クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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呼んでいる
早朝、僕らを乗せたバスはポカラを出発し、国境の町スノウリに向かった。結局この朝も曇っていて、最後までヒマラヤを見ることはできなかった。

ポカラが少し残念な感じで終わったので、僕らは少し予定を変更することにした。このまますぐネパールを出てインドに入るんじゃなくて、もう1つ、ルンビニという町に寄ることにしたのだ。スノウリから1時間ほどでいくらしい。
このルンビニ、ご存知の方もいると思うけど、仏教の4大聖地の1つで、ブッダの生誕の地なのだ。ブッタには昔からたいへん良くしてもらっていたので、これは行っとかないとでしょ。スノウリまでは7時間ほどだから、遅くても夕方までには着くだろう、と思っていた。

予定の7時間を過ぎた2時半頃、バスはある小さな町で止まった。まだスノウリではないらしい。「どーせすぐ動き出すだろう」と思い、しばらく外で遊ぶ子どもたちを見て過ごした。しかし、バスは1時間経っても動く様子はなかった。

僕らのバスの他にも、トラックなどがたくさん止まっていた。あるネパール人の話だと、この先でデモが行われている言う。
「うーん、デモかあ。仕方ない。」

またしばらくすると、先の方まで見てきた韓国人のツーリストが「セレモニーをしていた。みんなメシを食べていた。」と言う。
「うーん、セレモニーかあ。仕方ない。」

僕らはおとなしく待つしかなかった。
4時になった。それでもバスは動かない。
5時になった。それでもバスはまだ動かない。
6時になった。それでもバスはまだまだ動かない。

いつの間にか真っ赤な夕陽が沈もうとしている。
「そういや朝も太陽さんが昇るのをバスから見たなあ。」とぼんやり思っていた6時半すぎ、よくやくバスは動き出した。

その後もなんでかわからんけど、違うバスに乗り換えさせられたりして、8時半ごろ、スノウリの4キロ手前のバイラワという町で降ろされた。7時間のはずが13時間かかったことになる。もうルンビニ行きのバスやジープは出てないらしく、その日は仕方なくそのバイラワに泊まることにした。

翌朝、僕らはルンビニ行きバスの発着場まで歩いた。サイクルリクシャーのおっさんたちが「ルンビニに行くのか?バスは走ってないぞ。俺のに乗っていけ。」と声をかけてくる。
冗談じゃない!いったいルンビニまで何時間かかるのだ。バスが走ってないなんて、どーせウソに決まっている。
いつの間にか、僕らと一緒に10台くらいのリクシャーがついてきていた。このおっさんたちのしつこさにインドに近づいたことを感じた。

30分ほど歩いてようやくバス停に着いたが、ルンビニ行きのバスは走ってないらしかった。
「乗り合いジープは走ってないのか?」とその辺にいた何人かに聞くと「ジープもタクシーも何も走ってない。ストライキだ。ルンビニあたりはブロックされている。」と言う。どうやらほんとに走ってないみたいだった。
「ほれみたことか」とばかりに、リクシャーのおっさんたちが近づいてきて「俺ので行くしかない。リクシャーでしかルンビニには行けない。」と言ってくる。
「どれくらいかかるんだ。」
「1時間だ。」
バスで1時間なのに、僕ら2人を乗せた自転車がどうしたら1時間で行くんだよ。

昨日の意味不明のストップといい、今日のストライキといい、これは何者かがぼくらをルンビニに行かせないようにしているとしか思えなかった。
「ブッダが『来るな』と言ってるのか。」
しかし、僕とブッダとは竹馬の友なので、彼がそんなことをするとは思えなかった。

だとすると、もう奴の仕業しかなかった。
「呼んでいるんだ」
そう、インドが「早く来い!」と呼んでいるのだ。ポカラでトレッキングができなかったのも奴のせいだろう。そんなに僕らと早く会いたいか。そうか、そうか。それならお望みどおり行ってやろうじゃないか!

