クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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お前はもう、死んでいる!
居心地がよく1週間いたナガルコットも出発する時がやってきた。理由は、体から異臭が漂うようになったから。
宿はソーラー式で、一応昼間ならぬるいお湯が出た。ただぬるいお湯は、けっこう寒いナガルコットではちょっとあったかい水に感じられ、裸になってシャワーを浴びようとするものの、「うーん、やっぱムリ!」とばかりに、何もできずにキン○マを縮こますだけだった。
そんなこんなでまた1週間風呂に入れてない。風呂に入らないとどうなるか?心がすさんで、ああなってこうなる。
それにしても今月は数えるくらいしか風呂入れてないなあ。5回くらいかも・・・。

カトマンドゥに戻り、シャワーを浴びて、すっかりワキからワキ毛が生えた僕らはポカラという町に向かった。

以前の旅では、半月以上滞在した町が3つあった。インドのカルカッタが一番長く2ヶ月、ガンジス川の沐浴で有名なバラナシが3週間、そして今回やってきたポカラが半月だ。旅用語で「沈没」ってやつだね。長く居ただけあって、これらの町で出会った旅人も多いし、ちょっと旅を思い出すときは、この3つの町のことが多かった。

しかし「ポカラで半月も何してたの?」と聞かれてもあまり思い出せない。ポカラはヒマラヤ・アンナプルナトレッキングの出発点として有名なんだけど、金がなかった僕は高い入域許可証を払ってまで行こうとは思わず、ただ宿からボケーッとヒマラヤを見ていた。
ただ1つよく覚えているのは、マンガをいっぱい読んだこと。「アニールモモ」という日本食レストランにはズラーッと日本のマンガが置いてあった。僕はいつもそこに昼飯を食いにいき、2,3時間マンガを読んだ。「アジアを半年旅してた」なんて言うと、たまに「すごいね」なんて言われたりしたけど、なんのこっちゃない、マンガを読んでいたのだ。
当時は猿岩石がユーラシア大陸をヒッチして横断したり、沢木耕太郎の「深夜特急」がドラマ化されたりで、空前のバックパッカーブームだった。アニールモモは、いつも僕のような長期旅行の若者であふれていた。24、25歳くらいが特に多かったかなあ。1ドル85円の超円高や就職氷河期というのも関係してたと思う。
僕はそんな日本人に囲まれ、「北斗の拳」を全巻読んだ。ガラスの十代最後の年に「北斗の拳」を読んでいたのだ。

ポカラには大きく分けてレイクサイドとダムサイドと呼ばれるツーリストエリアがある。レイクサイドが中心でたくさん宿やレストランがあるんだけど、なぜか日本人にはダムサイドが人気だった。アニールモモもダムサイド。僕も前回と同様、ダムサイドに泊まることにした。
宿は『雲海リゾート』のオーナーのカズさんの友達がやっている『ゴータマの家』というゲストハウスに決めていた。カズさんが電話してくれてたみたいで、ゴータマさんは僕らが来るのを知っており、6ドルの部屋を250ルピー(440円)にまけてくれた。

9年ぶりのポカラ・ダムサイド。「ずいぶん変わったんだろうな」と思い散歩したけど、拍子抜けするくらい変わってなかった。いや、ある意味変わっていたか。
見覚えがある店や建物がたくさんあったんだけど、シャッターが閉まっている店が多かったり、看板に書いてある日本語の文字が消えかかっていたりと、なんだかさびれている感じだった。
僕は前回泊まっていた「スルジェゲストハウス」に行ってみた。部屋からでかくマチャプチャレが見え、多くの旅人と出会った思い出の宿だ。
当時と同じ看板があり、「うわあ、懐かしいな」と入ってみたけど、あまりに汚いのにびっくりしてしまった。後でゴータマさんに聞いたところによると、スルジェはもう旅行者が泊まることはなく、今はネパール人が溜まって酒を飲んだりする居酒屋みたいになっているということだった。
僕が泊まっていたドミトリーの部屋には鍵がかかっていて、目の前には家が建ち、マチャプチャレは見ることができなかった。みんなで鶏を丸ごと買って焼いた思い出の屋上も汚くなっていて、なんだか切なくなった。

昼に「アニールモモ」に行ってみた。少し場所が変わっていたけどちゃんと営業していた。が、何だか狭くて薄暗い。帳場のまわりに少しだけマンガが置いてあった。オーナーに「マンガこれだけ?2階とかにあるの?」と聞いたけど、これだけのようだった。めっちゃ減ってる!
なんでも4,5年前から日本人客が激減し、マンガもよくわからないけど「なくなった」という。僕が「9年前、毎日来てたんですよ。」と言うと、「あの頃はすごかったねえ。すごくたくさん日本人いたねえ。」とオーナーは少し寂しそうに言った。
僕はカツ丼を食い、「北斗の拳」のラオウとの戦いのとこを読んだ。あれから何人も読んだのであろう、びっくりするくらいマンガはボロく、真っ二つに分かれるものもあった。
『わが生涯に一片の悔いなし!』
9年前と同じように、こぶしを天に突き上げ、ラオウは死んだ。
「俺も最後はこんな風に死にたいなあ」と、たぶん当時と同じことを思った。

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ゴータマさん家から見えるマチャプチャレ

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サンディップのお話
雲海リゾートの兄ちゃんたちは働き者でいい奴らばかりだった。
僕らはとりわけ陽気で日本語が上手なサンディップとよく話をした。彼はいろいろなネパールの事情について教えてくれた。

サンディップのお父さんとお母さんは12歳と13歳で結婚したという。
「最近では政府が18歳以上と決めているけど、山の村では守られてないね。国より村のルールの方が強いからね。だから今でも12歳くらいで結婚する子はたくさんいるよ。」
「何でそんなに早く結婚するの?」驚いた僕らは聞いた。
「たぶん孫を早く見たいからじゃないかな。」
そんな理由なの?と少し思ったけど、平均寿命が60歳もないというのを聞いて少し納得した。

20歳のサンディップに、まだ結婚しないのかと尋ねた。
「周りからは『しろ、しろ』と言われるけど、僕は25歳くらいがいいね。でも結婚しようと思えばいつでもできるよ。誰とでもできるよ。」
誰とでも?どういうこと?
「僕のおじいちゃんはここら辺で一番パワー持っていたね。ネパールではラブマリッジより親が結婚相手を決めてくる方が多いね。だから僕がもし「あの人と結婚したい」と言えば、たぶん結婚できるね。」
昔の日本の家制度みたいなものが今も行われているみたい。家柄がいいサンディップの縁談はすぐにまとまるというわけだ。それにしてもうらやましい話だ。クラスのアイドルも簡単にゲットだ。

でも逆に、家柄が悪い子を好きになった場合は悲劇だという。親はすごく反対するだろうから、もし結婚するとなったら勘当されるって。
ネパールにもカースト制度があって、サンディップが子どものころは「あの子に触ってはいけません。」とか「あの子の家に行ってはいけません。」と教育されたそうだ。今は政府がカーストを廃止したみたいだけど、やっぱり差別は依然と存在するみたいだね。

「親がお嫁さんを決めてくることもあるんでしょ?サンディップはそれでいいの?性格悪いかも知れないよ。」とゆりが聞くと
「親が決めてくる相手だったら悪い人なわけがないね。全然問題ないね。」と彼は平然と答えた。
日本も昔はそうだったんだろうけど、この辺の感覚は理解しがたい。僕だったら、親が連れてきた娘がピチピチギャルじゃないと嫌だけどなあ。

サンデップは続ける。
「ネパールには36の民族がいると言われているけど、違う民族の人との結婚は難しいね。たぶん外国人と結婚するより難しい。僕らタマン人は普通タマンの人と結婚するね。それだけカルチャーが違うからね。
例えば、身内の人が死んだときね。タマン人は死んだ日と13日後の2回、髪の毛を剃るね。でもそれでフィニッシュね。ネワールやバウンの人々は1年間白い服を着ないといけないね。靴下から頭につけるものまで全部。とっても面倒だね。それにバウンは人が死ぬとすぐにファイヤーするね。可能なら死んでから5分でも燃やしてしまうよ。僕らは1日くらい後で燃やすね。その間にお祈りしたりするの。僕はバウンのカルチャーは好きじゃないね。バッファロー食べられないし、お酒も飲めない。おいしいのにね。僕らはお祭りとかにはお酒がないとダメね。タマンはみんな陽気だし楽しいよ。」
排他的な部分もあるけど、自分の文化がすごく好きなのがよくわかった。ネパールでは各部族がそれぞれランク付けされて、タマンは結構上の階級みたい。バウンは司祭カーストと言われ、身分はかなり高いものの、いろいろな制約があり大変みたい。最近は民族間の結婚も増えてきていると言っていたけど、上の世代の人はいい顔しないんだとか。


近年マオイスト(毛沢東主義)が台頭しているネパール。今は落ち着いているけど、数年前はマオイストと政府アーミーが銃撃戦を繰り広げていたらしい。3ヵ月後にはマオイストが初めて参加する選挙がひかえていて、その結果次第ではまた国が荒れるかもしれないということだった。
「僕も最初はマオイスト好きだったよ。週1回1時間のラジオをこうやって(ラジオに耳をもっていって)聞いていたよ。システムがいいと思ったね。でも1年くらい前、マオイストが『雲海』に来たね。銃を持って『金を渡せ。俺たちはお前を殺すこともできるぞ。』と脅してきた。僕は『殺してみろ。お前が不利になるだけだ。』と言ったよ。でもオーナーとかはブルブルだね。だいぶお金渡したよ。やっぱり怖かったからね。それから僕マオイスト一番嫌いね。一番嫌い。」
ネパールに入ってからマオイストのことはよく聞くけど、いまいちよくわからない。マオイストの中でもたくさんの派閥があり敵対していたらしいけど、今は反王政、反政府ということで1つにまとまっているとか。
「マオイストはどこにいるの?」
「前までは山の中に隠れて活動していたけど、今は堂々とカトマンドゥとかにもいるよ。赤いスカーフ巻いて何か叫んでるよ。」
「あっそれ見た!」
「ナガルコットにもいるよ。普通の格好しているからかわらないけど。マインドのことだからね。でも僕はマオイストわかるよ。少し話すとわかる。頭の悪い人がマオイストになるよ。」

