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クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
あきら 現る
3泊した林さんの宿を後にして、あきらがいるアモイに向かった。
いろいろお手伝いしたせいか、食事代を安くしてくれた。
「それは悪いですよ」と言うと、「じゃあそのかわり、いっぱい宣伝してよ」と宿の名刺をごっそりくれた。いやあ、ありがたい。
なので、少し宣伝を。

老寨山旅館
http://www.laozhaishan.com/
桂林に行った際はぜひ。

出発の時、3歳の喜多郎くんが泣きそうな顔をしていて、切ない気持ちになった。林家の皆様がいつも健康で幸せでありますように。そう願いつつ興坪(シンピン)を後にした。

アモイまではバスで16時間と聞いていたけど、実際は20時間かかることがバスに乗ってからわかった。バス停であきらが待っていてくれることになっていたのでかなりあせったけど、親切なおじさんが携帯を貸してくれて、連絡を取ることができた。このおじさん、アモイに着いてからもメールをくれて、僕らの旅を気遣ってくれた。ほんといい人だったなあ。
おじさんのおかげで無事アモイのバス停であきらと会うことができた。

ここで少し説明しよう。
「あきら」とは、僕の大学の友人で、2年間半、中国で中国語を勉強している沖縄出身の女子だ。彼女はそうじゃないと言っているけど、僕は元ヤンだと信じている。沖縄のゴッド姉ちゃんと言えば、地元じゃ知らない人はいないという話だ。
2年間半の中国留学はダテじゃなく、あきらの話す中国語はめっちゃ流暢だった。はた目から見たら僕らも日本人だとは思えず「あれ、あいつ中国人だっけ?」と一瞬錯覚するくらいだった。僕らがいつもコテンパンにやられてボラれる売店などのおばちゃんなどにも、バンバン文句を言って黙らせていた。中国人に勝てる人間がまだ存在したとは。さすが誇り高き戦闘民族。

英語が通じずコミュニケーションに苦労してきた僕らは、アモイではすっかりあきらに身を委ねっぱなしでとても楽チンだった。おいしいご飯も知ってるし、バスにも簡単に乗れるしね。
ゆりも見たかったDVDを見れると超ご機嫌。昨夜もマックを配達してもらって、日本のドラマを見てたよ。あー今までの旅を思うと快適すぎる。

しばらく旅は一休みって感じで、まったりアモイな生活を満喫したいと思う今日この頃なのだった。

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これクリックしたら、アモイとモアイが当たるらしいよ。


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かい~の
ボコボコといきなり岩山がそそり立つ。
言わずと知れた桂林(と言いつつ旅に出る前まで知らんかったんやけどね)は、ほんと不思議で見事な風景だった。
晴れた日でも少しモヤがかかっていて、まるで山水画の世界。いやドラゴンボールの世界かな。いや日本昔話か。
「源六や~い」という市原悦子の声が聞こえてきそうだ。

僕らは、桂林の近くの町、陽朔(ヤンシュオー)で一日サイクリングを楽しんだ後、またその近くの興坪(シンピン)という小さな町にやってきた。
ここは中国の20元札にもなっている景色があるところで、桂林付近でもかなり見ごたえがある場所みたい。

興坪では、林さんという日本人の方が経営する宿に泊まることにした。
いつものように部屋を見せてもらった後、「一泊おいくらですか?」と尋ねると、林さんは「あんたら、いくらで泊まりたいん?」と逆に聞いてきた。おっ今までにないパターンだ。ちょっと困ったけど、いくらで泊まりたいかって安い方がいいに決まってるので「50元(750円)でどうでしょうか」なんて恐る恐る言ってみると、林さんは「うん、ええよ。そのかわりちょっと台所でも手伝えや」と快諾してくれた。
そんなわけで興坪では学生のアルバイトみたいに皿洗いなどのお手伝いをしたんだけど、鶏を絞めさせてもらったりといい経験も出来て、なかなか楽しかった。命の尽きる時の最後のあがきってのが、なんか妙にグッときたわ。

林さんは60を越えていらっしゃるんだけど、28歳年下の山田花子に似た素敵な中国人の奥さんがいて、2人の間には喜多郎くんという3歳の男の子もいる。なかなか異色の家族だけど、3人のやりとりはほんと微笑ましくて、見ているだけで幸せな気持ちになった。
喜多郎くんがこれまたかわいくて、林さんはまさに目に入れても鼻に入れてもケツの穴に入れても痛くないって感じで、とても幸せそうだった。やっぱ家族の絆ってのは、最も大切なものの1つやなあ。ほんまほんま。

林さんの宿は、ここ数年、何度かテレビの収録が行われていて、間寛平、中尾彬、浅香唯なんかがレポーターとしてきたみたい。もしかしたらテレビで見た人もいるかな?
何がそんなにいいかというと、宿の裏手に200メートルを越す山があるんだけど、そこから見る景色がすばらしいとのことだった。この山頂までの道も林さんが作ったというから中尾彬もびっくりだ。そのせいでその時のネクタイの巻きはすさまじかったとか。

30分かけて山頂まで上ると、一気に視界が開け、ああ、それはもう見事な景色が現れた。林さんが移住を決心しちゃうのもうなずける絶景だった。
僕らはしばらくそこにたたずみ、寛平さんのギャグが見たいなあと、しみじみ思うのだった。



