クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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ばいばいインド
デリーはやっぱり暑かった。
18日間、インド病と闘いつつ過ごしたダラムシャラを発ち、夜行バスに揺られ、早朝またデリーに戻ってきた。朝はまだそうでもなかったけど、昼前から太陽ががぜん元気になり、それと反比例するがごとく、僕らの元気は失われていった。いったい何℃あるんだ?

今日はインドで過ごす最後の1日。まず、メインバザールの古本屋に行き、インドのガイドブックや読み終えた文庫本と司馬遼太郎の「燃えよ剣」とを交換した。まったりインド病を治すにはシンセンさが大事と思われるので・・・・・。新撰と新鮮をね・・・ちょっとね・・・かけたみたいな・・・。
その後、ゆりが最後にもう一度インド映画を観たいというので、ちょっと小奇麗な店が集まるコンノートプレイスの映画館へ。「TASHAN」という題名の、簡単に言えばマフィアと対決するアクションものを観たんだけど、これがもうなんつーか、あれだった。あれ。大勢のマフィアに囲まれ、ピストル撃たれまくれ、火炎砲で燃やされまくれ、手榴弾で建物もろとも吹っ飛ばされたりしても、主人公の3人は死なないの。そりゃ死んだらハッピーじゃないからそれはそれでいいんだけど、ちょっともうやりすぎで、呆れるやら、でもやっぱりおかしいやら。インド映画は今回結局3本観たんだけど、薦められるのは最初の「ジョター・アクバル」だけだったな。3割3分3厘。まあ、悪い成績じゃないか。
映画の内容はともかく、インド人たちが何度となく雄叫びをあげたり、途中停電のためにプツリと映画が途切れたり、敵の親分が死んだら、まだ終わってないのに大方の客が席を立ち帰っていったりと、まあ、インドらしいと言えばインドらしかった。当然いきなり踊りだすシーンもあり、なんだか、インド映画はこのままずっと我が道を突き進んでほしいもんですなあ、というしみじみした気持ちになった。
うん、やっぱインドは独特だわ。おもろいよ、あんたたち。

気がつけばインド滞在も3ヶ月。ほんとは世界遺産アジャンタ・エローラ遺跡や思い出の地のカルカッタにも行きたかったんだけど、もう暑さとインド病のせいで断念。インドまだまだいたいけど、だるいっす。
19歳の多感な時期を過ごしたこの土地は、ずっと僕の中で特別なものとして位置していたんだけど、10年ぶりのインドは、そんな淡い青春の思い出を一蹴し、むかついたり、切れたり、暑かったり、カレーだったり、砂漠だったり、ボラれたり、インド人だったり、うそつきだったり、ガンガーだったり、うんこだったり、ゲリだったり、漏らしたり・・・とまあ、もうごっちゃごっちゃだった。一言でなんかとうてい語れないけど、一言でいうと、やっぱりウンコの国かなあ。インドはこれからもどんどん変わっていくだろうけど、そこだけは、どうかそこだけは変わらないでおくれ。それならば、僕はずっとキミを愛し続けることができるから・・・。

とまあ、暑さと少し酔っ払っている(これからしばらくお酒飲めないみたいだからね)せいで、何を書いているかよくわからないけど、そうこうしているうちに旅も9ヶ月が過ぎた。タイから始まった陸路の旅も今日で終わりだ。ちょっと寂しいなあ。でも機内食とスチュワーデスさん楽しみだなあ。

ただ、ついさっきメールボックスに良からぬ知らせが・・・。エアアラビアからだ。「おいおい、前日になんだよ」と思って開いてみると、フライト時刻や番号、その他注意事項などが書かれてある。しかし、それは申し込んだ時にも送られてきている。「きっと明日フライトですよと教えてくれてるんだな。親切だな。」と能天気な僕は思ったんだけど、よく見るとフライトの日付が違っているではないか!詳しく説明すると、僕らが明日乗る飛行機はいったんアラブ首長国連邦のシャルジェに行き、そこで一泊し、翌日にイエメンに飛ぶ予定だった。その2便目、つまりイエメン行きのフライトの日付が1日延びているのだ。
「およ、およよよよ」
あせる僕は、最近停止している脳みそを働かして考えた。つまり、シャルジャに2泊するわけか。そうかそうか。って、えー!
1泊なら空港でもどこでも寝ればいいかと考えていたんだけど、2日はきつい。ていうかずっと空港もきつい。外でれるのかなあ。お金両替しないといけないのかなあ。あれ?ビザは?っていうか、いきなり前日に変更とかありなのか?いや、なしだろ。