僕らはルンビニ行きを中止し、乗り合いジープに乗って、4キロほど離れた国境のスノウリに向かった。
狭いジープの中には20人ほどの乗客が詰め込まれ、なんだか刑務所に輸送されているみたいだった。
そういやネパール人に「これからインドに行く」と言うと、「あそこは地獄だ」と言ってたっけ。
地獄行き輸送ジープかあ。
僕はなんだかうれしくなってきた。とうとうやってきた。あのインドに僕は再び帰ってきた。

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スノウリまでの途中でよったある食堂の台所。
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リクシャーと交渉中。日本の「人力車」が語源みたい。
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そんな目で見ないでくれ。
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地獄行きジープ
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さらば、アニールモモ
ポカラに1週間いても、きれいなヒマラヤを見ることはできなかった。
毎朝毎朝「今日こそは!」と部屋の外に出て、マチャプチャレがある方向を見るものの、いつも厚い雲がその姿を隠していた。
「明日こそは見えるかも」と思い、ずるずると滞在してきたけど、もういい加減ヒマラヤが見えないポカラにも飽きてきた。ほぼツーリストの町のようなポカラは、1度おいしいものを食べて満たされれば、たいしておもしろいとこじゃなかった。ヒマラヤが毎日きれいに見えた前回は、「いくらでもいれる」と思ってたのになあ。
ただ「もういいや。インドに行こう。」と決心しようとすると、「あきらめたらそこで試合終了だよ。」という安西先生の言葉(スラムダンク)が浮かび、僕の決断を揺るがせていた。

この1週間はレイクサイドとダムサイドを無意味に往復したり、少し離れた町のバザールに行ったりした。歩いて30分ほどのところにはチベット人の難民村があった。と言っても、みやげ物屋が少しあるくらいで特に惹かれるものはなかったんだけど。話すことができたらまた違うんだろうけどね。ただ、ダライ・ラマの写真やチベット国旗が堂々と掲げてあったのは新鮮だった。中国ではダライ・ラマの写真を所持していると、すぐに政治犯として捕まるらしく、僕は1度も見ることはなかった。ここの人たちは亡命して難民という立場にあるけど、自分の崇める人を思いっきり祈るという自由があり、中国のチベット人たちより幸せかもしれないな、と彼らの事情を何も知らない僕は勝手にそう思った。

とはいえ、僕が勝手に何を思おうと天気が良くなるはずもなく、ついに意を決して、国境のスノウリまでのバスチケットを買うためある旅行会社に入った。
「スノウリまで。2人。」
僕はスタッフの兄ちゃんにチケット代を払った。ところが、その兄ちゃんが困ったことを言い出した。
「ポカラ何日いたの?トレッキング行った?」
「行こうと思ってたけど、この天気だしあきらめたよ。」
「何言ってるんだ。トレッキングに行けば、山ばっちり見えるよ。ここからはアンナプルナは遠くて見えないけど、トレッキングすればとても近くにいくんだ。全然見れるよ。」
せっかく決心して来たのに、そんなこと言うなよ兄ちゃん。どうせトレッキング行かせたいだけだろ。ヒマラヤなんて見えないんだろ?

僕の気持ちを見透かしたように、兄ちゃんは続けた。
「もしヒマラヤが見えなかったら、トレッキング代金すべて返すよ。」

なんて自信だ。本当に見えるのかもしれない。
僕は結局バスチケットをキャンセルして「もう少し考えるよ」と言って、そこを出た。

アンナプルナトレッキングは最初からこの旅でやろうと思っていたことだった。
「安西先生、僕はあきらめません。」
僕は入域許可証用の写真を現像するため、写真屋を探した。
しかし、たくさんあるはずの写真屋がなかなか見つからなかった。やっと見つけたところでも「今日は休みだから、明日にしかできないよ。」と言われてしまった。
何だかもうめんどくさくなった僕は、もう一度さっきの旅行会社を訪れ、スノウリ行きのバスチケットを購入した。
試合終了・・・。

