クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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戦争のあと
シリアの首都ダマスカスにやってきた。都会だけど人も町もどこかごちゃごちゃしていて、僕はタイを思い出した。仏教とイスラム教の国とでは全然違うはずなんだけど、なんとなく同じにおいがした。
僕らはスーク(市場)で買い物をしたり(ナガタさんはウェディングドレスに合うアクセサリーをいくつか買い、結局花嫁セットを全部シリアで揃えた)、大モスクでボーっとしたり、アイスクリームを食べたり、1000年の歴史あるハンマーム(大衆浴場)に行ったりして過ごした。

ダマスカスでは、以前アレッポやパルミラで同じ宿だったカズさんとジンさんに再再会した。2人はダマスカスから1時間半くらいにあるクネイトラに行くようで、僕らも一緒に行かないかと誘われた。
僕らは全くその場所について知らなかった。何でもクネイトラのあるゴラン高原は、シリア、ヨルダン、レバノン、イスラエルの4カ国に囲まれていて、その肥沃な土壌と水の豊かさから、常にイスラエルとアラブ諸国の戦争の舞台になってきたそうだ。そして、ここを占領していたイスラエルが1974年に撤退する時に爆撃したのがゴラン高原の東にあるクネイトラで、シリアはイスラエルの残虐行為の記録だとして、今も爆撃跡を修復しないで残しているんだって。

う~ん、なんだかすごそう。
僕らはカズさんたちと一緒にクネイトラに行くことにした。同じ宿にいた韓国人の子たちも行くことになり、結局8人という団体で出発した。
まず最初に向かったのが、ダマスカスにある内務省のオフィス。ここで1日だけのパーミットを取得。それから一向は乗り合いワゴンに乗り、クネイトラに向かった。
ドライバーとの値段交渉は、25歳のリー君が全部やってくれたんだけど、彼は目いっぱい体を使い、大声を出し、感情を爆発させて交渉し、時に土産物を渡して運賃を値切ってくれた。韓国人のパワーを感じたわ。

クネイトラの手前でパスポートのチェックがあり、1人の太ったおっさんがワゴンに乗り込んできた。彼は内務省の係員で、クネイトラをガイドしてくれるようだ。
太っちょガイドのおじさんはワゴンが走り出すとすぐに「もう、ここがクネイトラだ」と言った。ワゴンから外を見ると、広い土地にコンクリートがたくさん転がっていた。どうやら建物が崩れたものらしかった。
ある場所でワゴンは止まり、僕らは外を少し歩くことができた。やはり崩れかけの家などがあったけど、爆撃の跡があるわけじゃないし、想像力の乏しい僕にはあまりピンとこない風景だった。
そんな僕の心の声が聞こえたのが、次にガイドが連れて行ってくれた病院は、一目見ただけで思わずため息が出るものだった。それは建物中におびただしい数の銃弾の跡が残っていた。数が多すぎてなんだか気持ち悪かった。
僕らは病院の中にも入ったけど、やはり同じようにいたるところに銃弾が撃ち込まれた跡がついていた。ほんとどれだけ撃ったんだよっ感じ。いったいここで何があったんだ。ガイドさんは全くガイドする気がないようで、何もしゃべってくれなかった。彼はガイドというより、僕らの監視をするためにいるみたいだった。誰かが「この町ではどのくらいの人が亡くなったんですか?」と質問すると、彼は「1万2000人だ」と答えた。
結局見学はこれでお終い。教会やモスクがすごいと聞いていたのにそれには行けずだった。ガイドさんがめんどくさかったんだろう。その代わり彼はクネイトラにあるレストランに連れて行ってくれたけど、さすがにここでメシを食べる人はいなかったよ。

病院にはちょっとびびったけど、あまりよくわからなかったというのが正直な感想。元の町の写真とかあれば、感じるものがあったかもしれないね。不謹慎かもだけど、もっとボコボコになった町を想像してたからね。でもジンさんはこの後ネットカフェでグーグルアースを使い、クネイトラの上空からの写真を見たそうだけど、ボコボコと爆撃の跡があって、すごかったと言っていた。
イスラエルの事情などほとんど何も知らない僕なので、今回こういう場所があるってことを知れただけでもよかったかな。

