クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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涙が止まらないのはあなたのせい
僕らが泊まっているエルサレムの宿に、もう10年も住み続けてパレスチナ人のために活動している女性がいた。
「今度ある村の子供たちに折り紙を教えることになったんだけど、何かいいの知っている?」と聞かれたので、高校時代、折り紙部の部長と会長だったナガタさんとゆりが風船やら蛙やらを教えてあげた。
僕が「ヤッコさんなんかどうですかね?」と言うと、彼女は「石をぶつける標的になりそうだからちょっとね。」と言う。話を聞くと、その村の子供たちは、昔からブルドーザーや戦車で家を壊されたり、友達や家族を殺されたりして、イスラエルをそうとう憎んでいるそうだ。自爆テロをする人もこの村の出身者が多いんだって。そんな環境だから、何でもすぐ武器と結びつけてイスラエル軍に何とか攻撃しようと考えるんだって。今回せっかく折り紙を教えるなら、恨みや憎しみを忘れて遊べるようなものを教えてあげたいそうだ。
彼女は完成した風船をポンポンしながら「折り紙ってすごいよね。紙さえあれば平和に遊べるんだから」としみじみ言っていた。

活動家の女性は分離壁の話もしてくれた。
イスラエルはパレスチナ人の自爆テロ防止のためにパレスチナ自治区との境界に壁を作ったんだけど、それが決められていた境界からかなりパレスチナ側に割りこんで作ったらしい。そのため家を壊されたり畑を失ったりしたパレスチナ人が多く出たそうだ。これに対して国連の裁判で国際法に違反してるとの判決が出たんだけど、イスラエルは未だに壁を撤去してないそうだ。安息日の毎週金曜日には、パレスチナ自治区のあちこちの村でデモが行われているんだけど、それに参加しているパレスチナ人にイスラエル軍は容赦なく攻撃をしてくるそうだ。だから、活動家や外国人が彼らのそばに立ち、人間の壁になっているんだって。

僕はイスラエルに入る前に、2人のデモに参加した旅人と出会っていた。デモに参加している人に対してもイスラエル兵は催涙弾やゴム弾を撃ってきたらしいけど、2人とも、後ろにいたら安全だしぜひ見に行った方がいいよ、と勧めていた。

う~ん、そりゃデモは見たいけど、100%安全ではないだろうし、女子が2人いるし、何かあったら洒落にならないし・・・・でも見たいし。

だいぶ迷ったけど、カズさんとジンさんが行く気満々で、僕も行きたい気持ちが勝り、結局5人でデモに参加することにした。

デモがあるビリン村へはバスを2台乗り継ぎ2時間。途中、高くそびえ立つ分離壁沿いを通り、チェックポイントを通過してパレスチナ自治区へと入った。ビリン村は小さくて静かな村だった。デモ参加者の集合場所である村のホテルには30人ほど
の外国人が集まっていた。毎回デモに参加しているらしき人たちが何やら親しそうにおしゃべりしている。僕らと同じ宿に泊まっている旅行者も何人か来ていた。女性もかなりいたので、何だか少しホッとした。
村のどこかで誰かがマイクを使って演説している声が聞こえていた。それが終わると、みんなぞろぞろと集合しだし、村のオリーブ畑の方へと歩き出した。ビリン村は収入源であるオリーブ畑の中に分離壁が作られ、村人はかなりの土地を失ったらしい。僕らも人々の1番後ろについてオリーブ畑に向かった。
しばらく歩くとイスラエルが作ったフェンスが見えてきた。人々はパレスチナの旗を掲げ、何やら叫びながら行進している。おそらく、土地を返せ!分離壁を撤去しろ!と言ってるんだろう。
僕はダラムシャラで参加したチベタンのデモを思い出しながら、少しぼんやりしながら歩いていたら、いつの間にか集団の前の方に来ていた。フェンスの向こう側に銃を持ったイスラエル兵が見えた。
突然だった。
ヒューという音とともに催涙弾が飛んできた。僕の後方に落ちた催涙弾はモクモクと煙を出していた。後ろにいた人たちが一目散に逃げだした。
「外国人がいても関係ないやん!」と思っているうちにも、イスラエル兵はどんどん催涙弾を撃ってきた。前方から、または上空から煙をあげて飛んでくる。ヒュー、ヒューという音が恐怖だった。
僕は煙を避けて後退してたんだけど、急に目が痛くなり涙が止まらなくなった。喉も痛くなり息もしずらい。苦しい。煙がないとこでこれだけ苦しいなら、まともに煙にやられたらいったいどうなるんだ。