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これ20元
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これ宿の裏

これクリックしたら、山が当たるらしいよ。


夜行列車に乗る
ここ数日、ブログを更新しようとネットカフェに入るものの、どこも日本語が使えなかった。一応、日本語が使えるようになっている新しいパソコンなのに。どうやらわざと使えないように細工してるみたいだね。中国の悪いことを書かせないためだろうか。

シャングリラから昆明までバスで12時間半。昆明で1泊した後、18時間半列車に揺られ桂林へ。桂林は有名だけどちょっと都会なので素通りして、1時間半またバスにのり陽朔(ヤンシュオー)という町にやってきた。移動合計時間32時間半とこの旅最長となったけど、まだまだ中国をちょこっと横切ったにすぎないから、この国のでかさはやっぱすごい。

中国で列車に乗ったのはお初だったので少し書いておこうと思う。
昆明の駅はとても立派で、X線の荷物検査もあって、なんだか空港みたいだった。
僕らが買ったチケットは寝台の安いタイプのもので、1ボックスに6つのベットが備え付けてあった。3段ベットが向き合っている感じ。
僕らのベットは8番、9番の上段だったので、当然同じボックスかと思ってたんだけど、たどり着いてみるとそうじゃなかった。まあちょっと考えたらわかるんだけど、7と8番、9と10番が同じボックスなのだ。僕らは壁を1枚挟んで隣どうしだった。
駅員さん、それくらい気を使って一緒にしてくれよ、なんて思ってたんだけど、周りの中国人たちも僕らみたいにバラバラになっていて、みんな「席かわってくれよ」と交渉を始めていた。ゆりにもある中国人のおばさんグループが「ちょっとあんた、席かわってちょーだい」と言ってきたんだけど、その席は僕からさらに3つほど遠くのボックスだったので、「夫がここにいますので」と断った。
幸い、僕の下の中段のベットに、そのおばさんグループの一人がいた。「この人とゆりが替わればバッチリじゃん!」と思い、今度は僕らがおばちゃんたちに交渉してみたら、意外にも強い口調で「NO!」と断られてしまった。「冗談じゃないわよ」といった感じだった。

はあ、意味わかんねえよ。あんたら一緒のボックスの方がいいんだろ?

どうやら断った理由は、上段のベットが嫌だったみたい。
なんだか勝手だなあ。

僕らが交渉失敗している間に、僕のボックスの中国人のおっさんたちは下段のベットを占領してカードゲームを始めていた。列車に乗り込んでまだ数分しかたっていないのに。どんだけ好きなんだよ。

僕のとこのおっさんたち、ゆりのとこにおばさんたちと、なんだかあまり長時間近くにいたくない中国人たちだったけど、動き出した列車から逃れることはできない。僕らは通路に備え付けられてある小さな椅子をたおし、申し訳なさそうに座って彼らを観察するのだった。

列車が動き出して30分くらいたった夜7時ごろ、乗客にある変化が起こった。かなりの人数の中国人が手荷物からスーパーカップ1.5のサイズのカップラーメンを取り出して食べ始めたのだ。お湯は列車に用意してあって、ほんとにみんながみんなカップラーメンを手にして湯を注ぎにいく。僕が見たところ8割の人の夕食がカップラーメン、僕のボックスに限っては100%だった。オシャレにサンドイッチなんて食べてるのは僕らくらい。
列車の中は一気にラーメンのにおいに包まれた。「こんだけラーメン食うやつがいると、絶対いるよなあ」なんて思ってたらやっぱり!慌ててモップを持っていくやつを発見。床にラーメンをぶちまけていたのだ。あー最悪。
汗をかきながらカップラーメンを食べる中国人たちを見てると、「やっぱり中国といえばカップラーメンだな」としみじみ思うのだった。
ラーメン列車は夜の闇をひた走る。
食い終わったおっさんたちは、またすぐカードゲームを始め、それは消灯まで続いた。

朝は6時前からゆりのとこのおばさんたちがピーチクパーチクしゃべりだし、起こされた。あーまったく。
しばらくすると僕のとこのおっさんたちも起き、朝食にカップラーメンを食べて、またゲームを始めた。

僕らは桂林までの18時間半、中国人の不思議な生態に、ただただ圧倒されたのだった。

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これクリックしたら、カップラーメン1年分が当たるらしいよ。




ヤク神は命を奪うし、与えもする
シャングリラ最終日。晴れた、晴れたよー。久し振りの青空はやっぱりめっちゃきれいやった。
昨日と同じくマウンテンバイクを借りて、まだ行ってない道を走った。やっぱり空がきれいだと見える景色も全然違った。写真に残したいと思う場面が何度もあって、その度に自転車を止めてシャッターを切った。
数日前に雪が積もっていたのがウソのような陽気で、半そでになって山道を登った。やっぱりすぐ息切れするんだけど、それも気持ちよかった。粘って長居した甲斐があったよ、ほんと。