暑い中、サウナ状態のワゴンに乗りダマスカスまで戻った僕らはもうフラフラだったけど、韓国人の子たちはさらに1時間くらいのとこにある遺跡を観にいっていた。韓国人のパワーを感じたわ。

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モスク
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女性はコートを着ないと入れない
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地元で人気のアイスクリーム25シリポン(60円くらい)
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ハンマーム 風呂上りの男たち


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もう期待なんてしないなんて言わないよ絶対
ハマという町にやってきた。ハマと言えば、ハマの大魔神かチャーリー浜を誰もが思い浮かべるけど、ここは古い水車が名物らしい。
「う~ん、水車ねえ」と僕はあんまり期待してなかったんだけど、実際目にすると、木で作られたそれはかなりでかく、なかなかのものだった。ギー、ギーと水車のきしむ音がなんとも心地よい。
思うにこれまでの経験上、期待してなかったとこの方が、案外よかったと感じることが多い気がする。期待しちゃうと、そのもののありのままを見ず、少し過小評価しちゃうんじゃないかな。
「旅は人生の縮図」なので、これは人生についても言えるかもしれないね。僕は僕の人生に期待しないことにしようと思う。そしたら小さな幸せを集めることができるかもしれない。「おっ俺の人生、期待してなかったけど、まっそれなりによかったやん」と思って死ねるかもしれない。だからみんなも僕に期待しないでほしい。そしたらたまには「おっなかなかやるやん」と思うことがあるかもしれない。でも「期待の新人」と言われるのも悪くないなあ。どーしよう。

町にはいくつもの水車があり、大きいのだと直径20メートル以上もあるという。昼の暑い時間に訪れた水車では、若者が水車から川へダイブをしていた。1番下から水車に乗り、ちょうど観覧車のようにゆっくりと上へ上がっていき、いい高さのとこでダイブ。みんなそーとー高いとこから飛んでいて、チョー気持ちよさそう。僕もやってみたくなって水車に乗ろうとしたけど、ある若者に止められた。「釘が出ているから止めろ」と言う。よく見てみると確かに水車には無数の釘が飛び出していた。メガネなしではちょっと見えない。非常に残念だけど、若者の忠告に従うことにした。若者たちも釘にはだいぶ注意して水車に乗り、でも何度も何度もダイブしていた。

水車観光の翌日は、クラック・デ・シュバリエという12世紀の城に日帰りで行ってきた。ここは旅人の間では「天空の城ラピュタ」のモデルと言われているようだ。いったい世界にはいくつラピュタのモデルがあるんだよ。出会った人も「ラピュタそのものだった」と言っていたけど、僕にはよくわからなかった。ただ城自体はでかくて、なかなかのものだったよ。3人で「ラピュタと聞いてなかったら、もっと良く感じたかもね」と話した。今回は「ラピュタの城が見れる」という期待が裏目に出たようだ。やっぱり期待しない方がいいんだ。僕は人生に期待しない。期待の新人もあきらめよう。

さて、クラック・デ・シュバリエでは1つ楽しみがあった。それはゲイに襲われること。なんでも出会った旅人が、ここでゲイのガイドに捕まったそうだ。「ボーイフレンドはいるのか」という質問から始まり、色々体を触られ、終いには「あそこを見せていろ」と言われたそうだ。旅人はけっこうヘコんでその話をしてくれたけど、僕は正直彼が羨ましかった。「おいしーな」とずっと思っていた。

最近このミーバイブログがマンネリズムに陥っているのは、誰の目にも明らかな事実。。もうすぐ1年になるけど、さすがにそれだけの期間読む人を飽きさせない腕は僕にはない。じゃあ、技術がなければどーるすかって、もうネタに頼るしかないやん。そうだ、ここはいっちょゲイに襲われて、刺激のある日記を書いてやろうじゃないか。