そんなわけで、よくわからんまま旅の第2幕が始まろうとしているのだった。


この1ヶ月で使ったお金   6万5833円 + 飛行機代 4万5831円
訪れた町           リシュケシュ、ダラムシャラ、デリー
食べたクロワッサン      32個
ヨガった数           634ヨガ
漏らした数          1回 

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「となりのトトロ」を弾いてると、欧米人の親子が寄ってきた。みんなトトロが大好きみたいだ。子供たちにせがまれて、結局ゆりは5回くらい歌わされていた。「トットロー、トットーロー」

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なんだかだりー
病気になってしまった。しかも、10年前の旅の時もかかった病気だ。インドに長くいる旅人の2人に1人はかかるという恐ろしい病気。そう、かの有名な「インド病」だ。
ほとんどの方がご存知だと思うが、一応知らない人のために説明しておこう。インド病とは、何かしようとすると、思わず「なんかだりー」と言っちゃったり、思っちゃったりする、それはそれは恐ろしい病気なのだ。
病因は様々なので、特定するのは難しいとされている。例えばそれは、インドの暑さだったり、ゲリが続き実際に体がだるかったり、お菓子からなにまでカレー味なのにうんざりしたり、インド人がむかついたり、インド人がうざかったり、インド人がしつこかったり、インド人が・・・・。これらの要因が複数重なった時に、インド病は発病すると言われている。
僕らの場合は、先の例に加え、荷物が重くなり移動がしんどくなったのがでかい。もう次の町に行くのが「なんかだりー」くて、それよりは1つの町でだらだらしてる方がいいやと思うようになってしまった。もうかれこれインドに2ヵ月半以上いるけど、バラナシ3週間、デリー、ジャイサルメール、ジョードプル1週間、リシュケシュ18日、ここダラムシャラももうすぐ2週間と、のび太くんもびっくりののんびり旅だ。
ただ、それでも、そこの町々で異文化との出会いがあったり、忘れられない現地の人との交流があったりしたらいいのかもしれない。しかし、今の僕らは1日のうちの大半をカフェやレストランで過ごし、インドなのにピッザやお好み焼きに舌鼓を打ち、日本の文庫を読んで過ごしている。異文化に出会う可能性が皆無だ。お出かけするのが「なんかだりー」くて、それよりは屋内で本を読んでいたほうがええやんって感じなのだ。ちょっと30分くらい歩いて、近くの小さな村なんかに行った日には、これだけで「今日はなんだか充実してますなあ」とかなり満足しちゃっている。旅も9ヶ月が経とうとしていて、もう観光に飽きたのかもしれない。外界の異文化がもう日常になり、そんなに新鮮じゃなく、「なんだかだりー」ものになってしまったのだ。
10年前の旅の後半もずっとそんな感じだった。旅の仲間と1日中宿でだらだらと過ごすことがざらにあった。そして、この病気の厄介なとこは、日本に帰ってからもこの症状が続くのだ。僕は帰国後数ヶ月、無気力な状態が続き、何をするにしても「なんかだりー」くて、友達に「しんご、今何してんの?」と聞かれると、「え?うーんと、インドごっこ」と答えていた。思い出すだけでも恐ろしい。

この旅最大の危機である。エジプト・ピラミッドを見るという目標があるものの、インドという底なし沼にどっぷりはまってしまい、辿り着けるかわからなくなってきた。もう永久にインドから出られない可能性も出てきた。この旅どころか、人生最大の危機じゃないか。やばい、インド人とカレーと一緒に死にたくないよー。

僕らは強攻策に出ることにした。インド病から抜けだすためには、とりあえずインドから脱出しないといけない。それで治るかはわからないが、それしか今は考えらない。インドを出るために1番手っ取り早い方法。そう、航空チケットを買うのだ。これまでずっと陸路だったので、旅に出てからは初めてのことになる。これはもちろん国内線じゃあ意味ナッシング。どこか違う国に飛んじゃうやつを買うのだ。