山から帰るとき、行きとは違う道を通ってチベット族の村に寄ってみた。村に入る手前に、今まで見たこともないほどたくさん黒と白の毛が生えたヤクがいた。

はっあなたはまさか伝説のヤク神様じゃないですか?とうの昔に殺されたと聞いていたが。しかし不死身という噂もあるし。

僕がそんなことを考えていたら、ヤク神様はとことこと走り出した。「おいで」そう言っている気がして、僕らはヤク神様の後についていった。
ヤク神様は、ある一軒の家に続く小道に入られ、そこで止まって足を開かれた。う、うんこをするつもりなのだ。これは大変貴重だ、と見入っていたら、家の玄関から1人の男性が手招きしてきた。どうやら家の中においでと言っているようなので、行ってみることにした。
そこには2階建ての立派な家があり、村人たちがたくさん集まっていた。チベット仏教の小坊主たちも数人いて、驚いたことに、数日前、寺でミニ四駆で遊んでいた子たちもいた。向こうも僕らのことを覚えていて「おっ久し振り」なんてやってくる。
そっかあ、ここはお前たちの村だったのか。それにしてもすごい偶然だ。いや、すべてはヤク神様の思い通りなのだろう。

僕らは最初に2階の薄暗い部屋に通され、長老と思われるおじいさんに会った。シワがいっぱいで何ともいえない雰囲気が漂う長老は、僕らを歓迎してくれて、あめちゃんをくれた。

次に連れていかれたのは、ダライ・ラマの写真や仏さんが置いてある部屋で、肉まんやチーズなどの食事を用意してくれた。
ここでは数人の男性や例の小坊主たちが相手をしてくれ、言葉を教えてくれたり、何やらダライ・ラマの説明をしてくれたりした。
その間、民族衣装を着た女の人が入れ替わり立ち替わりやってきて、僕らを覗いていった。かなり外国人の客がめずらしいみたいだった。きれいな子もたくさんいたので、入ってきたらいいのにと思ったけど、入ってきてくれなかった。残念。

たぶんこの家は村の集会場みたいなもので、今日はチベット仏教の何かがあったんだろう。

そろそろ帰ろうかと思い、長老に挨拶して家を出ようとすると、今度は庭でメシを食べていた男性たちに呼ばれ、また食事をいただくことになった。
「ご飯はいるか?」「これも食べてみろ」と至れり尽くせり。みんなめっちゃ親切で、めっちゃ笑顔だった。家の2階にいる人たちもみんな笑顔で僕らの様子を眺めていた。

僕は彼らの気持ちに答えるため、大学の第2外国語で習った中国語、ウォーシーリーベンレン(私は日本人です)、ウォージャオチョンウー(僕の名前はしんごです)、ニージャオショムミンズ?(あなたの名前は何ですか)の3フレーズを駆使して、片っ端から名前を聞いていった。そして伝家の宝刀「ハオチー」(おいしい)を一口食うごとに叫んだ。どうやら彼らもおもしろがってくれて、ありがたかった。

何度も彼らに「シェイシェイ」と言って村を出た後、とってもあったかい気持ちになっていることに気がついた。いやあ、ほんとあったかい人たちだった。
どれもこれもヤク神様のおかげなので、ひと言お礼を言おうと探してみたけど、彼のお姿はどこにもなかった。
ふと山の方を振り返ると、デイダラボッチの背中が雪山に消えていくのが見えた。

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これクリックしたら、ヤク神様のうんこが当たるらしいよ。



不思議がいっぱい
初日、2日目のものすげえ青空をも一度みたくて、ついつい長居しちゃっているシャングリラ。残念ながら今日も曇り。
だけど、寒さのピークは過ぎたみたいで、今日はマウンテンバイクを借りて、ちょっと周辺を散策しにいった。

町を抜けると山へと続く坂道が待っていた。ギアを軽くし、足の回転を速くして登っていく。高校時代、日本のあちこちをマウンテンバイクで旅していたチャリラーだったので、これしきの山道を登るのには少々自信がある。
はずだったんだけど、すぐにハアハアと息切れし、太ももに乳酸が溜まるのを感じ、お尻は痛くて、最後は歩いて自転車を押していた。
う~ん、思えばずいぶん歳をとったものだ。いやいや、これもきっと高度のせいだ。うん、きっとそうに違いない。

山の景色はきれいだったけど、やっぱりどこかで「これが青い空だったらなあ」という思いがあった。もう明日の昆明(クンミン)行きの夜行バスを予約したので、どうか明日こそは晴れてほしいな。

話は変わるけど、宿に泊まっている肉まんが好きそうな中国人のおっさんにゆりがナンパされた。電話番号を聞かれたそうなんだけど、ちゃんと実家のやつを教えたそうだ。ゆり曰く「いや、だってかかってきたらおもろいかなと思って」だそうだ。このおっさん、中国語しか話せないので、それをちょっと期待しているみたい。本当にかけてきたら、お父さんお母さん困るだろうなあ。

おっさんは、ちゃんと自分の電話番号も教えてくれたそうなんだけど、いったいどうやってしゃべるつもりなんだろうか。
そう、問題はそこなのだ。ゆりもひたすら中国語で話しかけられていたみたいだけど、なぜ通じないとわかっていながら、あんなにも中国語で話しかけてくるんだろうか。これは今まで接してきた多くの中国人に共通することだ。
例えば、大阪城を観光しているイタリア人に、ひたすら日本語で話しかけるだろうか。「オー、ボーノナポリタン、セリエアー」なんて言われて首を振られたりしたら、もうそれ以上は日本語を使ったりはしないだろう。
しかし彼らは違うのだ。自分の気がすむまで中国語を話すのだ。もうそれは、そうすることが法律で決まっているかのように。なぜなんだ。不思議だなあ。