ポカラ最後の晩飯はやはり「アニールモモ」に行き、あまりおいしくない唐揚げ定職を食べた。
「明日ポカラを出ることにしました。またいつか食べにきます。」
最後にアニールモモのオヤジと握手をして別れた。

次いつ来れるかわからないけど、その時まで店がうまくいってますように。
9年前のようにマンガを読む若者であふれますように。

「バックパッカー秘伝の味 あにるもも」と書かれた古い看板を見てたら、ちょっとおセンチになった。
さらば、アニールモモ。
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人間ここまでやせれるか
ポカラは今日も雨だった。
おかしい。
ネパールはこの時期乾期で雨が降ることなんてまずないと聞いているのに、もうすでに2日降られている。ヒマラヤもほぼ毎日見れるはずなのに、僕は1日、それも早朝のほんのわずかの間しか見れていない。布団から出るのを怠ったゆりに関しては、まだ1度もマチャプチャレを見れていない。
ヒマラヤが見れないポカラなんて、カツが入ってないカツ丼、もしくは桑田佳祐のいないサザン、はたまた、つんくが入ったモー娘。みたいなもので、全く魅力を感じることができない。
アニールモモのオヤジが言うには、僕らが来る前の2週間もずっと曇っていてヒマラヤが見れなかったらしい。
「今までそんなことなかったんだけどねえ。3年くらい前から天気がおかしいね。1月に雨が降ることなんてなかったよ。」日本人客が減ったのはこの天気のせいだとばかりに、オヤジの口調は寂しげだった。
やはり温暖化が影響しているんだろうか。世界のあちこちで気候が少しずつおかしくなってきている。

僕は旅に出る前から、前回行けなかったアンナプルナトレッキングをしようと心に決めていたんだけど、この天気では行ったところでアンナプルナは見れそうにない。山が見れないならポカラにいてもしょうがない。残念だけどトレッキングはあきらめて、もうインドに行ってしまおうかと心が揺れる。行こうと思えば明日にでもインドに行ける距離にいるのだ。あのインド人だらけのインドに。

アニールモモのカツ丼を食いつつそんなことを考えていたら、1人の日本人がなんだかフラフラしながら入ってきた。
「あー、お久しぶり!!」
彼とは中国の成都で会っていた。その時彼はまだ旅に出て2週間くらいで、これからチベットの山に登りにいくと、登山道具一式持っていた。
「登山家かあ。たくましいなあ。」
旅をしていても特にがんばることのない僕は、何だか彼がとてもまぶしく見えたのを覚えている。

が、1ヶ月半ぶりにあった彼は、まるで別人だった。
頬の肉が落ち、目の周りが窪み、顔がキュッと細くなって、まるでマンガで描かれる病人みたいになっていた。体もひと回り小さくなったように思え、手に肉がついていない。
「ど、どうしたんですか?」思わず聞いてしまった。
「ネパール入って風邪ひいちゃって」
「絶対風邪じゃないでしょ?ちょっと普通じゃないですよ。」
「カドマンドゥの日本食レストランで食中毒にもなって。2回。」
2回!そのレストランは僕らも1度行っていたので驚いた。

彼の旅のルートは僕らと同じで、ラサからランクルツアーでネパールに入ったようだ。あの厳しい寒さに加え、ツアーメンバーに3人も風邪ひきがいたと言っていた。登山はあきらめて、道具は日本に送ったみたい。

それにしてもだ。あれだけたくましかった人がたった1ヵ月半でここまで変わるものなのか。
「10キロくらい落ちてるんじゃないですか。」
「計ってないけど、それくらいはいっているだろうね。」
話をしていてもテンポが遅く、まだ頭がうまく働いていないようだった。食事も味噌汁とおにぎりを半分だけ。立ち上がるとフラフラとよろめき、「じゃ、また」と言って彼は去っていった。

