クイズ世界はミーバイミーバイ
しんごとゆりの世界旅行。2007年7月31日から2008年12月半ばまでの旅の記録。
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惑星ベジータ
イエメンで過ごす日々も残りわずかということで、最後の力をふりしぼり、ちょっと遠いけど頑張れば日帰りで行けちゃうよという町を2つ訪れてみた。
サナアから3時間のハジャラは、石造りの家々が岩山の上に建ち並ぶかっちょいい町だった。町へ入る門は1つしかなくて、それを閉じちゃうと侵入不可能となる。昔は要塞として重要な役割を果たしたんだとか。ハジャラの景観のかっこよさはイエメンでも1番をあげちゃってもいいかなと思った。
「イエメンのイケメン町ハジャラ」
どう、このキャッチフレーズ?

サナアから5時間(往復10時間だからかなりきつかった)のジブラは、古い石造りの家や石畳がいい雰囲気のいかした町で、まるで中世に迷い込んでしまったようだった。(ガイドブックの受け売り。中世っていつだ?)この町はシマウマに乗ってまわりたいなと思った。
「ゼブラがいざなう中世の町ジブラ」
どう、このキャッチフレーズ?あかんか?

イエメンでは結局10ほどの町を訪れたが、どの町も敵の侵略に備えて造られていた。岩山の上やその斜面に家を建てたり、世界遺産のシバームのように高い家自体が城壁の役割をしていたり。無知の知なのでよく知らないけど、昔の町ってそうやって造るのが当たり前なのか?それとも、敵が侵略してくるだけイエメンが部外者にとって魅力的だったのか?(「海のシルクロード」の要地として栄えた頃は「幸福のアラビア」と呼ばれていたそうだよ。特産品の「乳香」は金以上に価値があったとか。)いずれにしても、今でも「こりゃ攻めにくいでごわす」と思わせるんだから、かなり歴史ある町ということだろう。「イエメンのイケメン町ハジャラ」で勝手にガイドを始めた土産物屋の兄ちゃんは「1000年も前にハジャラの町は造られたんだべ」と言っていた。サナアの旧市街を含めて、ほんとイエメンはタイムスリップした気分にさせてくれる。いやあ、この国はすごい!!


さて、「褒めた後に落とす」というのがわたくしの教育方針なので、ここからはちょっと良くないことを。
ハジャラ、ジブラへは、10人くらいを鮨詰めにした乗り合いタクシーで行ったんだけど、これがすんげえボロ車だった。ハジャラに行く時の車は、途中、しかも落ちたら死んじゃうよという山道のカーブで止まってしまった。エンジンをかけようとすると、ガタガタガタと前後に激しく揺れた。なんとか近くの町まで走ったけど、そこで修理しないといけない状態だった。車の修理屋さんの前で止めたので当然頼むのだと思っていたけど、驚いたことに運転手のおっさんが自分でボンネットを開けて直し始めた。結局おっさんは30分程車と格闘して直してしまった。すげえな。
ジブラに行く時の車はエンジンがカギをまわすだけではかからず、運転手のおっさんは出発する度にやはりボンネットを開け、ドライバーで何かをいじってエンジンをかけていた。
「この車も車検に通らんね」と、ゆりと苦笑いをしてたんだけど、この車の旅はちょっと笑い事じゃなかった。

このエンジン手動タクシーは、走り自体は問題なく、真っ直ぐな田舎道を快適に飛ばした。小さな町に来たとき、ちょっと前を犬が横切っていた。渡り終わったので安心していたんだけど、犬は何かに驚いた様子で、急にまた戻ってきてしまった。
「あっ!」運転手はブレーキを踏むも間に合わなかった。
ドン!という衝撃の後、ガタと犬の上に乗り上げた。そして車はそのまま走り続けた。
初めて犬を轢いた車に乗り合わせたけど、やっぱりショックで気分が沈んだ。ゆりと2人呆然としてたんだけど、運転手をはじめ、一緒に乗っていたイエメン人たちのテンションは変わらず、それまで通りおしゃべりをしていた。「慣れているのか?」と思ったんだけど、その予想はどうやら当たっていた。このジブラへの行き帰りの道程で、車で轢かれて道端で死んでいる犬がなんと10匹以上もいたのだ。当然見てないのもあるはずだから、もっと多くの犬が轢かれているんだろう。ちょっとその数の多さに僕らは言葉がなかった。イエメン人たちの反応にも少しショックだったかな。