不思議といえば、中国人はなぜ近くにいる人に対して、やたらでかい声で話すのだろうか。普段声がでかいと言われる僕さえそう思うのだから、そうとうなもんだ。「えっ怒ってるの?」と一瞬錯覚するくらい、語気を強めて話している。なぜなんだ。その半分くらいでも十分君たちの声は聞こえるんだよ。
さらに不思議は、なぜ中国人はつばやたんをやたら吐きちらすんだろうか。おっさんならまだしも、「おっちょっとかわいいなあ」なんて思う子でもいきなり「ガー、ペッ!」と道端にたんを吐いたりするのだ。でもそのギャップがたまらない。

そして最後に、なぜ中国人はあんなにもポーズをとるのが好きなんだ。おっさんもおばさんも、兄ちゃんも姉ちゃんも、弟も妹も。
う~ん、チャイニーズミステリー。

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ナパ海とうちのチャイニーズ 


これクリックしたら、不思議中国人が当たるらしいよ。



ああ、気持ち
ここ数日雪が積もったりして、やたらめったら寒かった。温室育ちの僕らは観光に行く気になれず、ほとんど宿で過ごした。
山小屋みたいな雰囲気の今の宿には、電気ストーブが置いてあるリビングルームがあり、インターネットも自由に使えるのでなかなか快適だった。まだ読んでない小説を読んだり、時に宿泊している中国人たちとおしゃべりしたりと、なかなか楽しい時間を過ごした。
実は数日前、食べ過ぎによる消化不良を起こし、ゲリとゲロをしていたので、体を休めるのにもちょうどよかったのだ。あっ今は元どおり元気になって、おならをできる幸せを感じているよ。

1つ問題だったのは、冷蔵庫みたいな温度の中で、宿のぬる~いシャワーを浴びる勇気がなくて、ゲリとゲロにまみれた体を洗っていないことだった。
こういうゲリとゲロにまみれた寒いとき思うことは、やっぱり「温泉にでも入りたいなあ」ということで、一応宿のボスに聞いてみたら、30分くらいのとこにあるというではないか。
「ああ、やっとゲリとゲロから解放される」とばかりにさっそく出かけた。

温泉は山と山に囲まれた谷底にあり、秘境っぽい感じがしてなかなか良かった。ゲリとゲロにまみれた体を洗い、久しぶりに入った湯船の中は、それはそれはもう、どうしてどうして、たまらんくらいあれだった。あれ。
「やっぱゲリとゲロにまみれた体を洗って入る温泉は最高だなあ」としみじみ思ったものさ。

1つ驚いたのは、湯船から出て立ち上がると、やたら心臓がドクンドクンしよったことだ。普段あまりのぼせたりしないので、これは高度のせいかなと思った。さすが3000メートルを越えてるだけあって、ちょっとした階段を上るだけでやたら息切れするもんね。
逆にこっちで暮らしている人が低地なんかに下りたときは「おっ全然疲れないぞ。おっ体が軽いぞ。飛べる。飛べるぞー!」なんて思うのかなあ。

まっそんなことはどうでもいいんだけど、とりあえずゲリとゲロから解放された今、早く晴れたシャングリラの山々を歩きたいなあと思う、今日この頃なのだった。

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この鍋を食いすぎてゲリとゲロになった。でもうまかった。


これクリックしたら、ゲリとゲロとシゲルが当たるらしいよ。



こないだまで半そでだったのに・・・
今日は雪が降った。宿の掲示板には「最低気温-3℃」と書かれてあって、冬の装備を持ってきてない僕らには大変つらい状況だった。
最初シャングリラで泊まっていた50元(750円くらい)の宿は、何も暖房器具がなくてふとんにずっと入っているしかなかったので、翌日60元(900円くらい)の宿に移った。そこは一応ベットにホットカーペットみたいなのを敷いていたのでかなり救われたんだけど、結局ふとんの中にいなければならない状況は変わらないのだった。

香格裏拉(シャングリラ)という名は2002年に「中旬」から改称されたそうだ。それは、映画化された小説「失われた地平線」(ジェームス・ヒルトン著)の舞台となった理想郷シャングリラはここであると地方政府が主張したから、とガイドブックに書かれてあった。
町の名前を変えちゃうなんて、少しやりすぎのような気がするけどね。

今日は寒くて何もできなかったんだけど、昨日はすんげえいい天気で、町の北にある松賛林寺という雲南省最大のチベット仏教寺院に行ってきた。
丘陵に建てられたその寺院は、まわりの古い家並みと共になかなかかっちょいい景観を成していた。
派手な壁画が見事で、大仏は日本やタイ、そして中国のそれとは違っていた。キンピカに輝いてはいないんだけどしぶい服なんか着ていて、個人的には他の国のよりもかっこよく思えた。
仏教でもいろいろあるんだね。おもしろいなあ。

寺院を観た後、ちょっと小高くなっている丘に登った。寺院や町、遠くには美しい山々が見えて、本当にシャングリラかもなあ、なんて思ったりしたのだった。

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チベット仏教の小坊主はミニ四駆で遊んでいた。しかしボスみたいなのが現れるとさっと懐に隠していた。


これクリックしたら、暖房器具が当たるらしいよ。



いや、やっぱ近鉄かな
今日は中国に入ってから一番と思われるほどいい天気で、町からも玉龍雪山がきれいに見えた。

朝一番で町の移民局に行き、1ヶ月のビザを取得した。中国は15日以内だとビザが要らないんだけど、とてもそれだけの期間じゃまわれないからねえ。予定ではあと1回ビザの延長するつもり。いろいろ見てやるぞ!

