使い手でもあった。元々はアフリカの楽器のパチカは旅人にやけに人気で、たくさんに人が持って旅していたけど、真吾くんほどうまい人に出会ったことはなかった。うまく表現できないんだけど、やたらめったらかっこいいんだ、これが。ユーチューブで検索したらあるという話だよ。気軽に持ち運べて奥が深いパチカ。日本でも買えるとこあるみたいなので、皆さんもぜひ!

もう1人はゆうやくんといい、彼も3週間以上ヨギニに泊まっていた。すでに1年8ヶ月旅を続けていて、その間訪れた国は60を超えているそうだ。
「もうカレーあきました」と言う彼は、パキスタンで買ったという円柱型の湯沸しポットで、いつもあやしいものを作っていた。トマトとたまねぎと卵を買ってきてオムレットを作ったり、米を炊いたりもしていた。旅行者にもらったとかで、ちゃんと醤油やドレッシングなども持っていて、確かにちょっとうまそうだった。初め坊主だったという髪は1年8ヶ月でロン毛に成長していた。

僕らは毎日屋上やガンガー沿いでジャンベをたたき、とりとめのない話をして過ごした。こうやって気の合う仲間ができちゃうとついつい旅立ちを延ばしちゃって、ずるずると沈没しちゃうんだよね。そして、だんだん「移動めんどくさいっすね」ということになり、沈没という底なし沼にどっぷりはまってしまうのだ。

ヨギニには多くはないけど欧米人も泊まっていた。みんないい人だったけど、カルロスという40才を越えたチリ人だけがちょっとやっかいだった。彼は毎日夜になると、宿の屋上で女の人と何やらおしゃべりしていたけど、その女の人は毎日違う人だった。欧米人カップルのほとんどが旅行中に知り合い恋に落ちた、または落ちなかった人たちだと聞いたことはあったけど、カルロスの狙いもそれのようだった。ただヤリたいだけ、という噂もあったけど・・・。毎晩自分の部屋に連れ込もうとしていたみたいだけど、やはり成功することはほとんどなかった。彼の部屋の隣のゆうや君は「昨夜も失敗でしたよ。」といつも報告してくれた。
カルロスは女性にはとても愛想がよかったけど、僕たち男にはあからさまに態度を変えた。挨拶しても無視したり。ゆりにはとてもよく話しかけるくせにね。ジャンベの音も嫌いみたいで文句を言っているようだった。
そんなカルロスだけど、ある日強制チェックアウトさせられてしまった。宿のスタッフもカルロスには頭にきていたようで、話を聞いてみると「あいつはいつもファッキン、ファッキンばっかりだ!」と何やら怒っていた。

そんな楽しい雰囲気のヨギニだったけど、ある日事件が起こった。日本人女性が2泊も宿に戻ってこなかったのだ。
「まさかカルロスのしわざかも」とは思わなかったけど、2泊はちょっと異常事態だった。他のゲストハウスなどに泊まる奴なんてまずいないし、これはさらわれたかも知れない。宿中の日本人に聞いたけど、彼女の行方を知ってる人はいなかった。ただある1人の男性は、彼女がいなくなった日の朝に一緒に食事をしたらしく、その時に「少し体調をくずしている」と言っていたそうだ。
もしかしたら体調が急変して入院しているのかもしれない。
「病院に電話しよう」とヨギニのオーナー(昔いたオーナーとは別)にいうと、「バラナシはいくつも病院がある」という。
「じゃあ、近くで入院できるでっかい病院は?」と言っても彼はなんかしぶっていた。
「もうポリスに電話したほうがいいかもしれない。」とオーナーは自分で言いつつ、僕らが「早くしたほうがいいよ」と言うと、やはりしぶっているみたいだった。やはり警察沙汰にはしたくないのかもしれない。しかし、2泊も帰ってきてないという異常事態にとうとう観念したらしく、オーナーはポリスに電話した。

いなくなって3日目の朝、僕らが「これは事件ですね。間違いないですね。」と、シリアスな顔して、しかし「事件」という言葉に少し胸がワサワサしながら話していた時、彼女がヒョコッと帰ってきた。ほんとヒョコッと。いやヒョッコリかな。
「どこにいたんですか?」と聞くと、少しばつが悪そうに「友達のゲストハウス」と彼女は答えた。
「宿の人心配しているかなって少し思ったんですけど」と彼女は続けた。
僕らは「まあ無事でよかったですよ」と言うしかできなかった。
カンカンなのは宿のオーナーだ。もうすでにポリスに連絡していて、何やらお金も払ったと言ってかなりご立腹だった。彼女はかなりオーナーに怒られていたけど、まあ当然でしょう。
結局その後彼女は宿を出ていった。
しばらくたったある日、ゆうや君が「俺さっき、あの女の子が男と一緒に歩いているの見ましたよ。」と言う。
「そいつ日本人?」僕はまさかカルロスじゃないだろうなと思って聞くと、「日本人でした。」とゆうや君。
カルロスじゃあなかったか。そうかそうか。またしても残念だったな、カルロス。