僕は恐怖に駆られ、必死で来た道を戻った。途中、デモの指導者らしき人が「インターナショナル、ゴー!ゴー!」と僕らに向かって叫んできた。この煙の中に突っ込めというのか。僕は強い違和感を覚えた。
あるオリーブの木の下の隠れた。ちょうどゆりとナガタさんもそこに来ていた。2人とも無事で安心した。
僕らの隠れたオリーブの木はイスラエル兵の死角だったのか、催涙弾は一発も飛んでこなかった。僕らは座りながらデモの様子を見守った。イスラエル兵はまだどんどん催涙弾を撃っていて、人々は逃げ惑っていた。だいぶ後方で叫んでいた人たちのところへも、けっこう正確に撃ち込んでいた。まるでイスラエル兵に遊ばれているようだった。これがデモなのか!
まだ10人くらいはフェンスの近くに残って、何やら叫んでいるようだったけど、しばらくすると引き上げてきた。

いつもは3時間くらいデモが続き、その間にゴム弾が飛んできたり、パレスチナの若者が投石したりすると聞いていたけど、今日は参加者がすぐ逃げ出したためか、30分くらいで終了した。
僕らは村に引き上げ、すぐに乗り合いバスに乗ってエルサレムに戻った。「来るんじゃなかった」とみんな思っていたと思う。

パレスチナの現状を見ておきたいという思いはあったけど、正直野次馬根性だったことも否定できない。それに、あんなのがデモと言えるのか。ただ催涙弾を浴びにいっただけじゃないか。
「インターナショナル、ゴー!ゴー!」と叫んでいた男を思い出した。活動家は世界にパレスチナのことを伝えるために、外国人をわざと危険に目にあわせてるんじゃないか。そんなひねくれた考えも浮かんだ。盾になって守るべきパレスチナ人も少なかったからね。

宿に帰ると、他の村のデモに参加した欧米人の若者が、すごく興奮してデモの様子を話してくれた。彼らはビリン村の近くのニリン村に行ったみたいだった。そこでは2日前に9歳の少年がイスラエル兵が撃った銃弾で死亡するということがあり、いつもより激しいデモが行われたようだった。もしかしたら、ビリン村の若者もニリン村のデモに参加していたのかもしれない。彼らはデジカメのムービーでデモ様子を撮っていたので見せてもらったけど、デモ参加人数が多く、かなり激しくイスラエル兵とやりあっていた。パレスチナ人の若者たちが、石を引っ掛けたヒモをグルングルンまわし、遠心力を使って石を飛ばしてイスラエル兵に攻撃していたのが印象的だった。鬱憤ややり切れない思いをぶつけているようにも見えた。
欧米人の若者は「まるで戦争だった」と興奮して話していたけど、僕はそれにも違和感を覚えた。なんだか彼が楽しそうに見えたから。まあ、気持ちはわかるけど。

僕はデモ参加したこと、特にゆりやナガタさんを連れて行ったことで、少し自己嫌悪に陥っていたので、ちょっとブログに書こうかどうか迷っていたんだけど、まあ何となく書いちゃった。でも、僕らがデモに参加した日、パレスチナ自治区で日本人がイスラエル警察に捕まったニュースを知って、やっぱり興味本位でデモに参加するべきじゃなかったと思ったよ。
ちなみに捕まった日本人は活動家の女性の相方さんだった。日本でどういう報道がされたか知らないけど、危険な目に遭いながらパレスチナ人のために活動している彼はやっぱすごいと思う。僕より年下なのに。僕もパレスチナ人やチベタンのために何かしたいとは思うけど、そんな行動力ないよ。口だけだよ。
とりあえず口だけでも、パレスチナの人々が幸せに暮らせるように願っている今日この頃なのだった。

 
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これクリックすると撃たれるよ。


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いろいろな宗教 
イスラエルの首都・エルサレム。
まず驚いたのは観光客の多さだ。ツアー客や修学旅行らしき若者の団体がかなり来ていた。そして彼らをターゲットにした土産物屋が路地にひしめき合っている。イスラエルってもっと危険なイメージを持っていたので少々拍子抜けする。まあ、銃を持った警官がそこらへんにいたり、テロ防止のため荷物検査があったりはしたんだけどね。