彼もこれからインドに行くと言っていた。
「大丈夫かねえ。日本帰った方がいいんじゃない。」とゆりは本気で心配していた。
僕も前回はインドに入って速攻半月寝込んだので、その方がいいかもしれないと思った。そしてあの時の苦しさや不安を思い出し、ちょっとインドに対してビビってしまった。
「インドはもう少しポカラで栄養つけてからだな」と、カツ丼をほお張り、『北斗の拳』を読んだ。ケンシロウがえらくたくましく見えた。


カツ丼を食ってる間に旅も半年が過ぎた。一応の目的地インドまでこんなにかかるとは正直思ってなかったなあ。それにしても半年早かった。

この1ヶ月で使ったお金     15万7144円
この半年で使ったお金     77万0464円  カツ丼何杯食えるかなあ。
訪れた町             ラサ、ティンリー、カトマンドゥ、ナガルコット、ポカラ
訪れた世界遺産        ジョカン寺、ポタラ宮、エベレストベースキャンプの3キロ手前
食ったカツ丼の数        5カツ
風呂に入った回数       6シャワー
実家に届いた仏像の数    ゼロ仏

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半年記念に食べたてんぷらそば280ルピー(500円くらい)は宿代より高かった。


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お前はもう、死んでいる!
居心地がよく1週間いたナガルコットも出発する時がやってきた。理由は、体から異臭が漂うようになったから。
宿はソーラー式で、一応昼間ならぬるいお湯が出た。ただぬるいお湯は、けっこう寒いナガルコットではちょっとあったかい水に感じられ、裸になってシャワーを浴びようとするものの、「うーん、やっぱムリ!」とばかりに、何もできずにキン○マを縮こますだけだった。
そんなこんなでまた1週間風呂に入れてない。風呂に入らないとどうなるか?心がすさんで、ああなってこうなる。
それにしても今月は数えるくらいしか風呂入れてないなあ。5回くらいかも・・・。

カトマンドゥに戻り、シャワーを浴びて、すっかりワキからワキ毛が生えた僕らはポカラという町に向かった。

以前の旅では、半月以上滞在した町が3つあった。インドのカルカッタが一番長く2ヶ月、ガンジス川の沐浴で有名なバラナシが3週間、そして今回やってきたポカラが半月だ。旅用語で「沈没」ってやつだね。長く居ただけあって、これらの町で出会った旅人も多いし、ちょっと旅を思い出すときは、この3つの町のことが多かった。

しかし「ポカラで半月も何してたの?」と聞かれてもあまり思い出せない。ポカラはヒマラヤ・アンナプルナトレッキングの出発点として有名なんだけど、金がなかった僕は高い入域許可証を払ってまで行こうとは思わず、ただ宿からボケーッとヒマラヤを見ていた。
ただ1つよく覚えているのは、マンガをいっぱい読んだこと。「アニールモモ」という日本食レストランにはズラーッと日本のマンガが置いてあった。僕はいつもそこに昼飯を食いにいき、2,3時間マンガを読んだ。「アジアを半年旅してた」なんて言うと、たまに「すごいね」なんて言われたりしたけど、なんのこっちゃない、マンガを読んでいたのだ。
当時は猿岩石がユーラシア大陸をヒッチして横断したり、沢木耕太郎の「深夜特急」がドラマ化されたりで、空前のバックパッカーブームだった。アニールモモは、いつも僕のような長期旅行の若者であふれていた。24、25歳くらいが特に多かったかなあ。1ドル85円の超円高や就職氷河期というのも関係してたと思う。
僕はそんな日本人に囲まれ、「北斗の拳」を全巻読んだ。ガラスの十代最後の年に「北斗の拳」を読んでいたのだ。