僕らがクラック・デ・シュバリエに着いた時、ちょうど帰るところの日本人に出会ったんだけど、彼も「ガイドに抱きつかれました。気をつけて」と去り際に言っていた。
噂では聞いていたけど、やはりイスラム圏はゲイが多いようだ。やっぱり女性との関わりを極端に制限されているのが大きいんだろうな。満たされない欲望を男に求めちゃうんだろう。わかるなあ。いや、うそだよ。わからないよ。
なんにしろ、これはもう期待しちゃうよ。僕は髪とヒゲとメガネを整え、腕の筋肉を強調して城に入った。

城に入ってすぐに、男のガイドに声を掛けられた。
「キ、キター!」早くも目当ての男に出会えて僕の心臓は高まった。
「どこから来たの?」「名前は何ていうの?」というありきたりな質問をした後、彼は「ところで前の2人の女の子は君のガールフレンドか?」と聞いてきた。
僕は当然、「全然違うよ。さっき出会ったばかりさ。ジャストフレンドさ」と答えた。
するとガイドは声をひそめ「それじゃや、シリアにガールフレンドがいるのかな?えへへ」と聞いてきた。
ん?ガールフレンド?そこはボーイフレンドと聞くところだろ?
僕がいぶかしんでいると、ガイドはあっけなく欧米人相手にガイドの仕事を始めてしまった。

その後、ゆりとナガタさんは僕から離れ、ゲイを釣るため僕を泳がしてくれたけど、誰一人として声を掛けてくれるゲイはいなかった。見事に期待は裏切られた。
「俺は男にもモテないのか」と落胆し、「もう期待なんてしない」と心に誓うのだった。

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ラクダは楽だ
デリゾールから2時間バスに乗り、タドモールという町にやってきた。ここの見所はなんといってもパルミラ遺跡。シリア最大の観光名所だ。とか言いつつ、シリアに来るまで知らなかったけどね。
パルミラは、紀元前1世紀から紀元後3世紀にかけて栄華を極めた、中国とヨーロッパを結ぶシルクロードの隊商都市。現在残されている建物は2世紀頃のものが多く、世界遺産にも登録されている。

僕らは到着した日の夕方4時頃から観光を始めた。暑いのが嫌だったのでその時間だったんだけど、それでもまだまだ暑かった。肌がジリジリと焼けた。
遺跡の知識もないし、くそ暑いしで、最初は「観光だりー」とダメダメ旅行者だった。やっぱり1年も観光名所をまわり続けていると、遺跡とかにも飽きている感は否めないよね。我ながらもったいないと思うよ。
ただ、やはりいざ目の前にするとテンションが上がった。予想以上にパルミラのスケールがでかかった。ごっつい石を積み上げた神殿や列に並んだ石柱、円形劇場。それどーやって削ったの?それどーやって持ち上げたの?と驚かされる。2世紀って日本じゃ弥生時代でしょ。この辺の人たちって僕らが想像する以上にすごい技術を持ってたんだろうね。でもさすがにそれだけ古いものなので、けっこう崩れていて、柱の一部なんかがゴロゴロ転がってるんだけど、それもなかなか雰囲気があってよかった。まじで完成形はそうとうでかくてすごかったんだと思うよ。
こういう遺跡って、ちゃんと知識と教養と容姿がある人にはたまんないんだろうな。目を閉じると、当時の人々の活気溢れる情景などが思い浮かんだりするんだよ、きっと。小鳥のさえずりや小川のせせらぎなんかも。
僕も、そーいや知識と教養と容姿があるかもと思い、目を閉じてみた。すると「ラクダは楽だ」という日本語が聞こえてきた。目を開けると観光用のラクダとそれを連れてるシリア人。そいつはその後何度も「ラクダは楽だ」と言ってきて、少々うざかった。

パルミラ遺跡で活躍したのが国際学生証だった。実はアルメニアにいた時に「本物の学生証が作れる」と聞いて作っておいたのだ。バンコクでは偽物の学生証が作れるというのが有名なんだけど、アルメニアのは本物。まあ、僕が学生じゃないから偽物っちゃあ偽物なんだけどね。しかも26歳以下じゃないと使えないとこもあるので年齢も詐称。ちなみに大学の名前は「Bakada University」。そう、かの有名なバカボンのパパの出身校「バカダ大学」である。そういやうちの親父も昔はよく「お父さんはな、バカダ大学を出たんだ。」と言ってたっけ。同じだ。
そんな国際学生証だけど、数回入場料150シリアポンド(350円くらい)が10シリポン(23円)になったりして大助かり。150シリポンってパルミラの宿と同じ値段だからね。大きいよ。実際、一緒にまわった日本人バックパッカーの2人の男性は、入場料が要るところは入ってなった。僕らも学生証がなかったらたぶんケチッて入ってなかったんじゃないかな。やっぱり学生証様様、バカダ大学バンザイなのだった。