旧市街はユダヤ人地区、ムスリム地区、クリスチャン地区、アルメニア人地区の4つに分かれていて、それぞれ信仰を別にする人々が暮らしていた。それらの地区をブラブラしながら、まず僕らが向かったのは「嘆きの壁」。ここは昔々ユダヤ教の神殿があったんだけど、70年にローマによって崩壊させられちゃったらしい。で、その時部分的に残った神殿を囲む西側の外壁が嘆きの壁。
「どれだけ嘆いてるんだろうな」と何も知らない僕はちょっとユダヤ人の嘆きの様子を楽しみにしていたんだけど、期待に反して嘆いている人は誰もいなかった。男女別になっていたんだけど、男性側は、黒い帽子、黒い服を着た男たちが壁に向かって聖書を読んでいるだけ。何人かは歌うように大声で聖書を読んでいたけど、嘆いてはいなかった。
彼らは神殿の再建とメシア(救世主)の来臨を祈ってるらしい。ただ、その祈っている姿が少しおもしろかった。頭を前後に振りながら聖書を読んでいる。「それ絶対読みにくいでしょ」と思うんだけど、それでも彼らはバンバン頭を振っている。そして、バンバン頭を振るたびに、モミアゲもブランブラン揺れる。どーしてモミアゲが揺れるかって?それはユダヤ人男性の多くがモミアゲを伸ばしているからさ。ブラーンと垂らしている人や耳に巻きつけている人などいろいろ。ホントか知らんけど聖書に「モミアゲを剃ってはいけない」と書かれてあるみたいで、それを忠実に守っているんだとか。安息日が始まる金曜日の夕方には、すげえ数のユダヤ教徒が嘆きの壁に集合し、モミアゲを揺らすんだって。おもしろいなあ。

ユダヤ人がブラーンブラーンしている嘆きの壁の中には岩のドームがある。ここはイスラム教の聖地。なんでもドームの中の岩から、ムハンマドが天使を従え、天馬に乗って昇天したといわれるんだって。多くのムスリムたちにまぎれて中に入ろうとしたら、銃を持った警官に止められて入れなかった。残念。
それにしても嘆きの壁と近すぎ。ムハンマドよ、何もこんなとこで昇天せんでもよかったんとちゃいます?と言いたくなる。

そして、さらに話をややこしくするのがキリスト教。岩のドームのすぐ近くに、イエスが十字架を背負って歩いた道、ビア・ドロローサがあるのだ。僕らも十字架の代わりにバックパックを背負い(うそ)、ビア・ドロローサを歩いてみた。途中から土産物屋ばっかりで聖地のかけらもない。時々道沿いの建物や壁に番号が刻まれていた。それは、その場所でイエスが倒れた、とか、2回目倒れた、とか、母マリアが見守った、とか、誰かが十字架を代わりに背負った、とか、3回目イエスが倒れた、とか、ある女性がイエスにハンカチを渡した、とかを表してみたい。よく2000年も前のことなのに詳しくわかるもんだなあ。
そしてビア・ドロローサの終わりには聖墳墓教会が建っていた。この場所で十字架がたてられ、イエスが死んだらしい。多くの観光客、巡礼者が訪れ、写真を撮ったり、ありがたそうにお墓などに触ったりしていた。

ほんとよくもまあこんな狭い範囲で、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教の聖地が重なったものである。そりゃ、問題が起こらない方が不思議ってもんだよね。

僕らは翌日、エルサレムから7キロ離れたベツレヘムに出かけた。ここはイエスが生まれた場所だ。
以前なら車で10分で行けたらしいけど、今は50分くらいかかる。。その理由は、ベツレヘムがパレスチナ自治区にあり、何年か前にイスラム側が境界に壁を作ったんだって。そのためだいぶ遠回りしてチェックポイントを通らないと入れないようになったんだって。

パレスチナ人はほぼイスラム教徒なので、ベツレヘムの町も今までよく訪れたアラブの町とたいして変わらなかった。髪をスカーフで隠した女性、濃い顔の男性で溢れていて、何だか活気があった。勝手にパレスチナ自治区ってさびれてそうだと思っていたので、少し驚いた。
そんなイスラムの町にポツンと生誕教会があり、やはり多くの観光客や巡礼者が訪れていた。

