クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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2泊3日 ランクルツアー(めちゃ長いよ)
1日目

朝6時、宿までドライバーのタシが迎えに来てくれ、まだ暗い中ラサを出発してツアーがスタートした。
実は僕らと、ツアー仲間のドイツ人カップル、クリスチャンとベラ、中国人のスチーブンとはツアー内容が少し違う。僕らが2泊3日でネパール国境まで行くのに対して、彼らはエベレスト・ベース・キャンプに行くのが目的で、3泊4日でラサに戻ってくる。エベレストB.C.と国境は近いので、3日目に僕らを国境まで送ったランクルはすぐさま引き返し、スチーブンたちをひろってラサまで戻るというわけだ。わかった?

ツアー開始早々、事件が起こった。ランクルは運転手を除いて前座席に1人、後ろに4人乗ることになっていたんだけど、普通車より少し広いくらいの後ろ座席はギュウギュウだった。僕は当然180cm以上あるクリスチャンが前に座るものと思っていたんだけど、彼は彼女のベラと一緒にいたいがために後ろに座ったのだ。同じくカップルの僕らとしては彼の気持ちもわかるんだけど、そこは我慢しないといけないでしょ。おかげで彼らと行動を共にする2日間、僕らはかなり苦しい思いをしてランクルに乗るはめになってしまった。大きく足を広げてクリスチャンが寝だした時にゃあ、少しキレそうになったものだった。

実はこのクリスチャンには前日のツアー料金を払う時にも少し頭にきていた。
料金は移動距離で決まるみたいで、国境まで僕らが行くためにエベレストB.C.ツアーより少し高くなっていた。でも、彼らは3泊4日で僕らより長い時間と距離をランクルに乗るわけだから、当然ツアー料金の3800元(5万7千円)を均等に割るものだと思っていた。事実、ツアー会社の人も「料金は5人で割るということでいいですね?」と言っていたのだ。しかし、ここでクリスチャンが何やら異議を唱えた。早い英語で何を言ったか理解できなかったけど、ツアー会社の人が「君たちは1つのツアーで1つのチームみたいなもんだから、均等の方がいいと思うよ。」と言っていたので、クリスチャンの言ったことは一目瞭然だった。
「おいおい」と僕が思っていたら、クリスチャンはツアー会社の人との話を打ち切り、僕らに向かって分かりやすい英語で説明を始めた。
「いいかい、君たちが国境まで行く分、ツアー料金が高くなっているんだ。わかるね?だから僕らより100元(1500円)君たちが多く払うということでいいかな?」
彼の言っていることは正論だったし、これから2日間一緒に行動する彼と気まずくなるのが嫌だったので、僕はしぶしぶ了解したのだった。

まあ、そんなことがあり、僕はクリスチャンに対してあまりいい感情を持っていなかったんだけど、彼がまだ21歳で、上海に留学中の学生というのを知って、少し納得できた。金がない学生だし、中国で長く生活しているので、もう完全にこっちのお金の感覚なのだろうと。それに彼は持ってきたクッキーを度々くれたので、僕の心はだんだん穏やかになっていった。
ちなみに、彼女のベラは19歳で、ドイツの学生さん。休みを利用して彼に会いに中国に来ているそうだ。中国人のスチーブンは27歳で、仕事を辞めて旅をしていた。彼は中国語はもちろん英語も堪能で、ドライバーのタシやクリスチャンらに積極的に話しかけ、ツアーを盛り上げてくれた。まあ、僕らとは少ししか会話できなかったけど、いつも気遣ってくれてるのがわかった。