今、僕はあるカフェでカルロスを思い出しながらこれを書いているんだけど、ゆりが「後ろにカルロスいるよ」と言うではないか。
振り返るとまぎれもなくカルロスだった。これは運命か?強制チェックアウトから1週間ぐらいか。まだ居たんだな。
カルロスの隣には当然のように若い白人の女性が座っていた。ゆりが見てたのだと、一人で座っていた彼女にカルロスが合い席を頼んだみたい。一応、店内の席はどこも埋まっていた。これが彼の手口なのか。
カルロスは僕が見たこともないようなオーバーアクションで、聞いたことのないかわいい声で彼女と話していた。
「カルロス、勉強になります」
とは思わなかったけど、合い席は使えるな、などと思いながら僕は後ろのカルロスに神経を集中させるのだった。

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これバラナシで買ったパチカ。ほんとはアサラドの実で作るみたい。


これクリックするとカルロスに口説かれるよ。


バラナシの暮らし方
バラナシで滞在し始めて2週間近く過ぎた。毎日がびっくりするくらい早く過ぎ去ってゆく。充実してるのかどうかはよくわからないけど、とりあえず楽しんでいるみたい。

朝は毎日6時15分に起きる。目覚ましは寝過ごしちゃいけない移動の時しか使ってなかったけど、ここではガンガーから昇る朝日を見るために毎日鳴らしている。どよーんとにぶく燃えるように赤い朝日を部屋から、または屋上から、またはガンガー沿いから眺める。だんだんと赤から黄金色になり、ガンガーをキラキラと輝かせる朝日を見てるこの時間が1日で一番好きだった。

メインディッシュが早朝に終わってしまうバラナシでは丸々1日が消化試合なわけだけど、そんなに悪いものじゃなかった。
ゆりは7時半から2時間ヨガのレッスンを受け、僕はその間にガンガー沿いを散歩した。おじいさんがやっている2ルピー(6円くらい)のチャイを頼み、階段に腰掛けてインド人を観察する。沐浴する人、体を洗う人、洗濯する人。ガンガーの使い方は人それぞれだ。

9時からはジャンベのレッスン。毎日4つほど新しいリズムを教えてもらう。リズムはまだそんなに難しくないのですぐにたたけるようになるが、いい音を出すのがなかなか簡単じゃない。先生のアジェットも僕と一緒にたたいてくれるんだけど、全く違う楽器を扱ってるような音を出す。低音と高温が気持ちいいくらい響くのだ。
最近は手の皮が厚くなったのか、ジャンベをたたいても手が痛くならなくなり、たたけるリズムも増えてきてかなり楽しい。

10時にレッスンが終わり、いったん宿にもどって、ゆりと朝飯兼昼飯を食べに行く。
ここ数日はシバカフェという店のブラウンロール7ルピー(13円くらい)にはまっている。素朴な味がして、チャイと一緒に食べるとけっこういける。
欧米人に人気のシバカフェは合い席になることが多く、昨日はフランス人のバスカランとお話した。文法とかはムチャクチャでも伝えようと思えばなんとか伝わるものだし、絵などを描いたりすればある程度のコミュニケーションは可能だった。英語ができないからと欧米人は避けないまでも、あまり積極的に関わってこなかったけど、なんだかそんなのはつまらないと思った。ヘタクソでも思い切って話すことで、何か発見があるかもしれないし、少しでも語学が上達するかもしれないしね。

昼からは宿の屋上でジャンベをたたいたり、旅人とおしゃべりしたり、ガンガー沿いを散歩したり、本を読んだり、日記を書いたり。そんなことをしているとあっという間に時間は過ぎていく。早朝はまだ寒かったりするけど、昼には30度を越すくらいの陽気で、久しぶりに半そで半パンですごせるのでかなり気持ちいい。

赤い夕陽がバラナシの町に落ちてゆくのを見た後、晩飯を食べに行く。
晩飯はカレーが多い。特にターリーと呼ばれるこっちの定食をよく食べる。チャパティーとライスと数種類のカレーとヨーグルト。おかわり自由で20ルピー(60円くらい)はうれしい。一応手で食べるようにしているが、ナンによく似たチャパティーは右手だけでちぎって食べるのはまだ難しい。左手はうんこを触る手なので使っちゃダメだしね。でもスプーンなどの金属に触れずに食べると、少し味のおいしさが増しているように感じるから、けっこう手で食べるのは好きだな。僕だけかな?

ネットカフェでブログの更新などをした後は、宿でまったり。最近は9時過ぎになると眠くなって、気がついたら寝てることが多い。
こうしてまたバラナシの1日が終わる。いやあ、われながらゆるいなあ。


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いつも猿たちが僕らの部屋の食べ物をねらっている。
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毎日夕方6時半からガンガー沿いでプージャー(礼拝)が行われている。音楽にあわせて火を掲げたり、笛吹いたりしてて、なかなかおもろい。
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これクリックするとインド人もびっくりするよ。



バレンタインやね。オレ死体見た。
ガンガー沿いにはいくつかの火葬場がある。インド中から死体が運ばれてきて24時間営業している。僕が早朝、散歩のついで寄った時も3体ほどの死体が焼かれていた。キャンプファイヤーみたいに木を組んで、その真ん中あたりに人間が置かれていた。
僕は1番近くにあったファイヤーのとろこで、じっと死体が焼けていくのを見た。顔らしきものが真っ黒になっており、足は少しはみ出していた。スネのあたりは黒くなっていたけど、足先の部分はまだ僕らと同じ感じで、妙に生々しかった。
「ああ、ほんとに人間なんだな。」と思ったけど、そこまでの衝撃みたいなものはなかった。「あー焼けてるなあ。」って感じ。それはおそらく周りの雰囲気も影響していた。特に家族らしい人たちがいるわけでもなく、ファイヤーマンたちがもくもくと人間を焼いていた。その他の人たちも死体を見ながら普通に話し込んだりしている。まるでどこかの公園にでもいるかのように。