宗教、パレスチナ問題と難しい話がいっぱいで、無知な僕の頭は少々煙が出ていたんだけど、この夜ヘブライ大学の日本人留学生と交わる機会に恵まれ、いろいろ話を聞くことができた。今一緒に旅しているカズさんの旅仲間がたまたまヘブライ大学に留学していたんよ。
4人の留学生がご飯を用意して歓迎してくれた。なす味噌、豚の角煮、シチュー、きし麺。久しぶりの日本食に僕らは涙を流しながら食べた。バックパッカー組はあまりに夢中になって食べたため、留学生組があまり食べれてないことに気づくのにたいぶ時間がかかってしまった。ほんとごめん。
彼はユダヤ教、ユダヤ思想、イスラエルの近・現代史などを研究している方々で、僕らの幼稚な質問に丁寧に答えてくれた。酔っ払っていたので9割は忘れてしまったけど、それではせっかく教えてくれた先生たちに悪いので、残りの1割を箇条書きしておこう。

・ユダヤ教はキリスト教でいう旧約聖書を信じている。
・キリスト教は旧約聖書を古い神との契約と考え、イエスのことが書かれた新約聖書を新しい契約として信じている。
・ユダヤ教は、イエスは預言者の1人にすぎず、救世主はこれから現れると信じている。
・イエスは自分を神の子と名乗ったために、ユダヤ教徒に殺された。ユダヤ人が迫害されてきたのは、キリスト教徒がそのことに怒っている
ためらしい。
・イスラム教の聖典コーランは、預言者ムハンマドが神から授かったメッセージ。とされているけど、研究者曰く、コーランは旧約聖書のムハンマド的解釈で書かれたもの。
・イスラム教が起こったのは、ユダヤ教やキリスト教のたいぶ後なので、イスラム教徒は我々はユダヤ教、キリスト教をふまえているのだ。だから我々の方が優れているのだ、と思っているらしい。

結局、キリスト教もイスラム教もユダヤ教の聖書を元にして、同じ神を信じているってことなんかね。共通点がある分、「そりゃあんた違うわよ」ってな感じで争い、憎しみ合っているんかもね。
とりあえずわかったことは、研究者の皆さんは頭が良い。そして旅人に優しい。
ほんと、ヘブライ大学の皆さん、ご馳走様でした。食べ過ぎてごめんね。

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これ嘆きの壁
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これモミアゲ
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これビア・ドロローサ
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これ十字架が立ったとこ
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これイエスの聖骸に香油を塗られたとこ 


豚の角煮をほおばっている間に、旅も1年が過ぎた。ほんといい1年記念になったよ。日本食はうまいね。世界最高だ。
この1年で使ったお金  153万2588円
この1ヶ月で使ったお金 19万5756円(最高値更新)
訪れた町  イスタンブール、サフランボル、カッパドキア、アレッポ、デリゾール、パルミラ、ハマ、ダマスカス、アンマン、エルサレム
訪れた世界遺産 インタンブールの町、サフランボルの町、カッパドキアのへんな岩、パルミラ遺跡、エルサレムの旧市街



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ノースタンプ、プリーズ
死海で浮いた翌日はアンマンでのんびり過ごし、さらに翌日、僕らはイスラエルに向かった。やはりカズさんとジンさんも一緒。バス代とあまり変わらないということで、宿でワゴンをチャーターして国境まで行った。もう完全に5人旅、あいのりである。

ラブワゴンとは国境でお別れして、ヨルダンのイミグレーションに。
「ノースタンプ、プリーズ」
僕は審査官の男性に言った。「出国のハンコを押さないで」という意味だ。なぜって?じゃあ、ここで少し説明しよう。