犬を轢いた後、僕は妙な胸騒ぎがあった。そしてそれは30分後に的中した。
やはり真っ直ぐな田舎道を飛ばしていたら、前から僕らと同じ乗り合いタクシーが走ってきた。が、様子がおかしい。少しフラフラと揺れたと思ったら、センターラインを越えて僕らの車線に乗り出してきた。左前のタイヤがパンクしているのがわかった。
「やべっぶつかる!」と思った瞬間、相手の運転手がハンドルを切ったんだろう、グイーンとカーブして元の道に戻り、その勢いでなんとひっくり返ってしまった。ほんと僕らの目の前でだ。ひっくり返った車は、そのまま2メートルほど下がったところの畑に転がり落ちた。車を停めて彼らを救出しにいったけど、車は潰れてしまっていた。特に助手席側がひどくへこんでいた。1人1人助けだしたが、やはり助手席に乗っていた人たちは血を流し、グッタリとしていた。幸い命はあったけど、重症には違いなかった。すぐ車に乗せて病院に運んでいった。
救出が終わって僕らは再びジブラへと向かったけど、もうちょっと車に乗るのが怖くなってしまった。僕ら2人が助手席に詰めて座っていたのもあった。チラチラとさきほどの事故のことが頭をかすめる。
そんな僕らの気も知らず、運転手はグングンと飛ばす。山道のカーブもスピードを落とさず、どんどん前の車を追い越していくんだけど、時々対向車線の車とぶつかりそうになる。しかも、運転手はよそ見が多かった。携帯をいじったり、「なぜ今?」と思ったけど、お金を数えだしたり、ちょっと今までになく命の危険を感じた。
まあ、こうしてブログを書いているわけだから、無事に帰ってきたんだけど、もうイエメンでのお出かけはいいや、という気分なのである。

そうそう、あともう1つ良くないこと。
この事故と同じ日、イエメン人の喧嘩を2つ見たんだけど、どちらも手を出そうとしていて、周りの人が必死で抑えていた。1人はけっこうでかい石を持って喧嘩相手を追いかけていて、見ていて少しゾッとした。インド人の喧嘩も毎日というほどよく見たけど、ほとんどが口論で、あまり手を出す人はいなかった。こないだサユーンで乱闘騒ぎにも遭遇したし、どうやらイエメン人は生まれながらの戦闘民族なのかもしれない。ジャンビーアを差しているしね。
イエメン人、人懐っこくて親切なんだけど、その反面、こういう激しい部分も持っているということか。優しい戦闘民族、まるで孫悟空だな。

イエメンはこの旅の中でもかなりいいので、ぜひお勧めしたいんだけど、旅行者のためにもイエメン人にはもうちょっとおとなしくしてもらわなくては。どうやら彼らにはシッポが生えてないようなので、掴んで弱らすという作戦はとれない。僕がにらんだところ、カートで膨らんだホッペが弱点のような気がする。あいつを押してやればもしかすると力がなくなるかもしれない。
そんなことを一生懸命考えている今日この頃。

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ハジャラ
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ジブラ
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これクリックすると事故るよ。



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その棒は・・・
サナアにまた帰ってきた。何だかとても涼しく感じる。内緒にしてたけど、サナアは海抜2300メートルあるので、周りの低地に比べるとかなり過ごしやすい。が、それでも30℃近くあるのでけっして涼しくはないんだけど、それだけサユーンが暑かったということだろう。

結局5泊したサユーン。世界遺産のシバームや近郊のタリムという町などをまわったけど、もうめちゃくちゃ暑かった。30分も歩くと死んだ。僕の持ってる温度計では40℃を越していた。死んだ。
午前中の観光で汗をビッショリかき、宿でシャワーを浴びるともう午後は動けなかった。がっつりお昼寝。というか本気寝。もう寝なきゃやってられないって感じ。昼は町でも人をあまり見なかったから、みんなもたぶん昼寝してるんだろう。
ようやく日が沈んだ6時頃、再び行動開始。昼間の熱気が残るものの、日本の夏、金鳥の夏という感じで悪くない。屋台でねぎ焼きなどを食い、10時ごろまでおしゃべり。そして帰ってまた寝る。そんな1日。