というわけで、僕らは住み慣れた麗江(リージャン)を離れ、さらに北の香格裏拉(シャングリラ)に向った。
バスは山道をどんどん登っていき、標高3000メートルのあたりをひた走る。谷が異常に深くて、雪をかぶった峰が近くに見えた。空も青くて雲が白い。
草原では牛さんにたくさん毛が生えたようなヤクが草を食べていた。家の玄関や窓には、にぎやかな彩りの模様が描かれてあって、チベット文化圏に入ったことを感じた。

僕はシャングリラまでの4時間、窓の外の景色にくぎ付けだった。ここ数年沖縄にいたので、ちょっとやそこらの海じゃあ驚かなくなったんだけど、その分山の景色には免疫がないみたいで、もう心の琴線がビンビンビーンって感じでゆるゆるになっちゃった。
「山と海、どっちが好き?」なんて質問を今されたら、たぶん「え?う~ん、阪神」とかわけわからんことを答えちゃうんだろうな。
ほんと地球すげえ。

夕方バスは無事にシャングリラに到着。標高3276メートル、山々に囲まれたその町を一発で好きになった。ただ、寒いことを除いては・・・。

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これクリックしたら、ヤクが当たるらしいよ。


まいっちんぐ
東南アジアの国々ではパソコンはすべて英語表記だったので、わからないなりに何とかなった。中国に入ってからは、中国語表記になっちゃって、でも場所とか記号なんかは同じだから、ブログの更新程度は大丈夫だったんだけど・・・

昨日、ブログに写真アップしようと思っていつも通りの作業をしていたら、何やらよくわからないのが出てきた。なので適当に「是」(「はい」という意味)なんかをクリックしてたんだけど、さあ写真を載せるぞと思ったら、一枚も写真がなかった。

ガビーン。
どうやら消去しちゃったみたい。
ベトナムのサパから撮り溜めた数百枚の写真が、一瞬にしてどっかにいっちゃった。花モン族の写真なんかも含まれていたから、かなり痛かった。
いやあ、デジカメ便利だけど、こういうのはまいっいんぐマチコ先生だよ、ほんと。とほほほほ。

まあ、カメラは2台持ってきているので、全てが無くなったわけじゃないんだけどね。それでもいくつものおもしろ写真が消えたと思うと、かなりまいっちんぐマチコ先生だよ、ほんと。

一夜明けてもショックは続いていて、「もうデジカメなんか持たねえよ」なんてヤケになって宿を出たんだけど、いきなり目の前におもしろポーズをしたチャイニーズウーマンが現れた。
宿の前は人口の川というか、溝が広くなったようなものがあるんだけど、チャイニーズウーマンはそこに腰を下ろして足を組み、片手は頭の後ろにやって、アイドル顔負けのポーズをとっていたのだ。
お、おかしすぎる。まだここがお花畑なんかだったら、百歩譲って「あり」かもしれないけど、この人口の川(溝)では完全に「なし」だ。

これはシャッターチャンスと思って、カメラを取り出そうとしたんだけど、持ってないことに気がついた。
ガビーン。
この世紀の瞬間を逃しては、人生を棒に振って何しに旅に出たのかわからない。

しかし、カメラを取りに帰ろうと決心した時には、彼女はもうポーズを崩し、満足そうな顔をしてその場を去っていったのだった。

やっぱりカメラは必要だ。

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屋台の鍋に初挑戦。
串刺しになった食材を選んだら、おばちゃんが作ってくれた。
タレに付けて食べるんだけど、めちゃくちゃ辛くてめちゃくちゃ脂っぽかった。とても食えるもんじゃなかったのでタレなしで食べた。隣では若い女の子たちがおいしそうに食べていて、同じ人間じゃないな、と確信した。
食後、2人とも腹が痛くなった。

あきらへ
火鍋はなしだな。


これクリックしたら、消えた写真たちが当たるらしいよ。


いいおばあちゃん
今日は麗江(リージャン)から少し離れたところの白沙(バイシャー)というナシ族の村に行った。ここは、明の頃に描かれた壁画が残っていて有名みたいだけど、あまり保存状態が良くなくて、僕にはさほど楽しいものではなかった。
それよりも、村人が暮らす昔ながらの家屋の方が興味深かったなあ。
観光客も数人しか見かけず、閑散としていて寂しい感じがしたけど、麗江の人ゴミに少しうんざりしていたので、むしろホッとした。
家の庭や軒先には、山ほどのとうもろこしが干してあり、その数に驚いた。

ひととおり村を見て回って、そろそろ帰ろうかという時に、1人のナシ族のおばあちゃんに声を掛けられた。どうやら民族衣装を着て写真を撮ってくれるらしい。
手には数冊のノートを持っていて、僕らに渡してきた。それにはビッシリとおばあちゃんに写真を撮ってもらった観光客の感想やお礼が書かれていて、日本人のものもちらほらあった。
少し読んでみると、「とてもいいおばあちゃんでした」「お金は気持ち程度で十分。少なくても嫌な顔されません」「僕は5元で大丈夫でした」「民族衣装が着れて、お家にも入れるので、こんなチャンスはめったにないですよ」なんてことが書かれていた。
民族衣装は着たくもなんともないんだけど、「お家に入れる」ということに少し魅かれた。ナシ族の家の中をみたいし、みんな「いいおばあちゃん」と書いていたので、ここはついていくことにした。