僕は「チケット買うのもだりー」と思いつつも、ネットカフェに入り、「エア・アラビア」のホームページを開いた。旅人から「エア・アラビアが安い」と聞いていたのだ。
ホームページは全部英語だった。とても読む気にならない。「もーだりーよ」と投げ出したい衝動に駆られたが、インド人とカレーと一緒に死んでいる自分の姿が頭にちらつき、なんとかこらえることができた。よく見ると、ANAやJALのホームページみたいに、出発地、到着地、日付などを選択するところがあるのに気づいた。これならなんとかなるかもしれない。僕らはトルコに向かうつもりだったので、出発地に「デリー」、到着地に「イスタンブール」を選択してみた。すると、フライトナンバーや料金が出てきた。1人「212ドル」と書いてある。
おっできたんじゃないすか。しかも、安いんじゃないすか。
「もう買っちゃうか!」と思っていたら、ある都市の名前が目に入ってきた。
「sanaa」
サナア?サナア、サナア・・・ああ、サナア!

サナアはアラビア半島南の国、イエメンの首都だった。旅に出る前はイエメンが国の名前なのか、キムタクやもこみちやエガちゃんらのことを言うのか、よくわからなかったんだけど、出会った旅人の多くが「イエメンいいよー」と言っていたのだ。「旅人おすすめの国ランキング」の堂々の1位に輝くのがこのイエメンだった。なんでもアラビアンナイトの世界が今なお繰り広げられているらしい。アラビアンナイトと言えばアラジンやサイババ・・・じゃなくてアリババじゃないか。僕らは日本に帰れば、住所不定のプー夫婦になるわけだし、こうなったらイエメンに行き、魔法のランプと空飛ぶじゅうたんを手に入れ、日本でそれを売って一儲けしようじゃないか。「開け!ゴマ!」と叫んで、体中の毛穴と肛門チャクラを開いてやろうじゃないか。

僕はパソコンの前でそこまで考えた後、到着地を「サナア」に変更した。料金もイスタンブールとほぼ同じだった。日付は1週間後の5月2日。
不安が1つあった。実際これでチケットが買えたのかがよくわからない。英語はだるくて読んでないのでほとんど勘で打ち込んだり、チェックを入れたりした。支払いはクレジットカードで、一応番号を書いたけど、これでほんとにいいのか、予約できたのかよくわかんないっす。
何かインドが僕の足を掴んで「まだ行かさぬぞー」と言っている気がするなあ。嫌な予感がするなあ。だりーなー。

果たして無事インドを脱出できるのか!そしてインド病は完治するのか!
期待と不安が交錯するなか、インド最後の1週間に突入する。・・・・はず。
「なんだかだりー」

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うまいがいっぱい
今、デリーやバラナシは40℃近くあるらしく、「もう暑くて気持ち悪い」と出会った旅人は言っていたけど、ここダラムシャラは標高が2000メートル近くあるので、けっこう涼しくて過ごしやすい。遠くにヒマラヤも見えてロケーションもいいし、暑さから逃げてきた多くのバックパッカーがここで沈没している。
そういう場所だからか、ダラムシャラは食いもんのレベルが高い。イタリアン、日本食、韓国、チベタン、そしてベーカリーとうまいもんだらけだ。インド人は少数派で、あのうんざりする香辛料の香りがしないのも有難い。

朝8時ごろに起きた僕たちは、そっこーひいきのカフェに行き、焼きたてのクロワッサン3個とチャイをたのむ。度重なる実験の結果、クロワッサン1人1.5個というは、ちょうど昼飯時に「あーおら腹減っただー!」という状態になるためにベストの数なのだ。午前中はこのカフェで本を読んだり、最近は学習意欲が旺盛なので英語や韓国語の勉強をしたりして過ごす。

「あーおら腹減っただー!」となる昼は、たいがい「ルンタ」という日本食レストランに行く。そこの客の7割くらいは欧米人で、日本食人気を実感する。特に巻き寿司定食がでる火・金曜日はやたらと欧米人が多くなる。おそらく「キョウハ スシ タベマショー。ワタシ スシガ ダイスキデス。」とか言ってるんだろう。まったく人の気も知らないで、のんきなものである。(何が?)