サユーンの男はジャンビーアを差してなかった。みんなズボンをはかず、パンツもはかず、ふるチン、というのはうそで、腰巻姿。インド人でも昔と比べてそんなにルンギー(腰巻)をしてなかったから、ちょっとびっくりした。
サユーンの女はやはりアバヤ姿。黒い手袋までしている女性もいた。40℃だよ。どれだけ忍耐強いんだよ。
あと、彼らはすごく信仰熱心だった。イスラム教では1日5回礼拝があるんだけど、僕らがよく気づいたのは昼過ぎと日没後の2回。その時はほとんどの店が閉まり、町から人が消える。日没後、僕らが商店より少し広いといった感じのスーパーで買い物をしていた時、店の人に「出て行ってくれ」と言われた。「いや、もうこれ買うだけだから、お会計してよ」と言っても、「10分、外で待っていなさい」と言われてしまった。アッラーはやはり偉大な神で、ここではお客様は神様ではなかった。


サユーンで一緒に過ごしたガンさんは、12年旅をしているゴイスーな女性で、旅の話はめちゃおもしろかった。もちろんそんなに長くはお金が続くわけないので、世界のあちこちで働き、旅費を稼いで旅を続けているみたい。ある時はカルフォルニアでぶどう摘み、ある時はバルセロナでマッサージ、ある時は女スパイ。(うそ) 去年はアラスカで旅館のお手伝いをしてたみたいで、毎日オーロラを見てたんだって。うらやまし。
旅の話を聞いて思うのは、地球はまるごと宝箱、もしくはテーマパークということだ。もうびっくりやワクワクに溢れている。12年旅してもまだまだ行ってないとこ、行きたいとこがたくさんあるんだって。ガンさんがすごいとこは、それだけ長く旅をしているのに全然旅に疲れてないことだった。簡単にいうとインド病にかかってない。アラビア語を現地の人に聞いて丁寧にメモってたり、朝早く起きて観光に出かけたり、これからイエメンの島(スコトラ島)で野宿すると言ってたし、僕らよりかなり精力的に旅を続けている。短期旅行なら普通のことかもしれないけど、長く旅してるとそれがけっこう難しいんだな。ほんとかっこいい旅人だった。見習わないと。


ある夜、やはりガンさんと一緒に晩飯を食べていると、近くで人々が集まりだした。何やらもめているようだった。
「ああ、また喧嘩か」
これまで喧嘩やそれに群がる野次馬をさんざん見てきていたので、たいして気にしてなかったんだけど、ふと気がつくと木の棒で殴り合いをしていた。僕らは食堂の奥に避難させてもらったので大丈夫だったけど、1人ナイフで刺されたようだった。
「ジャンビーアか?」と僕が聞くと、「いやナイフだ。ジャンビーアは北の奴らのものだ」と食堂の兄ちゃんが教えてくれた。話を聞くと、喧嘩の原因はけっこう深刻な問題だった。
イエメンは1990年、ベルリンの壁が崩壊するまで、民主制の北イエメン、社会主義の南イエメンに分かれていたそうだ。統一前も後も内戦がしばしばあり、やはり南北の溝はそう簡単には埋まらないみたい。今回の喧嘩も北か南か知らないけど、どっちかから喧嘩を売ったみたいで、驚いたことに野次馬だと思われた人たちもみんな木の棒をどっかから持ってきて参戦していた。普段とっても親切なイエメニーだけど、僕らにはなかなか気づけない心の奥深いところでは、憎しみの感情が渦巻いているということなのかな。

その翌日、皮肉にも南北統一のお祝いがあり、部族ごとだろうか、お揃いのシャツを着た人々が楽しそうに踊っていた。ある集団は木の棒を振りかざし踊っていたんだけど、「おいおい、昨日それで人殴ってなかったかい?」と僕は疑いの目でそれを見ていたのだった。