最後にアラブ城に登り、夕陽を見た。ここでも75シリポンが5シリポンに。
ちょうど日本人のツアーの団体が2組来ていて、城の中は日本語が飛び交っていた。久しぶりに見た一般の日本の方はとても小奇麗で、なんだか自分とは違う人種の人たちに感じ、少々とまどった。
おじさんが、おばさんたちに「ほら、3人娘、そこに立って」と言い、おばさんたちはキャッキャッと娘の声をあげて写真を撮られていた。僕はその様子にまた少々とまどいながら、地平線に沈む夕陽を見た。きれいだったよ。

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ユーフラテス川マンマンと
アレッポの最後の夜、70歳くらいと思われる日本人のおじいちゃんが、僕の泊まっていたドミにやってきた。おじいちゃんはジャイカで働くお医者さんで、お隣のヨルダンの首都アンマンで、今も現役バリバリでやっているんだそうだ。今回は少しもらえた休暇でシリアを旅しているそうな。

「今日はどこから来たんですか?」と僕が聞くと、おじいちゃんは次のようなことをおっしゃった。
「わしゃデリゾールから列車に乗って来た。だいたい4時間くらいの行程だったが、そのうちの3時間は線路沿いのユーフラテス川が見えた。それはマンマンと流れていてとてもよかったよ。これが見たくて来たようなもんだからね。ほんとマンマンと流れていたなあ。」

このおじいちゃんの「マンマンと」という表現が気に入った僕らは、ルートから外れるものの、ちょっとユーフラテス川を見たくなってしまった。
ユーフラテス川と言えば、チグリス・ユーフラテス、世界最古のメソポタミア文明、くさび形文字、60進法、太陰暦などを生み出された場所。肥沃な三日月地帯と呼ばれ、農業発祥の地と言われている。なーんてことを中学生に教えていたけど、それもえらく昔のように感じる。いったいもうどれだけ働いてないんだ?1年半近くか。僕はほんとに社会復帰できるのだろうか・・・。

と思考はだんだん重い方にいったりいかなかったりなのだが、結局僕らはマンマンと流れるユーフラテス川を見るため、予定を変更してデリゾールに向かった。

列車は夕方4時にアレッポを出発した。とてもきれいな車内では、ジャッキー・チェンの映画を流していた。ジャッキー・チェンはほんとどこでも人気があるよ。
おじいちゃんの話では1時間くらいたったあたりからユーフラテス川が見えてくるはずだった。しかし、それらしきものはいっこうに現れない。乾燥した土地に日干しレンガの四角い家が建つ町があったり、広大な畑があったり、羊飼いが羊を連れていたり、そんな風景がずっと続いていた。「ここで5000年ほど前に文明が起こったんだ。」と感慨にひたるほどの知識は僕にはなく、「マンマンなユーフラテスはまだか」と思いつつ、ジャッキー・チェンに見入ってたりするのだった。

そんなこんなで、いつの間にか3時間が過ぎたが、ユーフラテス川は見えなかった。あと1時間でデリゾールに着いてしまう。これはおかしくないか。おじいちゃんの話では3時間はマンマンと流れるユーフラテスが見えるはずなのだ。

ぼくらは焦った。もっと早く焦るべきだった。考えられることと言えば、間違った電車に乗ってしまったということくらい。夕陽の位置から、目的地と同じ東には向かっている。僕らはシリアの地図で列車の路線を確かめた。すると東へ向かう路線はデリゾールの他に、トルコに行くのがあった。まさか、トルコに向かってるんじゃないだろうな。チケットを持っていたけど、全てアラビア語で書かれていたので何もわからなかった。そういえば、駅でチケットを買うとき、「インターナショナル チケット」と書いてあるところで購入したのだった。その時にパスポートを調べられたし、列車に乗ってからも1度パスポートチェックがあった。これはもう間違いない。僕らはトルコに向かっているのだ。