「でも今の政府も良いわけじゃないね。悪くなるわけじゃないけど、良くもならない。インドとかの援助がないと国が潰れてしまうね。僕ら死ぬね(笑)。
ネパールは世界一のヒマラヤあるし、平和になればもっとたくさんツーリスト来て、豊かになるね。政府はバカだね。
サラリーもすごく少ないね。いくら働いてもお金貯まらないよ。日本はサラリーとってもいいね。僕も5,6年働きたいね。レストランとかで働ける?」
日本に行きたいサンディップだけど、問題はビザ代だった。就業ビザだと1万5千ドルもかかるそうで、普通の人がそんな大金払えるはずがなかった。1番てっとり早いのが日本人女性と結婚することで、そうすればタダで何年も日本にいられて働ける。僕らはいつも2人だから気づかなかったけど、『雲海』で出会った1人で旅している日本人女性の話では、ネパールほど男性に声をかけられる国はないんだって。みんな貧しさから抜け出すために日本人女性を狙っているんだと。

大学の友人のしげちゃんに似たビーンは先生を目指している。朝4時に起き少し離れたバッタプルの学校に行き、6時半から授業を受け、そして昼から夜遅くまで宿で働いていた。
「ネパールでの人生は厳しいよ。先生になっても給料安いから豊かになれない。楽しいことも少ないしね。日本人は幸せだね。楽しいことがいっぱいあるでしょ?君たちみたいに世界旅行にもいけるしね。ネパールでは無理だね。」
そう言われると少しつらかったけど、事実でもあった。僕らはたいした努力もしてないけど、こうやって長いこと何もしないで海外を旅できるお金を持っている。これは日本で生まれたからに他ならない。そしてそれは全くの運だ。
宿の兄ちゃんたちはすごく僕らによくしてくれた。それが仕事といえばそうなんだけど、食事を作ってくれたり、「寒いね」と言ってブランケットを持ってきてくれたり、湯たんぽを用意してくれたり。僕は自分が何様なんだ、と少し心苦しくなった。同世代なのに、彼らの方ががんばっているのに、何で自分は王様みたいに暮らしているんだ。

でも「日本人は幸せ」かというと、やはり少し首をかしげたくなった。
僕は人の幸せは、家族とか友人といった人たちとのいい関係がすごく大きいと思っているんだけど、近年日本はだんだんとそれが希薄になってきている。ビーンと山道を歩いていると、すれ違う人すれ違う人と挨拶を交わし、世間話をしていた。「村社会」と言えばそうなんだけど、それはとても魅力的なことに思えた。
「終わりよければ全てよし」途中苦労しても最後には笑っていたいな、ともよく思うんだけど、日本じゃ老人は家族と離れて施設に入るし、「孤独死」なんて言葉があるくらいだし、あまり最後が笑えてない気がする。
サンディップにゆりが老人介護の仕事をしていたことを話すと、次のようなことを言った。
「ネパールの老人はすごく権力あるね。家族は一緒に住んでるし、1人で死んでいくことはないよ。孫とかもすごく大切にするからね。ネパールの老人はすごくハッピーだよ。」
彼の言っていることが全てだとは思わないけど、どっちの国が幸せかなんて簡単には言えないなと思った。でも、山の厳しい暮らしを垣間見たり、彼らの「貧しい」という話を聞いたりしてたので、「君たちの方が幸せかもよ」なんてセリフはさすがに言えなかった。こんなゆるい生活をしている僕らに言われたらムカつくだろうしね。

「人生一度きりだから楽しくやらないとね」
サンディップはそう言って、いつものように陽気に笑った。
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これクリックしたらマオイストが来るよ。


ノリタケ現る
山道を歩いていると、ある1軒の店の看板に目が止まった。
「憲武コーヒー店」
ノリタケ?日本人が経営でもしているんだろうか?それにしては少しボロい気もするが。

中に入ってみると、僕らが小学生の頃に大流行した「仮面ノリダー」の写真が飾ってあった。

うわあ懐かしいなあ。でも何なんだろう?「仮面ノリダー」」ファンのネパール人でもいるんだろうか?いやいないだろう。

しばらく僕は考える振りをしていたんだけど、「こんにちは」と日本語で話しかけてきたネパール人を見ると、謎は簡単に解けた。
似ている!そう、店の主人と思われるその男性がとんねるずの木梨憲武にそっくりだったのだ。しかも仮面ノリダーの時のちょっともっさい感じののりさんに似ていた。
「やめろジョっカー、ぶっとばすぞー!」「かいわれ巻き巻き、ネギトロ巻き巻き、巻いて巻いてトゥー!」と今にも言いそうだ。
おそらく日本人観光客が「似てる!似てる!」とあんまり言うもんだから、きっと主人は「こりゃイケるぞ!」と思い、店の名前を変更したんだろう。

のりさんはとても親切で、カタコトの日本語で「あの山は~っていうんだよ」と丁寧に教えてくれた。
「人気メニューは?」と聞くと「チーズオムライス」と言うので頼んでみた。まあ普通だった。

店でお手伝いをしている少年がいた。彼の顔の雰囲気が主人と似てたので「子ども?」と尋ねると「そう、ノリタケの息子」ときれいな日本語で答えてくれた。自分の父親をノリタケじゃないのにノリタケと呼び捨てにしているのがちょっとおもろかった。愛嬌のあるノリタケの息子は日本語が上手で、なぜか髪が濡れていた。風呂に入ったばかりなんだろうと思っていたけど、しばらく経っても全然乾かない。何かぬっているんだろうか?
「君はチビノリダーだね。」と言うと「チビじゃないからミドルノリダー」と言っていた。

その後山村を散歩したんだけど、奇妙なことが起こった。
「あれノリタケさんじゃない?」
ゆりがある村人を指差して言う。
ほんとだ。ノリタケだ。でもこんな村にいるわけないぞ。
よく見ると別人だった。しかしそれからしばらくしてまたノリタケに似た人に出会った。
そう、ナガルコットはノリタケのそっくりさんがいっぱいいるノリタケ村だったのだ。
「私テレビ局に勤めてたらノリタケ村の企画書出すのになあ」とゆりは真剣に残念がっていた。

ナガルコット2日目の夜には、宿に泊まっている客はぼくらだけになった。
停電になった後、暖炉で薪を焚いて、その前で宿のスタッフの兄ちゃんたちと歌い踊った。ジャンベや「マダラ」というネパールの太鼓でリズムをとり、僕はダンモーイとムチュンガをビヨンビヨンした。
タマン民族という兄ちゃんたちは、タマンの民謡を歌って聞かせてくれた。ネパール語とは全然違うみたいで、彼らがタマンを語る時、自分の文化に誇りを持っているのが伝わってきた。
陽気に歌う彼らを見ていると、僕は沖縄の人たちを思い出した。
僕が沖縄に移り住み驚いたことの1つに、若者でも島歌をけっこう歌えるということがあった。沖縄という土地と文化を好きだという子もたくさんいた。地元の歌を1つも知らない僕にとって、それはとても新鮮なことで、なんだかうらやましかった。
自分たちが仲間だと確認できる歌や文化があるってことは幸せなことなんだなあ。
楽しそうに踊る兄ちゃんたちを見てしみじみ思った。

しずかなヒマラヤの谷に、その夜は遅くまで太鼓の音と笑い声が響いたとさ。

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スタッフのビーンは大学時代の友人のしげちゃんに似ていた。


これクリックしたらノリタケに変身できるよ。


バスっていっぱい乗れるんだね
インドビザが無事に取れた僕らは、ヒマラヤ山脈がとてもきれいに見えるというナガルコットという町に行くことにした。カトマンドゥを出る朝には1週間ぶりにホットシャワーにもありつけ、体も心もきれいになって出発できた。

ナガルコットへはローカルバスを乗り継いでいった。最初に乗ったミニバスは、なんとか席を確保したものの、どんどんどんどん人が乗ってきて、僕らはバックパックを抱えながら乗らなければならないほどだった。
「さすがローカルバスだなあ。」なんて思っていたけど、まだまだこんなものじゃなかった。

1時間半くらいいったコモンビナエックという町でバスを乗り換えた。
「ナガルコットバス?」
その辺のオッサンに聞くと、少し遠くに停まっていたバスを指差す。
「ゲ!」
そのバスはすでに超満員で、バスの上にもたくさん人が乗っていた。
「ナガルコット?」
このバスじゃないことを期待しつつ近くにいたオッサンに聞くと、首を横に傾けた。「イエス」の合図だ。

バスの後ろには梯子がついていて、そこから上に登る。バックパックを背負いながら登るのはかなりきつかった。バスの上はけっこう混みあっていて、数えると40人近く乗っていた。
僕らは少し開いていた、ちょうどバスの真ん中あたりに腰を下ろした。女性はゆり1人だけだった。

動き出したバスの乗り心地はなかなか悪かった。本来荷物置き場だからしょうがないけど、鉄の棒が間隔をあけて並べられている上に座るので、少し時間が経つとお尻が痛かった。山道はくねくねが続き、バスはけっこう揺れ、少し酔いもした。頭のすぐ上を電線や木の枝がかすめていく。上までわざわざ運賃を徴収しに来た兄ちゃんとのやり取りで気をそらしている時には、頭に枝が直撃した。痛かった。
それでも前後左右、そして上と、まったくフレームのない景色はなかなかのものだった。山の景色はとてもきれいで、そこで暮らす人々の様子も垣間見れた。空がとても広く感じた。

1時間ちょっとで無事にナガルコットに着いた。中国の移動を思うとかなり短い。
宿まではまだ少し離れていて、1日に3本しか走っていないミニバスがちょうどきたのでそれに乗った。3本のバス賃を合計しても45ルピー(80円くらい)だった。

宿はカトマンドゥのレストランで見た情報ノートに「よかった」と書かれてあった「雲海リゾート」に決めていた。着いてみると確かにそこは「よかった」。山肌に建っているホテルの目の前には、雲がかかっていたもののドーンとヒマラヤがそびえていた。その下には棚田や小さな村落が見える。部屋の窓からもヒマラヤが一望でき、料金も15ドルの部屋を10ドルにしてくれたのでその部屋に決めた。カトマンドゥでの250ルピー(440円くらい)の宿と比べるとちょっと高いけど、このロケーションで10ドルならむしろ安いと思った。

翌朝早く起きると雲が晴れていて、朝日に照らされるヒマラヤがきれいに見えた。山の下の方には雲海もできていて、それもかなりきれいだった。
2,3日前に雪が降り白くなったばかりだというヒマラヤはホント綺麗で、あそこを越えてきたなんてなんだか信じられなかった。
「ここはたぶん長居しちゃうんだろうな」とまだ白く輝いていくヒマラヤを見て思ったとさ。