ポカラには大きく分けてレイクサイドとダムサイドと呼ばれるツーリストエリアがある。レイクサイドが中心でたくさん宿やレストランがあるんだけど、なぜか日本人にはダムサイドが人気だった。アニールモモもダムサイド。僕も前回と同様、ダムサイドに泊まることにした。
宿は『雲海リゾート』のオーナーのカズさんの友達がやっている『ゴータマの家』というゲストハウスに決めていた。カズさんが電話してくれてたみたいで、ゴータマさんは僕らが来るのを知っており、6ドルの部屋を250ルピー(440円)にまけてくれた。

9年ぶりのポカラ・ダムサイド。「ずいぶん変わったんだろうな」と思い散歩したけど、拍子抜けするくらい変わってなかった。いや、ある意味変わっていたか。
見覚えがある店や建物がたくさんあったんだけど、シャッターが閉まっている店が多かったり、看板に書いてある日本語の文字が消えかかっていたりと、なんだかさびれている感じだった。
僕は前回泊まっていた「スルジェゲストハウス」に行ってみた。部屋からでかくマチャプチャレが見え、多くの旅人と出会った思い出の宿だ。
当時と同じ看板があり、「うわあ、懐かしいな」と入ってみたけど、あまりに汚いのにびっくりしてしまった。後でゴータマさんに聞いたところによると、スルジェはもう旅行者が泊まることはなく、今はネパール人が溜まって酒を飲んだりする居酒屋みたいになっているということだった。
僕が泊まっていたドミトリーの部屋には鍵がかかっていて、目の前には家が建ち、マチャプチャレは見ることができなかった。みんなで鶏を丸ごと買って焼いた思い出の屋上も汚くなっていて、なんだか切なくなった。

昼に「アニールモモ」に行ってみた。少し場所が変わっていたけどちゃんと営業していた。が、何だか狭くて薄暗い。帳場のまわりに少しだけマンガが置いてあった。オーナーに「マンガこれだけ?2階とかにあるの?」と聞いたけど、これだけのようだった。めっちゃ減ってる!
なんでも4,5年前から日本人客が激減し、マンガもよくわからないけど「なくなった」という。僕が「9年前、毎日来てたんですよ。」と言うと、「あの頃はすごかったねえ。すごくたくさん日本人いたねえ。」とオーナーは少し寂しそうに言った。
僕はカツ丼を食い、「北斗の拳」のラオウとの戦いのとこを読んだ。あれから何人も読んだのであろう、びっくりするくらいマンガはボロく、真っ二つに分かれるものもあった。
『わが生涯に一片の悔いなし!』
9年前と同じように、こぶしを天に突き上げ、ラオウは死んだ。
「俺も最後はこんな風に死にたいなあ」と、たぶん当時と同じことを思った。

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ゴータマさん家から見えるマチャプチャレ

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サンディップのお話
雲海リゾートの兄ちゃんたちは働き者でいい奴らばかりだった。
僕らはとりわけ陽気で日本語が上手なサンディップとよく話をした。彼はいろいろなネパールの事情について教えてくれた。

サンディップのお父さんとお母さんは12歳と13歳で結婚したという。
「最近では政府が18歳以上と決めているけど、山の村では守られてないね。国より村のルールの方が強いからね。だから今でも12歳くらいで結婚する子はたくさんいるよ。」
「何でそんなに早く結婚するの?」驚いた僕らは聞いた。
「たぶん孫を早く見たいからじゃないかな。」
そんな理由なの?と少し思ったけど、平均寿命が60歳もないというのを聞いて少し納得した。