1日目は湖や寺を寄りながらエベレスト近くの町まで移動するだけだったので、特に書くこともないんだけど、1つ挙げるとすればツアー最初の食事だ。
昼過ぎに、シガチェという町のチベット料理屋に入ったんだけど、僕はあるメニューに釘付けになった。
「ヨーグルトライス」。
う~ん、気になる。ヨーグルトで米を煮たりするのだろうか?まずそうだ。でも試してみたい。
皆、僕と同じ気持ちだったらしく、ゆり以外の4人はヨーグルトライスを注文した。
そして待つこと10分、出てきたのは何と、ごはんの上にヨーグルトと砂糖をかけただけのものだった。
皆が一瞬絶句した。名前のまんまのまさにヨーグルトライス。いやあ、ごはんの上にかけるものはいっぱいあるけど、ヨーグルトはなしだろ!
しかし、もう食べるしかない。僕は思い切ってごはんとその上のヨーグルトを口に運んだ。信じられないことが起こった。信じられないほどまずかった。
クリスチャンとベラも顔をしかめて苦しそうにヨーグルトライスを食べていた。遠くドイツから来てヨーグルトライスを食べている2人に少し同情した。
スチーブンはさすがで、驚きのリアクションととりつつも、パクパク食べていた。結局全部食べきったのは彼だけだった。後に出てきたゆりのドライカレーを皆うらやましそうに見たのは言うまでもない。
ヨーグルトライス。何かこのツアーの先行きを暗示しているようだった。
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右からクリスチャン、ベラ、スチーブン、マリアシャラポア
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2日目

朝6時にスタート。ものすごい数の星が空一面に輝いていた。たぶん人生で1番の星の数だった。
中国は北京か上海か知らんけど、東の町に標準時子午線があるので、それよりかなり西にあるチベットでは、日の出が9時過ぎとかなり遅い。朝6時というのは、普通では3時、4時といったところだ。
ベラが「何で中国はこんなに広いのに、時刻が1つしかないの?」とスチーブンに聞いていたけど、彼は「イージーコントロール」と答えていた。

この日はツアーの目玉、エベレストB.C.に行く。
ランクルは明るくなり始めた9時ごろ、B.C.の7キロ手前の小さな寺がある村に到着。遠くに朝日に輝くエベレストが見えた。
「おお、あれが世界一のエベレストかあ。」
僕が感動している横でゆりは、「ここは5000メートルだから、3000メートル級の山を見ているのと同じでしょ。」とあっさり。
い、いや、そ、そうだけどね。エ、エベレストだよ?
翌日カトマンズの日本食レストランで、久しぶりに日本の新聞を読んで知ったのだが、僕らがエベレストに来たこの日に、エベレストに初登頂したヘンリー氏が死亡していた。たぶん僕らのせいだろう。

エベレストB.C.には、ここから7キロの道のりを歩いていくみたいだった。僕はツアー内容を理解してなくて、てっきり車で行っちゃうものだと思っていたから少し驚いたんだけど、たかが7キロとばかりに意気揚々とエベレストに向け歩き出した。これがかなり甘い考えだった。

5000メートルの高地に加え、恐ろしく冷たい強い風が僕らに向かって吹いてきた。例えるなら、冷凍庫の中でクーラーをガンガンにかけ、扇風機の強の風を浴びるようなものだった。スニーカーに手袋なしの僕の手足たちは、「お前、エベレストだぞ?何だその格好は!」と怒りを表すこともなく冷たくなっていった。外に直にさらしている顔は、もう冷たくて冷たくて泣き顔だった。ふと、ゆりを見ると目から涙がこぼれており、こっちは完全に泣いていた。持ってきた水筒の水は、みるみる凍っていく。エベレストがきれいに前に見えているんだけど、カメラをポケットから取り出すことが寒くてできなかった。「こりゃ、死ぬな」と、少し思った。

3キロほど歩いたところで、ベラが「もうこれ以上は進めないわ。私、戻る。」と言い出した。ゆりに「どうする?」と聞くと、やはりもう限界だったみたいで「私も帰る。」と言う。さあ、僕は決断に迫られた。
「せっかくだからB.C.までは行きたい。しかしゆりを残して行くべきだろうか。」
風が一段と強く僕の体を吹きつけた。
「あ~ムリムリ。僕も戻ろ。後でランクルで行けばいいや。」
こうして勇気ある決断をした僕も引き返すことにした。
結局、B.C.に向かったのはスチーブンとクリスチャンだけ。クリスチャンとベラは別れ際に抱き合いキスをしていた。19と21のくせに。
僕ら3人は「後でB.C.までランクルで迎えに行くから」と2人に約束して、来た道を戻った。