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これ「雲海リゾート」
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これクリックしたらバスあげる。


臭くても心は錦
ネパールに来て困ったことがある。風呂になかなか入れない。
今泊まっている宿は250ルピー(440円くらい)のわりに、わりかしきれいなんだけど、ホットシャワーが朝しか出なかった。まあ、普通の町なら朝入ればそれで済む問題なんだが、ここネパールは計画停電がある。最初は夜だけかと思ってたんだけど、時々朝も停電することがわかった。停電するとホットシャワーが出ないこともわかった。それでも毎朝停電するわけじゃないので、ずっと入れないわけではないんだけど、僕らは運が悪いことに、大使館に行くなど、朝に用事があるときには停電がなく、「今日こそは入りたい!」と思って目覚めた朝は停電だったりした。今日は2回目のインド大使館に行く日だったんだけど、やはりこんな時に限り停電がなく、熱いお湯が出やがった。僕らは臭い後ろ髪をひかれる思いで大使館に向かうだった。

そんなわけで、もうかれこれ6日ほど風呂に入れてない。以前、東チベットのリタンにいた時、1週間入れないことがあったんだけど、あそこはシャワー自体がなかったのであきらめがついていたし、唇が割れて血が出るくらい乾燥し、めちゃんこ寒かったので、さほど汗もかかず汚いとは感じなかった。

しかしカドマンドゥは日中けっこう暑くなって汗はかくし、人がやたら多くゴミゴミしているし、道は土がむき出しのところも多く、町は砂埃が舞っていた。1日そんなとこを歩くと、自分が汚れをまとったバイキンマンになっていることが自覚できた。しかし、そんな体を洗うこともできず、一日を終えフトンに入るしかしょうがなかった。

風呂に入らないとどうなるか?体が臭くなる。特にワキが異様に臭うようになる。これは夫婦の僕らにとってはかなり深刻な問題だった。夜は一緒に寝はするが、磁石のN極とN極、S極とS極のように、一定の距離になると反発し合った。正確には一方が反発してたんだけど・・・。
髪はしっとりするかと思いきや、埃のせいかすごくパサパサして、らくださんみたいだった。

そんな状態が続くと次にどうなるか?心がすさむ。
元来きれい好きではない僕でさえも「俺って穢れているんだ」という思いが増し、心を閉ざしがちになった。そうなると人間落ちるところまで落ちるもので、昨日履いてかなりにおう靴下も「洗濯するのがめんどうだから今日も履いちゃえ」となり、こうして上から下まで、中から外まで臭い人間が出来上がったのだった。


インド大使館のことも少し。
今日は前回より早い4時に起き、整理券をもらいにいったけど、「18」「19」と前回より遅い番号だった。それでも今回はみんな1列に並んでいたのでストレスもなく、大使館の人も2人に増え、作業のスピードも2倍になり、1時間くらいで終えることができた。
そんな中でもやはり順番抜かしする奴がいた。しかも前回と同じ韓国人のおばはん。いきなり一番前に割り込んだ、とんでもおばはん。
今回もおばはんは列には並ばず、ベンチに座って余裕をかまし、スニッカーズをかじっていた。僕は「こいつ、また絶対入ってくるぞ」と思い、おばはんを凝視した。しかし今回はみんな1列に並んでいるので順番抜かしは難しい。さあ、どうするおばはん。
しかしおばはんはそんなのお構いなしに、前の方に並んでいた同胞の韓国人に話しかけ、すんなり列に入ってしまった。奴は順番抜かしのプロだった。もうムカつくのが損だと思い、おばはんを記憶から消すことにした。グッバイおばはん。

朝の5時前、大使館の開く9時半、そしてビザ受け取りの夕方の4時半と今日だけで3回大使館に来た。休みに来たのも合わせるとトータル6回も大使館に足を運んだことになる。早歩きで20分だから4時間は歩いたことになるわけだ。大使館で待った時間はそれよりも多い。もううんざりだよインド大使館。

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上のはベトナムでモン族から買ったダンモーイ。ビヨンビヨンのやつね。
下のは今回カトマンドゥで買ったムチュンガ。ビヨンビヨンいうのは一緒だけど、ダンモーイは唇で挟むのに対して、ムチュンガは歯に押し当て振動させて音を出す。日本では両方とも「コーキン」と呼ばれている楽器らしい。漢字だと「口琴」かな?どうやらムチュンガのタイプの方がメジャーみたいなんだけど、ダンモーイの方が大きいビヨンビヨンが出るので楽しい。

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ダルバート。ネパール人の日常食。ダルは豆のスープでバートが米。ネパーリーはみんなこれを手で食べるけど、僕らはスプーンを出してくれるのでまだ試してない。けっこうおいしいし安い。40円くらい。探せばもっと安いとこはいくらでもありそう。
オプションでチキンなんか頼んで僕らは食べたんだけど、一般の家庭では年に数回、お祭りや結婚式のときなんかしか肉は食べれないみたい。

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チャイ屋の娘。手際よくコップを洗ったりと働き者だった。ネパールでは「チャー」というみたい。ここは1杯6ルピー(10円くらい)。とっても甘いけど疲れた体にはとてもおいしく感じた。


これクリックしたら臭くてもいいよ。


順番抜かしかっこ悪い!
ゆる~く過ごしているカドマンドゥだけど、僕らには1つこの町でやらなくちゃいけないことがあった。それは次の訪問国インドのビザを取得すること。
「な~んだ、そんなこと」と思うかもしれないけど、どうやらこれがなかなか大変みたいだった。

僕らは最初、月曜日にインド大使館に行ったんだけど、その日はインドのパブリックホリデーとかで休みだった。
「仕方ない。また明日出直すか。」と帰ったんだけど、その後少し知り合った旅人にインドビザの取り方について教えてもらった。

彼の話をまとめるとこうだ。
まず最初にテレックス用紙とかいうのを提出し、その時にビザ申請用紙をもらい、その日は帰る。そして3,4日後に再び大使館を訪れ、そのビザ申請用紙とパスポートを提出したら、その日の午後にビザが発行される。ただやっかいなのが、インド大使館はいつもめちゃくちゃ混んでいて、恐ろしく時間がかかるらしい。それで混雑を避ける為、大使館では朝の4時とか5時から整理券を配るみたい。彼は朝5時半に整理券をもらったらしいけど、20番だったそうだ。そして運が悪いことに、土日休み明けの月曜日はいつも以上に混み合うとかで、ましてや土日月休み明けの火曜日はもうえらいことになるだろうと予想されるのだ。

朝5時と聞いて少し気持ちが萎えたけど、いつまでもカトマンドゥでダラダラしてるわけにもいかないので、僕らは恐ろしく混むだろう休み明けの火曜日にビザ取得に乗り出すことにした。

問題の火曜日。4時半に起床。まだ暗いカトマンドゥの街を大使館に向けて歩き出した。大使館までは歩いて30分弱。競歩ならもっと早くいける。
道路には火を焚いて温まっている人や、ランニングしている人がいた。
5時15分、大使館に到着。門の前に警備員の人がいて、ビンの王冠をつぶしたものををくれた。それには番号が書かれてあった。「16」と「17」。いったい15人は何時に来たんだと思ったけど、まあまあ早い番号だったので安心した。僕らはまたひと寝入りするため宿に帰った。

少し眠った後、8時半に再び起床。また大使館に向けて歩き出した。早歩きだと20分強。競歩ならもっと早い。
大使館の前にはたくさんのツーリストたちが並んでいた。100人近くはいたんじゃないか。僕らは王冠の番号を警備員に見せると、ちゃんと16番と17番目に入れてくれた。これだとすぐに終わるぞ、とその時は思っていた。

大使館が開く9時半過ぎから4人ずつくらいで中に入ることができた。僕らも比較的早い段階で中に入って、ビザ申請窓口のある建物に向かった。テレックス用紙をもらい「この英語どういう意味だ?」なんて考えながら記入していると、いつの間にか窓口には長い列が出来だしていた。僕らは慌てて列に加わった。
ビザ用の窓口は1つしかなかった。僕らが並んだすぐ後ろには壁があり、列はそこから壁に沿って曲がっていた。ただ、みんな1列に並ばずに2列とか3列になり、僕らがいた列がカーブするあたりは団子状態になっていた。ちょっと気を抜いていると何気ない顔をして欧米人たちが前に割り込んでくる。もう後ろには長い列が出来ているのにもかかわらずだ。
「こっちは朝の4時半に起きてわざわざ整理券をもらっているんだ」という思いがあるから、そいつらの順番抜かしが異様に頭にきた。しかし、団子状態のところではどうすることもできず、結局10人くらいの欧米人たちに割り込まれてしまった。そいつらが何か楽しそうにおしゃべりしているのがすごく腹立たしかった。

それでもすんなり前の人の数が減っていけば、僕の気持ちも休まっただろう。が、期待に反してインド大使館の奴の仕事が恐ろしく遅かった。はじめの1人がなかなか終わらず、その後も1人に15分くらいかかったりする。
早くしろよ!あ~イライラする。
しかも気を抜くと横から欧米人が割り込んでくる。僕は前の奴にぴったりくっついて必死にやつらをブロックした。

並んで1時間半くらいたったころ、1人の白い服を着た欧米人が門の方から歩いてきた。
「あっあいつだ!」
僕はそいつにラサのレストランで会っていた。日本の社会人の人たちとメシを食べている時、そいつはいきなり僕らのテーブルの前に立ち、僕らをにらんできた。身長が190cm以上はありそうで、ハチマキみたいな白い飾りを頭に巻き、白い1枚の布のような服を着ていた。どうやらたばこを吸っているのが気に入らなかったみたいだったけど、それならそう言えばいいじゃないか。にらみつけられた僕らは何だか気分が悪かったのだった。

その白でか男が歩いてきた。しかもラサの時と同じ白い格好。
「あいつむかつくんだよな。」と僕が思っていると、なんと信じられないことに白でか男は僕の少し後ろに何食わぬ顔をして並び出した。190㎝もあるので、周りの人たちから丸見えなのに、白でか男は堂々と並んでいる。あたかも「俺は特別なのだ。」という感じで。
いったいどういう神経をしているんだ。頭おかしいんじゃないか。

いつの間にか時刻は昼前になっていた。たしか12時で昼休みに入るはずだ。そうなってしまったらまた1,2時間待たなくてはならないかもしれない。僕のイライラは一段と激しくなった。
「まじで早くしろよ。俺は16番だったんだぞ。なんでこんなにも待たなくちゃいけないんだ。4時半に起きてるんだぞ!ちゃんとしろよインド大使館!」

不満が爆発しそうな時、列の外にいた韓国人のおばちゃんがすっと一番前に入った。まさかと思って見ていると、そのおばちゃんはなんとビザを申請してしまった。
「おーい、なんだそりゃ!」思わず日本語が出た。
信じられないことは続く。今度は中国のパスポートを持ったおばちゃんが僕の少し前に入ってきた。

「ババアアアア!」血管が3本切れた。

しかし、僕の前にいた順番抜かしをして入ってきた欧米人たちは、あっさりそのおばちゃんを入れてしまったのだ。4本目の血管が切れた。
その時僕は悟った。順番抜かしほどモラルに反した行為はないと。
「わたしゃ並ぶのはごめんだよ。真面目に並んでいる人がいくら待たされたって関係ねえ!自分されよけりゃいいんだ。ズルいだって?ああ、何とでも言いな!わたしゃ並ぶのはごめんだって言ってるだろ!」
それが順番抜かし。人間失格だ!