昼を食べた後は、「ちょっとお茶でもしますか?」と、おいしいケーキのあるカフェに入る。レモンチーズケーキ、アップルマフィン、レーズンチョコケーキ、チーズケーキ、バナナスポンジケーキ、どれもおいしい。
ここでも最近僕らのブームの「Su DOKU」(1から9の数字を縦横のマスに埋めていくゲーム)などをやって長居しちゃうんだけど、1つ気がついたことがある。それは、ケーキを選んでいる時の女子たちは万国問わず、みんなすげえ笑顔で楽しそうで幸せそう、ということだ。しかめっ面している子なんて1人もいない。
「アハハハ。あなたティラミスにするの?アハハハ。えーわたしー?どーしよー。迷っちゃう。アハハハ。アップルパイもおいそうだし、このチョコマフィンもキュートねえ。アハハハ」と何がおかしいかわからないけど、とにかく楽しそうだ。ケーキの力ってすごいなあ。彼女たちの幸せそうな顔を見てると「俺、大きくなったらケーキ屋さんになろうかな」と真剣に思ってしまう。みんなを幸せにするケーキ屋さん。うん、悪くない。

夕方からはヨガレッスン。ヨガティーチャーになるために、リシュケシュに引き続き、ここでもヨガを習っている。そして、迷った結果、最近ついにヨガマットを購入した。やたらと重いパソコンやジャンベがあるので、もうこれ以上荷物を増やしたくはなかったんだけど、ヨガティーチャーで食っていくためにはしょうがない。これでこの先の旅でも自主練習が思う存分できる。でも、ケーキ屋さんも捨てがたいなあ。

ヨガが終わると晩飯だ。運動して消費したカロリーを取り戻すのだ。
チベット料理では、餃子によく似た「モモ」がおいしい。ベジタブルモモ、マトンモモ、ほうれん草チーズモモ、ポテトチーズモモなんかもある。
後、イタリアンもよく行く。日本では高くてピザなんてめったに食べないけど、もうここ1週間で3枚ほどたいらげた。1つ気づいたことがある。ピザは1人で食べるよりみんなで食べる方がうまい。パーティーに最適だ。

腹がいっぱいになった後は、宿に帰る。その帰り道でふと思う。「明日は何食べようかあ」と。
こうしてまた安逸な1日が終わるのだった。

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これクリックすると太るよ。


デモです。
今日町を歩いていると、やけにチベット国旗(中国では決して見ることはなかった)を持って歩いている人に出会った。チベット人がやっているお店もほとんど閉まっている。新聞に、今日デリーに聖火が来ることが書かれてあったので、もしかしたら何かやるのかもしれない。

やっと開いているのを見つけて入ったチベタンレストランでは、皆テレビのニュースを見ていた。そこには、デリーの路上でたくさんのチベ僧が座り込みをしている姿が映っていて、人に捕まれながら、何やら必死で叫んでいる人もいた。
レストランのおやじが「これからここでもデモをやるんだ」と教えてくれた。奥さんは参加するみたいで国旗を手に慌てて外に飛び出していった。
僕らも急いでメシを食って外に出ると、どこからか人々が叫ぶ声が聞こえてきた。通りに出てみると、すでにデモが始まっていて、僧たちが列をなして行進していた。その後に学校の制服を来た少年少女たち、おっちゃんおばちゃんたちが続いている。かなりの人数で行列はそーとー長かった。
びっくりしたのは人の多さだけじゃなかった。シュプレヒコールがかなりのど迫力だったのだ。1人がある言葉を発すると、それに続く言葉を全員で一斉に叫ぶ。例えばこんな感じだ。

「Stop killing!」「In Tibet」
「Stop murder(殺人)!」「In Tibet」
「Stop genocide(集団殺戮)!」「In Tibet」
「What do you want?」「We want freedom!」
「You???????!」「We want justice(正義)!」
「People in the world!」「Support us!」
「Plese release!」「パンチェンラマ!」
「China! China! China!」「Out! Out! Out!」


※パンチェンラマはダライラマに次ぐ権力者で、今の11世は選ばれるとすぐに家族ともども行方不明になってしまった。その後すぐに中国政府は新たに11世を選出した。このパンチェンラマは、次のダライラマ15世を選ぶ権利があり、チベットをコントロールしたい中国政府にとっては大事な存在なのだ。