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誰もいない・・・
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日干しレンガ これで家を造るんだからすごい
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卵型のモスク
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その棒 血がついてないかい?
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これクリックすると殴られるよ。



う、うそだろ・・・
前回のクイズの答えから。
次に行く「ア」から始まる国は、アラブ首長国連邦。だけど、ここは前と同じくトランジットの1泊だけ。あの有名なホテルでも見てこようかな。
そして、その後に行く国はアルメニア。「うーん、知らない」と思ったあなた、僕もつい最近まで知らなかった。次どこに飛ぼうかと悩んでいる時に出合った旅人が「ユーたちアルメニアに行けばいいじゃん」とかるーく言ってくれたので、「じゃ、いこか」とその日にインターネットでチケットを購入したのだ。
一応今まではルートをなんとなく決めてたけど、いきなり予定外の国に行くのは初めて。まあ、イエメンも出発する時は全然行くつもりなかったけどね。こうやって、偶然知り得た情報をもとに進路を決めるのはなんだか楽しい。全然関心がなかった国と繋がりができ、また少し世界が広がる。それに、あまりバックパッカーも行かないらしいから、なおさらいい。やっと自分のオリジナルの旅のルートが出来たみたいで。


さて、今日は世界遺産のシバームを訪れた。昨日バスで一緒だったガンさんも一緒に出かけた。
暑くなる前にと思って、朝8時に行動を開始したけど、もうすでに暑い。40℃近くあるんじゃないか。やたらとのどが渇く。
乗り合いタクシーで20分。昨日と同じく砂漠の中に突如として高層住宅群が現れる。さっそく町の中を歩いてみた。土で出来た30メートルくらいある細長い家がビッシリ。8階くらいの家もある。崩れている家もある。サナアの旧市街と同じく、やはり鉄骨は使ってないようだ。土と少しの木だけでこんだけ高い家を建てるんだから黒柳徹子もびっくりだ。
僕はこのシバームの町を知っていた。というか思い出した。数年前、「世界ふしぎ発見」で黒柳徹子がひとし君人形を独り占めした後に見た「世界遺産」の番組で、このシバームの町を取り上げていたのだ。それがイエメンだったとはこっちに来るまでわからなかったけど。
その時は、この家の建て方を少し説明していたんだけど、あまり覚えてない。ただ土を乾かした日干しレンガを積み重ねて造っていたのがインパクト大で、「そげんなものでこげんのっぽな家を造るとか。」とぶったまげたのを覚えている。まさか実際にやってくるとは思ってなかったなあ。
路地では子どもたちが遊んでいる。ヤギもたくさんいる。4階くらいの窓から「ハロー」と子どもたちが声をかけてくる。やっぱこの土の家に住んでるんだね。すごいや。
「ハロー、ガラム、ソーラー」
ある子どもは歌うように何度のその言葉を叫んでいる。これはイエメンの子どもがよく言う言葉「こんにちは、ペンくれ、写真撮って」だ。「マネー、マネー」と言われるよりはいいけどね。

このシバームの住居は8世紀ごろから建てられ始めたそうだ。「世界最古の摩天楼の町」「砂漠のマンハッタン」と言われているんだって。不思議に思うのは、こんだけ土地があるところになぜそんなに高い家を造ったんだろうということ。平屋の方がずっと簡単だろうに。
ガイドブックには次のようなことが書かれてあった。
「高い建物の外壁が敵を防ぐ城壁の役目をしていた。」

シバームの近くの岩山を登って、町全体を眺めた時、それが実感できた。密集して建ち並ぶ高層住宅は、まるで1つの城のようであり、1番手前に建っている家は、確かに城壁のようだった。なるほど、これじゃあ敵も攻めにくいわ。

僕らは岩陰に腰掛け、シバームを眺めながらひと時おしゃべりを楽しんだ。下の砂地を20頭くらいのラクダの群れが歩いているのが見えた。昔は今のようなアスファルトの道路がなく、ラクダで砂漠を旅していると、いきなりこの高層住宅が現れたんだろうな。これ初めて見たときはさぞかしびつくりしただろうな。「う、うそだろ・・・」と言っちゃっただろうな。
そんな想像をしてると、楽しかったよ。