「どーしよー。トルコに行きたくないよー。」
シリアの安い物価でウキウキだった僕らは、またあの高いトルコに帰ることを異常に恐れた。引き返すときにまたシリアのビザを取得しないといけないし。どーしよー。

だが、近くのシリア人たちに聞いてみると、進行方向に向かって手を振り「デリゾール」という。どうやらやっぱり列車はデリゾールに向かっているようだった。じゃあ、なんでユーフラテスが見えないんだ。どーいうことだ。

僕らがあーだこーだ思案しているうちに、外の風景に突然川が現れた。
「これ、ユーフラテスじゃないか?」
マンマンといえばマンマンのような気がする。
僕らが「マンマンだよ」「いやマンマンじゃないよ」と言ってる間に、すでに夕陽が沈んだ後の景色はどんどん暗くなり、そしてほとんど何も見えなくなった。それから30分くらいして、列車は無事にデリゾールに到着した。

「なんだかわざわざ予定変更して列車に乗る意味なかったね」と僕らは少し苦笑いをした。
おじいちゃんと僕らは逆ルートだった。思うに、最初の1時間ほどはマンマンと流れるユーフラテスを眺めることができ、それにとても満足されたおじいちゃんは、きっと眠ってしまったのだろう。ジャッキー・チェンにもそれほど興味がなかったんじゃないかな。地図上では確かに4分の3くらいは列車はユーフラテス沿いを走るように思えるので、おじいちゃんはそのへんのことは推測してしゃべっていたのだろう。

デリゾールの宿にチェックインしたときはもう夜9時だった。翌朝、町から20分ほどのところを流れているユーフラテス川を見にいった。それは確かにマンマンと流れていた。そしてその後すぐに僕らはデリゾールを発った。

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デリゾールの朝 トラックでパンを干す少年たち


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石鹸に洗脳される人々
カッパドキアを夜出発したバスは、途中カイセリで乗り換え、朝8時に国境のアンタクヤに到着した。それからインターナショナルバスに乗り換え、シリアのアレッポに向かった。
僕らはイスタンブールでシリアビザを取得していたので、特に問題なくシリアに入国・・・したかに思われたが、入国してすぐのポリスの検問でまさかの事態が!
ポリスがバスに乗り込んできて、1人1人乗客のパスポートを調べていたんだけど、僕のパスポートを見てる時にそのポリスが顔を歪めた。そして何度も僕の顔とパスポートを見比べた後、「外に出ろ」と言ってきた。乗客の中で外に出されたのは僕だけだった。
仲間のポリスのとこに連れていかれ、彼らにパスポートを渡すと、そいつらも僕の顔とパスポートとを何度も見比べ始めた。どうやら別人じゃないかと疑っているらしい。僕はヒゲを手で隠し、「なっ本人だろ?」と示したが、ポリスたちは「髪も隠せ」と言ってくる。仕方なくヒゲと髪を手で隠したらようやく納得したようで、「行ってよし」と許可が出た。
バスに戻り、自分のパスポートの写真を見たら、確かに別人のようだった。ヒゲはなく、髪は坊主、おまけにメガネもかけてなかった。これじゃやポリスたちも不審に思うのも仕方がないかもね。いやはや・・・
何はともあれ無事シリアに入国。この旅・・・・13カ国目かな?

アレッポはシリア第2の都市。都会はあまり好きじゃない僕だけど、アレッポはめちゃんこ楽しかった。
シリアはトルコに比べてイスラム色が強く、女性の8割くらいが黒い服を着て、頭にもベールをしていた。だけど、顔までは隠していない。アレッポ城を観光している時には、若い女の子に「一緒に写真撮って」と言われ、かなりうれしかった。イエメンじゃ写真を撮ることはおろか、しゃべることもできなかったからね。お酒も売っていて、50シリアポンド(120円くらい)くらいで500ml缶のビールが飲めた。ほんと同じイスラム教の国でもいろいろだ。
スーク(市場)もごちゃごちゃしておもしろかった。雑貨屋が並んでたかと思うと、いきなり肉がぶらさがってたりした。アクセサリー、絨毯、香辛料、野菜にお菓子、それにウエディングドレスまで売っていた。狭い道をロバが荷台を引いて歩いていた。電気が点いてなくて、5メートルほどの間隔で施されてる天井の明かり取りからの光がいい感じだった。
シリアの人々も親切で人懐っこかった。「アッサラーム・アレイコム」(こんにちは)と言うと、みんな笑顔で「アレイコム・アッサラーム」と返してくれる。サンドイッチ屋のおじいちゃんはいつも、ファラフェルと呼ばれるコロッケと野菜のサンドイッチをタダで食わしてくれた。