おばあちゃんの家はけっこう立派で、花などが植えられたきれいな庭があった。案外お金持ちなのかもしれない。
おばあちゃんはさっそくゆりに民族衣装を着せてくれたんだけど、妻ながらこれがなかなか似合っていてかわいかった。
「さあ、男の民族衣装はどんなんだろうか」と少し楽しみになってきたんだけど、おばあちゃんが僕に着せようとしている衣装は、どう見てもさっきゆりに着せたやつと同じだった。
女ものかよ!そりゃないよ、おばあちゃん。
結局されるがままにナシ族の女の民族衣装を着せられてしまった。

その後は、おばあちゃんのご自慢のお庭で記念撮影。「ここがきれいよ」とおばあちゃんはニコニコして数枚写真を撮ってくれた。
やっぱいいおばあちゃんだったんだと思い、僕らもノートに「いいおばあちゃんでした。いつまでも長生きしてね。ありがとう。」と書いた。

さて、民族衣装を脱ぎ、ゆりと相談して、お礼に20元(300円)渡した。少ないと思うかもしれないけど、20元あれば、僕らの主食となりつつあるショウロンポウ8個入りが5回も食べられるのだ。5元の人もいたので、僕らにしたらちょっとフンパツしたつもりだった。
が、事態は一変した。今までニコニコしていたおばあちゃんがいきなり怒りだし、「1人30元渡しな!」と言ってきた。その変わりようにかなり驚いてしまった。いいおばあちゃんは、いきなり悪い顔のおばあちゃんに変身してしまったのだ。
「60元は高いよ。ショウロンポウ何個食えると思うんだよ」と僕らが拒否すると、おばあちゃんは一段と声を上げて、僕らを罵倒し始めた。
確かに、最初に値段交渉しなかった僕らが悪いし、たぶん他の人のお礼の気持ちはショウロンポウ20食くらいはあるのだろう。

「どうしようか」とゆりとまた相談したんだけど、僕は女装だったし、やっぱり20元は妥当という結論に至り、ここは何気なく「じゃ、おばあちゃん、バイバーイ」と言って去ることにした。
おばあちゃんは最後まで「あと5元渡せ!」と僕らに文句を言っていた。

今日のトンパ経典名句
「鶏が啄むのは、いつも餌とはかぎらない
 人が言うことは、いつも事実とはかぎらない」


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「女ものかよ!」と言いつつ、少し内股になる僕
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おばあちゃんがとってくれた写真はブレていた


これクリックしたら、いいおばあちゃんが当たるらしいよ。


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トンパ文化に魅せられる
大理石を掘りに行こうと早起きしたけど雨だった。なので泣く泣く中止。1日ダラダラするのも嫌だったので、200キロほど離れた所の麗江(リージャン)まで行っちゃうことにした。
ミニバスに揺られること4時間、難なく着いた。

麗江は古い町並みがけっこう広い範囲で残っていて、1997年には世界遺産にも登録されている。そのせいもあって、大理と同じか、それ以上の中国人観光客が押し寄せていて、またしてもテーマパーク状態になっていた。まあ中国人おもろいからいいんだけど。

1996年に地震があり、残念なことに古い家屋がかなり倒壊しちゃったようで、町を歩いても、地震後建てられたと思われるきれいな家が多かった。古い感じで作られているんだけどね。
「これでいいのかよ、世界遺産!きれいだし、うるさいし、期待外れだよ!」なんて毒づいていたんだけど、夜チョウチンが灯された景色なんかにはけっこう感動しちゃって、かなりテーマパークにはまっている自分がいたりするのだった。土産物屋もちゃんと見て回ってたりするしね。

麗江は高倉健主演の映画『単騎、千里を走る』の舞台にもなったみたい。もしよかったら観てみてよ。僕は観てないんだけど。

僕が麗江で特に魅かれたのが「トンパ文字」だ。これは象形文字のひとつで、麗江を造りあげて、今もこの地に住んでいる少数民族のナシ族が使っていた絵文字である、とガイドブックに書いてあった。1000年前には、このトンパ文字を使って「トンパ経」という百科事典が編集されたようなんだけど、土産物屋でこの「トンパ経」のいいとこをちょこっとだけ抜き出した本が売っていて、日本語訳も付いていたもんだから速買いしちゃった。
これがなかなか楽しかった。日本語を読んでから、絵文字が何を意味するかを考えたり、言葉そのものを味わったり。
ナシ族の人たちがどんなことを考え、どんなことを大切にしていたかを少しだけ知ることができた。叡智だ、叡智。

「どの言葉も深いよなあ」なんてしみじみ思ったりしたんだけど、何がどう深いのかはよくわからないのだった。
「深い」とは便利な言葉である。
僕も生きている間に、ナシ族みたいな深い言葉のひとつやふたつ残していきたいものだ、と思ったり思わなかったりする今日この頃なのだった。

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「白い鶴が長く鳴くと、めでたい雪が降る
 郭公が短く鳴くと、待ち望んだ雨が降る」
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「英雄はいつも美人に誘惑される
 班の鹿はいつも猟犬に追われて逃げがたい」
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「体に服を一枚多く着れば
 逆に表皮を一重脱ぎ去る」


『納西族東巴経典名句鑑賞』和品正 編集


これクリックしたら、トンパが当たるらしいよ。




ネバーランドだったのか
大理(ダーリー)はペー族の移住エリアで、彼らの文化に触れるのが観光の楽しみみたい。中国語では白族と書くようで、文字通り白色を最も貴い色としていて、民族衣装も白色をベースとしている。が、僕らが行ったところでは観光客向けの施設やレストランでしか見なかった。特別な時にしか着ないのかな?