やっとの思いでスタート地点に戻ると、ドライバーのタシがタイミングよく走ってきて「ポリスが来た!車に乗れ!さあ、帰るぞ。」と言う。何だ?意味がわからないよ。僕らはちゃんと入山料も払っているし、何も悪いことはしていないはずだ。
タシに「2人がB.C.に行っているんだ。ランクルで迎えに行ってくれ。」と頼むと、「ダメだ。ポリスがいるからここから前には進めない。」と言う。僕は初めて車がB.C.の7キロ手前までしか来れないことを知った。しかし、僕らが歩いている間、何台かB.C.に向かうランクルを見ていた。タシにそのことを言おうと思ったけど、チベタンの彼には英語が通じない。僕らはラサのツアー会社に電話して、「タシをB.C.に向かわせてくれ」と頼むことにした。英語ができるベラが電話したんだけど、結局タシの「ポリスがいるからムリだ。」という返答を、ツアー会社の人を通して英語で言われただけだった。

こうなってしまったら、僕らにできることは彼らの帰りを待つしかなかった。僕らを待たずに戻ってきてくれたらいいのだけど。でもあの寒さの中、また7キロ歩いたら死ぬ。車か何かに乗せてもらえたらいいのだが。

1時間半くらい待っただろうか。彼らはまだ帰ってこない。タシは「2人はまだか」と少しイライラしていた。ゆりがもう一度「B.C.まで行かなくていいから途中まで行ってくれ」と頼んだら、彼は「今、ポリスはメシを食っている」とジェスチャーで僕らに伝え、ランクルを発車してくれた。
「おお、タシ、ありがとう。」
ランクルが僕らが歩いた3キロほどの道を進んだ時、1台のトラックが前からやってきた。僕は、スチーブンたちが乗っているような気がして、ランクルを降りて、トラックに向かって手を振ってアピールした。するとトラックは止まり、荷台からスチーブンとクリスチャンが降りてきた。
おお、すげえ偶然。でもすれ違わなくてよかった。

2人とも寒さのため疲れきっていた。頭も痛いみたい。車に乗り込むと、ホッとしたのか、すぐに眠り始めた。今日泊まる予定の町までは、ヒマラヤの山々の間の道かどうかもわからないデコボコしたとこを通った。ランクルはもう揺れに揺れ、車内はえらいことになっていたんだけど、スチーブンはそれでも眠ったままだった。よっぽど疲れていたのだろう。「もう死ぬかな?」と少し思った。

夕方5時ごろ、ようやく泊まる宿に着き、僕らはこの日初めての食事をとった。ほんとなんてツアーだ。クリスチャンは高山病だろうか、町まで来る途中と宿に着いてからもオエオエと吐いており、食事には来れなかった。
食事中、僕は疑問に思っていたことを口にした。
「何でうちのランクルはB.C.まで行けなかったのか?他のランクルは行っていたのに。」
すると、スチーブンはこう答えた。
「たぶん、僕らのドライバーが行きたくなかったんだろう。ポリスなんて1人も見てないよ。ガス代をケチったか、凍結した道を走るのが嫌だったからか、理由はよくわからないけど。」

僕はびっくりしてしまった。ドライバーのタシは愛想がよくて、僕は好感を持っていた。彼が言っていたポリスのことも、少しおかしいなと思いつつも信じていた。もし、スチーブンが言うことが本当なら許されないことだった。僕らはこのツアー代に1人1万2千円、そしてエベレストに入るのにも4000円ほど払っているのだ。それが、彼の怠慢のせいでB.C.に行けなかったなんて。僕らはまだともかく、ベラはB.C.に行くことが目的でこのツアーに参加していたのだ。遠いドイツから来て、タシのせいで行けなかったなんてあんまりだ。ひどすぎる。

僕はガイドブックに書かれていたことを思い出した。
「ランクルツアーはドライバーとのトラブルが多い。なのでツアー料金は半分だけ払い、ちゃんと無事ツアーが終了した時点で残りを払うこと。」
料金をツアー会社で払う時、僕はこのことは思い出していたんだけど、英語で説明するのが面倒で、全部払ってしまっていたのだった。