僕らがこれから入ろうとしているイスラエルはアラブ諸国とかなーり仲が悪いらしい。そのためイスラエル入国のスタンプがあることがわかると入国を拒否する国がいくらかあるのだ。僕らが行ったシリア、イエメンを始め、イラン、イラク、サウジアラビア、パキスタン、レバノンなどなど。僕らはエジプトの後のルートはまだ未定だけど、もし行きたい国がイスラエルのスタンプがあるせいで行けなくなったら残念である。じゃあ、イスラエルに行かなきゃいいんだけど、イスラエルも行ってみたい。うーん、どーしよー。
そんな僕らに1ついい方法があった。ヨルダンとイスラエルのキング・フセイン橋国境では、「ノースタンプ」と言うと、ハンコをパスポートに押さずに別紙に押してくれるかもしれないという。かもしれないというのは、たまに審査官の嫌がらせか、間違いかで押されてしまう人がいるらしい。まあ、運だね、運。
運よくノースタンプでヨルダンを出国、イスラエルに入国し、帰りも同じようにノースタンプでイスラエルを出国、ヨルダンに入国をすれば作戦成功。その後、何食わぬ顔でヨルダンからエジプトに陸路で抜けると、まったくパスポートにはイスラエル入国の証拠が残らないというわけだ。アンダスタンド?

ヨルダン側のイミグレは難なくノースタンプで通過できた。さあ、今度は問題のイスラエルだ。
イスラエル側には銃を持った軍人女性が数人いて、ちょっとドキドキ。イスラエルに来た実感が少しわいた。
イミグレ審査官は全員女性で、僕はできるだけ優しそうで美人の女性を選び、その列に並んだ。
「ハロー、ノースタンプ、プリーズ」
「WHY?」
「ワ、ワイ?え、えーと・・・」
僕は比較的まだ敵対していないイエメンに行くからと言うつもりだった。しかし、緊張のあまり口から出た言葉は
「アイ ウォントゥ ゴウ シリア」とチョー仲が悪いシリアと言っちゃった。「シリアとは絶対言っちゃダメ」と旅行者にアドバイスもらってたのに。
ピ、ピンチ!
かなり焦ったけど、審査官の女性も意表をつかれたようで、「シリアってか。おい、このボーイ、シリアって言っちゃったよ。」と隣の審査官と一緒に笑っていた。う~ん、どうやら大丈夫そうだ。よかった。
でも彼女の質問は終わらなかった。
「イスラエルはどこに行くつもりなの?」
「えーと、えーと、エルサレム」
「何するの?」
「えっ、何するかって・・・かんこー」
「どこに泊まるの?」
「ファームホステル」
実はファイサルホテルという宿に泊まるつもりだったんだけど、ここは敵対しているパレスチナ人が経営し、ジャーナリストも多く泊まるということで、別の宿の名前を言った方がいいと情報ノートに書かれていたのだ。
まだ、質問は続く。
「パレスチナ自治区にも行くの?」
「いいえ、まさか。エルサレムオンリー」
「あなた、シリアにも行ってるわね。どうして行ったの?」
「えっどーしてって・・・かんこー」
「ふ~ん・・・」
彼女は他にもいくつか質問したあと「じゃあ、そこらへんで待っててちょ」と言った。パスポートは預けたままだったので、スタンプがどうなったかはわからなかった。それにしても、さすがに今までにないくらい質問されたなあ。

さて、実はここからが本当は大変らしかった。普通はこのまますぐに入国できるんだけど、僕らはチョー仲が悪いシリアを通過してきている。敵対国のスタンプがパスポートに押してある者は数時間このまま放置されるのだ。3時間は当たり前で、6時間待たされたという人にもけっこう出会った。なぜそんなに待たせるかって?それは敵対国に行った罰やね。ただの嫌がらせ。いやあ、イスラエル、質問攻めの後は放置プレイかよ。そーとーSやね。
僕らは今日はちょっと遅い昼過ぎにアンマンを出発したんだけど、それも作戦だった。結局通過させてくれるのは夕方で、早く行けば行くほど待たされると聞いていたからだ。
「さあ、何時間待たされるかね」
僕らはトランプの大富豪をして時間を過ごした。数時間は待たされる覚悟が出来てたし、トランプに熱中してたしで全然苦ではなかった。
2時間くらい経ち、僕の大貧民が決定した頃、パスポートを持った男がやってきた。意外と早かったなあ。トランプをしている僕らを見て、こいつら嫌がってないじゃん、放置プレイになってないじゃん、うぜーじゃん、と思ったのかもしれない。Sだからね。
さて、問題はスタンプだ。ドキドキしてパスポートを開くと、ちゃんと別紙がはさんであって、それにスタンプが押されていた。

そんなわけど、ちょっと大変ではあったけど、この旅15カ国目となるイスラエルに無事入国したのだった。

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