今は中国人の旅行ブームらしく、大理にもたくさんの人々が訪れていた。大理古城も旅行者向けにきれいに整えられていて、夜になるとチョウチンが灯り、ちょっとした建物はライトアップされていた。なんか安っぽいテーマパークみたいで、なんだかなあって感じがしたんだけど、中国人たちはとても楽しそうにお土産を買ったり、写真を撮ったりしていた。こういう賑やかなのが好きみたいだね。
カウボーイハットをかぶって得意げに歩いてたり、いい大人がばっちりポーズを決めて写真を撮ってたりするのは、ちょっと、いや、かなりおかしかった。ありゃ子どもだ。中国人はピーターパンだ。

今日は大理から少し離れた喜州というペー族の古い町並みが残るとこに行ってきた。明や清のころからの建物も少し残っていて、なかなか見ごたえがあった。
でも僕が心動かされたのは、人々が畑に鍬を入れていたり、重そうなカゴを背負って運んでたりする光景だった。サパの少数民族みたいに機械を使わず、自分の体を使って寒い中働く人々の姿は、よくわからないけど胸に響くものがあった。特に、顔がシワだらけのおばあちゃんなんかが頑張っている姿には、なんだか申し訳ない気持ちになり、自分の安逸な旅の生活を反省するのだった。でもまだやめないけど。

そうそう、こっちのみやげ物屋に石でできた壷や皿なんかがたくさん売られていて、なんでかなあ、なんて思ってたんだけど、どうやらこれらが大理石であることに今日気づいた。大理は大理石の産地なんだね。全然わからなかった。とりあえず、明日あたり山に登って大理石掘り出してくるわ。

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ショウロンポウと蒸餃子がうまい 毎朝食べてます
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「何見てんだよ」
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「ハ~イ」


これクリックしたら、子どものような中国人が当たるらしいよ。



僕らを乗せてください
高地トレーニングも無事終わったので、昆明(クンミン)を後にし、数百キロ離れた大理(ダーリー)にバスで向かった。途中、貨物列車が数十台の戦車を運んでいる光景を見て、少し衝撃を受けた。

大理市は、大理古城と下関という2つの中心の町があり、お互い10キロほど離れている。旅行者は普通、大理古城を目指すんだけど、あいにくバスは下関に停車したので、僕らは古城行きのミニバスに乗り換えないといけなかった。このミニバスに乗るのがえらく大変だった。
バス自体は5分おきくらいには来るんだけど、その分中国人の乗客も多く、バスが来るたびにいっせいに乗車口に押し寄せた。ここでは並ぶってことを知らないみたいで、みんな我よ我よとばかりに強引に乗り込んでいく。降りる人を先になんてことはもちろんない。また、バスが停まるとこもまちまちで、客はバスのところまでダッシュしていくんだけど、重いバックパックを背負った僕らは当然遅れをとるわけで、いっこうに乗ることができなかった。やっとこさ乗れたと思っても、なぜか立ち乗車を認めてくれず、運転手が中国語で罵声を浴びせてきて、降ろされてしまったりした。30~40分ほどそんなことを繰り返し、仏の心を持つ僕もさすがに切れそうになってきた。
僕らの他に韓国人のバックパッカーが1人いて、「まったくクレイジーだね」なんて会話してたんだけど、彼は早々に乗車をあきらめ、「すくまで待つよ」と言って、近くのベンチに腰掛けてしまった。辺りは暗くなり始めていた。僕らは宿も決まっていなかったので早く乗りたかったんだけど、中国人の異様な様子を見てると彼の選択の方が正しいと思われたので、一緒に待つことにした。
しばらくこの韓国人とお話をし、韓国にも行こうかな、なんて考えてたら、バスに群がる中国人の数が少なくなったのに気づき、慌ててバスに乗り込んだ。また怒鳴られるかな、と少しドキドキしたけど大丈夫だった。結局ミニバスに乗るのに1時間以上費やしてしまった。
大理古城に着いた時はすっかり暗くなっていたけど、無事いい宿を見つけることができたので、まあよかった。
それにしても中国人、ちゃんと順番に並ぼうよ。まったくもう。

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大理古城は中国人の観光客にあふれていて、テーマパークみたいだった
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「砂鍋飯」というメニュー 砂は入っていなくてうまかった


これクリックしたら、並ばない中国人が当たるらしいよ。





中国といえば?
標高1891㍍の昆明(クンミン)は、マラソンの高地練習で有名みたいで、高橋尚子や野口みずきなんかもここで走ったそうだ。とりあえず、僕も北京オリンピックに向けてトレーニングを開始した。気がついたことは、けっこう寒いということで、ババシャツとモモヒキセットを30元(450円)で購入した。これがなかなか暖かくて、レースの上位入賞も見えてきた。