この燃えている人はどういう身分の人で、どんな人生をおくったんだろうかと思った。いい人生だったのかなと。そして、いつかは僕も同じように燃やされるんだなとも思った。結局人生って夢のようなもんだな。どんな人でも最後は死んで燃やされて灰になる。

ここでは、燃やされた後に残った灰はガンガーに流す。そうすると輪廻から解脱できるんだって。バラナシはヒンドゥー教の聖地で年間100万人以上の巡礼者が訪れ、すべての罪が浄められるとして聖なるガンガーで沐浴してるんだけど、その中にはここで死ぬために来る人もいるんだって。ガンガーに灰を流してもらうために。お金が無い人は薪代をめぐんでもらいつつ、自分の死が来るのをじっと待つとか。

チベットの人たちの巡礼を見ても思ったけど、信じることの力ってすごい。僕なんかは、「輪廻とかってそんなんなかったらどうするの?すべて無駄に終わるわけだよ。」なんて思ってしまうけど、そういう次元じゃないんだね。信じきっているというか、全く僕らと違う世界に生きてるというか。同じ人間なのにね。
ここでは「死」が理想とする解脱につながると考えられているわけだけど、僕らみたいに恐れたりはしないんかね。自分に死が訪れるのをじっと待つなんてできないっしょ、普通。それが宗教の力なのか。

きっと僕はじたばたと死を恐れ拒み生きるんだろうな。「ぼかあ、死にたかねえよ」って。夢のような人生にしがみついて生きるんだろうな。
まっ考えても答えが出るようなことじゃないだけど、とりあえず僕が死んだら聖なる淀川にでも流してください。

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洗濯石にバシバシと服をぶつけて洗っていた。隣に10人くらいおなじように洗濯している人がいたよ。
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サリーきれいやね。
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このおじいさんはずっと砂を持ち上げては落としを繰り返していた。なんだか少し切なくなったわ。


これクリックするとチョコになるよ。


愛すべき?インド人たち
ベンガリートラという細い路地を歩いていると、何人もの土産物屋やレストランのやつらに声を掛けられる。

「こんにちは、日本人。そのズボンいくらで買った?うちじゃあ50ルピーだよ。ほんと、ほんと。」
最近はいてるズボンは135ルピーで買ったものだったので、ちょっと立ち止まり
「ほんとに50ルピーなんだな?」と聞くと、立ち止まるとは思ってなかったみたいで少し慌てつつ
「え?えーと、150ルピーね」
死なす。

子供たちもたくさん日本語で声を掛けてくる。
「ちょと待て。安いね。ベリー安いね。」
「いらないね。ほしくないね。」
その後、知ってるかなと思って
「でもそんなの関係ねえ」と言ってみると、3人が声を合わせた。
「オッパッピー!」
よくできました。

あやしい奴もたくさん声を掛けてくる。
「ハシシ、チョコ、ハッパ、マリファナ安いね。200ルピーね」
こういう売人たちって、当然大きな声では話しかけてこないんだけど、みんな僕の耳元でボソボソと言ってくるので、けっこう気持ち悪い。目がすわってる奴も多いしね。でも声かけてくる数じゃあ売人が一番多いかも。

ほんと20秒に一人は声を掛けてくる感じだから、ほとんど無視してるんだけど、こないだいつものように「こんにちは」と話しかけてくる奴を無視して通り過ぎた後、ちらっと振り向くとゆりのヨガの先生だったりして、「あっどうも」と慌てて挨拶したりした。いやあ、実にめんどくさい。

ガンガー沿いでも客引きがしつこい。
「私のボート乗るね。チーププライス。1アワー150ルピー。」
「いや乗らないよ。今日は散歩オンリー。」
「じゃあ、70ルピー。」
「だから乗らないって。」
「マッサージはどうだ?安いよ。頭、肩、体。」
「いや、いいよ。」
「ちょっと手かしてみて。」
いいかげんしつこいので無視していると
「ノーマネー。手かしてみて。ノーマネー。プロミスプロミス。」
さらに無視していると、今度は
「シェービング」
と言って僕の髭を指差してくる。ゆっくりガンガーや沐浴している人を見たかったので
「ドント トーク ミー」(『話しかけるな』と言ったつもり)
と少し声を荒げて言うと、一応通じたみたいでそいつは黙った。しかし、その後すぐに
「じゃあ明日ボート乗るね。」とまた話しかけてくる。
あまりのしつこさに、ゆりと2人で思わず笑ってしまった。

生活のために一生懸命なんだよね。前はボッテきたり、勘定をごまかしたり、ウソついたり、しつこく話しかけてくるインド人たちに、すげえむかついてキレてたけど、今回はなんだかかわいく思える。まあ、最初だけかもしれないけどね。いつかボートも乗ってあげるよ。
がんばれ、インド人!