「もう昼休みがきちゃうよ」と、僕がまたイライラしている時に、2人の年配の欧米人が白でか男に向かって歩いてきて、「何で、お前はここに並んでいるんだ。後から入ってきたじゃないか!」と白でか男に対して文句を言い出した。白でかは低い声で何か言っているが、よくわからない。年配の2人は「じゃあ僕らはお前の前に入ってもいいんだな?」と言って、白でかの前に割り込んだ。そして後ろを振り返り、「みんなも来いよ。こいつの前に並ぼうぜ」と呼びかけた。みんな白でか男にムカついていたみたいで、ドッと笑いが起こった。
「こいつこの状況でどうするんだろう?」と思ったけど、白でかはそれでもその場にいつづけ、後ろに並び直そうとはしなかった。結局その後年配の2人も元の場所に戻ってしまった。
「ほんとこいつどういう神経してるんだ?」と不思議だった。

ちょうど12時頃僕らの順番が回ってきて、何とか無事にテレックス用紙を提出しビザ用紙をもらうことができた。3日後にまた来るらしい。
16番のはずが順番抜かしたちのせいで結局2時間半待たされた。でもまだまだ並んでいる人たちはたくさんいて、まだましな方だったのかもしれない。が、また3日後同じことをしなくちゃいけないと思うと気が重かった。

僕らがまた宿に戻っている時、例の白でか男が僕らの横を歩き去っていた。
「こいつ結局終わらしたんだ」
ほんととんでもない人間がいるもんだと、僕はそいつの背中を見つめた。

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女もの?男もの?

これクリックしたらこのパンツはいていいよ。


肉じゃが深夜特急
9年ぶりのカトマンドゥは天国だった。メシうますぎ!
朝食に前回も通っていたパン屋に行き、クロワッサンやサンドイッチを食べ、昼はサモサなどを軽く買い食いしたあと、カフェでプリンやケーキをいただき、停電になった夜には日本食レストランでなす味噌定食や天丼を食べる。幸せ!
旅のはじめ、ラオスにいた頃は、いっこうに地元のものを食べずピザやハンバーガーばかり食べている欧米人を見て「何しに来てんだ、こいつら」と思っていたけど、今自分が全く同じことをしている。が、あれだけ旨いものを目の前にして、みすみす見逃すなんてできないよ。あー何とでも言えばいいさ。何しに来てるかって?唐揚げ定食食べに来てるんだよ、ネパールまで。

ツーリストエリアのタメル地区では、土産物屋やトレッキングに参加させたい旅行会社の奴らがたくさん日本語で話しかけてくる。

「おー友達、元気ですか?」
「いや、お前友達じゃないし。」
「大阪?東京?」
「沖縄。」
「・・・・?ちょっと見るだけ。安い安い。」
「いや別にいらないし。どうせ高いでしょ。」
「ちょっと待て!いくら?あなたいくら?」
「じゃあ50ルピー(75円くらい)」
「バカヤロー!」

と、こんな会話が1日に何回も繰り返される。普段は別にいいんだけど、ちょっと疲れているときはけっこううざい。それにしても、みんな日本語が上手だ。日本人ツーリストが多いんだろうね。

古本屋にも日本の文庫本がたくさん置いてあった。しかも、読んで返すと半額キャッシュバックとかなりありがたい。僕は沢木耕太郎の「深夜特急」の「香港・マカオ編」と「マレー半島・シンガポール編」の2冊を買った。これを読むのも9年ぶりだ。前の旅に出る直前に読んで、主人公がギャンブルで失った金を取り返すところがおもしろくて、それで僕はバンコクに着いて4日目にカードゲームをして30万近く取られたんだよね。そう、沢木耕太郎のせいで僕は30万取られたのだ。返せ、このやろう!

まあそれは冗談としても、彼が旅した頃はこんな日本語が置いてる本屋なんてなかったんだろうな。インターネットはもちろんないし、便利なガイドブックもなかっただろうし、ほんと情報がめちゃ少ない中での世界放浪だったんだろう。大変そうだけど、それはそれでおもしろそう。

僕が前回旅した9年前も、今ほどじゃないけどネットカフェはあった。だけど、まだネットしている旅人はほとんどいなかったと思う。僕に関しては、まだパソコンに触ったこともなかった。
当時は日本から来たばかりの旅人に「最近の日本はどうですか?」なんて質問をよくしたものだった。日本大使館に行って、1ヵ月分くらいの新聞を読んだりもした。
「松坂ってやつが甲子園ですごかったよ。」とか「たかさん(とんねるず)が鈴木保奈美と結婚したよ。」なんて情報も旅中に聞いて、驚いたものだった。
時にでたらめな情報もあった。「スピードが解散した」(当時まだ解散してなかった)とか「いかりや長介が死亡」(当時まだ死んでなかった)とか。でたらめのくせに、それを他の旅人に話すと「らしいですね」と、みんな知ってたり。日本に帰って「踊る大捜査線」で活躍しているいかりや長介を見て「ゲッ!生きてるやん!」とえらくびっくりしたもんだ。でも、そんなのがおもしろかった。

親とかともほとんど連絡取ってなくて、旅で知り合って、僕より先に日本に帰った旅人が「しんご君帰ってますか?」と電話してきて、「いいえ、まだですけど。あの子元気にしてましたか?」と心配している母親が聞いたら、その人正直に「ああ、カルカッタで病気になって死にかけてましたよ。タイでは金騙し取られてたし。」と僕が内緒にしていたことも言ったりして、親たちはえらく心配したみたい。偶然マザーテレサのとこでボランティアしてたとこがNHKのニュースで映ったことがあったんだけど、それも親たちはびびっただろうな。いきなり息子がマザーテレサだからね。おもろいな。

今はインターネットで簡単に日本のことが知れるし、メールすればすぐに連絡が取れるし、ほんと便利になった。こうしてブログも書けるしね。
でも、世界放浪の醍醐味って異国を旅するのとともに、日本の生活と完全に切断できることだったと僕は思ってるんだけど、今回はその感覚が全然ないんだよね。ありがたいやら物足りないやら。もう僕らは「深夜特急」には乗れないのかな?

なんてことを言いつつも、今日も日本食屋でラーメンとチャーハンを食べて、「サイコー」などとぬかしているんだけどね。

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これクリックしたら楽になるよ。


まじうまかったなあ
タシと別れ、彼が言ったとおり10元(150円)の乗合ワゴンに乗り、ネパール国境のコダリまで行った。町の手前にあるフレンドシップブリッジを渡り、この旅6カ国目のネパールに入った。僕は前回の旅でも来ているので2度目のネパールだ。

橋を渡るとすぐに、迷彩服を着た奴が僕らの荷物を開け、中の物を物色し出した。どうやら荷物検査みたいだ。これまでの国はX線を通すだけで荷物を実際に開けられたことはなかったので少し驚くが、何も違法なモノは持ち込んでいないので問題はなかった。ただあまりムチャクチャにするなよと、彼の行動を見守った。迷彩男はバックパックの上の方にある荷物を見ただけで、「もういいよ」とばかりに首を横に傾けた。これは、こっちの人たちにとって「YES」を示す合図だ。懐かしいなあ。僕らは普通「はい」とか「OK」という時は縦にうなずくから、慣れないと「あれ?ダメなのかなあ?」と思っちゃうんだよね。

僕らはネパールのビザを取ってなかったけど、イミグレーションで簡単に取得することができた。2ヶ月ビザが30ドル。期限を気にせず旅ができるので、2ヶ月はなかなかうれしい。

イミグレーションで手続きをしている間に、いつの間にかタクシーの客引きや闇両替屋が僕らの周りに群がっていた。ガイドブックに、「カドマンドゥまでのタクシー代の相場は2500ルピー(4300円くらい)」と書いてあったので、1人の良さそげな運転手に「2000ルピー」(3400円くらい)と言うと、彼は快く「OK」してくれた。そのネパール人はとても優しそうで、英語を上手に話した。そういえば中国の運転手で英語を話す奴はいなかったっけ。
これで今日中にカドマンドゥに行けるぞと喜んでいると、少し悪そうな感じの男たちが僕らに話しかけてきた。
「お前、チャイニーズマネーはいくら残ってるんだ?」と1人の男が言うので。「117元(1750円)」と答えると、そいつは「お前米ドルも持ってるだろ?あと2ドル出せば、カトマンドゥまで行ってやるぜ」と言う。2ドルを240円と考えると、全部で2000円くらいか。めちゃくちゃ安いじゃないか!
僕は少し迷った。いくらなんでも安すぎる。しかもこいつらは何だか悪そうなにおいがプンプンする。何か企んでいるんじゃないか。

隣にはさっきの優しそうな運転手が待っている。僕は彼に「ソーリー。こっちの方が安く行ってくれるんだ。」と言い、悪そうな奴らの後についていった。

運転手は交渉した奴らじゃなくて、「俺の弟だ」という若い兄ちゃんだった。耳のピアスがまた悪そうに見える。僕はまた騙されるんじゃないかと思い「本当に117元と2ドルなんだな?」と念を押すと、彼はめんどくさそうに「そうだ」とだけ答えた。
僕らの他にネパール人が2人乗り、不安の中、車はカトマンドゥに向けて出発した。