でも何といっても物価が安いのがでかかった。トルコの半分、いやそれ以下だ。
食堂で肉料理を2品頼んでも300シリアポンド(700円くらい)、ファラフェルサンドイッチ20シリポン(50円くらい)、ソフトクリーム10シリポン(23円)、フレッシュフルーツジュース25シリポン(58円)など。トルコでは倹約続きだったので、我慢してたものが爆発した僕らは食いに食った。もうお腹いっぱいなのに、買い食いできる喜びの方が上回り、また食った。
料理の味もトルコよりおいしかった。実際、世界3大料理の1つのトルコ料理よりおいしいはずはないと思うんだけど、シリアではある程度いい店にも入れるので、トルコの安食堂よりはおいしいというわけだ。
いやあ、シリア天国だわ。結局その国の印象って、その前にいた国との相対的なもんなんだね。ネパールが天国と言われるのも、インドが悪すぎなんだよね。

僕は全然知らなかったけど、アレッポは石鹸がけっこう有名みたいだった。オリーブオイルで作っていて自然派にはたまらんもんらしい。旅のいろいろなことが書かれる情報ノートも、ここアレッポでは3分の1が石鹸についてだった。それを読んだためか、絶対あんた自然派じゃないでしょ!というきったないヒゲづらのバックパッカーの男たちも、アレッポ石鹸を1キロ、2キロと買い込んでいるのだった。
「みんな洗脳されてますよ」とか言っていた人も、次会うとでっかい袋に石鹸を入れて「3キロ買っちゃいました。えへっ。」なんて言ってたりする。うーん、洗脳されてるなあ。

じゃあ、うちの女たちはどーかというと、やっぱりアレッポ石鹸洗脳にばっちりかかっていて、ゆり5キロ、ナガタさんは2キロ石鹸を買い込んでいた。ここ数日たくさんの店を見てまわった2人は自分たちの石鹸の目利きに自信を得ていて、「石鹸を切ったとき周りの茶色が多い方が年数が経ってていいの。あとにおいはきつくない方がいいわね」とか言っていて、いっぱしの石鹸専門家に変身していた。
僕は「そんなに石鹸買ってどーすんの?」と言ってたんだけど、実際アレッポ石鹸を使ってみると、なんだかお肌がしっとりとしていい感じだった。これから乾燥した地域を旅するのでいいかもしれない。今はアレッポ石鹸1つで髪も含めて全身洗っていて、ばっちり洗脳されてしまっているのだった。
ただ、5キロのうちの4キロはジャパンに送ったんだけど、送料に4000円くらいかかったので、お得だったのかどーかは不明。みんな石鹸いる?

ちなみにナガタさんは2キロの石鹸の他に、ウエディングドレスも購入した。来月に籍を入れる予定の彼女は、スークで安いのは20ドルほどで売っているウエディングドレスに目をつけ、ここ3日ほど試着を繰り返し、結局80ドルの純白のドレスを買ったのだった。それでも十分安いよね。でもまさかウエディングドレスをシリアで買うとは。
というわけで、今彼女は数多くいる旅人の中でもかなりめずらしいウエディングドレスと石鹸を持って旅するバックパッカーなのだった。

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アレッポ石鹸5キロ
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オカキが売っていた!もうボリボリ食べたよ。
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ソフトクリームは大人気だった。特に大人の男に。
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念願のイスラム女性との写真
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いきなり豪華になった食事
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朝昼晩と通ったフルーツジュース屋さん
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チャイ屋の少年



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