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木の枝みたいなやつで歯を磨き、最後にそれを折って舌をきれいにしていた。
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この人10分くらいガンガーにつかり、ずっと朝日を見ていた。何を考えてたんかな?
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インド人のパンツかわいい。そしていいお尻。
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しぶい!
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あばらしぶいっす!
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ジャンベの先生のアジェット。力強いその音はかなりかっこいい。
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前髪そろってますけど、何か?


これクリックするとインド人に話しかけられるよ。


うんこと猿とインド人
ここ数日天気が悪く、雨が降ったバラナシ。ただでさえ、うんこがそこら中に落ちまくっていて汚いのに、雨が売った時にゃあもうやばいっすよ。
道が泥でグチャグチャベタベタになり、そこに雨で溶けたうんこがコクを加える。カレー好きのインド人にはたまらないかもしれないけど、僕らにはたまったもんじゃない。ちょっと歩くと泥ウンコがはねるし、チャリやバイクは泥ウンコを飛ばしていく。牛の横を通ろうとするといきなりブラーンとシッポを振りやがって、ピタリと泥ウンコが服に付いたりする。ちょっと散歩して帰ってくるとズボンの下の方はウンコ泥がポツポツいっぱいついている。
でも、「もう最悪だよ」と僕らがうんざりしている中を、インド人は裸足で歩いてたりする。うんこの上もなんのその。でっかいゆるゆるウンコも手ですくってどかしてたりするし、やっぱインド人最強だわ。

ただバラナシはうんこだけを気をつけていればいいわけじゃない。
僕らが必死でうんこを避けて歩いていると、上から水滴が落ちてきた。「雨か?」と思って上を見上げると、猿の真っ赤なお尻が見える。ゲッ、おしっこかよ。
バラナシは牛の他にも猿がたくさんいて、家の屋上などを我もの顔で歩いている。僕らの宿は周りの建物より少し高いので、屋上からは下界の様子がよく見えるんだけど、猿たちはどこからか洗濯物を取ってきて、例えばシーツで包まって遊んでたりする。ヨギニの2回に住んでいるフランス人の部屋は小猿に入られ、メモ帳や服を持っていかれたりしていた。
ただ最強インド人もやられているばかりじゃない。木の棒を持って猿に向かっていく。インド人対猿。インド人は全く容赦なしに猿を棒でバシッと叩く。さすがの猿もこれにはたまらず「ウキキ。覚えていろよ。ウキキ。」と言って逃げてゆく。僕らが棒を持っても全然怖がらないんだけど、インド人が棒を持って近づくと、すぐ逃げてゆくからね。
ある朝には、隣のホテル内に猿が入ったというので大騒ぎになった。ここで活躍したのが犬だ。「お前だけは許さんぜよ」とばかりに猿を追いかけた。猿対犬。犬猿の仲とはよく言ったものだ。フェンスに猿がしがみつき、下から犬が吠えまくっている場面はインド人も大興奮。周りに住んでいるインド人が皆見に来て、「ヤーヤーナマステカレーヤーヤー」と声を上げていた。
なんて騒がしい町なんだ。おもろいことを探さなくてもおもろいことが起こってくれる。インドどたばた劇場はいきなり始まっちゃうから、ほんと気を抜けないよ。

そんなおもろ町バラナシで僕らは習い事をすることにした。僕はジャンベでゆりがヨガ。
ヨギニで出会ったゴーくんと真吾くん(漢字まで一緒ははじめてかも。しかも同じ年)がジャンベをやっていて、いつも屋上でボボカボボカ、ツカタカタッタとたたいてたんだけど、それがめちゃかっこよかった。聞くと2人ともバラナシで2週間ほど習ったという。うーん、やりてえ。
もうこの気持ちは最強インド人でも止めることができず、僕は名前が同じなので真吾くんと同じ教室に通うことにした。1回のレッスン80ルピー。(220円くらい)
ジャンベも買った。先生のアジェットお手製のシャンベ、ケース付き950ルピー(2600円くらい)。これがなかなかいい音がして、形もサイズも重さもグッドだった。僕はオモチャを与えられた子供ように喜び狂い、ほんとに狂って変態になってしまった。これだけワクワクするのは初めて自分のギターを手に入れた時以来かも。
ガンガーを見下ろしながら、屋上でジャンベをたたくのはかなり気持ちよかった。おもろ町バラナシでジャンベ。この旅初の沈没決定っす。

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「早く金返せワン」
「あと3日待ってウキキ」
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「このお猿さんめ」
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奥が真吾で手前が真吾
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これ僕のジャンベと妻です
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カレーは手で食べてます


これクリックするとインド人にたたかれるよ。


インド色
今日もインドはカレーで始まり 
チャパティーにつけてもくもく食べる
かなりおいしくない できれば食べたくない

ルンギー買おうと100ルピーにぎりしめ 
かなりボラれて買ってしまった
かなりむかつく 暑い太陽の下

にごった河のガンガーよ 今日も死体が流れてゆくよ
いつかきっと僕も この河流れてゆくから


※チャパティー ナンみたいなんだけど、ナンより安く、味もナンよりおいしくない。
 ルンギー   腰巻だね。これ楽でいいよ。

これは1998年のバラナシで大ヒットした「インド色」という曲の出だしの歌詞だ。当時日本では、ゆずの「夏色」がヒットしていて、バラナシで初めてそれを聞いた僕は
「ぬぬぬ、俺のパクリが現れたぞな」
とかなり勘違いな思いにいたり、奮起一発で作った曲がこの「インド色」だった。
まあ、「インド色」と「夏色」の勝負の行方は、インド人がつくウソのようにはっきりしてしまったわけだけど、久しぶりにヨギニの屋上でウクレレを弾き「インド色」を歌ったら、「これ案外負けてないなあ」とまた勘違いな考えが浮かんだのだった。