窓の外には、明らかに中国人やチベタンと違う人たちがたくさん見えた。大きく日本人とは違うネパール人の容姿を見ていると、何だかすごく異国を旅している気がしてきた。中国も異国は異国だけど、やっぱり僕らと似ているからその感覚があまりなかったんだよね。久しぶりに新しい国に入ったことで、不安と期待がまざった胸のドキドキがあった。

ヒマラヤを越えて風景も一変した。あの広漠としたチベット高原に対して、ネパールは木が生い茂り、緑がとても美しかった。そういえば気温もずいぶん温かい。

車は順調にカトマンドゥに向かっているようだった。しかし、ピアス男の運転がめちゃくちゃ荒い。何度も無理やりに前の車を追い越し、いつ事故ってもおかしくなかった。僕はカーブの度にヒヤヒヤしていた。ただピアス男に僕らに害を与えるような雰囲気はなかった。休憩の時には、まだネパールルピーを持っていない僕に「コーラいる?」と言ってくれたんだけど、そこに悪意はなさそうだった。得に興味がないようにも思えた。
途中、警察の検問があった。ピアス男は何やら警官に言われているようだった。1人の警官が後ろに乗せている荷物を調べようとすると、ピアス男は「もういいだろ」と警官に軽く笑いかけ、車を発進させた。

夕暮れ時に車はある町の家の前で止まった。ピアス男は僕らに「5分だけ待って」と言い、車の荷物を降ろし始めた。荷台に載せてあった袋を下ろした後、彼は前座席のシートを開けた。そこにはめちゃくちゃたくさんの靴が詰め込まれていた。その靴も全部下ろしていった。家で待っていたネパール人たちは、それらの靴を見て何やらニヤニヤしている。前が終わると、今度は僕らが座っていた後ろ座席のシートを開けた。やはり同じように大量の靴が詰め込まれていた。
こいつらはもしかしたら、中国から靴を密輸でもしてるんじゃないか。靴というのが少ししょぼいけど、今までのことを考えると合点がいく。僕らの料金が安かったのも、「外国人を乗せてカトマンドゥに連れて行くところ」という風に見せかけたかったからじゃないだろうか。
事実はわからないけど、僕らに害はなさそうだと思い、少し安心した。

靴を全部降ろした車は、再びカドマンドゥに向かい、日が沈んだ頃に無事到着した。ピアス男は僕らが泊まりたい宿の近くまでいってくれた。料金も最初約束したとおりで、僕が10ドル札を渡すと、ピアスはちゃんと両替しに行き、8ドル分のルピー札を渡してくれた。彼は自分の仕事がうまくいって気分がいいように思えた。

9年ぶりのカドマンドゥは暗かった。なぜか?停電していたから。
僕は「まさか!」と思った。ある1軒の宿に入り、「いつ明かりがつくんだ?」とスタッフに尋ねると、彼は「あともう少しだ。毎日のことさ」と言う。やっぱり!計画停電だ。
「計画停電」。それはわざと停電させているということでこう呼ばれている。なぜかは、電気の節約だとか、「これだけ貧しいですよ」と見せかけ、他の国に援助をもらうためだとか、いろいろ言われているから事実は知らない。9年前は夕方あたりにいつも停電して困ったものだったけど、それが今もなお行われているとは。
僕らはいつものように部屋を見てチェックインしたかったけど、ロウソクの明かりで見た部屋はきれいかどうかよくわからなかった。

僕らは、何となく見覚えがあるタメル地区(ツーリストエリア)を歩き、「ふる里」という日本食レストランに入った。僕はカツ丼を注文した。
時間は夜の7時。中国との時差は2時間15分あるから、実際は9時を過ぎていることになる。もう腹が減りすぎたのと、久しぶりに日本食が食えるというので、待っている間、少し気が狂いそうな感じがした。ここ最近、ヨーグルトライスなど、まともなメシを食べてなかったからなおさらだった。早く!早く!
最初に出てきたみそ汁をズルズルと飲んだ。
ほ、本物だ!ダシからちゃんととってるみそ汁だ。う、うまいぞー!この旅で食ったもので一番旨いと思った。
カツ丼も最高だった。日本米だったし、卵のとろみ具合もバッチリだった。しかし、今日はみそ汁だけでもう充分満足だった。できるなら後2,3杯飲みたかった。
あまりに旨いものを食ったせか、その後すぐに下痢が始まった。腹が痛かったけど、明日も日本食が食えると思うと、僕の心は晴れやかだった。

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これクリックしたら不思議な気持ちになるよ。

2泊3日 ランクルツアー(めちゃ長いよ)
1日目

朝6時、宿までドライバーのタシが迎えに来てくれ、まだ暗い中ラサを出発してツアーがスタートした。
実は僕らと、ツアー仲間のドイツ人カップル、クリスチャンとベラ、中国人のスチーブンとはツアー内容が少し違う。僕らが2泊3日でネパール国境まで行くのに対して、彼らはエベレスト・ベース・キャンプに行くのが目的で、3泊4日でラサに戻ってくる。エベレストB.C.と国境は近いので、3日目に僕らを国境まで送ったランクルはすぐさま引き返し、スチーブンたちをひろってラサまで戻るというわけだ。わかった?

ツアー開始早々、事件が起こった。ランクルは運転手を除いて前座席に1人、後ろに4人乗ることになっていたんだけど、普通車より少し広いくらいの後ろ座席はギュウギュウだった。僕は当然180cm以上あるクリスチャンが前に座るものと思っていたんだけど、彼は彼女のベラと一緒にいたいがために後ろに座ったのだ。同じくカップルの僕らとしては彼の気持ちもわかるんだけど、そこは我慢しないといけないでしょ。おかげで彼らと行動を共にする2日間、僕らはかなり苦しい思いをしてランクルに乗るはめになってしまった。大きく足を広げてクリスチャンが寝だした時にゃあ、少しキレそうになったものだった。

実はこのクリスチャンには前日のツアー料金を払う時にも少し頭にきていた。
料金は移動距離で決まるみたいで、国境まで僕らが行くためにエベレストB.C.ツアーより少し高くなっていた。でも、彼らは3泊4日で僕らより長い時間と距離をランクルに乗るわけだから、当然ツアー料金の3800元(5万7千円)を均等に割るものだと思っていた。事実、ツアー会社の人も「料金は5人で割るということでいいですね?」と言っていたのだ。しかし、ここでクリスチャンが何やら異議を唱えた。早い英語で何を言ったか理解できなかったけど、ツアー会社の人が「君たちは1つのツアーで1つのチームみたいなもんだから、均等の方がいいと思うよ。」と言っていたので、クリスチャンの言ったことは一目瞭然だった。
「おいおい」と僕が思っていたら、クリスチャンはツアー会社の人との話を打ち切り、僕らに向かって分かりやすい英語で説明を始めた。
「いいかい、君たちが国境まで行く分、ツアー料金が高くなっているんだ。わかるね?だから僕らより100元(1500円)君たちが多く払うということでいいかな?」
彼の言っていることは正論だったし、これから2日間一緒に行動する彼と気まずくなるのが嫌だったので、僕はしぶしぶ了解したのだった。

まあ、そんなことがあり、僕はクリスチャンに対してあまりいい感情を持っていなかったんだけど、彼がまだ21歳で、上海に留学中の学生というのを知って、少し納得できた。金がない学生だし、中国で長く生活しているので、もう完全にこっちのお金の感覚なのだろうと。それに彼は持ってきたクッキーを度々くれたので、僕の心はだんだん穏やかになっていった。
ちなみに、彼女のベラは19歳で、ドイツの学生さん。休みを利用して彼に会いに中国に来ているそうだ。中国人のスチーブンは27歳で、仕事を辞めて旅をしていた。彼は中国語はもちろん英語も堪能で、ドライバーのタシやクリスチャンらに積極的に話しかけ、ツアーを盛り上げてくれた。まあ、僕らとは少ししか会話できなかったけど、いつも気遣ってくれてるのがわかった。

1日目は湖や寺を寄りながらエベレスト近くの町まで移動するだけだったので、特に書くこともないんだけど、1つ挙げるとすればツアー最初の食事だ。
昼過ぎに、シガチェという町のチベット料理屋に入ったんだけど、僕はあるメニューに釘付けになった。
「ヨーグルトライス」。
う~ん、気になる。ヨーグルトで米を煮たりするのだろうか?まずそうだ。でも試してみたい。
皆、僕と同じ気持ちだったらしく、ゆり以外の4人はヨーグルトライスを注文した。
そして待つこと10分、出てきたのは何と、ごはんの上にヨーグルトと砂糖をかけただけのものだった。
皆が一瞬絶句した。名前のまんまのまさにヨーグルトライス。いやあ、ごはんの上にかけるものはいっぱいあるけど、ヨーグルトはなしだろ!
しかし、もう食べるしかない。僕は思い切ってごはんとその上のヨーグルトを口に運んだ。信じられないことが起こった。信じられないほどまずかった。
クリスチャンとベラも顔をしかめて苦しそうにヨーグルトライスを食べていた。遠くドイツから来てヨーグルトライスを食べている2人に少し同情した。
スチーブンはさすがで、驚きのリアクションととりつつも、パクパク食べていた。結局全部食べきったのは彼だけだった。後に出てきたゆりのドライカレーを皆うらやましそうに見たのは言うまでもない。
ヨーグルトライス。何かこのツアーの先行きを暗示しているようだった。
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右からクリスチャン、ベラ、スチーブン、マリアシャラポア
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2日目

朝6時にスタート。ものすごい数の星が空一面に輝いていた。たぶん人生で1番の星の数だった。
中国は北京か上海か知らんけど、東の町に標準時子午線があるので、それよりかなり西にあるチベットでは、日の出が9時過ぎとかなり遅い。朝6時というのは、普通では3時、4時といったところだ。
ベラが「何で中国はこんなに広いのに、時刻が1つしかないの?」とスチーブンに聞いていたけど、彼は「イージーコントロール」と答えていた。

この日はツアーの目玉、エベレストB.C.に行く。
ランクルは明るくなり始めた9時ごろ、B.C.の7キロ手前の小さな寺がある村に到着。遠くに朝日に輝くエベレストが見えた。
「おお、あれが世界一のエベレストかあ。」
僕が感動している横でゆりは、「ここは5000メートルだから、3000メートル級の山を見ているのと同じでしょ。」とあっさり。
い、いや、そ、そうだけどね。エ、エベレストだよ?
翌日カトマンズの日本食レストランで、久しぶりに日本の新聞を読んで知ったのだが、僕らがエベレストに来たこの日に、エベレストに初登頂したヘンリー氏が死亡していた。たぶん僕らのせいだろう。