僕はその夜、タシのことを考えていたら眠れなかった。彼が行きたくなかったという理由でB.C.に僕らはいけなかった。タシはもちろんだが、彼のウソに騙された自分にも腹が立つ。しかし、本当にB.C.までは車で行けなかったのかもしれない。どっちだろうか。
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ドライバーのタシ
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ヒマラヤで吐くクリスチャン


3日目
朝8時スタート。ランクルの中はタシと僕ら2人だけだった。
当初の予定では、ランクルは国境まで行ってから、また戻ってきて残りの3人を乗せてラサに帰るはずだった。でも、クリスチャンとベラは、どういう理由かわからないけど、ツアー4日目、つまり明日の上海行きの列車チケットを買ってしまったみたいで、この日にラサまで戻らないといけなかった。ランクルが戻ってくるのを待っていたのでは間に合わないので、ツアーをキャンセルして、自力でバスか何かでラサに帰るのだった。スチーブンも彼らと一緒に戻ってあげるようだった。優しいなあ。

僕は、彼らにとっては最悪のツアーだったんじゃないかと思い、心が痛かった。
車に乗る時間を考えると、僕らがキャンセルしてあげて自力で国境まで行く方が簡単だった。でもこの日にネパールのカトマンズまで行きたかった僕は、迷いつつも、それを提案することができなかった。全く嫌な奴だ。
少し自己嫌悪に陥りつつ、疑惑のタシと一緒に国境に向かった。彼はこれまでの2日間と同様、ぶつぶつとお経を唱えている。時々僕らに笑顔を振りまいてくれ、いい景色のところでは車を止めて写真を撮ってくれた。悪い奴には全然見えなかった。

国境までの道のりはヒマラヤ山脈がとてもきれいに見えて、エベレストなんかよりよっぽどよかった。ベラたちにも見せてあげたかったな、と少し切なくなった。

5時間ほどで中国の国境の町ジャンムに着いた。ネパール側の国境の町コダリとは10キロほど離れていて、中国側の車はそこまでは行くことができる。「ツアーの場合、ランクルはコダリまで行ってくれる」とガイドブックに書いてあったので、タシに「コダリの手前まで送っていって」と頼むと、彼は「ムリだ。」と断ってきた。最初は「中国の車はここまでしか行けないんだ」と説明していたようだったけど、途中から「180元(2700円)払ってくれたら行くよ。でも相乗りワゴンなら10元でいけるよ。それに乗っていけよ。」と言う。こいつただ行きたくないだけなんだ。タシの本性を見た。僕らはやっぱりこいつのせいでB.C.に行けなかったんだと、最後になんかガックリきた。
プップに続き、最後にまたチベタンにウソをつかれ、かなり残念な気持ちになった。
僕らは「ああ、もうこのワゴンで行くよ。トゥチェナ(ありがとう)」と言って、タシと別れた。
こうして失意の中、チベットの、そして2ヶ月半におよぶ中国の旅が終わったのだった。
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これクリックしたらベースキャンプに行けないよ。





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さらならさ さよならさ
ラサ最終日の今日もジョカンやポタラの周りをウロウロして過ごした。
結局10日もいたラサ。ポタラ宮かっこよかったなあ。チベタンもよかった。でも一番の思い出はプップに騙されたことという悲しい結果に。いやいや、あいつはきっと送ってくれるはず。僕は信じてるぞ!

明日からランクルをチャーターしてネパールの国境に向かう。途中、チベットの町やエベレスト・ベース・キャンプなどに寄りながらの2泊3日。
ランクルをチャーターするには6万円近くいるので、数日前からバックパッカーが泊まりそうな宿数軒に「一緒にネパールへ行きましょう」と日本語で書いた紙を掲示板に貼っていたんだけど、結局集まったのはドイツ人カップルのクリスチャンとベラ、中国人のくせになぜかスチーブンと名乗る男の3名。英語ができない僕らは日本人を期待してたんだけど、まあ冬のこの時期は旅行者が少ないからしょうがない。どんな旅になるやら。楽しみ楽しみ。
明日から行ってくるよ。次書くときはネパールかな?グッパイチャイナ。