そんな「インド色」を口ずさみつつ、とある日本食屋でメシを食っていたとき、ある1人の日本人のおばさんに出会った。右手にギブスをしていたので「どうしたんですか?」と聞くと、牛にやられたというではないか。
「気づいたら空中に浮いててね。何が起こったか全然わからなかったわよ。後ろから突撃されちゃったのね。それで地面にたたきつけられた時にここを打っちゃって。」と言って、彼女はギブスをなでた。
こえー。いつもノソノソしている牛もそんなことするんだ、とかなり驚いた。

トキワさんというそのおばさんは60歳で、インドで一番有名だと思われるバックパッカー宿「久美子ハウス」に泊まっていた。ギブスがとれるまではしばらくバラナシに滞在し、それからまた旅を続けるという。僕らがチベットを通ってきたことを話すと、「私も行けるかしら。」と興味津々で色々質問してきた。これからダラムシャーラやリシュケシュに行くという言うと、「そこはどうやって行くの?バス?どこでチケット買うの?」とまた興味津々。「そこも行っちゃおうかしら」と言って目を輝かせていた。
トキワさんはおっとりとした、どこか良いお家の奥様って雰囲気がして、とても僕らみたいなバックパッカーの旅をするような人には全然見えなかった。よく一人でインド旅できるなと思っていると
「デリーで200ドルくらいの買い物させられちゃったのよ。オホホホ。」と、土産物屋におそらくかなりボラれて買わされてしまったことを穏やかに話してくれた。
そして、これから行くだろう、まだ見知らぬ土地のことを思い浮かべ
「なんだかワクワクしちゃう!」
と、また目を輝かせていた。

ワクワクしちゃうって。
僕はなんだかむしょうにうれしくなった。ボラれても、牛に飛ばされても旅をやめず、ワクワクしちゃってるトキワさんはかなり素敵だと思った。結局年齢じゃないんだなって。僕は60になった時、ワクワクしているだろうか。トキワさんみたいに年をとれたらいいな。

細い路地裏で牛が通せんぼ ガンとそこから動こうとしない
どうしようかなっと思ってたらうんこ踏んでた

ミネラルウォーター買うのもったいなくて 
インド水ガブガブ飲んでたら
やっぱり下痢した 暗いトイレの中

太陽に向かって拝む人たち見てると 
なんだかこんな僕を神様が見てる気がしたよ


トキワさんの「インド色」はいったいどんな曲になるんだろうか。きっと僕には出せない素敵な色を出すんだろうな。うんこや下痢は出てこないな、たぶん。
左手で食べにくそうにラーメンをすすっていたトキワさんは「やっぱり難しいわね。スプーンで食べましょうね。オホホホ」と穏やかに笑った。

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こわっ

これクリックするとワクワクしちゃうわ。

インド人現る
早朝、朝日を見るために宿の屋上に上がった。曇って太陽は見えなかったが、悠然と流れるガンガーが見下ろせた。
「おはようございます」
1人の日本人女性も上がってきて、僕の隣で瞑想を始めた。それからゆっくりとした動きでヨガのポーズへと移った。
「あー、インドに来たんだな」
僕は再びガンガーを眺め、なんとも言えない気持ちになった。

昨日はルンビニ行きをやめ、インドのバラナシに行こうと決めてからがけっこう大変だった。昼頃国境を越え、2台のローカルバスと2台のサイクルリクシャーを乗り継ぎ、バラナシのヨギニレストハウスに着いたのは夜の10時をまわっていた。薄暗い細い道を通るので少しドキドキし、ゆりはうんこを踏んだ。
ヨギニは9年前に3週間泊まった宿だった。2日間バスに揺られ続けたので、体はけっこう疲れていたんだけど、懐かしさがそれを吹っ飛ばしてくれた。だいぶボロくなったけどヨギニはあの頃のままで、やっぱりうれしかった。この宿で出会ったカズハ姉さんやトミ、てっちゃん、ともちゃんと過ごした日々を思い出しながらその日は眠った。

朝、ガンガーを散歩した。フンドシやブリーフ姿で体を洗うおっさん、色とりどりのサリーを身に着け沐浴する女性たち。頭までガンガーにつかり、口からペッと水を吐き出し、太陽に向かって祈る。何も昔と変わってなかった。あれからここでは毎日毎日、この光景が繰り返されてきたんだろうな。
「ボートに乗らないか?」「マッサージしないか?」と客引きが絶え間なく話しかけてきてうざかったけど、今日の僕は彼らにも寛大でやさしく追っ払うことができた。