エベレストB.C.には、ここから7キロの道のりを歩いていくみたいだった。僕はツアー内容を理解してなくて、てっきり車で行っちゃうものだと思っていたから少し驚いたんだけど、たかが7キロとばかりに意気揚々とエベレストに向け歩き出した。これがかなり甘い考えだった。

5000メートルの高地に加え、恐ろしく冷たい強い風が僕らに向かって吹いてきた。例えるなら、冷凍庫の中でクーラーをガンガンにかけ、扇風機の強の風を浴びるようなものだった。スニーカーに手袋なしの僕の手足たちは、「お前、エベレストだぞ?何だその格好は!」と怒りを表すこともなく冷たくなっていった。外に直にさらしている顔は、もう冷たくて冷たくて泣き顔だった。ふと、ゆりを見ると目から涙がこぼれており、こっちは完全に泣いていた。持ってきた水筒の水は、みるみる凍っていく。エベレストがきれいに前に見えているんだけど、カメラをポケットから取り出すことが寒くてできなかった。「こりゃ、死ぬな」と、少し思った。

3キロほど歩いたところで、ベラが「もうこれ以上は進めないわ。私、戻る。」と言い出した。ゆりに「どうする?」と聞くと、やはりもう限界だったみたいで「私も帰る。」と言う。さあ、僕は決断に迫られた。
「せっかくだからB.C.までは行きたい。しかしゆりを残して行くべきだろうか。」
風が一段と強く僕の体を吹きつけた。
「あ~ムリムリ。僕も戻ろ。後でランクルで行けばいいや。」
こうして勇気ある決断をした僕も引き返すことにした。
結局、B.C.に向かったのはスチーブンとクリスチャンだけ。クリスチャンとベラは別れ際に抱き合いキスをしていた。19と21のくせに。
僕ら3人は「後でB.C.までランクルで迎えに行くから」と2人に約束して、来た道を戻った。

やっとの思いでスタート地点に戻ると、ドライバーのタシがタイミングよく走ってきて「ポリスが来た!車に乗れ!さあ、帰るぞ。」と言う。何だ?意味がわからないよ。僕らはちゃんと入山料も払っているし、何も悪いことはしていないはずだ。
タシに「2人がB.C.に行っているんだ。ランクルで迎えに行ってくれ。」と頼むと、「ダメだ。ポリスがいるからここから前には進めない。」と言う。僕は初めて車がB.C.の7キロ手前までしか来れないことを知った。しかし、僕らが歩いている間、何台かB.C.に向かうランクルを見ていた。タシにそのことを言おうと思ったけど、チベタンの彼には英語が通じない。僕らはラサのツアー会社に電話して、「タシをB.C.に向かわせてくれ」と頼むことにした。英語ができるベラが電話したんだけど、結局タシの「ポリスがいるからムリだ。」という返答を、ツアー会社の人を通して英語で言われただけだった。

こうなってしまったら、僕らにできることは彼らの帰りを待つしかなかった。僕らを待たずに戻ってきてくれたらいいのだけど。でもあの寒さの中、また7キロ歩いたら死ぬ。車か何かに乗せてもらえたらいいのだが。

1時間半くらい待っただろうか。彼らはまだ帰ってこない。タシは「2人はまだか」と少しイライラしていた。ゆりがもう一度「B.C.まで行かなくていいから途中まで行ってくれ」と頼んだら、彼は「今、ポリスはメシを食っている」とジェスチャーで僕らに伝え、ランクルを発車してくれた。
「おお、タシ、ありがとう。」
ランクルが僕らが歩いた3キロほどの道を進んだ時、1台のトラックが前からやってきた。僕は、スチーブンたちが乗っているような気がして、ランクルを降りて、トラックに向かって手を振ってアピールした。するとトラックは止まり、荷台からスチーブンとクリスチャンが降りてきた。
おお、すげえ偶然。でもすれ違わなくてよかった。

2人とも寒さのため疲れきっていた。頭も痛いみたい。車に乗り込むと、ホッとしたのか、すぐに眠り始めた。今日泊まる予定の町までは、ヒマラヤの山々の間の道かどうかもわからないデコボコしたとこを通った。ランクルはもう揺れに揺れ、車内はえらいことになっていたんだけど、スチーブンはそれでも眠ったままだった。よっぽど疲れていたのだろう。「もう死ぬかな?」と少し思った。

夕方5時ごろ、ようやく泊まる宿に着き、僕らはこの日初めての食事をとった。ほんとなんてツアーだ。クリスチャンは高山病だろうか、町まで来る途中と宿に着いてからもオエオエと吐いており、食事には来れなかった。
食事中、僕は疑問に思っていたことを口にした。
「何でうちのランクルはB.C.まで行けなかったのか?他のランクルは行っていたのに。」
すると、スチーブンはこう答えた。
「たぶん、僕らのドライバーが行きたくなかったんだろう。ポリスなんて1人も見てないよ。ガス代をケチったか、凍結した道を走るのが嫌だったからか、理由はよくわからないけど。」

僕はびっくりしてしまった。ドライバーのタシは愛想がよくて、僕は好感を持っていた。彼が言っていたポリスのことも、少しおかしいなと思いつつも信じていた。もし、スチーブンが言うことが本当なら許されないことだった。僕らはこのツアー代に1人1万2千円、そしてエベレストに入るのにも4000円ほど払っているのだ。それが、彼の怠慢のせいでB.C.に行けなかったなんて。僕らはまだともかく、ベラはB.C.に行くことが目的でこのツアーに参加していたのだ。遠いドイツから来て、タシのせいで行けなかったなんてあんまりだ。ひどすぎる。

僕はガイドブックに書かれていたことを思い出した。
「ランクルツアーはドライバーとのトラブルが多い。なのでツアー料金は半分だけ払い、ちゃんと無事ツアーが終了した時点で残りを払うこと。」
料金をツアー会社で払う時、僕はこのことは思い出していたんだけど、英語で説明するのが面倒で、全部払ってしまっていたのだった。

僕はその夜、タシのことを考えていたら眠れなかった。彼が行きたくなかったという理由でB.C.に僕らはいけなかった。タシはもちろんだが、彼のウソに騙された自分にも腹が立つ。しかし、本当にB.C.までは車で行けなかったのかもしれない。どっちだろうか。
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ドライバーのタシ
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ヒマラヤで吐くクリスチャン


3日目
朝8時スタート。ランクルの中はタシと僕ら2人だけだった。
当初の予定では、ランクルは国境まで行ってから、また戻ってきて残りの3人を乗せてラサに帰るはずだった。でも、クリスチャンとベラは、どういう理由かわからないけど、ツアー4日目、つまり明日の上海行きの列車チケットを買ってしまったみたいで、この日にラサまで戻らないといけなかった。ランクルが戻ってくるのを待っていたのでは間に合わないので、ツアーをキャンセルして、自力でバスか何かでラサに帰るのだった。スチーブンも彼らと一緒に戻ってあげるようだった。優しいなあ。

僕は、彼らにとっては最悪のツアーだったんじゃないかと思い、心が痛かった。
車に乗る時間を考えると、僕らがキャンセルしてあげて自力で国境まで行く方が簡単だった。でもこの日にネパールのカトマンズまで行きたかった僕は、迷いつつも、それを提案することができなかった。全く嫌な奴だ。
少し自己嫌悪に陥りつつ、疑惑のタシと一緒に国境に向かった。彼はこれまでの2日間と同様、ぶつぶつとお経を唱えている。時々僕らに笑顔を振りまいてくれ、いい景色のところでは車を止めて写真を撮ってくれた。悪い奴には全然見えなかった。

国境までの道のりはヒマラヤ山脈がとてもきれいに見えて、エベレストなんかよりよっぽどよかった。ベラたちにも見せてあげたかったな、と少し切なくなった。

5時間ほどで中国の国境の町ジャンムに着いた。ネパール側の国境の町コダリとは10キロほど離れていて、中国側の車はそこまでは行くことができる。「ツアーの場合、ランクルはコダリまで行ってくれる」とガイドブックに書いてあったので、タシに「コダリの手前まで送っていって」と頼むと、彼は「ムリだ。」と断ってきた。最初は「中国の車はここまでしか行けないんだ」と説明していたようだったけど、途中から「180元(2700円)払ってくれたら行くよ。でも相乗りワゴンなら10元でいけるよ。それに乗っていけよ。」と言う。こいつただ行きたくないだけなんだ。タシの本性を見た。僕らはやっぱりこいつのせいでB.C.に行けなかったんだと、最後になんかガックリきた。
プップに続き、最後にまたチベタンにウソをつかれ、かなり残念な気持ちになった。
僕らは「ああ、もうこのワゴンで行くよ。トゥチェナ(ありがとう)」と言って、タシと別れた。
こうして失意の中、チベットの、そして2ヶ月半におよぶ中国の旅が終わったのだった。
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これクリックしたらベースキャンプに行けないよ。





さらならさ さよならさ
ラサ最終日の今日もジョカンやポタラの周りをウロウロして過ごした。
結局10日もいたラサ。ポタラ宮かっこよかったなあ。チベタンもよかった。でも一番の思い出はプップに騙されたことという悲しい結果に。いやいや、あいつはきっと送ってくれるはず。僕は信じてるぞ!