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家の修復工事をしていた青年 
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これクリックすると黒柳徹子になるよ。



誘拐される!?
サナアでの滞在もいつの間にか半月が過ぎ、相変わらずのんびり旅な僕ら。
しかし、最近重大な仕事を1つした。次の国の航空チケットを購入したのだ。しかもまたあのエアアラビアをインターネットで。もう今度は延期されないだろうな。
フライトの日付は6月1日。気になる国の名は「ア」で始まる国です。アメリカかな?アルゼンチンかな?それとも明石かな?正解者にはもれなく明石名物・明石焼きをプレゼント。

というわけで、楽しい楽しいイエメンも残り10日ちょい。このままサナアだけでも別にいいんだけど、ここから600キロほど東に行ったところに「砂漠の摩天楼」と呼ばれるシバームがある。ここも世界遺産だ。
「そんじゃまあ、シバーム行っとこか」ということで、イエメン初の移動。朝6時半発のサユーン(シバームの近くの町)行きのバスに乗り込んだ。
1人日本人女性がいて、他のイエメン男性と同席できないため、ゆりと一緒に座ることに。そして僕の隣には40才くらいと思われるイエメン男性が。
彼の名前は・・・忘れた。とりあえず「フセイン」にしておこう。イエメン人にはめずらしく英語が堪能で、いろいろ話しかけてくる。が、堪能すぎて良くわからない。ほとんど「うん、うん、そうなんだ」と聞き流してたんだけど、それでもわかったことは、彼が15人兄弟なことと、お母さんが7人いること。それがイエメンでは普通なのかめずらしいことなのかよくわからないけど。まあ、それだけ養えるんだから、彼の家が裕福なのは間違いないね。
「子どもは?」
僕らが結婚してると知ると、ほぼ100%言われる質問をフセインもしてきた。
「いないよ。フセインは?」
「いなかった。でも今お腹の中にいるんだ。」
そうか、第一子をついに授かったわけだ。40歳のおっさんとしたら待望の子どもだろう。その時フセインはちょっと奇妙なことを言った。
「ツーベイビーだ。」
うーんツーベイビー?それも聞き流していたからよくわからんのだけど、考えられるのは、双子か、それとも第二夫人がいて同時に妊娠したか。イスラムではそれも考えられるよね。
「何歳だ?」とフセインが聞いてきた。
「29歳どす」と答えると、彼は顔をゆがませた。何だ?と思っていると、彼は驚くべきことを口にした。
「おお、わたしと同じ年だ。」
は?え、えー!フセイン29かよ、おないかよ。確かに僕は童顔だが、あんたはフケすぎだ。
ここで07年度ベストオブ童顔に輝いたゆりを指差し「マイワイフも同じ年だ」と言うと、彼はさらに驚きの表情を見せ、「なんということだ。ああ、アッラーの神よ。」とメッカに向かって祈りだした。まあ、それはうそだけど。

そんなフケ顔フセインだけど、彼はとても親切だった。休憩時間にお手洗いに連れて行ってくれたり、パーミットをチェックしにくるポリスに何度も「彼らは日本人でサユーンに行くのだ」と説明してくれた。イエメンはサナア以外に行くにはパーミットの取得が必要で、検問ごとにそのコピーを渡さなくちゃいけないのだ。今回サナアからサユーンに行くのに7回くらい検問があった。

3時間近くバスが走ったところで、フセインが前を指差し「諸君、マーリブが見えたぞ。デンジャラスタウンだ。」と教えてくれた。
フセインは知っていたのだ。最近マーリブで日本人が誘拐されたことを。
しかもバスは親切にもマーリブで停まり、朝食タイムに。さすがにちょっと緊張してバスを降りる。外国人旅行者が少ないせいか、皆ジロジロ僕らを見てくる。「今日はこいつらを誘拐しちゃおっかなあ」と相談してるようにも思える。ピンチだ。ついに僕らも新聞に載る時がやってきた!僕は必死に「私を誘拐したらアッラーの神がお怒りになるぞよ」オーラを出し続け、何とかその場を切り抜けた。
動き出したバスからマーリブの町を見てると、ちらほら肩から銃をぶらさげた奴が歩いている。
また、バスは少し走り、ガソリンスタンドで停まった。ガソリンの入れるとこには人々が群がっている。しばらくすると彼らは喧嘩を始めた。ガソリン給油機の奪い合いをしている。危ないなあ。しかも、その中には銃を持った奴もいたし、ほとんどの人間がジャンビーアを腰に差している。何ともデンジャラスな光景である。
ハラハラしたけど、なんとかここも無事切り抜け、出発した。