この日、僕は2人のインド人と再会した。
1人はヨギニのオーナー。昔は屋上でいつもギターを弾き、大声で歌っていた僕に「クレイジーボーイ」と言ってきた、けっこう太ったおもろい兄ちゃんだった。けど、久しぶりにあったオーナーはなんだか痩せて、えらく老け込んでいた。「元気ですか?」が口癖だったオーナーに全然元気がなかった。
「どうしたの?」と聞くと、ここ1ヶ月ほどずっと病気みたいで下痢が続いているという。仕方ないけど僕のことは覚えてないようだった。ちょっと期待してたんだけどなあ。
「今から病院いってくるね。また後でね。」と言って去っていくオーナーの後ろ姿を見て、少し切なくなった。

もう1人はムケという奴で、ガンガーを散歩している時に日本語で話しかけてきた。
「おはよう。いつこっち来た?」
「昨日だよ。」
「お兄さんなんか見たことあるね。バラナシ何回目?」
「2回目だよ。」
「やっぱり見たことあると思ったよ。」
「うそつけ。俺来たの9年前だよ。」
「・・・・・・・。でも覚えてたよ。」
「うそつけ。」
「お兄さん『深夜特急』見た?あれ俺出てるよ。」
僕はハッとし、そいつの顔を改めて見た。僕が旅をした9年前はちょうど『深夜特急』がドラマ化されていて、ここバラナシで神様人形を沢木耕太郎役の大沢たかおに売りつけた少年はちょっとした有名人になっていた。えらく高い出演料をもらって、その金で店を出すみたいだと、バックパッカーの間では噂されていた。
「あの神様人形売った少年だろ?俺前に会ったことあるよ。えっ何歳なん?」
「25だよ。だから会ったことあるって言ってるでしょ。」
25かあ。9年前は16。もっと幼かった気がするけど、でもこいつなのかもしれない。

あの少年がこんなにおっさんになっていることに驚いた。ヨギニのオーナーといい、9年という月日の長さを感じずにはいられなかった。当たり前だか僕も同じようにそれだけ年をとったわけだけど、そんなに変わったとは思わないけどなあ。

やっぱりムケは土産物屋を開いたみたいで、「後で来てよ」と店の名刺をくれた。1人日本人女性の名前が書かれてあったので「誰?」と聞くと、「元奥さん」と言う。
「おととい別れたよ。」
「おととい?」
「あー違う違う。おととし。おとといだったらショックでこんなことしてられないでしょ。こっち彼女?えっ奥さん?マジで!すげえじゃん」
こいつもいろいろあったんだなあ。それにしても日本語うまいなあ。

僕が過去と現在とを行ったり来たりしてる間も、目の前をあの頃と同じように灰色のガンガーがゆったりと流れていた。


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これ元気がないヨギニオーナー
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これ大きくなったムケ
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カズハ姉さん 僕らが泊まっていた30ルピーのドミトリーはもう使われていなかったよ。久しぶりに見たけどなんだか刑務所みたいだったよ。



これクリックするとガンガーに流されるよ。




呼んでいる
早朝、僕らを乗せたバスはポカラを出発し、国境の町スノウリに向かった。結局この朝も曇っていて、最後までヒマラヤを見ることはできなかった。

ポカラが少し残念な感じで終わったので、僕らは少し予定を変更することにした。このまますぐネパールを出てインドに入るんじゃなくて、もう1つ、ルンビニという町に寄ることにしたのだ。スノウリから1時間ほどでいくらしい。
このルンビニ、ご存知の方もいると思うけど、仏教の4大聖地の1つで、ブッダの生誕の地なのだ。ブッタには昔からたいへん良くしてもらっていたので、これは行っとかないとでしょ。スノウリまでは7時間ほどだから、遅くても夕方までには着くだろう、と思っていた。

予定の7時間を過ぎた2時半頃、バスはある小さな町で止まった。まだスノウリではないらしい。「どーせすぐ動き出すだろう」と思い、しばらく外で遊ぶ子どもたちを見て過ごした。しかし、バスは1時間経っても動く様子はなかった。

僕らのバスの他にも、トラックなどがたくさん止まっていた。あるネパール人の話だと、この先でデモが行われている言う。
「うーん、デモかあ。仕方ない。」

またしばらくすると、先の方まで見てきた韓国人のツーリストが「セレモニーをしていた。みんなメシを食べていた。」と言う。
「うーん、セレモニーかあ。仕方ない。」

僕らはおとなしく待つしかなかった。
4時になった。それでもバスは動かない。
5時になった。それでもバスはまだ動かない。
6時になった。それでもバスはまだまだ動かない。

いつの間にか真っ赤な夕陽が沈もうとしている。
「そういや朝も太陽さんが昇るのをバスから見たなあ。」とぼんやり思っていた6時半すぎ、よくやくバスは動き出した。

その後もなんでかわからんけど、違うバスに乗り換えさせられたりして、8時半ごろ、スノウリの4キロ手前のバイラワという町で降ろされた。7時間のはずが13時間かかったことになる。もうルンビニ行きのバスやジープは出てないらしく、その日は仕方なくそのバイラワに泊まることにした。

翌朝、僕らはルンビニ行きバスの発着場まで歩いた。サイクルリクシャーのおっさんたちが「ルンビニに行くのか?バスは走ってないぞ。俺のに乗っていけ。」と声をかけてくる。
冗談じゃない!いったいルンビニまで何時間かかるのだ。バスが走ってないなんて、どーせウソに決まっている。
いつの間にか、僕らと一緒に10台くらいのリクシャーがついてきていた。このおっさんたちのしつこさにインドに近づいたことを感じた。