明日からランクルをチャーターしてネパールの国境に向かう。途中、チベットの町やエベレスト・ベース・キャンプなどに寄りながらの2泊3日。
ランクルをチャーターするには6万円近くいるので、数日前からバックパッカーが泊まりそうな宿数軒に「一緒にネパールへ行きましょう」と日本語で書いた紙を掲示板に貼っていたんだけど、結局集まったのはドイツ人カップルのクリスチャンとベラ、中国人のくせになぜかスチーブンと名乗る男の3名。英語ができない僕らは日本人を期待してたんだけど、まあ冬のこの時期は旅行者が少ないからしょうがない。どんな旅になるやら。楽しみ楽しみ。
明日から行ってくるよ。次書くときはネパールかな?グッパイチャイナ。

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豚ばらばら
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歯医者の看板に歯が!
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トゥクパというチベット風うどん。うまい!
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これクリックしたら突然誕生日がくるよ。





仏像詐欺師?現る
今日も聖なるジョカン寺の前で五体投地やコルラする人々を眺めていたら、1人のチベタンの男性に声をかけられた。英語で何やら質問してきて、僕らが日本人だとわかると簡単な日本語を話した。
あやしい。観光地で話しかけてくるやつで英語や日本語がしゃべれるやつはだいたい悪いからね。
彼はプップというまたくさそうな名前の52歳で、仏像作りやマンダラの絵の先生をしているらしい。東京の芸術系の大学で1年教えていたこともあるという。ほんとか知らんけど。
彼は、「中国はチベットを支配しているから嫌いだ。」「ジョカンも夏場は中国人の観光客ばっかりで、もうほんとの寺じゃないよ。ビジネスさ。」などど言った後、「これから本当の寺に連れて行ってあげるよ。」と僕らを誘った。
う~ん。どうしようか。
少し迷ったが、まあおもしろそうなのでついていくことにした。

2つほどチベタンばっかりの小さな寺を案内してくれた。尼寺では、壁に掛けてあるマンダラの絵を指差し「あれは私の弟子のタカハシが描いたのだ。」と言う。
ほんとか?なぜ日本人の描いたものを寺に飾るんだ?お前、ウソついてるだろ?

その後、自分が教えている生徒たちの仕事場を見せると言って、仏像を作っているとこに連れて行ってくれた。寺にいた時もそうだったんだけど、「写真もバンバン撮っていいぞ」と不自然に親切だった。
これからどういう展開になるのか、妙な胸騒ぎがする。でも少し楽しかったりもする。

彼は「お茶でも飲もうよ。」と言って、チベタンばっかりが集まるでっかいお茶屋に行き、ミルクティーをご馳走してくれた。「何か入ってんじゃないか?」と疑いつつも、飲んだ。
お茶屋には友達というおばちゃんたちが10人ほどいて、とても賑やかに話をしていた。僕らに「『ニーハオ』って日本語でなんて言うんだ?」などとの聞いてきて、僕らの真似をして「こんにちは」「ありがとう」「どういたしまして」とカタコトで発音しては自分で大爆笑していた。でも、なんだかその雰囲気がよくて、プップは悪いやつじゃないのか?と少し思い始めた。
写真を撮らしてもらったんだけど、悪いやつは写真に撮られることを嫌うけど、プップはそんな感じはなかった。

僕の気持ちが少し緩み出した頃合に「私が作った小さい仏像を日本に送ってあげるよ。」とプップが言い出した。
僕はまたうさんくさいこと言い出したと思い「高いからいいよ。」と断ると、「船便だと120元(1800円くらい)だからたいしたことないよ。」と言う。僕は迷った結果、「もし仏像が送られてきたらおもしろいな。」と思い、実家の住所を彼に教えた。

それからしばらくおばちゃんたちと盛り上がり、楽しいひとときを過ごした。
「そろそろ帰るわ」とプップに言うと、「じゃあ大仏を送るから120元ちょうだい」と言ってきた。

そらきた!ようやく化けの皮を剥がしたな。お前、詐欺師だろ。仏像詐欺師だな。

いつもなら「嫌じゃ、あほ!」と言ってその場を去るところだったけど、一緒にいたおばちゃんたちが悪い人たちじゃない気がして、何だか断ってその場をしらけさせてしまうことがためらわれた。プップともいい感じで「さよなら」したかった。どこかでいい人だったらいいな、と思っていたんだろう。これまで優しくしてもらったチベタンだし。なんだか賭けをしたい気持ちが出てきた。仏像が送られくるか、こないのか。
迷ったけど結局彼に120元渡した。「ちゃんと仏像送るから」とプップは言い、僕らは別れた。
少したってから、やっぱり「嫌じゃ、あほ!」って言えばよかったと後悔の念が押し寄せてきたんだけどね。
さあ、仏像送られてくるだろうか、こないだろうか。どっちだと思う?
まあ、こないだろうね。

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こいつがプップだ。悪そうな顔してるでしょ?マトリックスに出てたらしいよ。
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職人さんたちは悪くないはず
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このおばちゃんたちもグルだったのか?
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ライトアップポタラもかっこいい


これクリックしたらプップが送られてくるよ。




15世に俺はなる
風邪もすっかり治ったので、念願のポタラ宮へようやく行くことにした。

ポタラという名は、サンスクリット語のポタラカ(観音菩薩が住む山の名)に由来するらしい。チベット仏教の最高権威であるダライ・ラマは観音菩薩の化身とされているので、ポタラ宮はその名のとおりダライ・ラマの住居だった。ダライ・ラマ14世が1959年にインドに亡命するまでの約300年間、ポタラ宮はチベットの政治と宗教の中心地だったそうな。1994年には世界遺産に登録されている。

宿からポタラ宮までは早歩きで10分ほど。競歩だったらもっと早く行ける。
ポタラ宮の周りでは多くのチベタンがコルラ(寺院や聖山など、聖なるもののまわりを時計周りの方向にまわること)しており、ポタラ正面では五体投地を繰り返していた。その場所だけ道の石が黒ずんでおり、すんげえ数の人がすんげえ数、体をこすり付けていることがうかがい知れた。

X線荷物検査をした後、ついにポタラ宮に進入。
まず最初に驚いたのが入場料。100元(1500円)。これまでも中国の入場料の高さには何度もうんざりしていたのでそこまで驚かないけど、ジモッティーが1元(15円)というのに驚いた。今までもツーリストプライスで高く取られたことはあったけど、さすがに100倍はなかった。ちょっとやりすぎチャイナ。
とりあえず中国人の振りをしてタンを吐いてみるもののすぐバレ、「アイムスチューデント」と学割を期待するも、そんなのもなし。結局100元払ったよ。

宮殿の中に入るには、まず一番上まで階段を登らないといけなかったんだけど、これがえらく大変だった。標高3600メートルに加え、病み上がりのせいか恐ろしく息が切れる。10段登っては休憩と、「俺はおじんか!」とツッコミを入れたくなるほど。実際シワシワのばあちゃんに抜かれてたしね。
でも、空がものすごく青く、ポタラ宮の白い壁が一段と映えてすげえかっこよかった。

宮殿の中は、仏さんや恐ろしい顔した神さまがうようよいた。もう一生分の仏さんを見たって感じ。
歴代ダライ・ラマの部屋や霊塔もあったけど、ものすごく豪華だった。特にポタラ宮を作ったという5世の霊塔は、他のよりも一段とでかい17メートル、5トンの黄金と、1500個の宝石を使っているんだとか。1つくれ。
柱などに彫られたレリーフも細かく見事で、「よくこんなの作ったなあ」とアンコール・ワットの時と同じ思いになった。仏教の宇宙観をあらわしたという立体マンダラは、よくわからんかったけど、かなりかっこよかった。

僕らが「すげえな」と言っている横では、チベタンが熱心にお経を唱え、手を合わせていた。聖なる仏さん前ではやっぱり五体投地。彼らが1元で入れるのにも納得がいった。観光とは全く違うってことだね。

冬のこの時期は農閑期なので、多くの巡礼者がポタラ宮にやってくるけど、夏場は中国の観光客であふれかえり、ポタラ博物館状態になるそうだ。チベタンにとってポタラ宮はとても神聖なものだから、いったいどういう気持ちでそれを見ているんだろうか、と少し考えてしまう。まっ僕らも観光客なわけだから、こんなこと言える立場じゃないんだけどね。でも、ここ1ヶ月でチベットが大好きになった僕としては、いつかダライ・ラマが帰ってこれたらいいな、と思ってしまうのだった。

今も独立運動や反体制運動がさかんなチベットの人々は、国にかなり厳しく締め付けられているそうだ。チベットは投獄されている政治犯の数では世界屈指の地域で、独立運動絡みになると、ろくな裁判もなしに死刑になったりもするとか。

もうすっかり漢人が住みつき、他の中国の都市と変らないラサの町並みを見てると、独立なんてありえなく思えてしまう。大国中国の中のチベット。これからどういう風に変化していくんだろうか。
いくら生活が変ろうとも、あのリタンの人々のような優しさは変らないでほしいと願う今日この頃なのだった。

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これクリックしたら年男になれるよ。




この際お茶漬けでもいいよ 
憧れのラサで風邪ひいてまんねん。
最初にゆりが風邪ひいて、治ったと思ったら今度は僕が風邪ひいた。まあ1日ゆっくりしていたら僕の方もほぼ治ったけど、念のため今日も宿でゆっくり。
そんなわけで、もう5日ほどラサにいるけど、ほとんど観光していない。世界遺産、ポタラ宮が近くて遠い。

海外での病気は必要以上に不安になるものだけど、今回は2人なのでだいぶ楽だった。メシを買ってきてもらったりと、自分はベッドで寝ているだけでよかった。
それにパソコンを持ってきているので、汚い天井だけを見て過ごすこともなかった。僕らと同じ夫婦バックパッカーのイグさんにもらった「はじめの一歩」1~81巻を僕は涙を流しながら読んだし、ゆりは同じくイグさんにもらった「ドラゴンクエストⅥ」に夢中だった。僕が「う~ん、う~ん」とうなされている横で、着々とレベルアップを繰り返していた。

こんな感じで快適な病人ライフを過ごしていたんだけど、やっぱ病気になると恋しくなるのがやさしいごはん。日本の白米やみそ汁、肉じゃが、クリームシチュー、おうどん、お好み焼き、たこ焼き、すし、カツ丼、ラーメン、おでん、病み鍋、ゴーヤチャンプル、ソーキそば、めっちゃ食べたいわあ。胃にやさしくない中華とかヤク臭の漂うチベット料理とか食べたくないねん。

なんでも次に行く予定のネパールの首都カトマンズにはおいしい日本食レストランがあると、バックパッカーの間でめっちゃ有名。みんなそこで旅の疲れを癒すんだとか。僕も前回の旅ではインドからネパールに入ったんだけど、インド人との闘いとインドカレーに敗れ、満身創痍だった身には天国に感じられたものだった。
正直な話、もう憧れのラサはいいので、早くおいしいネパールに行きたい感じ。やっぱポタラ宮よりトンカツ定食だ。