バスは砂漠の中の道を走り続けた。出発から9時間近く経ったころ、いきなり砂漠の中に高層ビル群が現れた。いや、ビルじゃない。家だ。ここがシバームか。
「すげえな」と思って窓から眺めていたけど、バスはそんなのお構いなしにシバームを通り過ぎた。そしてまた少しいったとこの終点サユーンで停まった。
ちらっと見ちゃったけど、世界遺産観光は明日いく予定。期待しないで待っててね。

ちょっと補足。
「あの子たち、危険なとこに行って!」と親に叱られそうなので、少し言い訳を。ちょっといたずら半分で危険なように書いたけど、本当はあまり危険じゃないの。ほんとに。確かにマーリブでは外国人を狙った誘拐事件がしばしば起きているけど、それは全部ツアー客を乗せた4WDばかりなの。今回の日本人もそうみたいだし。だからバスの乗客である僕らが狙われることはまずなし。それはパーミットを発行するツーリストポリスの人がそう言ってたから、まあ間違いないわけですよ。
ツーリストポリスのオヤジは「オレこないだ日本人誘拐事件で日本の記者からインタビューされちゃったよ。マサという奴だったよ。1時間も話したよ。おれ日本で有名人だな」とめちゃうれしそうだった。それから「解放された日本人は、誘拐犯がホスピタリティーだったと言ってたぞ。わはははは」となんだか楽しそうだった。なんだか深刻だか、そうでないんだかよくわからないイエメンでの誘拐事件。

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数分後、こいつらが喧嘩を始める
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僕たち同級生


これクリックすると誘拐されるよ。





マネーマネー
ここだけの話なんだけど、最近は1日置きくらいにサナアの郊外の町にお出かけしていた。
バスや乗り合いタクシーなどを使って30分も走ると、ゴツゴツした岩がころがる、だだっ広い荒野が現れる。砂埃が立つ堅そうな大地を見てると、とても人間が住むところじゃないなと思ってしまうが、所々に土と同じ色をした四角い家が建っている。小高い丘があると、その斜面に家が建ち並んでいて、なかなかかっこいい。城みたいだ。やがて石で周りを囲った畑が見えてきて、ちょっとした町が現れる。
僕らはここ数日で4つほどの町を訪れたが、それぞれに特徴がありなかなか興味深かった。
スーラという町の家は、石を積み上げて造られていた。石畳の道は、少しヨーロッパを思わした。(行ったことないけど)この町も小高いとこりにあり、町の裏には大きな岩壁がそびえていた。他の部族から自分たちを守るため、昔の人がこのようなところに町を作ったとか。
ワディ・ダハールでは、日干しれんがでできている家が多く、どろどろに溶けている壁は長い年月を感じさせた。まるで子どもが泥か何かで作る家のようだった。
コーカバンという町は、エアーズロックのような岩山の上にあり、そこからの眺めはオーストラリアのようだった。(行ったことないけど)
コーカバンの麓のシバームの町は、着いた時はスーク(市場)に人々が溢れ賑やかだったが、少し時間が経つとスーっと誰も町にはいなくなるというミステリー現象が起こった。まだお昼なのに店も閉まってしまった。
「いったいなんだべさ」と思ってしばらく町をぶらぶらしていたら、また人々が集まりだした。祈りの時間だったのかな?