20歳のサンディップに、まだ結婚しないのかと尋ねた。
「周りからは『しろ、しろ』と言われるけど、僕は25歳くらいがいいね。でも結婚しようと思えばいつでもできるよ。誰とでもできるよ。」
誰とでも?どういうこと?
「僕のおじいちゃんはここら辺で一番パワー持っていたね。ネパールではラブマリッジより親が結婚相手を決めてくる方が多いね。だから僕がもし「あの人と結婚したい」と言えば、たぶん結婚できるね。」
昔の日本の家制度みたいなものが今も行われているみたい。家柄がいいサンディップの縁談はすぐにまとまるというわけだ。それにしてもうらやましい話だ。クラスのアイドルも簡単にゲットだ。

でも逆に、家柄が悪い子を好きになった場合は悲劇だという。親はすごく反対するだろうから、もし結婚するとなったら勘当されるって。
ネパールにもカースト制度があって、サンディップが子どものころは「あの子に触ってはいけません。」とか「あの子の家に行ってはいけません。」と教育されたそうだ。今は政府がカーストを廃止したみたいだけど、やっぱり差別は依然と存在するみたいだね。

「親がお嫁さんを決めてくることもあるんでしょ?サンディップはそれでいいの?性格悪いかも知れないよ。」とゆりが聞くと
「親が決めてくる相手だったら悪い人なわけがないね。全然問題ないね。」と彼は平然と答えた。
日本も昔はそうだったんだろうけど、この辺の感覚は理解しがたい。僕だったら、親が連れてきた娘がピチピチギャルじゃないと嫌だけどなあ。

サンデップは続ける。
「ネパールには36の民族がいると言われているけど、違う民族の人との結婚は難しいね。たぶん外国人と結婚するより難しい。僕らタマン人は普通タマンの人と結婚するね。それだけカルチャーが違うからね。
例えば、身内の人が死んだときね。タマン人は死んだ日と13日後の2回、髪の毛を剃るね。でもそれでフィニッシュね。ネワールやバウンの人々は1年間白い服を着ないといけないね。靴下から頭につけるものまで全部。とっても面倒だね。それにバウンは人が死ぬとすぐにファイヤーするね。可能なら死んでから5分でも燃やしてしまうよ。僕らは1日くらい後で燃やすね。その間にお祈りしたりするの。僕はバウンのカルチャーは好きじゃないね。バッファロー食べられないし、お酒も飲めない。おいしいのにね。僕らはお祭りとかにはお酒がないとダメね。タマンはみんな陽気だし楽しいよ。」
排他的な部分もあるけど、自分の文化がすごく好きなのがよくわかった。ネパールでは各部族がそれぞれランク付けされて、タマンは結構上の階級みたい。バウンは司祭カーストと言われ、身分はかなり高いものの、いろいろな制約があり大変みたい。最近は民族間の結婚も増えてきていると言っていたけど、上の世代の人はいい顔しないんだとか。


近年マオイスト(毛沢東主義)が台頭しているネパール。今は落ち着いているけど、数年前はマオイストと政府アーミーが銃撃戦を繰り広げていたらしい。3ヵ月後にはマオイストが初めて参加する選挙がひかえていて、その結果次第ではまた国が荒れるかもしれないということだった。
「僕も最初はマオイスト好きだったよ。週1回1時間のラジオをこうやって(ラジオに耳をもっていって)聞いていたよ。システムがいいと思ったね。でも1年くらい前、マオイストが『雲海』に来たね。銃を持って『金を渡せ。俺たちはお前を殺すこともできるぞ。』と脅してきた。僕は『殺してみろ。お前が不利になるだけだ。』と言ったよ。でもオーナーとかはブルブルだね。だいぶお金渡したよ。やっぱり怖かったからね。それから僕マオイスト一番嫌いね。一番嫌い。」
ネパールに入ってからマオイストのことはよく聞くけど、いまいちよくわからない。マオイストの中でもたくさんの派閥があり敵対していたらしいけど、今は反王政、反政府ということで1つにまとまっているとか。
「マオイストはどこにいるの?」
「前までは山の中に隠れて活動していたけど、今は堂々とカトマンドゥとかにもいるよ。赤いスカーフ巻いて何か叫んでるよ。」
「あっそれ見た!」
「ナガルコットにもいるよ。普通の格好しているからかわらないけど。マインドのことだからね。でも僕はマオイストわかるよ。少し話すとわかる。頭の悪い人がマオイストになるよ。」