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豚ばらばら
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歯医者の看板に歯が!
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トゥクパというチベット風うどん。うまい!
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これクリックしたら突然誕生日がくるよ。





仏像詐欺師?現る
今日も聖なるジョカン寺の前で五体投地やコルラする人々を眺めていたら、1人のチベタンの男性に声をかけられた。英語で何やら質問してきて、僕らが日本人だとわかると簡単な日本語を話した。
あやしい。観光地で話しかけてくるやつで英語や日本語がしゃべれるやつはだいたい悪いからね。
彼はプップというまたくさそうな名前の52歳で、仏像作りやマンダラの絵の先生をしているらしい。東京の芸術系の大学で1年教えていたこともあるという。ほんとか知らんけど。
彼は、「中国はチベットを支配しているから嫌いだ。」「ジョカンも夏場は中国人の観光客ばっかりで、もうほんとの寺じゃないよ。ビジネスさ。」などど言った後、「これから本当の寺に連れて行ってあげるよ。」と僕らを誘った。
う~ん。どうしようか。
少し迷ったが、まあおもしろそうなのでついていくことにした。

2つほどチベタンばっかりの小さな寺を案内してくれた。尼寺では、壁に掛けてあるマンダラの絵を指差し「あれは私の弟子のタカハシが描いたのだ。」と言う。
ほんとか?なぜ日本人の描いたものを寺に飾るんだ?お前、ウソついてるだろ?

その後、自分が教えている生徒たちの仕事場を見せると言って、仏像を作っているとこに連れて行ってくれた。寺にいた時もそうだったんだけど、「写真もバンバン撮っていいぞ」と不自然に親切だった。
これからどういう展開になるのか、妙な胸騒ぎがする。でも少し楽しかったりもする。

彼は「お茶でも飲もうよ。」と言って、チベタンばっかりが集まるでっかいお茶屋に行き、ミルクティーをご馳走してくれた。「何か入ってんじゃないか?」と疑いつつも、飲んだ。
お茶屋には友達というおばちゃんたちが10人ほどいて、とても賑やかに話をしていた。僕らに「『ニーハオ』って日本語でなんて言うんだ?」などとの聞いてきて、僕らの真似をして「こんにちは」「ありがとう」「どういたしまして」とカタコトで発音しては自分で大爆笑していた。でも、なんだかその雰囲気がよくて、プップは悪いやつじゃないのか?と少し思い始めた。
写真を撮らしてもらったんだけど、悪いやつは写真に撮られることを嫌うけど、プップはそんな感じはなかった。

僕の気持ちが少し緩み出した頃合に「私が作った小さい仏像を日本に送ってあげるよ。」とプップが言い出した。
僕はまたうさんくさいこと言い出したと思い「高いからいいよ。」と断ると、「船便だと120元(1800円くらい)だからたいしたことないよ。」と言う。僕は迷った結果、「もし仏像が送られてきたらおもしろいな。」と思い、実家の住所を彼に教えた。

それからしばらくおばちゃんたちと盛り上がり、楽しいひとときを過ごした。
「そろそろ帰るわ」とプップに言うと、「じゃあ大仏を送るから120元ちょうだい」と言ってきた。

そらきた!ようやく化けの皮を剥がしたな。お前、詐欺師だろ。仏像詐欺師だな。

いつもなら「嫌じゃ、あほ!」と言ってその場を去るところだったけど、一緒にいたおばちゃんたちが悪い人たちじゃない気がして、何だか断ってその場をしらけさせてしまうことがためらわれた。プップともいい感じで「さよなら」したかった。どこかでいい人だったらいいな、と思っていたんだろう。これまで優しくしてもらったチベタンだし。なんだか賭けをしたい気持ちが出てきた。仏像が送られくるか、こないのか。
迷ったけど結局彼に120元渡した。「ちゃんと仏像送るから」とプップは言い、僕らは別れた。
少したってから、やっぱり「嫌じゃ、あほ!」って言えばよかったと後悔の念が押し寄せてきたんだけどね。
さあ、仏像送られてくるだろうか、こないだろうか。どっちだと思う?
まあ、こないだろうね。