さてさて、話は、そのコーカバンからシバームへ下っている時のこと。
ロバを連れた兄弟に出会った。兄11歳、弟4歳といったところか。ロバに乗っている弟がかわいかったので1枚写真を撮らせてもらった。すると兄が「マネーマネー」と言ってきた。写真代をよこせと言うのだ。
こういう子どもはインドには山ほどいたので、いつものように「ノー」と言って、子どもたちの横をすり抜け道を下った。すると兄は弟を置いて僕らについてきた。「マネーマネー」と言いながら。僕らはそのうちあきらめるだろうと思い、「ノー」と言ったり、無視したりしてどんどん道を下った。が、兄はずっとついてくる。そのしつこさは、この旅で出会った物乞いの中で1番と言っていいほどだった。
僕は物乞いに時々お金をあげたりするけど、子どもには渡さないようにしていた。こういう方法でお金を得ることは、子どものためにならないと思うからだ。
あまりに兄がしつこく「マネーマネー」と言い続けるので、僕は「お金お金言うたらあかん」と日本語で叱った。ちょっと怒る素振りを見せれば、兄もあきらめると思ったからだ。
すると兄はその場で立ち止まった。「おっ作戦成功」と思ったその時、兄はなんと泣き出してしまった。
「ななっ!」
これには僕も狼狽した。
もしかしたら兄の家はめちゃくちゃ貧しく、今日の飯を食うのも困っているのかもしれない。小さな弟もいる。だからあそこまでしつこく追いかけてきたのか。家計を助けるために、したくもない物乞いをしているのだ。それなのに、俺はそんな家族思いの兄を怒鳴りつけてしまった。俺はなんてひどい人間なんだ。鬼だ、悪魔だ、いや、うんこだ。

「お金あげてきて」と僕はゆりに言った。ゆりの方が兄も怖がらなくていいと思ったからだ。
ゆりが兄に近づき、お金を渡そうとした瞬間、兄はパッと泣くのを止めた。そして、お金を手にすると、ニッカーっと生意気そうな笑みを作った。「やーい、騙されてやんの」といった感じだ。それから兄は、今来た道をサッサッと登っていった。もちろん「ありがと」の一言もなかった。
僕らはさすがにあきれたけど、それほど怒りはこみ上げてこなかった。まあ、うまくやられたなって感じか。


それから数時間後、僕らは帰りのバスの中にいた。
バスの入口は開けっ放しになっていて、そこからさっきの兄と同じ年くらいの少年が外に体を出して、目的地の名を叫んでいた。「ハナテン、ハナテン、ハナテン」といった感じだ。
乗客が乗ってくると、少年は「あそこに座れ」と指示を出している。アバヤを着た女性が乗ってきた時には、すでに座っている大人に「後ろにいってくれ」と言い、動かしていた。イエメンでは、見知らぬ男女は一緒に座らせないようになっている。
僕は、大人に臆することなく指示を出しているその少年を、少しびっくりして見ていた。なんて堂々とした働きぶりなんだ。僕なんて、中学生にバカにされて仕事してたというのに。
ある程度客を乗せると、少年は運賃を集め始めた。「おつりが面倒だな」と思って僕は少年を観察してたけど、彼の手際はとてもよく、ムダな動きがまったくないように思えた。
集金が終わると少年は空いていた席に腰かけ、真っ直ぐ進行方向を見ていた。その様子はもう大人のようだった。僕は特に彼の目に惹かれた。うまく言えないけど、しっかり自分を持っている、そして自分は一人前にやれるという自信、そういうのが表れているように思えた。
なんでこんな小さいのにここまで大人っぽくなれるのか。小さい頃から大人の中で働いているとこうなるのか。よくわからんけど、机にずっと座っているだけではこうはならないなと思った。それが良いか悪いかは別としてね。

出合った2人の少年はやけに僕の心に残った。立場は全然違ったけど、あまり日本では見られないたくましい子たちだった。これから彼らはどんな大人に成長していくんだろう。そして僕はいつになったら大人になれるのだろうか。

そんなことを思う、ある旅の一日。
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ワディ・ダハールの名物ロックパレス 何もこんなとこに作らんでも
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ワディ・ダハールのカオナシ
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スーラ
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スーラ
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シバーム 岩山の上がコーカバン
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コーカバンからの眺め 下がシバーム
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コーカバンの娘

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