「でも今の政府も良いわけじゃないね。悪くなるわけじゃないけど、良くもならない。インドとかの援助がないと国が潰れてしまうね。僕ら死ぬね(笑)。
ネパールは世界一のヒマラヤあるし、平和になればもっとたくさんツーリスト来て、豊かになるね。政府はバカだね。
サラリーもすごく少ないね。いくら働いてもお金貯まらないよ。日本はサラリーとってもいいね。僕も5,6年働きたいね。レストランとかで働ける?」
日本に行きたいサンディップだけど、問題はビザ代だった。就業ビザだと1万5千ドルもかかるそうで、普通の人がそんな大金払えるはずがなかった。1番てっとり早いのが日本人女性と結婚することで、そうすればタダで何年も日本にいられて働ける。僕らはいつも2人だから気づかなかったけど、『雲海』で出会った1人で旅している日本人女性の話では、ネパールほど男性に声をかけられる国はないんだって。みんな貧しさから抜け出すために日本人女性を狙っているんだと。

大学の友人のしげちゃんに似たビーンは先生を目指している。朝4時に起き少し離れたバッタプルの学校に行き、6時半から授業を受け、そして昼から夜遅くまで宿で働いていた。
「ネパールでの人生は厳しいよ。先生になっても給料安いから豊かになれない。楽しいことも少ないしね。日本人は幸せだね。楽しいことがいっぱいあるでしょ?君たちみたいに世界旅行にもいけるしね。ネパールでは無理だね。」
そう言われると少しつらかったけど、事実でもあった。僕らはたいした努力もしてないけど、こうやって長いこと何もしないで海外を旅できるお金を持っている。これは日本で生まれたからに他ならない。そしてそれは全くの運だ。
宿の兄ちゃんたちはすごく僕らによくしてくれた。それが仕事といえばそうなんだけど、食事を作ってくれたり、「寒いね」と言ってブランケットを持ってきてくれたり、湯たんぽを用意してくれたり。僕は自分が何様なんだ、と少し心苦しくなった。同世代なのに、彼らの方ががんばっているのに、何で自分は王様みたいに暮らしているんだ。

でも「日本人は幸せ」かというと、やはり少し首をかしげたくなった。
僕は人の幸せは、家族とか友人といった人たちとのいい関係がすごく大きいと思っているんだけど、近年日本はだんだんとそれが希薄になってきている。ビーンと山道を歩いていると、すれ違う人すれ違う人と挨拶を交わし、世間話をしていた。「村社会」と言えばそうなんだけど、それはとても魅力的なことに思えた。
「終わりよければ全てよし」途中苦労しても最後には笑っていたいな、ともよく思うんだけど、日本じゃ老人は家族と離れて施設に入るし、「孤独死」なんて言葉があるくらいだし、あまり最後が笑えてない気がする。
サンディップにゆりが老人介護の仕事をしていたことを話すと、次のようなことを言った。
「ネパールの老人はすごく権力あるね。家族は一緒に住んでるし、1人で死んでいくことはないよ。孫とかもすごく大切にするからね。ネパールの老人はすごくハッピーだよ。」
彼の言っていることが全てだとは思わないけど、どっちの国が幸せかなんて簡単には言えないなと思った。でも、山の厳しい暮らしを垣間見たり、彼らの「貧しい」という話を聞いたりしてたので、「君たちの方が幸せかもよ」なんてセリフはさすがに言えなかった。こんなゆるい生活をしている僕らに言われたらムカつくだろうしね。

「人生一度きりだから楽しくやらないとね」
サンディップはそう言って、いつものように陽気に笑った。
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