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こいつがプップだ。悪そうな顔してるでしょ?マトリックスに出てたらしいよ。
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職人さんたちは悪くないはず
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このおばちゃんたちもグルだったのか?
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ライトアップポタラもかっこいい


これクリックしたらプップが送られてくるよ。




15世に俺はなる
風邪もすっかり治ったので、念願のポタラ宮へようやく行くことにした。

ポタラという名は、サンスクリット語のポタラカ(観音菩薩が住む山の名)に由来するらしい。チベット仏教の最高権威であるダライ・ラマは観音菩薩の化身とされているので、ポタラ宮はその名のとおりダライ・ラマの住居だった。ダライ・ラマ14世が1959年にインドに亡命するまでの約300年間、ポタラ宮はチベットの政治と宗教の中心地だったそうな。1994年には世界遺産に登録されている。

宿からポタラ宮までは早歩きで10分ほど。競歩だったらもっと早く行ける。
ポタラ宮の周りでは多くのチベタンがコルラ(寺院や聖山など、聖なるもののまわりを時計周りの方向にまわること)しており、ポタラ正面では五体投地を繰り返していた。その場所だけ道の石が黒ずんでおり、すんげえ数の人がすんげえ数、体をこすり付けていることがうかがい知れた。

X線荷物検査をした後、ついにポタラ宮に進入。
まず最初に驚いたのが入場料。100元(1500円)。これまでも中国の入場料の高さには何度もうんざりしていたのでそこまで驚かないけど、ジモッティーが1元(15円)というのに驚いた。今までもツーリストプライスで高く取られたことはあったけど、さすがに100倍はなかった。ちょっとやりすぎチャイナ。
とりあえず中国人の振りをしてタンを吐いてみるもののすぐバレ、「アイムスチューデント」と学割を期待するも、そんなのもなし。結局100元払ったよ。

宮殿の中に入るには、まず一番上まで階段を登らないといけなかったんだけど、これがえらく大変だった。標高3600メートルに加え、病み上がりのせいか恐ろしく息が切れる。10段登っては休憩と、「俺はおじんか!」とツッコミを入れたくなるほど。実際シワシワのばあちゃんに抜かれてたしね。
でも、空がものすごく青く、ポタラ宮の白い壁が一段と映えてすげえかっこよかった。

宮殿の中は、仏さんや恐ろしい顔した神さまがうようよいた。もう一生分の仏さんを見たって感じ。
歴代ダライ・ラマの部屋や霊塔もあったけど、ものすごく豪華だった。特にポタラ宮を作ったという5世の霊塔は、他のよりも一段とでかい17メートル、5トンの黄金と、1500個の宝石を使っているんだとか。1つくれ。
柱などに彫られたレリーフも細かく見事で、「よくこんなの作ったなあ」とアンコール・ワットの時と同じ思いになった。仏教の宇宙観をあらわしたという立体マンダラは、よくわからんかったけど、かなりかっこよかった。

僕らが「すげえな」と言っている横では、チベタンが熱心にお経を唱え、手を合わせていた。聖なる仏さん前ではやっぱり五体投地。彼らが1元で入れるのにも納得がいった。観光とは全く違うってことだね。

冬のこの時期は農閑期なので、多くの巡礼者がポタラ宮にやってくるけど、夏場は中国の観光客であふれかえり、ポタラ博物館状態になるそうだ。チベタンにとってポタラ宮はとても神聖なものだから、いったいどういう気持ちでそれを見ているんだろうか、と少し考えてしまう。まっ僕らも観光客なわけだから、こんなこと言える立場じゃないんだけどね。でも、ここ1ヶ月でチベットが大好きになった僕としては、いつかダライ・ラマが帰ってこれたらいいな、と思ってしまうのだった。

今も独立運動や反体制運動がさかんなチベットの人々は、国にかなり厳しく締め付けられているそうだ。チベットは投獄されている政治犯の数では世界屈指の地域で、独立運動絡みになると、ろくな裁判もなしに死刑になったりもするとか。

もうすっかり漢人が住みつき、他の中国の都市と変らないラサの町並みを見てると、独立なんてありえなく思えてしまう。大国中国の中のチベット。これからどういう風に変化していくんだろうか。
いくら生活が変ろうとも、あのリタンの人々のような優しさは変らないでほしいと願う今日この頃なのだった。