中国といえば?と質問されると、いろんな意見が出されると思うけど、キン肉マン世代の人たちは、かなりの確率で「ラーメン」と答えるんじゃないだろうか。「闘え!ラーメンマン」なんかを熱心に見てた人は特にだ。というわけで、中国最初のメシはラーメンを食べた。まあ、ほんとはよくわからん漢字ばっかりのメニューに困り、「これちょーだい」と適当に指差したらラーメンが出てきたんだけどね。
さあ、幼稚園の頃から憧れていた中国ラーメンの気になるお味は、うん、かなりまずかった。もう脂っこい汁が全てをダメにしていた。初恋の人と同窓会で再会したら、ただの太ったおばちゃんになっていた、そんな感じだ。これなら、旅出る前に歩氏に連れてってもらって食べた福岡ラーメンの方が130倍くらいうまいよ。
やっぱ中国といえば、パンダだな。

昆明では、この旅初めてドミトリーに泊まったんだけど、そこで2人の日本人と出会った。
一人は48歳の男性で、この人なんと世界放浪を10年続けていた。世界一周はもうとっくにしてしまっていて、今は特に気に入った中国を掘り下げているんだとか。折り紙が得意らしく、青年海外協力隊や大使館を通じて世界中で折り紙教室を開いており、僕らが昆明を出る日も、折り紙を持って出かけていた。
もう一人は45歳の男性で、チベット文化圏を中心に儀式や祭祀のことを研究している人だった。時にNHKなんかに企画書を出して、アジアの人々のドキュメンタリーを作っているみたい。数年前には水木しげると一緒に妖怪探しの旅をしていたとかで、かなりゴイスーな人だった。
気になったので、今、インターネットでこの人のことを検索してみたら、水木しげるや京極夏彦なんかと共同で「妖怪人類学フィールドワーク」なんて本を執筆していた。おもしろそー。

2人の話はどれも勉強になることばっかりで、無知な僕は、ポカーンと口を開けて、世界のいろんな話を右から左で受け流していたのだった。
ほんとすごい人がいるもんだ。いい出会いに感謝!

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ラーメンとうどん 両方とも汁が脂っぽかった
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ワンタンスープはあっさりしていてうまかった
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イスを持参している学校帰りの少年に中国語を習う
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これクリックしたら、妖怪が当たるらしいよ。



あのう、中国語はわからないので、そんなにまくし立てないで下さい、お願いします
サパ、そしてベトナム最後の日は、朝からずっと雨で町中が停電していた。市場に行き、フォーを食べて、黒モン族の女の子からダンモーイを2つ買った。
ミニバスで国境に向かう途中、雨に打たれながら歩く少数民族の人たちとたくさんすれ違った。彼らを見てると、あらためて「サパよかったなあ」という思いがわき、そしてもっとみやげ物買ってあげればよかったと、少し切ない気持ちになるのだった。

国境の町ラオカイへは1時間ちょっとで着き、イミグレーションの手続きも難なく終え、午後2時ちょうどに国境の橋を渡った。ちょうど中国側から時報を告げる音が「ボーン、ボーン、ボーン」と鳴った。
午後3時かあ。おっ午後3時かよ!
ベトナムと中国では時差が1時間あるので、いきなり1時間損してしまったのだ。ちくしょー、この1時間にあんなことやこんなことをやっちゃえたのになあ。
あっちは2時、こっちは3時とか、なんだか不思議だ。

さあ、いよいよこの旅5カ国目の中国!思ってたとおり、町は漢字であふれていた。そうだろうと思ってたんだよ。
まず人民元を手に入れるために銀行を探した。みんな簡単な英語も通じず、やたらと中国語でまくし立てるのでちょっと苦労したけど、どうやら銀行は中国でも「銀行」と書くらしいことがわかり、紙に書いて見せると、「あっちだ」という感じで指差して教えてくれた。便利だか不便だかよくわからないや。

特に国境の町には見所もないようなので、雲南省の中心都市の昆明(クンミン)まで、夜行バスでいっちゃうことにした。
寝台バスだったので、「やったあ、寝れるやん」と少し喜んだんだけど、そう甘くはなかった。
バスの中は、2段ベッドが縦に3列並んでたんだけど、一番後ろは5人が雑魚寝するようになっていて、僕らはその雑魚寝シートにビンゴだった。1人の幅50センチといったところか。
僕らの横3人は欧米人の男女で、そいつらがやたらでかいものだから、1人50センチと言ってるのに、彼らは60センチ使いやがって、そうすると僕らに残された幅は70センチで、ここに2人で寝ないといけないという事態に陥ってしまったのだ。まあ、ここは持ち前の夫婦の「愛」で簡単に乗り越えたんだけどね。
しかし、走り出すとまた災難が。道が悪い!
ガタガタと縦揺れするんだけど、一番後ろということもあってか、時に数センチ体が浮くのだ。ちょっとうとうとなんかしてたら、「あれ?俺って空飛べたっけ?」なんて寝ぼけてしまって、次の瞬間床にたたきつけられるだった。それが一晩中続いた。
「こんなの寝れるわけないだろが!」と思ってたんだけど、寝れた。人間の適応能力ってのはすごい。

まあそんな感じで、バスは12時間くねくねガタガタと山道を走り、朝6時に無事昆明に到着したのだった。

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これクリックしたら、人民元が当たるらしいよ。




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