皆が真剣に、自分の出せる精一杯の声で叫んでいて、鬼気迫るものがあった。
僕らは圧倒され、彼らの行進を見続けた。やがて列の終わりがやってきた。
「お前は見てるだけなの?」「「傍観者でいいの?」
日頃、心の隅っこで三角座りをしている正義くんがボソボソとささやいてくる。
迷ったけど、僕らは列の最後について一緒に歩くことにした。まあ、正義というよりは野次馬根性なんだけどね。

初めてデモなるものに参加したけど、それは予想以上に気持ちよかった。恥ずかしかったので僕らは叫びはしなかったけど、スローガンを叫ぶ声の中にいると、なんだか一体感が得られ、めちゃ気持ちよかった。みんなで1つの目的に向かって進んでいるというか、なんつーか。きっとこういうデモは外部に自分たちの意思表示をするだけじゃなく、内部の意識を高める効果もあるんだね。
僕がそんなことを考えている間も、チベタンたちは叫び続けていた。

結局1時間半行進を続け、ちょっとした広場で最後のシュプレヒコールを行った。そして、最後にチベットの歌を2曲歌って、デモは終了した。どういう曲かはわからないけど、チベタンたちが手を合わせ、自分たちの国の歌を歌うその姿には心打たれた。

暑い中歩いたので、僕らはその後ずっと宿でグッタリしてたんだけど、晩飯を食いに外に出てみると、またまた多くのチベタンがキャンドルを持ち、昼間とは打って変わって静かにお経のようなものを唱え、静かに町を歩いていた。ラサで殺された同胞たちに哀悼の意を表しているそうだ。
そんなわけで、今日は何かと彼らの思いをひしひしと感じた1日だった。

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これクリックすると隣のおっさんが叫ぶよ。


タダって書いてあるやん!
今いるのは、デリーの北400キロくらいのとこにあるダラムシャラ。亡命チベット政府の拠点で、ダライ・ラマ14世の法主公邸がある。
先月のラサでの暴動の時は、ほとんどの店のシャッターが下ろされ、中国政府による人権侵害に対するかなり激しいデモが行われたみたいだけど、今はすっかり落ち着いているように見えた。久しぶりにチベタンたちを見たけど、僕らに似ているせいか、それともインド人に辟易していたせいか、なんだかホッとした。

僕がダラムシャラに来るのは2回目。10年前の旅の時も訪れている。
当時のことで覚えていることが1つある。
バザールを歩いている時、露店でちょっとかっこいいステッカーを発見した。それは白黒写真で1人のチベタンが写っていて、「フリーチベット」と書かれてあった。
僕はそこのおじさんに尋ねた。
「これ本当にタダなの?」
「いや5ルピー(15円くらい)だよ。」
「なんだタダじゃないじゃん。何がフリーだよ。」

高校を卒業したばかりの僕はチベットが置かれている事情などつゆ知らず、フリーは「タダ」だと思い込んでいたのだ。
「フリーって書いてあるのに」とぶつぶつ言いながら、僕はそのステッカーを買い、持ってきていたギターに貼った。なかなかそれがかっこよくて気に入っていたんだけど、ただそれだけだった。ただだけに・・・・(あっれー?)

あれから10年。くしくも世界的にチベットが注目されている時にダラムシャラに来ることができた。
中国オリンピックの今年に世界にアピールしようという彼らの行動は成功しているように思えるけど、その代償にたくさんの命が失われている。出会った多くのチベタン、仏像詐欺師のピッピやランクルドライバーのタシは大丈夫だろうかと心配になる。
「自由」を勝ち取るには、どうしてもこういう犠牲が必要なのかもしれないけど、やっぱり悲しい。その死がせめて報われてくれたらいいけど、あの中国化されたラサの町を考えると難しいように思える。莫大なお金をかけて作ったチベット鉄道も、チベットの支配するため、漢人を移住させるためだというしね。

ただ、この旅で1番印象深い町、理塘(リタン、四川省にあるチベタンの町、鳥葬をみたとこ)で強く思ったことは「ここは中国じゃない。チベットだ。」ということと、「この文化は消滅してほしくない」ということ。なんとかならないかなあ。

今回また「フリーチベット」のステッカーを見つけたのでジャンベに貼った。やっぱりタダじゃなかった。

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