30分ほど歩いてようやくバス停に着いたが、ルンビニ行きのバスは走ってないらしかった。
「乗り合いジープは走ってないのか?」とその辺にいた何人かに聞くと「ジープもタクシーも何も走ってない。ストライキだ。ルンビニあたりはブロックされている。」と言う。どうやらほんとに走ってないみたいだった。
「ほれみたことか」とばかりに、リクシャーのおっさんたちが近づいてきて「俺ので行くしかない。リクシャーでしかルンビニには行けない。」と言ってくる。
「どれくらいかかるんだ。」
「1時間だ。」
バスで1時間なのに、僕ら2人を乗せた自転車がどうしたら1時間で行くんだよ。

昨日の意味不明のストップといい、今日のストライキといい、これは何者かがぼくらをルンビニに行かせないようにしているとしか思えなかった。
「ブッダが『来るな』と言ってるのか。」
しかし、僕とブッダとは竹馬の友なので、彼がそんなことをするとは思えなかった。

だとすると、もう奴の仕業しかなかった。
「呼んでいるんだ」
そう、インドが「早く来い!」と呼んでいるのだ。ポカラでトレッキングができなかったのも奴のせいだろう。そんなに僕らと早く会いたいか。そうか、そうか。それならお望みどおり行ってやろうじゃないか!

僕らはルンビニ行きを中止し、乗り合いジープに乗って、4キロほど離れた国境のスノウリに向かった。
狭いジープの中には20人ほどの乗客が詰め込まれ、なんだか刑務所に輸送されているみたいだった。
そういやネパール人に「これからインドに行く」と言うと、「あそこは地獄だ」と言ってたっけ。
地獄行き輸送ジープかあ。
僕はなんだかうれしくなってきた。とうとうやってきた。あのインドに僕は再び帰ってきた。

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スノウリまでの途中でよったある食堂の台所。
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リクシャーと交渉中。日本の「人力車」が語源みたい。
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そんな目で見ないでくれ。
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地獄行きジープ
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これクリックすると君も呼ばれるよ。






さらば、アニールモモ
ポカラに1週間いても、きれいなヒマラヤを見ることはできなかった。
毎朝毎朝「今日こそは!」と部屋の外に出て、マチャプチャレがある方向を見るものの、いつも厚い雲がその姿を隠していた。
「明日こそは見えるかも」と思い、ずるずると滞在してきたけど、もういい加減ヒマラヤが見えないポカラにも飽きてきた。ほぼツーリストの町のようなポカラは、1度おいしいものを食べて満たされれば、たいしておもしろいとこじゃなかった。ヒマラヤが毎日きれいに見えた前回は、「いくらでもいれる」と思ってたのになあ。
ただ「もういいや。インドに行こう。」と決心しようとすると、「あきらめたらそこで試合終了だよ。」という安西先生の言葉(スラムダンク)が浮かび、僕の決断を揺るがせていた。

この1週間はレイクサイドとダムサイドを無意味に往復したり、少し離れた町のバザールに行ったりした。歩いて30分ほどのところにはチベット人の難民村があった。と言っても、みやげ物屋が少しあるくらいで特に惹かれるものはなかったんだけど。話すことができたらまた違うんだろうけどね。ただ、ダライ・ラマの写真やチベット国旗が堂々と掲げてあったのは新鮮だった。中国ではダライ・ラマの写真を所持していると、すぐに政治犯として捕まるらしく、僕は1度も見ることはなかった。ここの人たちは亡命して難民という立場にあるけど、自分の崇める人を思いっきり祈るという自由があり、中国のチベット人たちより幸せかもしれないな、と彼らの事情を何も知らない僕は勝手にそう思った。

とはいえ、僕が勝手に何を思おうと天気が良くなるはずもなく、ついに意を決して、国境のスノウリまでのバスチケットを買うためある旅行会社に入った。
「スノウリまで。2人。」
僕はスタッフの兄ちゃんにチケット代を払った。ところが、その兄ちゃんが困ったことを言い出した。
「ポカラ何日いたの?トレッキング行った?」
「行こうと思ってたけど、この天気だしあきらめたよ。」
「何言ってるんだ。トレッキングに行けば、山ばっちり見えるよ。ここからはアンナプルナは遠くて見えないけど、トレッキングすればとても近くにいくんだ。全然見れるよ。」
せっかく決心して来たのに、そんなこと言うなよ兄ちゃん。どうせトレッキング行かせたいだけだろ。ヒマラヤなんて見えないんだろ?