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この際お茶漬けでもいいよ 
憧れのラサで風邪ひいてまんねん。
最初にゆりが風邪ひいて、治ったと思ったら今度は僕が風邪ひいた。まあ1日ゆっくりしていたら僕の方もほぼ治ったけど、念のため今日も宿でゆっくり。
そんなわけで、もう5日ほどラサにいるけど、ほとんど観光していない。世界遺産、ポタラ宮が近くて遠い。

海外での病気は必要以上に不安になるものだけど、今回は2人なのでだいぶ楽だった。メシを買ってきてもらったりと、自分はベッドで寝ているだけでよかった。
それにパソコンを持ってきているので、汚い天井だけを見て過ごすこともなかった。僕らと同じ夫婦バックパッカーのイグさんにもらった「はじめの一歩」1~81巻を僕は涙を流しながら読んだし、ゆりは同じくイグさんにもらった「ドラゴンクエストⅥ」に夢中だった。僕が「う~ん、う~ん」とうなされている横で、着々とレベルアップを繰り返していた。

こんな感じで快適な病人ライフを過ごしていたんだけど、やっぱ病気になると恋しくなるのがやさしいごはん。日本の白米やみそ汁、肉じゃが、クリームシチュー、おうどん、お好み焼き、たこ焼き、すし、カツ丼、ラーメン、おでん、病み鍋、ゴーヤチャンプル、ソーキそば、めっちゃ食べたいわあ。胃にやさしくない中華とかヤク臭の漂うチベット料理とか食べたくないねん。

なんでも次に行く予定のネパールの首都カトマンズにはおいしい日本食レストランがあると、バックパッカーの間でめっちゃ有名。みんなそこで旅の疲れを癒すんだとか。僕も前回の旅ではインドからネパールに入ったんだけど、インド人との闘いとインドカレーに敗れ、満身創痍だった身には天国に感じられたものだった。
正直な話、もう憧れのラサはいいので、早くおいしいネパールに行きたい感じ。やっぱポタラ宮よりトンカツ定食だ。

話は変わるけど、ここ数日「お正月をラサで過ごそう」という日本人社会人の方6人ほどとお近づきになれた。みんな昨日帰っちゃったんだけどね。最近出会う旅人はみんな、僕らみたいな長期の人ばっかりだったので何だか新鮮だった。普通に働いている人より2,3年旅している人に出会う方が確率がだいぶ高いもんね。久しぶりに真人間を見て、なんだかとっても眩しかった。たぶん風邪の原因はそれだろう。
ただ日本からいきなり3600メートルのラサにやってきて怖いのが高山病。4000メートルのリタンにいた僕らは全然大丈夫だったけど、社会人組は、軽いのもいれると6人中5人は高山病になっていた。なんでも後頭部あたりがめちゃんこ痛くなるらしい。1日ほどまったく動けなくて、その後は体が順応して元通りになるみたいだけど「もうあの痛さは勘弁ですわ」と、相当きつかったみたい。観光途中で高山病になった木村さんは歩くことさえ大変で、10センチほどしか足が前に進まなかったとか。みんな全然食欲なかったし。病人の僕らはガッツリ3食食べてたけどね。恐るべし高山病。
短期のラサ旅行は十分ご検討されたうえ行かれることを強くお勧めします。
でもみんな「来てよかった」と言っていたけどね。

みんなが帰って急に寂しくなった宿で、今日も僕はポタラを見て過ごしている。もうすぐみんなは仕事が始まり、日本での暮らしがまた再開される。僕はといえば、相変わらず旅の日々を続ける。
時々ふと考えることがある。「今、過ごしている時間が、将来いったいどう影響するのだろうか。」
まっ考えても仕方のないことなので、すぐ思考停止するんだけどね。
良くするも悪くするも結局は自分次第。いつかこの旅を振り返った時「旅出てよかったなあ」と思えるような生き方をしたいな、とまだ少しボーッとする頭ではそんなこと考えてる余裕なんてないよ。吉野家の牛丼が食べたいよ。

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