話は変わるけど、ここ数日「お正月をラサで過ごそう」という日本人社会人の方6人ほどとお近づきになれた。みんな昨日帰っちゃったんだけどね。最近出会う旅人はみんな、僕らみたいな長期の人ばっかりだったので何だか新鮮だった。普通に働いている人より2,3年旅している人に出会う方が確率がだいぶ高いもんね。久しぶりに真人間を見て、なんだかとっても眩しかった。たぶん風邪の原因はそれだろう。
ただ日本からいきなり3600メートルのラサにやってきて怖いのが高山病。4000メートルのリタンにいた僕らは全然大丈夫だったけど、社会人組は、軽いのもいれると6人中5人は高山病になっていた。なんでも後頭部あたりがめちゃんこ痛くなるらしい。1日ほどまったく動けなくて、その後は体が順応して元通りになるみたいだけど「もうあの痛さは勘弁ですわ」と、相当きつかったみたい。観光途中で高山病になった木村さんは歩くことさえ大変で、10センチほどしか足が前に進まなかったとか。みんな全然食欲なかったし。病人の僕らはガッツリ3食食べてたけどね。恐るべし高山病。
短期のラサ旅行は十分ご検討されたうえ行かれることを強くお勧めします。
でもみんな「来てよかった」と言っていたけどね。

みんなが帰って急に寂しくなった宿で、今日も僕はポタラを見て過ごしている。もうすぐみんなは仕事が始まり、日本での暮らしがまた再開される。僕はといえば、相変わらず旅の日々を続ける。
時々ふと考えることがある。「今、過ごしている時間が、将来いったいどう影響するのだろうか。」
まっ考えても仕方のないことなので、すぐ思考停止するんだけどね。
良くするも悪くするも結局は自分次第。いつかこの旅を振り返った時「旅出てよかったなあ」と思えるような生き方をしたいな、とまだ少しボーッとする頭ではそんなこと考えてる余裕なんてないよ。吉野家の牛丼が食べたいよ。

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これクリックしたら風邪ひくよ。




神の土地で初詣で
チベット語でLhaは「神」、Saは「土地」を意味する。
「神の土地」。ラサはその名のとおり、チベット全土から巡礼者が目指してやってくる聖地だ。

実は、僕がこの旅で一番訪れたかった場所がこのラサだった。
初めてその場所の存在を知ったのは19の時だった。インドを旅している時に、ラサを経てやってきた先輩バックパッカーに何人か出会い、話を聞いた。闇バスを使ってパーミットなしで旅してきた話は、なんかドキドキして聞いたのを覚えているし、ポタラ宮、チベットの巡礼者、そして何といってもびっくりするくらい青い空の写真に魅了された。
「秘境」。事実はわからないけど、当時の僕のイメージはまさにそれだった。
「めっちゃ行きたい!」と強く思ったけど、タイで詐欺に遭った僕には、チベットに行き、日本に帰るお金は残ってなく、泣く泣く引き続きインド人と格闘しなくてはならなかった。

あれから9年、ついに憧れのラサにやってきた。
確かにその月日の間に鉄道ができ、漢人が大量に住みつき、外資系のファーストフード店が進出するくらい都市化してしまって、全く「秘境」と呼べるとこではなくなってしまったけど、それでもあの時の写真と同じ青い空をバックにそびえるポタラ宮を見たときは、鳥肌が立つくらい感動した。この地に来たことが、もうそれだけでうれしかった。

元日の朝、初詣でにとジョカンという寺に行った。巡礼者たちが数ヶ月かけてラサにやってくる目的は、このジョカン寺を詣でることだそうだ。ラサの中でも最も聖なる寺であり、世界遺産にも登録されている。
残念ながら、門が閉じられていて中に入ることができなかったんだけど、寺の前でおびただしい数の巡礼者が、全身を投げ出して五体投地礼を繰り返している光景を見ることができた。
地面にヨガマットみたいなふとんを敷き、何度も何度も額を地面にこすり付けて祈る。手には木の板を持っていて、体を前に倒す時と立ち上がる時にそいつを地面に擦るんだけど、その音が何十も何百も聞こえるものだから、もう圧倒されてしまった。近くでモクモクと焚かれる香は、その場をかすませていて、またいい雰囲気を作っていた。
ほんとに何度も何度も同じことを繰り返すものだから、その熱心さに妙にジーンとしてしまった。

「うわ~、いったい何回やるんだ。大変そう。」と思ったけど、よく見ると笑みを浮かべている人が多く、なんだか楽しそうに見えた。ちょっと休憩とばかりに隣の人とおしゃべりしている人もいた。
体を投げ出すポーズから、何か勝手に「苦行」のイメージを持っていたけど、彼らにとっては詣でられることが大変な喜びなんだろうね。

僕は、この同じ時に、初詣での人であふれかえっているだろう日本の神社を思った。そりゃこっちの人たちと比べてしまったら軽く見えちゃうけど、きっと家族の健康や幸せを願う気持ちは同じなんだろうな、と勝手に想像した。けど、やっぱ全然違うのかな?

とりあえず僕も手を合わせ、「今年こそは何とかモテ期がきますように」と願うのだった。

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これクリックしたらモテるよ。



テツの初夢
あけましておめでとうございます。
無事ラサで年を越すことができました。大晦日や正月の雰囲気は全くなかったけど、宿の屋上から闇夜に浮き上がるポタラ宮が見え、それがめっちゃかっこよくて、ちょっと忘れられない年越しになりました。
今年もよろしくお願いします。
ブログは年末のことです。

成都からラサへは列車で45時間。この旅最長の移動になった。
ラサへとつながる青蔵鉄道は2006年7月に開通したばかり。世界一高い海抜5072メートルを走るというので、鉄道マニアの僕としてはもう「これに乗らずに死ねるか!」という勢いだ。夏場は数日先まで予約がいっぱいでなかなかチケットが手に入らない人気ぶりなんだとか。
でも、さすがに-10℃くらいまで下がる冬のラサに行こうという旅行者は少ないみたいで、いざ列車に乗り込んでみるとガラガラだった。6人寝れる1ボックスに僕ら2人だけで、今までになく快適な旅となった。

しかし、僕らには1つ不安要素があった。以前にもチベットに入るには入境許可証(パーミット)を取らないといけないと書いたけど、僕らは結局それを取ってこなかったのだ。2人で1万円以上するのでケチったわけだ。
ただこのパーミットというのがクセモノで、現在はほぼ形骸化しているんだとか。チベット自治区に入ってしまえば調べられることはないし、列車の場合、チケットさえ買えてしまえば問題なくチベットに入れるというバックパッカーたちの話だった。だったら1万円払うのもったいないやんね。

僕らは、リタンからのバスで一緒になった「汪ちゃん」という中国人の青年にチケットを買ってもらったので、これで問題なくチベットに入れるはずだった。
しかしチベットへの道の扉は簡単には開かないらしい。なんでも列車に乗ってから健康調査証というのを提出しないといけないらしかった。これは「私は3000メートル以上でも大丈夫だよ。」という項目にチェックを入れるだけの簡単なものだったんだけど、ちゃんと国籍を書くとこがあったのだ。
う~ん、さすがに「日本」と書いてしまってはパーミットをチェックされる虞がある。なので僕らは中国人の偽名(ゆりは『大地の子』の「江月梅」、僕はチケットを買ってもらった「汪ちゃん」の本名)を使うことにした。中国人で通そうという作戦だった。しかし、列車に乗る直前、「果たして45時間中国人を装うことができるだろうか」という最初に抱かないといけない疑問がふと浮かんだ。僕の知っている中国語といえば「ウォーシーリーベンレン」(私は日本人です)って全然ダメやん!
結局、国籍を「日本」と書き直し、「調べられたらあきらめよう」という開き直り作戦を敢行することにした。

さあ、列車に乗ってすぐに制服を来た女性が健康調査証を回収しにきて、僕らの書いたものをじっくりチェックしだした。さすがにここは心臓がドキドキした。10秒が15秒にも感じたけど、結局彼女は何も言わず去っていった。
結局、その後もパーミットを調べられることはなかった。よかったよかった。

不安が去った後の列車の旅は快適そのものだった。室温は常にいいくらいに保たれ、久しぶりに寒い思いをせずにすんだし、何といっても中国人が一人もボックスにいないというのがでかかった。
カナダの航空機メーカーに技術を提供してもらったみたいで、列車には与圧設備が備えてあった。さらに高山病対策として酸素供給口もついていて、配られた鼻チューブをそいつに差し込むと、「シュー」と酸素が出てきた。4000メートルのリタンにいた僕らには高山病の心配はなかったけど、とりあえず酸素はもらっておいた。「シュー」

車窓の外のチベット高原は広漠としていて、空はそれ以上に広く、そして青かった。
何もないようなところにも人は住んでいて、僕らを驚かした。「人間てすごい!」この旅で何度も思ったことを、また思った。
夜中便所で起きた時、外を見ると星があふれんばかりに輝いていた。電車がカーブするにつれて星も円を描いて動いた。これぞ「銀河鉄道の夜」だった。ケンジくんがこの列車に乗ったら泣いて喜んだろうにな。

こうなったら後は最高地点の5072メートルを見るだけだった。
僕は今か今かと待ちわびていたんだけど、いっこうにそれらしき目印やアナウンスがなかった。
「お、おかしい。嫌な予感がする。」
僕の予感は当たり、最高地点を過ぎた後にあるはずの駅に列車は着いてしまった。
み、見逃してしまった!これが一番の目玉だったのに。
自称「テツ」の僕は完全に我を失った。「何で誰も教えてくれないんだ。青蔵鉄道に乗って最高地点を見逃したなんて、テツ仲間の間ではもう伝説のまぬけやろーになってしまうじゃないか!」
あまりに興奮したせいか息がだんだんできなくなってきた。く、くるしい。酸素、僕に酸素をくだ・・・さ・・・ぃ。シューーー。
こうして鼻から酸素供給されながら、聖地ラサに無事到着したのだった。(最後の方、うそ)


そんなうそをついているうちに、旅も5ヶ月が過ぎた。お正月の今ほど日本食を食べたいと思ったことはないよ。おもち食べたいなあ。

この1ヶ月に使ったお金     14万368円
訪れた町   アモイ、黄山、成都、楽山、九塞溝、リタン、ラサ
訪れた世界遺産  黄山、楽山の大仏、九塞溝
見たパンダの数   23頭
観たDVDの数     32DVD
移動時間      163時間
四川料理の山椒で泣かされた数   21回
うんこしてる中国人を見た数    21人
今日だけは自分を褒めてあげたいと思った数 27回

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これクリックしたらお年玉がもらえるよ。





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