僕の気持ちを見透かしたように、兄ちゃんは続けた。
「もしヒマラヤが見えなかったら、トレッキング代金すべて返すよ。」

なんて自信だ。本当に見えるのかもしれない。
僕は結局バスチケットをキャンセルして「もう少し考えるよ」と言って、そこを出た。

アンナプルナトレッキングは最初からこの旅でやろうと思っていたことだった。
「安西先生、僕はあきらめません。」
僕は入域許可証用の写真を現像するため、写真屋を探した。
しかし、たくさんあるはずの写真屋がなかなか見つからなかった。やっと見つけたところでも「今日は休みだから、明日にしかできないよ。」と言われてしまった。
何だかもうめんどくさくなった僕は、もう一度さっきの旅行会社を訪れ、スノウリ行きのバスチケットを購入した。
試合終了・・・。

ポカラ最後の晩飯はやはり「アニールモモ」に行き、あまりおいしくない唐揚げ定職を食べた。
「明日ポカラを出ることにしました。またいつか食べにきます。」
最後にアニールモモのオヤジと握手をして別れた。

次いつ来れるかわからないけど、その時まで店がうまくいってますように。
9年前のようにマンガを読む若者であふれますように。

「バックパッカー秘伝の味 あにるもも」と書かれた古い看板を見てたら、ちょっとおセンチになった。
さらば、アニールモモ。
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これクリックすると大統領になれるよ。





人間ここまでやせれるか
ポカラは今日も雨だった。
おかしい。
ネパールはこの時期乾期で雨が降ることなんてまずないと聞いているのに、もうすでに2日降られている。ヒマラヤもほぼ毎日見れるはずなのに、僕は1日、それも早朝のほんのわずかの間しか見れていない。布団から出るのを怠ったゆりに関しては、まだ1度もマチャプチャレを見れていない。
ヒマラヤが見れないポカラなんて、カツが入ってないカツ丼、もしくは桑田佳祐のいないサザン、はたまた、つんくが入ったモー娘。みたいなもので、全く魅力を感じることができない。
アニールモモのオヤジが言うには、僕らが来る前の2週間もずっと曇っていてヒマラヤが見れなかったらしい。
「今までそんなことなかったんだけどねえ。3年くらい前から天気がおかしいね。1月に雨が降ることなんてなかったよ。」日本人客が減ったのはこの天気のせいだとばかりに、オヤジの口調は寂しげだった。
やはり温暖化が影響しているんだろうか。世界のあちこちで気候が少しずつおかしくなってきている。

僕は旅に出る前から、前回行けなかったアンナプルナトレッキングをしようと心に決めていたんだけど、この天気では行ったところでアンナプルナは見れそうにない。山が見れないならポカラにいてもしょうがない。残念だけどトレッキングはあきらめて、もうインドに行ってしまおうかと心が揺れる。行こうと思えば明日にでもインドに行ける距離にいるのだ。あのインド人だらけのインドに。

アニールモモのカツ丼を食いつつそんなことを考えていたら、1人の日本人がなんだかフラフラしながら入ってきた。
「あー、お久しぶり!!」
彼とは中国の成都で会っていた。その時彼はまだ旅に出て2週間くらいで、これからチベットの山に登りにいくと、登山道具一式持っていた。
「登山家かあ。たくましいなあ。」
旅をしていても特にがんばることのない僕は、何だか彼がとてもまぶしく見えたのを覚えている。

が、1ヶ月半ぶりにあった彼は、まるで別人だった。
頬の肉が落ち、目の周りが窪み、顔がキュッと細くなって、まるでマンガで描かれる病人みたいになっていた。体もひと回り小さくなったように思え、手に肉がついていない。
「ど、どうしたんですか?」思わず聞いてしまった。
「ネパール入って風邪ひいちゃって」
「絶対風邪じゃないでしょ?ちょっと普通じゃないですよ。」
「カドマンドゥの日本食レストランで食中毒にもなって。2回。」
2回!そのレストランは僕らも1度行っていたので驚いた。

彼の旅のルートは僕らと同じで、ラサからランクルツアーでネパールに入ったようだ。あの厳しい寒さに加え、ツアーメンバーに3人も風邪ひきがいたと言っていた。登山はあきらめて、道具は日本に送ったみたい。

それにしてもだ。あれだけたくましかった人がたった1ヵ月半でここまで変わるものなのか。
「10キロくらい落ちてるんじゃないですか。」
「計ってないけど、それくらいはいっているだろうね。」
話をしていてもテンポが遅く、まだ頭がうまく働いていないようだった。食事も味噌汁とおにぎりを半分だけ。立ち上がるとフラフラとよろめき、「じゃ、また」と言って彼は去っていった。

彼もこれからインドに行くと言っていた。
「大丈夫かねえ。日本帰った方がいいんじゃない。」とゆりは本気で心配していた。
僕も前回はインドに入って速攻半月寝込んだので、その方がいいかもしれないと思った。そしてあの時の苦しさや不安を思い出し、ちょっとインドに対してビビってしまった。
「インドはもう少しポカラで栄養つけてからだな」と、カツ丼をほお張り、『北斗の拳』を読んだ。ケンシロウがえらくたくましく見えた。


カツ丼を食ってる間に旅も半年が過ぎた。一応の目的地インドまでこんなにかかるとは正直思ってなかったなあ。それにしても半年早かった。

この1ヶ月で使ったお金     15万7144円
この半年で使ったお金     77万0464円  カツ丼何杯食えるかなあ。
訪れた町             ラサ、ティンリー、カトマンドゥ、ナガルコット、ポカラ
訪れた世界遺産        ジョカン寺、ポタラ宮、エベレストベースキャンプの3キロ手前
食ったカツ丼の数        5カツ
風呂に入った回数       6シャワー
実家に届いた仏像の数    ゼロ仏

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半年記念に食べたてんぷらそば280ルピー(500円くらい)は宿代より高かった。


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